認知症に負けない

Marutanさんへの回答(3)
幾度かご質問を受けている内に、やっと貴方の悩みの本質が少し見えて来た様に思います。前回の私の回答はその意味で何か的はずれだったかもしれません。どうかお許し下さい。先ずは「認知症との線引きの基準」について、かなりこだわっていらっしゃる様ですので回答いたします。簡易検査としは現在2種類のものが多く使われています。

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この「長谷川式簡易知能評価スケール(HDS_R)で30点満点中20点以下を認知症の疑いとしております。海外で多く使用されているものとしてはMMSE認知症テストが有名です。

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こちらは同じく30点満点中22~26点が軽度認知症、21点以下を認知症の疑いが濃厚としております。以上、参考までに差し示しましたが、やはり貴方の場合は認知症の心配よりはこれまでの長い生活の中で、余りにも傷ついた心の痛みが老化現象ではなく深い哀しみと自己否定となって、今の貴方を苦しませいる様な感じがしてなりません。49才という年は未だこれからですよ。私は67才になりますが、今でも自分の可能性と未来を信じて常に前向きな努力し続けて行きたいと願っています。現在のこの心境になるまで私自身も3度は自殺未遂を経験しております。小学校、中学校と学校の成績も悪く色々な事情もあって、イジメと言うよりは同級生の集団暴行に会って死にかかった事もあります。今の私が変わったのは高校2年の夏からです。それまで劣等生だった私がある理由から医師への道を目指し始めたのです。高校の教師も同級生も皆が大笑いです。お前みたいな馬鹿が医者になどなれる訳がないと。でも私はそこから3年間死にもの狂いの努力をして何とか医学部に合格出来たのです。ですから私の座右の銘は「努力」この一言です。たった一度の人生です。他人が何と言おうとも自分で自分を慈しみ、より良い自分の中の輝きを探し求めて努力するしかないじゃないですか。認知症なんか恐るるに足りないのです。


返信ありがとうございます。励ましのお言葉ありがとうございます。ですが、確認させてください。
私は障害と呼べない能力でダメだしをされ続け、子どもの時から自信を失い、うつを患い続けてるということですか?そこに老化が入ってきて自分自身が混乱しているのですか?そうであれば、最初に質問しました「認知症との線引きの基準」を教えてください。
どうも私の周りにはリストカットでもしないかぎり、私が苦しんでいるのがわかってくれない人ばかりです。基準がわかれば、自分で訴えられますし、周りにも理解してもらいやすくなります。多分、私の周りは、私が家に帰れなくなっても私が認知症になったことに気付かないと思います。こんなに長い間うつになっていても、一回も指摘されたことないんですから。
ここまで書きながら思ったのですが、この考えがうつなんでしょうか?自分自身のことがわかってないのは、認知症だけではでは、ないのですね?
社会性が乏しいのもわかっていますので、言葉に角があればお許しください。もう少しだけお付き合いください。

Marutanさんへの回答(2)

障害者番組を見ていると本の読み方、見え方がLD(学習障害)にそっくりなのですと、書かれていますが、恐らく全般的な学習障害があるのではなく部分的な学習障害が多少なりとも存在しているかもしれませんね。しかし広い意味で言えば部分的学習障害は通常の人たちの誰もが持っているものです。程度の差はありますが、国語の苦手な子、算数の嫌いな子、体育の下手な子、音楽の時間になるとトイレが多くなる子など、色々な子供たちがいますよね。これらを学習障害と見るか個性と見るかは大きく分かれる所です。ほとんどの人たちが皆それなりにハンディキャップは背負っているのです。パラリンピックを見て下さい。あれだけの身体的な障害を持ちながらも世界中の人たちに多くの感動を与えていますよね。つまり自分の弱点と思われる所をしっかりと認識して、言葉の言い間違え、他人に伝わりにくい発語などはボイスレコーダーなどで自分の発語や言い間違えなどを幾度もチエックして学習訓練を積み重ねて行くのです。その様な訓練の成果は努力すればしただけ実って来ると思います。パラリンピックの選手の努力の様にです。人の一生は努力の歴史であると私は信じて疑いません。その様な努力の人生には認知症など起こり様もありません、現在どの様なハンディを背負っていたとしてもです。いつの世にも無理解で無自覚の人たちは多く存在します。そんな人たちが、あなたのちょっとした間違いを笑ったりするのでしょう。あなたは、あなたらしく努力する事によって得られる自分の中の無限の輝きを信じて堂々と生きて下さい。


返信ありがとうございます。幼児期から引越しが多かったので、いじめも多く経験しています。特に大人からのいじめがつらかったです。今で言う小児うつだと思っていたのですが、障害者番組を見ていると本の読み方、見え方がLDにそっくりなのです。その他の発達障害の症状についてはあてはまっているようなないようなです。周囲に理解してもらえないのは当たり前で常に孤独を感じずにはいられませんでした。そのせいで二次障害がでていてもおかしくないと感じています。「変わり者」扱いで仲間はずれは当たり前でした。3人子どもがいますが、自分と同じ思いはさせたくなく早め早めに受診をして発達障害の支援は受けています。かなり境界線なので、学校の先生からは「心配性のお母さん」的扱いを受け、やはり孤独を感じています。私が特異な家庭環境と故郷離島からはなれ就職・定住と周囲に理解されにくい人生のせいか、同世代の人とも異世代の人とも感覚のずれを感じ話しをしてもわかってもらえないことが多いです。家族の中では「いじられキャラ」で笑いがとれてうれしいのですが、狙っていない事で(語尾を読み違える。思い込みで勘違いをするなど)笑われることがあり、少し不安になりなす。
その回数が多くなっているのか、重要な勘違いをしているのか私にはわかりません。子どものころから、いろんな事が重なって起こることが多いので不安を口にすることも多々あり、特に大人に私の話が軽んじられてると感じることも昔からありました。語尾や言葉を間違えるので、言いたいことは聞いてもらえず、間違いを指摘されて終わることは今でもあります。「言ってる意味がわからない」「言葉が悪すぎてお前の話は聞けるか」「大人を馬鹿にしたようなことを言う」はよく言われました。
診断を受けたわけではないので、長々となりすみません。

認知症と発達障害

Marutanさんへの回答
先ずご両親のお答えは控えさせていただきます。失礼ながら既に他界された方の問題を論じても余り意義がないと思えてならないからです。そこでMarutanさんが何を持って発達障害と疑われているかと言う事です。通常に使われる発達障害は幼児期からの発症が多く、それは広範性発症障害と呼ばれています。もし30才代後半から精神的なバランス不調があるなら、それは不安神経症(全般性不安障害)で認知症とは別の病気です。あるいは「うつ病」と呼ばれる病気かもしれません。ご質問の内容からみて認知症のご心配はない様に思えるのですが。もし本当に幼児期から軽度の発達障害があるとすれば認知症への移行はありえますし、その変化を周囲の人たちが気づきにくいと言うのは事実として起こりえます。幼児期からの発達障害が存在しているのか、いないのかによって私の回答も異なって来ますので、宜しければ更に詳しい不安症状をお伝え頂けるならば私の方もより詳しい回答を提供できると思うのですが。再度のご質問をお待ち申し上げております。



はじめてメールします。二年前に父(75)一年前に母(72)を亡くしました。二人とも戦中育ちだったので、からみづらさを物心ついたときから感じていました。おかしいなと思い始めて(二人ともだいたい65才ぐらい)から、焦りと不安だけが先行して介護という介護をしないまま送ってしまい、今更のように認知症について調べています。父はレビー小体性だったと思います。もともとデリカシーが乏しいタイプだったので大声で暴言を言い出してもあまり疑問に思わず、同居していた母のことばかり気にしていました。食欲低下していた父に胃薬が処方され、飲んでから症状が急変したそうです。その薬には認知症禁忌が入っていました。それから10日ぐらいして他界しました。そのことがあり、本格的に介護や認知症を勉強しましたが、母は脳出血で他界しました。母も幼児期に戦後の貧困を体験していて何がしらの精神疾患を患っていたと思います。ややこしい性格だったので、認知症だったのかなんなのかわからずじまいです。薬の副作用をものすごく気にして病院を拒みました。
レビー小体について本を読んでいると、母もレビー小体性だったのでは?と思いだしました。「ゆっくりと進行・・」と書いてあるので私自身誰も気付かずに認知症になるのでは?と不安になります。私自身、発達障害が疑われていて本人も周りの人たちも変化に気付かないのでは?と思います。45才ですので、老化は始まっていると思いますが、何を基準に判断したらよいでしょうか?