緑協和病院 開院30周年記念特別講演「美しい老後を迎えるには」


美しい老後とは

 “美しい老後”とはいったい何なのか。それは、例えるなら、楽しい旅行から我が家に戻ったときに十分な満足感をもって、その旅行を振り返る境地に似ているかもしれません。

 そして、「終わり良ければすべて良し」という言葉にもあるように、物事の締めくくりが一番肝心です。言い換えると最後をおろそかにしてしまうと今までの人生すべてが、つまらない瑣末なものに思われてしまうこともあるのです。

 それでは、如何にして残りの人生を堂々と過ごし、熟成した美しい老後を迎えるには、どのような心掛けが必要なのでしょうか。

 これから、お話ししていきたいと思います。


現状を有りのままに受け入れる

 健康面、精神面、社会生活、家庭生活等は過去から現在に至っているのですから、現状の自分の置かれた立場は素直に受け入れましょう。
 その中で残された時間をどのようにして、精一杯生きていくかが問題なのです。

 あの良寛和尚がこんな言葉を遺しています。
  
  夏は暑きがよろしく、冬は寒きがよろしく候
  病になるときは病になるがよろしく候
  死ぬときは死ぬがよろしく候

いわゆる「死生観」を自分の心の内に、しっかり持っているかが問われるのです。
 そうはいっても私は坊主ではなく、医者ですから医学的見地から“美しい老後”とは何かを皆さんと一緒に考えていかねばならないわけです。

  
健康面と認知面からの考察

認知障害を起こす誘発因子
【各種の成人病】
 先ずは高血圧です。脳血管障害や心血管障害の大きな原因となりやすく、それら病気の後遺症として重い認知障害を誘発してしまうからです。
 次は、動脈硬化を悪化させる因子としての高脂血症や糖尿病があります。これら動脈硬化を悪化させる因子として最大のものは、なんといっても喫煙の習慣です。喫煙はニコチンの量だけが問題になるのではなく、タバコを吸うことにより体内の酸素を消費して、体が低酸素状態になってしまうのです。その結果として、高山病と同じような多血症を合併します。
 それ以外にも睡眠時無呼吸症候群などが最近は注目されています。

【運動不足】
 体の衰えは足元からきます。骨折等で歩けなくなると急激に認知症が進んでしまうことは、よく知られています。日常生活での骨折を未然に防ぐには、70 歳であろうとも80 歳であろうとも日頃から年齢なりの筋トレや柔軟体操を欠かさないことです。
 毎日30 分程度の運動をするかしないかで、70 歳以上では健康面からみても認知面からみても決定的な違いが出てきます。中高年以上の運動は、決して無理をしたり向きになったりしてはいけません。
 散歩などの簡単な運動でよいですから、継続してつづけることが重要です。出不精は認知症への入り口だと心に留めておいてください。

【食生活】
 食生活の基本はバランスの取れた食事です。カロリー配分としては、朝食35%、昼食35%、夕食30%がひとつの目安です。
 体重は、標準体重の± 5 〜7% 程度を基準に健康的な体重を目指して、食べ過ぎないように心掛けましょう。以前、日本人型の食生活が健康には最良であると、欧米でもてはやされた時期がありました。
 しかし、日本人型の食生活では塩分を摂り過ぎてしまう傾向があると、今では少し見直されてきています。塩分の摂り過ぎには注意してください。

 それでは、認知症に予防効果があるといわれている食品をいくつか紹介しましょう。

〜野菜〜
にんじん : 抗酸化力の強いβ - カロチンが豊富で、脳の機能維持に有効であるといわれています。

かぼちゃ : 抗酸化ビタミンのバランスが抜群です。

トマト : 赤系のトマトには血液をサラサラにするといわれているリコピンが大量に含まれています。

ほうれんそう : 老化防止に役立つ抗酸化作用のグルタチオンという物質が豊富に含まれています。

タマネギ : 硫化アリルや硫化プロピルなどの物質が血液をサラサラにしたり、中性脂肪やコレステロール値を低下させたりします。

ブロッコリー : ビタミンC(アスコルビン酸)やβ -
カロチンが豊富です。

〜果物〜
りんご : りんごジュースは記憶力、学習能力を向上させる神経伝達物質アセチルコリンを増やすという研究報告があります。(米マサチューセッツ大学)

いちご : ビタミンC やフィトケミカル(植物性化学物質)のフィセチンの作用で認知症の進行を大幅に遅らせるとの報告があります。(米ラッシュ大学)

〜魚類〜
イワシ : EPA( エイコサペンタエン酸) には脳血管性認知症を防ぐ効果が判明しています。

アジ : 血液をサラサラにするEPA やDHA(n-3 系)と呼ばれる多価不飽和脂肪酸の一つ等が多く含まれています。

マグロ : DHA の含有量は全魚介類で最大です。

サケ : 抗酸化作用の強力なアスタキサンチンが豊富。

エビ : かつてはコレステロール値が高いと敬遠されていましたが、アスタキサンチンを含む多様な健康成分が多いと分かり、現在では生活習慣病や老化防止に役立つと推奨されています。

〜その他〜
緑茶、コーヒー、大豆、クルミ、アーモンド等が老化防止に役立つと言われています。また、一般的にはアルカリ性食品が健康を保つには良いとされています。

食品は、一般的には以下のように分類されています。

〜アルカリ性食品〜
野菜、果物、卵(卵白)、牛乳、海藻類、きのこ類、豆類(インゲン、大豆、小豆)、ワインなど

〜酸性食品〜
肉、魚、卵(卵黄)、乳製品(チーズ、バター)、穀類、豆類(落花生、そら豆)日本酒、ビールなど


精神面からの考察

キレることは恥ずかしい
 「老人になれば誰もが単純で気短になる」とは、昔からよくいわれていますが、今の老人は昔の老人とは違います。何が違うかと言えば寿命の長さがまったく違うのです。
 人間の寿命がのび、出生率が低くなり、全人口に占める老人の比率が非常に高くなりました。 
 つまり、昔と比べ老人の人口が圧倒的に増えたのです。老人の比率が少ない時代では、多少のわがままも家庭や社会で許容できたのですが、現在のような老人社会だと、老人のわがままは社会の許容範囲を超えてしまいます。ですから、それぞれが自制心のある大人としての自覚が必要となってくるのです。
 日本中が、わがまま老人の大集団になってしまったら、この国の将来は明るくありません。
 キレやすいというのは、もしかしたら、会社勤めのときの肩書きや地位が、まだ頭の片隅に残って邪魔しているのかもしれません。そして、つい上から目線で他人と接してしまう。周りの人と同じひとりの人間に過ぎないとの理解が乏しいのでしょう。
 本来、人間は歳をとればとるほど、それなりの人間形成ができてくるはずです。
 「おとなしい」とは、大人しいと書きます。「大人」を形容詞化した言葉で、元は分別のある年長者さらしさを意味し、穏やかで落ち着きのある静かな様子を表した言葉です。

 歴史を好きな方もいらっしゃると思いますので、年齢とキレることについての興味深い話をしましょう。

  織田信長(1534 〜1582)48 歳
  豊臣秀吉(1537 〜1598)61 歳
  徳川家康(1542 〜1616)74 歳

 秀吉は、信長より三歳年下で、1585 年45 歳で本能寺、一年後の46 歳でライバルの柴田勝家を賤ヶ岳の戦いで討ち果たし、名実と共に天下人への道を歩み始めました。そして、1593 年56 歳のとき秀頼に恵まれました。
 この頃から秀吉は急にキレやすくなり、その死期を早めたともいわれています。
 家康は、秀吉よりは5 歳若く1600 年の関ヶ原の戦いで天下をほぼ手中にしたのは58 歳の年でした。
 三英傑の中では、最も忍耐強くキレにくかったといわれています。その家康が一番長生きをして250 年にわたる徳川幕府の体制を作り出したのです。

老いの知恵を発揮すべし
 昨今は社会全体に「若さ志向」が強過ぎ、中高年を過ぎても「老い」を素直に受け入れられない人が多くなっています。「老い」という言葉は本来、尊敬すべき敬語として、長い間、この国では使われていたのです。それが日本人全体の幼稚化現象の進行で「老い」といわれる言葉の響きが、なにか侮蔑的な印象の言葉として受け取られるようになりました。

 私は、歳を重ねた人はもっと年齢相応の自覚と自信を持つべきだと思います。若者にはない経験と知恵があるのです。苦い体験から得た人生教訓もあるはずです。それらを後に続く者たちに伝えていく使命感を持つべきなのです。若者たちの多くは、高齢者のそんな人生教訓を聞きたいとは思わないでしょう。それでも、折に触れ少しずつでも語っていけばよいのです。
 何年か経つうちに先人たちの教訓がある日、急に思い出されたりすることがあるでしょう。

 こんな私にも30 年も40 年も前に受けた両親や先輩たちの説教が時にしみじみと胸に迫るときがあり、そうか、うるさいと聞き流していた父親のあのときの話はもっと深い意味を持っていたのだと、今になって若いときの自分の愚かさを悟ったりすることは、一度や二度ではありません。
 私たちの歴史というものは先人たちの教訓と体験によって作られた貴重な財産だと思います。自分には他人に語れるほどの体験や教訓など持ち合わせていないと考える人がいるかもしれません。誤解をして欲しくはないのですが、体験や教訓というのはなにも自分の過去の自慢話ではないのです。失敗談もまた重要な教訓になるのです。
 ともかく今まで生きてきた自分自身を素直に受け入れながら、善くも悪くも堂々と生きていくべきだと思います。

好奇心を持ち続ける
 人が生きていく上で好奇心を持ちつづけることほど、重要なことはないといえば、人によっては反感を持たれるかもしれません。しかし、今日の文明の発展は、人類が果てしなく持ち続けた好奇心の集大成だといえば、それを否定する人は少ないと思います。
 好奇心の旺盛さと認知症の問題は正反対の立場にあります。好奇心が乏しくなればなるほどに、認知症への道を一途に歩み始めているといっても言い過ぎではありません。
 
 まず、なんと言っても趣味を持ち続けることでしょう。碁、将棋は言うに及ばず、園芸または料理の深さを追求していくのも素晴らしいことだと思います。それ以外にもハイキング、ゲートボール、プールでの水中歩行など、どのようなことでもよいのです。
 そして、なるべく社会情勢に関心を持つことです。当然のことですが、皆さんは選挙権をお持ちのはずですから、現在と前の総理大臣の名前くらいは言えなければ、持っている選挙権の意味がないというものです。集団的自衛権とは何なのか、ある新聞社が犯した「従軍慰安婦」の誤報道とは何なのか。もう自分は年寄りだから、そんな社会情勢に興味はないといわれては困ります。
 皆さん方に直接関係してくる介護保険や医療保険の問題も、そんな社会情勢のひとつなのですから。

愚痴は雪崩のように
 これは作家の曽野綾子さんが言われた言葉のように記憶しているのですが、愚痴は一度言い出すと切りがないものです。昔は良かった。今の若い者はだらしがない。子供を育てるのにどんな苦労をしてきたか、それなのに自分の子どもたちは親の面倒をまるでみようとはしない。近頃の若い嫁は言葉の使い方のひとつもろくに知らない。親を親とも思っていない等々。言えば言うほどに不平や不満はつのる一方です。
 そして、その様な愚痴を聞かされ続ける子供や周囲の人達は、嫌がってどんどん遠ざかって行くだけでしょう。その結果、寂しいひとりぼっちの老人となって家族からも社会からも見放されてしまうのです。

感謝をする心を忘れない
 人は誰しも、その親から生を受け、親は元より兄弟、親戚、地域社会、学校、会社その他、数え上げたら切りがない程の多くの人達に支えられ、育てられてきたのです。そのように考えると、現在の自分の置かれた立場にどんなに感謝しても感謝しきれないはずです。

 この日本という国では70 年近くも戦争がなく、大流行する疫病で多くの人が死ぬこともなく、実に平和で安定した日々が続いているのです。
 多少の不満はあるかもしれませんが、世界ではトップクラスの社会保障制度もあります。確かに自然災害が多く、1995 年の阪神大震災や2011 年の東日本大震災などの大きな不幸には見舞われました。
 しかし、それらを差し引いても、これ程住みやすい国はないと思います。

 もちろん、個々の事情というものは、人それぞれに違いますから、現在の自分の置かれた境遇に不満を抱いている人もいるでしょう。
 すべての不幸を一人で背負っているかのように思える人も確かにいらっしゃいます。夫と早くして死に別れ、幼い子供は交通事故で亡くし、一体この先、なにを目標に生きたらよいのか途方に暮れている。
 そのような人を私は知っています。そういった人に、生きることに感謝しなさいとは、確かに言いづらいですが、人は生がある限り生き続けるのですから、感謝をする心を失った、その瞬間から不平不満だらけの寂しい人生が待っていると言っても言い過ぎではありません。

 感謝する心を持ち続けるということは、自分の人格も他人の人格も共に尊重するということに繋がります。
そのような尊重の上にこそ、何気ない他人の優しさや思い遣りがみえてきたりするものです。
 そこに人として生きるべき限りない味わいがときに感じられたりもするのです。
 一方、不平不満だらけの人生では自分の感情の中に埋没し、自分の人格も他人の人格もみえてはこないのです。そのような中では当の本人は気づかないでしょうが、ぎすぎすした味気ない人生になっていくだけでしょう。
 すべてのことは自己の責任だと考え、“自分の人生に感謝する心”こそ、熟成した老後の極意といえるのではないでしょうか。

社会人として生きるべし
 人は誰も一人では生きていけません。社会の中で育まれ支え合ってこそ、私たちはなんとか生きていける
のです。
 これからお話しすることは、皆さんに不快な思いを与えてしまうかもしれないと危惧しているのですが、それでも、あえて言わせていただきます。

 「今時の若い者は」というよりも、「今時の年寄りは」と、言いたい常識のない光景を目にすることが非常に多いということです。

 かつては尊敬に値する老人が多かったこの国で何かが変わってきている気がします。その何かとは、謙譲の美徳ともいうべき日本古来の道徳観です。
 それが若者よりも老人の方から先に崩れ去ってしまっている現実を目にすることが多くなっています。
年を取れば何をしても許されるのだと、都合のよい解釈している人が増えているのではないでしょうか。
 私自身の体験から、ふたつの例をご紹介しましょう。
 
 ひとつめの話は、数年前に所用があって大阪まで新幹線を利用した時の話です。
 その時の私は急ぎの用事でグリーン席しか確保できませんでした。ご存知の方も多いと思いますが新幹線のグリーン席というのは、二人ずつの座席が進路方向に向かって並んでいます。家族連れなどで四人が一緒の時は対面にして四人が顔を合わせて座ることが出来ます。

 その日、新横浜から乗り込んだ私は、すでに対面にしてあった座席のひとつに自分の席を見つけました。
そこには、東京駅から乗車されていた三人のご婦人たちが座ってらっしゃいました。
 60 歳代後半から70 歳代前半と思われるご婦人たちは、身なりもきちんとされていましたが、私の存在を全く無視して自分たちのお喋りに熱中されている様子でした。
 少し嫌な予感がしましたが、私は、予約してあった自分の席に腰を下しました。疲れていたので、ひと休みしたかったのです。
 しかし、ご婦人たちの話し声は大きく、とてもゆっくりと寛げる状態ではありませんでした。
 それでもしばらくは黙っていましたが、一向にお喋りが止まる様子はありません。さすがに耐えられなく
なった私は「すみませんが、座席を本来の位置に戻して頂けませんか」と、申し入れました。
 普通の声で普通に話をしたつもりだったのですが、相手の婦人たちは、そんな私の申し入れが全く聞こえ
なかったかのように、それからも対面の座席を元に戻すことなく延々とお喋りを続けられました。
 私は自分の高まる感情を抑え、当時50 歳代だった私が自分より10 歳以上、年上の女性と、真正面から口論するのも気が引けて、黙って一人立ち上がり車掌の許に向かい、私の置かれている状況を説明しました。
 そして、車掌自らが私と同行し、先ほどの婦人たちの所に出向き「座席を規定の位置に戻していただいて
もよろしいでしょうか」と、声を掛けてくれました。
 すると、三人の婦人たちのひとりが「あなたはなんの権利があって私たちの楽しい旅行を邪魔するの
よ!」と、ものすごい剣幕で車掌に噛み付いてきました。車掌は驚き呆れながらも「私は、常識的な旅のエチケットとして、お話し差し上げています」と、紳士的に応対していました。すると別のひとりが「何がエチケットよ、女だからといって馬鹿にしないでよ!」と、やり返してきたのです。これにはさすがに二の句が継げない思いでした。
 車掌は私を振り返り詫びるような表情を浮かべ、「お客さま、私が別の座席をご用意いたしますので、そちらにお移り頂けませんでしょうか」と、妥協案ともいうべき提案をされました。
 私にしても、これ以上不愉快な話し合いを続けたいとも思いませんでしたので、車掌の提案を素直に受け
入れました。
 別の座席に私を誘導しながら、車掌は私の耳元で呟くようにこう言ったのです。「日本女子の道徳も地に堕ちましたな」と。
 
 ふたつめの体験談です。
 東京の山手線の電車内での事です。高校生くらいの男子が座っている前に60 歳代くらいの、女性が立っていました。足腰もしっかりしていて年齢よりは若く健康そうに見えました。
 次の駅でドアが開き、20 歳代後半のくらいの女性が大きなお腹で沢山の荷物を両手一杯に抱えて辛そうに電車の中に入って来ました。そのあまりに大変そうな様子に気づいた高校生の男子が、お腹の大きな妊婦
に自分の席を譲ろうと立ち上がりました。
 すると驚いたことに60 歳代の女性が、すべり込むようにして、その席に座ってしまったのです。
 席を譲った高校生も、譲られた若い妊婦も呆気にとられ、ただ無言で立ちすくんでいました。
 
 これまでの話は少し極端な事例として、皆さま方のお耳に届いたかもしれませんが、どう思われましたでしょうか。

日本人の幼稚化現象
 「老い」も「若き」も日本人全体がコミュニケーション障害に陥り、その幼稚化現象がどんどん進んでいるとは、多くの有識者の語るところです。
 核家族の加速度化、携帯電話の急激な普及、権利と義務のはき違え、個人主義というよりは自己主義の氾濫、経済性と利便性のみの追求、思い遣りよりは、ご都合主義が優先される、この混沌とした現代社会。
 成人になっても自覚がなく使命感もない。かつての日本人の多くが有していた成人としての自己認識、家のため、社会のため、自分たちは何をすべきかという自問自答など、今の多くの日本人の心には何処にも見出せないのではないかとの疑念を抱くのは、私だけでしょうか。

 戦後の民主教育は、それまでの道徳観の多くを否定し、自由こそ、個人主義こそ最大の美徳であるかの様な観念を、その教育課程の中で多くの国民に植え込みました。江戸末期から明治初期の日本人の多くは限りなく貧しい暮らしをしていました。平均寿命は、30歳代だったといわれています。
 乳幼児の死亡率と分娩時の女性死亡率が、現在の何十倍も高かったからです。それ以外にも肺結核や疫病で亡くなる人たちも多かったのです。
 当時は、20 歳代や30 歳代でも常に「死と向き合って」いました。日清、日露そして第一次世界大戦から第二次世界大戦と当時の日本は戦争にも明け暮れていました。その頃の日本人は、今よりずっと大人だったのでしょう。礼儀正しく自己奉仕も厭いませんでした。
 私は、戦前の教育がすべて正しく、戦後教育のすべてが間違っているなどと申し上げている訳では決してありません。その頃は、貧しくとも折り目正しく、心の純粋な日本人が多く、その年齢に応じた役割を果たしていたと言っているのです。
 そのことは、明治初期に日本に渡来した多くの宣教師も書き残しています。
 「どのような貧しい農村地帯でも日本人たちは驚くほど礼儀正しい。アジアのどこの国をみても、このような光景に出くわしたことがない」と、語っています。

故きを温ねて新しきを知る
 私も60 歳代後半を過ぎ、自分の老い先を考える年齢となりました。ですから、今日の講演の内容は自分自身への問い掛けといってもよいのです。
 医者となって40 年、今でこそ一人前のことを言っていますが、過去を振り返れば恥ずべき日々の連続でした。笑って語れることもあれば、とても口には出せないことも多くあります。
 私は50 年来毎日、日記を書くことを趣味としておりますので、恥ずべきことも、少々自慢できるようなことも、それらすべてが記録として残されています。
初めて子を持ち父親となった日のことや、父や母の死に至る過程のこと。私の人生の喜びや悲しみ、怒りや悩みの多くが書き綴られています。
 今でも夢の中で、父や母に叱られたりもします。我が子の成長過程のなかで、自分自身が親として無自覚な行為や過ちを数多くしてきたとの反省もあります。
医者としての不用意な発言や若き日の傲慢さなど数えあげれば切りが無いほどの告白があります。
 それらは肯定でもなく否定でもなく過去の事実の集積として、今の私が成り立っているのです。反省と自戒の念を抱きながら、如何なる努力をすれば、私にとって人生の有終の美が飾れるのか、これから先の限られた将来に自己の存在が、家庭や社会で少しでも役立つものとして在りつづけるには、どのような日々を送ればよいのかを常に思い悩んでいます。
 出来れば生涯現役でありたいと願っていますが、そのような願いは現実には、なかなか困難であるだろうと感じています。
 医者として、あと何年ぐらい現役でいられるのか、それは私が前向きな姿勢をいつまで保っていられるかに掛かっているのでしょう。気力という言葉に置き換えたらよいのかもしれません。


社交性を保ちつづけること

【ひとりではいないこと】
 老人の孤独死が社会問題となっています。
 配偶者に先立たれたり、子どもが遠くに住んでいたり、生涯独身でいたりと、それぞれに色々な事情があるでしょう。
 どのような事情があるにせよ人は誰しもひとりでいてはいけないのです。ひとりでいる時間が長くなれば会話をすることもなくなり、高齢者であれば言語機能も落ちてきます。
 老人会、自治会、各種のデイサービスなど利用できるものは何でも活用しましょう。人としての交わりを出来る限り保ちつづけるのです。
 そして、少しでも社会に奉仕する心を持ち続けることです。社会や家族の為に何か役立つようなことをし続ける行為というものは、必ず生き甲斐に繋がっていきます。
 
 ひとつの例をお話しましょう。
 80 歳になっても、毎朝のように自宅周囲の何百メートルかを掃除することを日課としていた、あるお年寄りを私は知っています。
 そのお年寄りは、なんと亡くなられる三日前まで、そのような自宅周囲の掃除をし続けていたのです。天寿を全うしたとは、正にこのようなお年寄りを指していうのではないでしょうか。

【身だしなみに注意をはらうべし】
 ある老人ホームで、認知症への対策のひとつとして、高齢者だけのファッションショーを催されました。
 自分たちの持ち合わせの服だけですが、それなりにコーディネートして、日頃忘れかけていた化粧も丹念にして、皆で精一杯のお洒落をしたのです。
 すると、どうでしょう、お年寄りたちの目が生き生きと輝き始めたのです。見る方も見られる方も大喝采です。
 それ以来、その老人ホームでは度々ファッションショーを開催しました。すると数ヶ月もしない内に、多くのお年寄り達で認知症が明らかな改善傾向をしめしたそうです。

 通常、私たちでもそれなりに着飾って出掛ける時は、気持ちもある程度、緊張するものです。ラフな服装をしていれば心も気楽になります。
 若いときは、若さそのものが武器となってラフなスタイルでも、それなりの輝きを保つことは可能です。
 しかし、ある程度の年齢を過ぎると、そのような若さという武器は誰しも失われていきます。
 となると服装に気を使わなければなるほど「老い」への道は確実に早まっていくような気がしてなりません。


看取りについて

 “看取り”とは一体、どういう意味でしょうか。
厚生労働省の医療費抑制政策と相俟って、なにか安易に言葉だけがひとり歩きしているような気がしてなりません。
 本来、“看取り”という言葉は、不治の病に侵された人々や超高齢者が天寿を全うするようなときに、肉親が静かに感謝の思いをこめて温かく、その最期の時を見守ることだと私は考えています。
 それがいまでは、“看取り”という美辞麗句だけが、勝手気ままに歩き回っているような気がしてなりません。
医師という立場からみても、そういう光景を目にすることが多くなっていると感じています。
 不治の病でもなく、ただ80 歳を少し超えて、幾らか認知症も加わっているというだけの理由で医療そのものを放棄してしまう家族が増えているのです。

 老人ホームや施設に預けたまま、ほとんど面会にも来ず、肺炎や脱水症で苦しんでいる親や肉親に対して、「そのまま看取りでよいですから」と言う家族を目の当たりにして、言葉を失ってしまうことが幾度となくありました。
 かつて日本の病院では、また社会通念としても、生命の尊厳こそ最重要なものと考えられ、不必要な延命治療が行なわれていた時代もありました。
 その時代背景としては、次のような事情があります。1961 年( 昭和36 年) わが国で国民皆保険制度が確立され、お金のある人もない人も同じように医療の恩恵にあずかることが出来るようになりました。
 
 今では信じられないことですが、私が幼い頃には、インフルエンザなどの病気で高熱を出し食事が摂れなくなっても(家が貧しい子どもたちは)医者にかかれず、脱水症などでそのまま幼き命を失ってしまう。そういう例は、とても多くありました。
 そこに天の恵みのような国民皆保険制度が確立されたのです。それまでは貧しくて医者などにかかったことのない人たちが、ちょっとした風邪でも皆が病院やクリニックの門を叩けるようになりました。
 注射でも薬でも何か出来るだけのことをしてもらわなければ損だと、多くの人たちが考えるようになったのです。日本経済も高度成長期を謳歌していました、ある時代には老人保険は負担額がゼロになっていたのです。
 そんな時代ですから誰もが精一杯の医療行為を望むようになったのです。しかし、国民皆保険制度が確立された昭和36 年当時、わが国で100 歳以上の高齢者は、わずか100 人にも満たなかったのが、平成26 年の現在では5 万8820 人にもなっています。実に53 年間で580 倍も増えました。

 そして、この20 年以上、国民所得も国家財政も全くといってよいほど上がっていません。それでも医療費にかかる公的負担は毎年のように上がっていきます。
当然のごとく老人保険の費用負担がゼロというのは夢物語の時代となってしまいました。
 国は膨張しつづける医療費の抑制政策をこの20 年来、強引に取り続けています。その為に在宅療養の推進、老人ホームの増設、グループホームの奨励、訪問看護の強化と、医療費を抑制する為の設備づくりに専念してきました。
 しかし、核家族化の増大と少子高齢化の荒波の中で、どのような政策を繰り広げても医療費の膨張を押し止めることはできませんでした。時代は大きく変わっています。いまや医療費の無駄遣いは許されなくなっています。
 そのような時代の移り変わりのなかで、無意味と思われる延命治療は社会的にも医療現場からも敬遠される時代となり、乱診乱療といわれる言葉は過去の時代の遺物となりつつあるのです。
 それを未だ誤解している人たちが多くいて、病院に行くと過度の薬や検査をされるのではないかと心配したりしているのです。そのような行為が社会の厳しい視線の中で許されなくなっている現状が、まだ十分には理解されていません。
 
 また近年「尊厳死」という概念も一般化しつつあるようです。それは生命への「尊厳」ではなく、おそらくは人間性への「尊厳」という意味で使われているのでしょう。
 キリスト教的見地からの欧米社会では「人間性の尊厳」という考え方は古くから一般化しており、胃瘻を作って延命処置をするなどという考えはありません。
 しかし、日本という国では宗教的色彩が乏しく、いまだ「尊厳死」という言葉の意味も十分に理解されているとはいえないように思えます。
 
 さらには、ひとりの人間の「死との向き合い方」が成熟していないのではないかという、現実にぶつかることも多々あります。肉親の死を目前にして患者家族の意向が幾度ともなく変わってしまうのです。

 宗教的色彩が乏しい我が国では誰の為の生命か、患者本人の意思が尊重されるのは当然のことですが、遺された家族の意向を無視する事ことも出来ません。
 それは、亡くなられた後の葬儀にも象徴されます。故人の意思を尊重するのか、遺された家族の意志を尊重するのかは難しい問題です。また家族に掛かる経済的負担の大きさも無視出来ません。

 介護や医療に掛かる費用は年々増大していく一方です。そんな時代の流れの中で、本来必要と思われる最低限の医療さえも拒否してしまう家族が増えているという印象があります。経済的負担という重みが大きく伸し掛っているのでしょうが、それでも患者さんの苦しみや痛みを軽減させる行為は最低限必要な医療行為だと思うのです。誰でも苦痛のない安らかな最期を迎えたいと考えるのは、人として当然の思いでしょう。

 個人的にいえば自宅の自分の部屋で、子どもたちに見守られながら静かに息を引き取って逝くというのが、理想の形だとは思うのですが、しかし、実際はその最期に至るまでの期間、それは数日だったり数年間だったりするのです。

 現在のような核家族化が進んだ生活環境の中での在宅介護は、訪問看護などのシステムはありますが、その間の患者家族の苦労は並大抵のものではありません。
 その意味でも自分の老後の資金は、それなりに蓄えておかねばならない。それも美しい老後を迎える重要な要素といえるのではないでしょうか。
 
 さらにいえば家族や社会との接点を保ち続け、多くの人たちに愛しまれるような精神生活を、その最期の瞬間まで送れることが、最も美しい老後の生活といえるのではないかと、誰でもない自分自身に言い聞かせているのです。


そして最後に贈る言葉

最後に魔法の言葉を皆さん方に贈りたいと思います。
それは次の四つの言葉です。
  
  ありがとう
  ごめんなさい
  許してください
  愛しています

 これはアメリカのある州刑務所で,再犯を繰り返す犯罪者たちに牧師が毎朝、食事前に受刑者全員に祈りのごとく言わせた言葉です。
 
 最初のうち,受刑者の多くは馬鹿馬鹿しがって中々祈りに似たこの言葉を口にしょうとはしませんでした。
しかし、そこは刑務所の中ですから、ほとんど強制的に言わせたのです。
 すると、数週間、数ヶ月と経つうちに、そんな朝の祈りに誰も抵抗せず素直に受け入れていくようになりました。半年も過ぎた頃からは、そんな朝の祈りに涙を流す受刑者達も数多く出てくるようになりました。
 これは1 〜2 年前に読んだ本の中に書かれてあったものです。残念なことに、その本の表題は忘れてしまったのですが、その後、そこの刑務所では受刑者の再犯率が激減したとのことです。
 
 愛、今更こんな言葉を口にすると、多くの人たちは気恥ずかしさを覚えてしまうものです。しかし英語の「LOVE」とは違って日本語の「愛」という言葉の表現には、実に多彩な含みのある意味合いが込められているのです。
「愛」という言葉には
  
  いとしい
  愛でる
  愛(かな)しい

といった詩情豊かな言葉の使い方があるのです。     
 
 それは、言葉というよりは「言霊」という表現が心にすっと溶け込むような気がします。
 本来、この日本という国は詩情豊かな、心の優しい人たちで満ちあふれていたのです。そんな思いを抱きながら、私の講演を閉じさせて頂きます。

平成26 年11 月8 日
緑協和病院 院長 成川 有一