青空を求めて(56)

1月22日(土)みどり会の新年会
午前10時05分親子3人車で「府中の森芸術劇場」に向かう。来週の土曜に、この劇場で学園全体の劇発表会が大々的に
予定されている。初めての場所なので今日はその下検分である。
観客席だけで2千人以上はあると云う大劇場である。何にしても派手な事の大好きな学園を象徴するかの様な場所であった。昨年は悠真のITP騒ぎで、この発表会は欠席しているので今年が初デビューとなる訳だ。
会場の確認を済ませた後は吉祥寺の東急デパートで昼食を取る。
午後4時半から7時までは、「みどり会」の新年会である。小学校の体育館で500人以上の父母と全ての教職員が集まっての大新年会だ。私は生ビールを5~6杯は飲んだろうか、途中から眠くて仕方がなかった。
それでも他の父母の話には適当な相槌をうって、お茶を濁していた。この日は教職員がホスト役で盛んにビールやワインを注いで歩き回っていた。
親の出番も多く毎週のように何かの行事に参加させられ忙しい日々を送っているが、教職員はそれ以上に大変な思いをさせられているみたいだ。
誰かの父親が、
「この学園を企業に喩えるなら間違いなくブラック企業だ」
と言っていたのを思い出した。
私は7時半には自分のマンションに戻り、そのまま眠ってしまう。
1月29日(土)発表会
午前7時15分朝食、悠真はタコ焼を4個食べただけ。10時に親子3人が私の車でマンションを出た。10時35分目的地の駐車場に到着した。後15分も遅ければ駐車場の中は車で一杯になり私たちは苦労したに違いない。そのまま車の中で少し早い昼食をすませる。
11時10分悠真を担任の先生に預ける。
12時30分発表会グランドオープン、予想以上に感動的であった。2千人もの父母が観客席に陣取っており、カメラフラッシュの光線が矢の様に飛び跳ねている。大スピーカーが劇場のあちらこちらに配置され音響効果も抜群であった。
悠真の出演題目は3番目の「おばけパーティ」と6番目の「ちびっこカーボイ」であった。
どちらも台詞は殆んど聞こえなかったが、この一年で指示行動にはかなり従える様になって来た。やはり学園の熱い教育の賜物であろう。
午後3時45分終幕、駐車場の車の中で悠真に色々と食べさせる。
相当にお腹を空かしていたらしく、よく食べよく飲んだ。
5時半に沢山の感動を抱いて自宅マンションに帰って行った。
始めの内こそ懐疑的だった私も先生方の努力と、子供たちの真剣な演技を見るにつれ学園の行事に対する考え方が素朴な感動に変わってしまった。
明日に続く

青空を求めて「幼児編」は本日をもって中断します。
また新たな着想の許に悠真の
「少年編」は後日書き続けるつもりでいます。執筆活動はしばらく休ませて頂きます。
本来の認知症に関するご質問は、これからも引き続き受け付けております。
2016・3・15 筆者

青空を求めて(55)

1月9日(日)三鷹に戻る
夜11時になっても悠真は全く寝ようとしない。妻は疲れ果てたのか一階和室で一人寝てしまう。悠真は泣きながら私にオンブを幾度ともなくせがむ。
仕方がないのでオンブをしながらリビングを往ったり来たりと一時間以上は繰り返す。私自身の背中と腰が辛いので30分ほど様子を見て、布団に寝かしつける。少しウトウトして来たので大丈夫だろうと悠真の脇からそっと立ち上がると、また起き出して来る。がっかりしてオンブを又やり直す。そんな事を数回ぐらい繰り返し午前1時になって悠真は何とか本格的な眠りに就いてくれた。1時20分やっと私も自分の寝室で横になる事が許された。
8時20分自然に目が覚める。8時半悠真を起こしトイレ誘導、寝小便は無し。9時に朝食を取り、11時から12時10分まで近くの公園に悠真を連れ出し散歩。またブランコ漕ぎを30分近くする。ともかくこの頃の悠真はブランコが最大の趣味と言って良かった。
12時20分宅配ピザで昼食、食後は三鷹への帰り支度が待っている。家中の加湿器6台の水を全て抜いてフィルターの熱湯消毒を丹念にする。消毒の終えた加湿器を一台づつ風呂場の中に立て掛けて行く。この加湿器の処理だけで一時間以上はかかる。
2時半病院スタッフが手伝いに来て、必要な荷物をワンボックスカーに積み込み3時半に横浜の実家を出発する。午後5時になって三鷹のマンションに帰り着く。それから一時間近くもかかって積んで来た荷物の整理が終わり、ミニ引っ越しが一段落する。午後8時「味の民芸」で夕食を取る。
1月15日(土)保護研
午前10時から12時10分までが新年の保護研である。また園長の熱っぽい話が30分以上続く。自閉症児の年長クラスで父親の参加は私一人だった。妻は自宅で人形製作に忙しそうだ。
12時半マンションに戻り、1時10分には4人分の弁当を私一人で買って来る。1時20分昼食。
2時半には悠真と散歩に出掛ける。マンション脇の公園でブランコ遊びをさせていると3才ぐらいの女の子が寄って来て、
「私にもブランコを漕いで」
と言い出す。側に親らしき人も見当たらない。仕方がないので悠真と女の子の背中を代わり番こに15分ぐらい押し続ける。女の子の背中を押しながら、
「3才で、こんなにも立派なお話が出来るんだ」と、
悠真を振り返りながら私は少し寂しい気持ちに襲われた。今高校2年の娘も3才ぐらいの時は夫婦間のあれこれを私の実家で今は亡き両親に喋りまくり、妻も私も随分と恥ずかしい思いをしたもんだ。それも今は懐かしい思い出となってしまったが、もうすぐ7才になろうとしている悠真が殆んど会話らしい会話が出来ないと云うのは、やはり親としては頭の痛い問題だ。
明日に続く

青空を求めて(54)

12月21日(火)横浜に戻る
学校が冬休みとなったので、私たち家族は三鷹から横浜の実家に帰った。
朝7時20分磯辺タクシーで三鷹のマンションを出発、病院には8時半に着く。
9時から12時半までは午前診で40名とそれなりの忙しさだった。12時40分昼食、1時15分から2時30分まで入院患者さんの回診。
2時40分磯辺タクシーで病院を出て3時45分に三鷹のマンションに戻る。ベビーシッター岸沢さんにも手伝ってもらい娘と妻で急ぎ帰り支度をする。悠真の世話は岸沢さんに頼む事が多かった。
5時15分岸沢さんの運転する車と私の車の2台が連なってマンションを出発し、6時30分やっと横浜の実家に帰る。正月休みは横浜でゆっくり休む予定でいる。
7時10分安西さん手作りの夕食を取って、8時30分悠真と二人で入浴。この一年余り風呂に入る度にグー、チョキ、パーを幾度となく悠真に教えているが、チョキがどう説明しても上手には出来ず、指が1本になったり3本になったりしてしまう。あるいは2本目の指が中折れになって普通のチョキにはならない。
運動機能は脚にあって知的機能は手に集中しているとリハビリ学では教えているが、手の動きを見る限り悠真の知的障害を認めない訳には行かない。
悠真は6才8ヶ月、まだ言葉らしい言葉は出て来ない。8才までにある程度の言葉が出て来ないと、それ以後の言語発達は極めて困難だと云う人もいる。
そんな話を聞かされると焦りを感じてしまうが、親だけが焦ったからといってもどうにもなるまい。今は小学校に上がってからの教育に期待にするしかない。
この年末年始は珍しく何処にも出かけず横浜の実家で過ごす。昨年は箱根旅行で悠真がITPなどに罹り大学病院に緊急入院となった事が私たち夫婦のトラウマになっていたのかもしれない。
正月2日は悠真と電車に乗って職場近くの「こどもの国」に連れて行く。始めは高校2年の娘も一緒に同行するつもりでいたが妻が、
「たまには父と息子と二人だけで向き合ってみたら」
と言うので、私もその気になった。昼12時10分昼食、こどもの国の食堂で取る。悠真はラーメンを私はカレーライスを食べた。午後1時頃からは大広場で悠真と二人で駆けっこ、悠真は大はしゃぎだが体力的に私の方がそれ以上の時間は追いついて行けない。その後は牧場に行きポニーに悠真を乗せる。一周では足りず二周して何とか彼は満足した。次はネットジャングルで30分以上は遊ばせた。多くの子供たちと遊んでいる姿は全く健常児にしか見え無いのだが…本人はとても嬉しそうだった。
帰りも電車に乗って午後4時半自宅に戻る。悠真も充分に楽しんだ顔つきだった。
明日に続く

青空を求めて(53)

12月19日(日)クリスマス会
今回は私たちのマンションの集合会場で企画されてしまったので、何か幹事役を引き受けさせられてしまった印象が強い。
午後1時から4時までが開催時間だが幹事役ともなると午前10時前から下準備にかかり忙しくなる。昨年のクリスマス会は客として参加していたので、その大変さとは大違いだ。
それでもクラスメイトのお母さん方が10時過ぎから続々と手伝いに来てくれたので、クリスマスツリーや室内の飾り付け等の準備は順調に進んで行った。
昨年の会費は一家族で1万円だったのに今回は5千円と半分に下げられてしまった。これでは唐揚げやポテトフライ、スーパーの焼きそばぐらいにしか手が回らない。飲み物もビールを用意するのが精一杯だ。
仕方がないので私一人でワイン5本とウイスキー3本を急ぎ自腹で買い揃えて来る。
12時半頃から会場にはどんどん人が集まり参加者は50名を軽く超えた。午後1時スタート、先ずはビールで乾杯。私はサンタ役なので早くから飲み過ぎる事も出来ずグラスにビールを2杯ほど飲んで我慢した。
トナカイ役は山崎さんで二人揃って漫才の様に戯けて会場内を練り歩いた。子供からも大人からも受けに受けた。日頃は生真面目そうに見える私が面白可笑しく投げキッスをしながらサービス満点のサンタを演じたものだから皆は大笑いだった。
会費5千円の料理(場所代の経費も含め)だから、その貧弱さは隠しおおせ用もないが、アルコールだけは高級ワインと高級酒
をそれなりに急遽買い揃えて来たので皆は充分に満点してくれた様である。中には、
「こんな美味しいウイスキーやワインを飲むのは始めてだわ」
と言いつつ酔いつぶれてしまったご夫人もいたりして、その介抱に骨を折ったりする場面もあったが、パーティーそのものは大成功に終わった。何とか大役を果たしてホッとする。今日は妻もよく働いていた。
今日一日を終えてパーティーは幹事役より、お客さんの方がずっと良いと尽く尽く感じた。
宴会後の後片付けも大変で一時間半近くかかった。それでも何人かの人か手伝ってくれたのでそんな時間ですんだ。大半の人たちは酔っぱらって帰ってしまったが…
私たち親子が自分のマンションに帰ったのは午後6時前だった。こういう席上では通常、妻と娘はほとんど食べ物を口にしない。妻はその過敏症状から、娘はそんな母を見て自分一人が無節操に食べるのを嫌っていた。
私はと言えば食べる事に弱く、どちらかと言えば空腹感に勝てない。幼稚園時代の悠真は妻同様に精神的な気分で食べたり食べなかったりしていた。
マンションに戻って一休みして午後7時、近くのバーミヤンに夕食を取りに行く。私以外の3人は腹ペコだったのだ。
明日に続く

青空を求めて(52)

11月4日(木)小学校受験
午前6時半に起床、さあ受験の朝だ。内部進学なので合格すると分かっていても、それなりの緊張感は付きまとう。7時20分悠真のトイレ誘導。親子3人とも体調は良好である。服装を正して8時40分には自宅マンションを出る。定刻5分前には隣接する小学校に到着。
悠真も試験考査の対象になっているが形式に過ぎない。多動症であるかどうかをチェックするぐらいだ。悠真と私たち夫婦の二人は別々の会場で考査を受けた。
昨日は夫婦二人で一時間以上は面接の為の予行練習をしていた。妻が私を指導する立場で幾つものアドバイスをして来た。
面接官は校長先生であった。
しかし実際の試験場では妻の方が焦ってしまい、少しばかり見当外れの回答をしてしまう事が多かった。もちろん、それで合否の判断が変わると云う事も無いのだが…
翌朝9時半には早くも合格通知が届き、10時には早々と入学手続きを済ませた。
午後1時には病院に行き、老人ホームの往診に出かける。3時半から5時までは入院患者さんの回診を急ぎ済ませる。
11月14日(日)園祭り
昼の12時、自宅で宅配ピザの昼食を取り12時50分車で幼稚園に向かう。午後1時から2時までが年長クラスの催事時間である。クラスメイトの保護者たちと20分ぐらい立ち話をする。昨年の幹事役から今年のクリスマス会には私がサンタクロースを是非やって欲しいと言われ渋々引き受けた。
11月16日(火)個人面談
午後3時から4時までの一時間、夫婦二人で個人面談に臨む。小学校まで後4ヶ月半、
「どうやって指しゃぶりを止めさせるか」が、大きな課題である。指に辛子を塗るなんて云う案も出されたが、口腔内に炎症を拡大させてしまう危険もあったりして、それも出来かねた。
12月4日(土)マンション契約
午前9時から10時まで自閉症児クラス27名の細やかクリスマス会が学園主催で行われた。わずか一時間であったが内容が濃く悠真も充分に楽しんでいた。
午後3時から4時半まで吉祥寺の野村不動産でマンションの売買契約をする。マンション自体は同じ棟内であったが賃貸と所有では意味合いが違う。広さも84平米から100平米となって住み心地も少しだけ余裕が感じられた。7200万円の売値を何とか6800万円まで下げて交渉は成立した。
また今までの2階と違って6階なので窓の外の眺望も素晴らしい。冬の晴れた日の富士山は絶景であった。転居して雄大な富士の山を初めて目にした時は夫婦揃って感動のあまり拝んでしまった。しかし角部屋なのでエアコンはかなり強くしないと夏は暑くていられない。どんな場所にでも夫々に一長一短はあるものだ。
明日に続く

青空を求めて(51)

10月23日(土)みどり会
午後3時から8時まで「みどり会」の父親勉強会が開催された。小学校の講堂で120名の父親が参加し、「高等専門学校(自閉症者)卒業生の就業及び卒後生活について、中学校の校長と就活専任教師から1時間半にわたる説明を受けたが、幼稚園児を抱える私には未だ現実味が湧いて来ない。そんなにも未来は明るくないのかとの印象を強くしただけである。
これまでの保護研で幾度となく聞かされた話、
「お預かりしたお子さん方の教育は、親が諦めても先生方は決して諦めない」とは、
どんな意味が込められているのか?
そこまで幾度ともなく言い切った保護研での話は、ただの言葉のまやかしか?
未だ幼稚園児に過ぎない悠真が、この先10年以上学園に通い続けても、その先に明るい未来は見えて来ないのか。いわゆる知的障害としての就職活動しか期待出来ないのか。そんな事の為に自宅の転居などと云う多大な犠牲を払ってまでして得られる対価が、そんな物でしかないのか。午後4時半から8時までの父親同士の懇親会では誰からも私の、そんな素朴な疑問を提示する人はいなかった。
私だけが余りに単純なのだろうか。しかし難関の幼稚園に合格が決まった数日後に語られた副園長の言葉、
「ご縁があって入園されたからには後は大船に乗った気持ちでいて下さい」との、
説明は一体どの様な意味を示すのか。あの合格発表の速達を受け取った日の感動は夫婦共に日々薄らいで行く様だ。
「東マジック」と云う
言葉をよく耳にするが、何処にそんなマジックが存在するのか。私はそんなマジックをこの学園で一度も耳にした事もなければ目にした事もない。もしそんな事実が起こり得るとすれば学園側の功績ではなく、その両親の圧倒的な愛と血の滲む様な努力の結晶ではないのか。
高校卒業後の進路方針を聞いて、この学園の教育方針に疑問を抱いたのは私一人だけだったのだろうか。でも悠真は未だ幼稚園児だ、言葉も殆んど話せないがこの子の未来をもう少し見舞っていたい。
ともかく人は誰でも未来に希望を持ちたい。ましてや我が子の未来に希望を持たない親はいない。それを幼稚園児の段階から知的障害者対象の授産設備への就職活動をあれこれ説明されても納得出来るものではない。
そんな授産設備で働かせるつもりなら、こんなにも大きな犠牲を払って何故この学園に通わせなければならないのか、そんな大きな疑問の前で私は立ち止まってしまう。
「お預かりしたお子さん方の教育は、親が諦めても先生方は決して諦めない」
との言葉は三流業者の誇大広告に過ぎないのか。この学園に入園して早や一年、私の胸の中ではこの学園の教育方針に対する疑問が日々拡散している。
明日に続く

青空を求めて(50)

10月11日(月)沢田由美子さんから口頭ではなく正式の退職届けが出される。数ヶ月前から彼女の退職希望は聞かされていたし、個人タクシーとの連結もスムーズに流れていたので、私の送迎に支障を来たす事もなかった。ただ彼女とは相性が良いと言うか、人間同士の繋がりをもっと大切にしたかった。男女の性別ではなく一人の人間として彼女から学ぶ事も多かった。
彼女には失礼であるかもしれないが、わたしの7才年上の叔母と似ている所があって、彼女の単調な物言いからも教えられる事は多かった。
40数年間の生きて生きた人生には、それなりに学ぶべき事は幾らでもある。
男と女では性別の違いだけではなく日常生活上の役割り分担も違う。その分担の違いから思考方法にも差が出て来る。共に分かり得ない部分が必然的に出て来るのは当然なのだ。
それが夫婦同士だと日常生活に埋没され、なかなか時間をかけた会話とは成り得ない。
「今更、何だ」と言う思いが、
先行してしまうからだ。
その意味では沢田さんと私の関係は男女間を離れたバランスの取れた良好な人間関係であった。そんな沢田さんに正式な退職届けを出され、私は一抹の寂しさを隠し切れなかった。
「もう少し、まとまった仕事が欲しい」
と言われれば、私に返す言葉は思い当たらなかった。
それまでは断続的に個人タクシーと沢田さんの車で送迎してもらっていたが、翌日からは磯辺と云う個人タクシーが送迎の専属になって行った。
10月16日(土)深大寺
昼の12時半に私の車で深大寺に向かう。絶好の行楽日和で人出も多かった。「雀の宿」で昼食、ざるそばを食べる。味は以前より明らかに落ちている。
「名物に旨いものなし」とは、
亡くなった父親から散々に聞かされた言葉であった。
観光地で常に多くの人が溢れていると、努力の必要もなく客は幾らでも入って来るので味も接遇も落ちて来るのであろう。
10月17日(日)
午後3時半から5時まで悠真と公園で散歩する。ブランコだけでも30分以上は漕がされた。紅葉の季節には未だ早いが、秋は確実に深まっている。落葉の時期になると悠真は決まって落ち葉の山の中に入って着ている服を目一杯汚して妻を困らせる。
午後5時過ぎ自宅に戻ると悠真がお尻をモコモコさせているので私は急ぎトイレの便座に座らせる。直ぐに大量のウンコが
出てきた。私が付き添ってウンコをさせたのは今日が初めてで少し嬉しかった。これで3日連続トイレでウンコをしていると妻は得意気に話していた。
また一歩成長の記録が塗り替えられて行く感じだ。
明日に続く

青空を求めて(49)

朝の体操は子供たちでも辛そうだ。まして60才を過ぎた私にはサウナでジョギングを強要される様な過酷さがあった。
体操の後は親子リレーが続く。覚悟を決め親子リレーに臨むしかなかった。肚を括ると暑さも何とか耐えられる。12時やっと昼食、食事をしていても背中を照りつける太陽の暑さはどうにもならなかった。
12時半解散、皆んなは少しずつ立ち上がって夫々が1時10分には小金井公園を出る。1時半三鷹のマンションに戻る。安西さんはすでに出勤していた。
岸沢さんも程なく出勤して来て先ずは悠真を風呂に入れてくれる。続いて私も急ぎ風呂入ってしまう。ともかく全身が汗だくだ。風呂に入らないと休息を取った気がしない。入浴後にそのまま一時間程眠ってしまう。
10月2日(土)保護研
午前9時15分から11時50分が保護研である。今回は11月4日小学校受験の準備と心得とも云うべき趣旨の説明が多くなされた。受験時に学校側からなされるだろうと云う質問内容のQ&Aも詳しく説明を受けた。
(1)我が家の教育定見(家庭内での教育指針)
(2)学校の良さ(どの様な理由で学校を選択したのか)
(3)家族の話し合い(自分の子供をどんな大人にしたいと思っているのか、常日頃からどの様な話し合いがなされているか)
(4)相手に伝わる話し方
妻も懸命にメモ書きしていた。他の保護者たちも真剣な眼差しである。
私はここで奇妙な事に気が付いた。自閉症児側の保護者は全員がスーツ姿なのに、健常児側の保護者の多くはジーンズなどのラフな人たちが多いのである。
その差は何故なのかを考えてしまう。恐らく健常児側の保護者は何もここだけが学校ではないし、面倒な事を言うなら公立の小学校に行けば良いだけの話だと云う意識の人が多数を占めているのではないのだろうか?
一方の自閉症児側の保護者は他に行くべき学校がない。この学校でこそ自閉症児の適切な教育を受ける事が出来ると信じて疑っていない。この決定的とも言える意識構造の違いが服装の違いとなって象徴されているのだろう。
それでは健常児の保護者たちは何故有名校でもなければ進学校でもない、この学園に我が子をわざわざ受験させ様とするのか、それは現存の小学校(公立)では、登校拒否、イジメ、モンテスターペアレントが蔓延し学級崩壊も稀ではなくなっていると云う厳しい教育現場では受験校でもなくても、心根の優しく躾けの行き届いた教育をしてくれる学校に子供を行かせたいと云う思いは同じであろう。
事実、同じマンション内に住む子供たちでも私立に通っているか公立に通っているかは、その挙動動作で一目瞭然に分かる。貧富の格差が教育現場にも確実滲み通っている。
明日に続く