想い出は風の彼方に(86)

綾子は総務部秘書課に配属された。
数ヶ月間の研修後、常務取締役の秘書に任じられた。常務の秘書は定員が3名で、最古参は40才で男性の木村、次席がやはり男性で32才の川上だった。常務の福原は原油の買付けと為替動向のチェックが主たる業務であった。先輩の男性2人は1973年のオイルショック以来、原油価格の急騰に福原と共に頭を悩ませていた。
発生に至る情勢は1973年10月6日に第四次中東戦争が勃発。これを受け10月16日に、石油輸出国機構(OPEC)加盟産油国のうちペルシア湾岸の6カ国が、原油公示価格を1バレル3.01ドルから5.12ドルへ70%引き上げる事を発表した。翌日10月17日にはアラブ石油輸出国機構(OAPEC)が、原油生産の段階的削減(石油戦略)を決定した。またアラブ石油輸出国機構(OAPEC)諸国は10月20日以降、イスラエルが占領地から撤退するまでイスラエル支持国(アメリカ合衆国やオランダなど)への経済制裁(石油禁輸)を相次いで決定した。さらに12月23日には、石油輸出国機構(OPEC)に加盟のペルシア湾岸の産油6カ国が、1974年1月より原油価格を5.12ドルから11.65ドルへ引き上げる、と決定した。 
この原油急騰に日本経済は一気に萎み始めた。綾子の勤める総合商社も経常利益が悪化していた。為替は1ドル275円から305円までを行ったり来たりしていた。この数年は3月末が円高に振れる事が多かった。
これらの情報分析と為替相場への注文指示に、常務を始めとするスタッフは汗を流していた。為替にしても年に30円の変動は、一歩間違うと会社の命運がかかって来る。
綾子が初めて、秘書業務と聞かされた時は常務のタイムスケジュールが主な仕事ぐらいに考えていたが、実際は証券会社の為替ディーラーの様なチャート分析が主な仕事なので、かなり面食らった。入社して半年目ぐらいからは残業も多くなり、家に帰るのも10時過ぎになる事が度重なったが、浩司も病院での仕事が大変で1週間に2日ぐらいしか家には戻らなかった。
医師になって2年目からは市中病院でのバイト(平日当直や土日当直)が解禁されていたので、浩司は大学での無給研修を補う為、月に10日程はバイトに精を出し25万円程を稼ぎ出していた。綾子の給料が12万円程だったので二人の生活は、比較的に楽だった。
しかし、新婚の二人はすれ違いが多く夕食を共にするのは月に数度でしかなかった。学生時代より一緒に過ごす時間が短い感じさえあった。それでも結婚1年半で綾子は妊娠した。これを機に専業主婦になって欲しいと浩司は頼んだが、綾子は仕事の忙しさを口実に、問題を先送りしていた。
医者になって4年目に、浩司は大学が関連する市中病院に出張を命じられた。これまでの様なバイトに精を出さなくても30万円近い月給が保証された。綾子は産休に入り、共に家で過ごす事が多くなった。風呂に入るのは、いつも一緒だった。浩司が大きく張り出したお腹の、綾子の髪を洗っていた。しばらくは仲の良い夫婦生活が続いていた。
次回に続く

想い出は風の彼方に(85)

沢近医師の言葉は、さらに続く。
「篠木くん、若い君だったら街で美しく可愛い女の子に出会ったら、名前を知りたいと思うだろう?」
「そうかもしれませんね…」
そう言いつつ、頭の片隅で綾子の事を思い浮かべた。沢近医師は得意気に、
「だろう!…あわよくば、その彼女の電話番号も知りたいと思わないかい?」
「まあ、そうでしょうね」
一般論として、浩司は納得した。
「それと同じ事が白血病細胞にも言えると思うのだよ。この細胞の名前は何て言うのだろうか?…と、限りない興味を覚えるのさ、違うかな?」
「確かに、そうかもしれませんね」
と浩司は、素直に了解した。
それ以上に浩司は沢近医師に、医師のあるべき理想像を見た。彼の説明には、学究の徒と云うイメージに加え人間味のある奥行きの深さが感じられた。
彼の下で学んでみたいとも考えた。これまでに病院実習で幾つかの診療科を回って来たが、指導医としては最も強い印象を受けたのだ。
その後も脳外科、麻酔科、産婦人科、皮膚科と全診療科の実習を終えてから2ヶ月間に及ぶ卒業試験がスタートする。この長期間の緊張維持は、かなりの困難さと精神力が付きまとう。そして卒業式となる。この時代は何故か卒業式の後に、医師国家試験が待っていた。その為に幾つかの悲喜劇が発生した。大学病院や市中病院に就職が決まり、4月から新人医師として働き始めていたにも拘らず、4月末の国家試験が不合格となると、就職辞退に追い込まれ浪人生活を余儀なくされたのである。
幸いにして浩司は、その様な不運に見舞われる事もなく順調に母校の大学病院に入職した。最初の一年間は内科全域を3ヶ月づつ実地研修をして回る。消化器、循環器、内分泌、血液内科の順番に浩司は研修を受けて行った。学生時代の病院実習とは違い、実際の医療行為がオーベンObenと呼ばれる指導医の基で可能となっていたので、遣り甲斐は学生時代の比でなかった。点滴当番があったり、膀胱洗浄や腹腔穿刺、脳脊髄液の採取も指導医の下では許された。
少しづつ一人前の医者になって行く実感が伴って来た。学生時代の試験勉強の時よりは、はるかに忙しく原書(多くは英語)の読書会などもあって勉学そのものも大変であった。
しかし、学生時代の受身の勉強ではなかったので精神的な苦痛は感じず、むしろ充実感のみが強かった。
内科当直も月に2度ぐらいで回って来たが、卒後4年目、6年目、10年目の医師と4人での当直体制なので、救急患者を診るのに何の不安も感じなかった。むしろ緊張感が何とも心地良かった。卒後2年目で一人立ちとなり、あれこれ悩んだ末に血液内科に籍を置く事にした。沢近医師の影響が浩司の決定を大きく左右した事に間違いない。この年、綾子が大学を卒業して二人は結婚式を挙げた。浩司が26、綾子が22才の年である。
彼女は大手の総合商社に就職した。
浩司は彼女に専業主婦を望んだが、一度は社会人としての仕事を経験したいと願う、彼女の強い要望で最難関の商社に挑戦してみた。慶応大卒業の学歴は大きく、卒業時の成績も優秀であった。文句なく綾子は希望の商社に採用が決定した。
浩司は心から喜んではいなかったが、一応は綾子の思い通りにさせた。それでも結婚だけは急いだ。
次回に続く

想い出は風の彼方に(84)

翌月曜からは、内科の実習だ。実習期間は6週間と長い。先ず消化器内科で胃カメラや大腸ファイバーの実地研修を受けた。そして胃透視の指導を受ける。バリウムを飲ませながら透視台の患者を色々な体位に誘導してレントゲンを撮って行く。X線予防着には鉛が入っているので、かなり重い。午前中で8名の胃透視を見学すると疲労困憊になる。
胃透視を実施している医師の顔にも疲労の色が漂っていた。市中病院と比べ大学では点滴を含め、医療行為の殆どが医師の手で進められていた。大学以外では看護婦やレントゲン技師の手に委ねられている事も医師自身が実施するのが常であった。その分だけ医師の仕事は分業化され、外来担当医は外来だけ、病棟担当医は入院患者を診るだけで目一杯の仕事量になっていた。市中病院で大学と同じ様な医療体制を取ったとすれば、赤字経営で直ぐに倒産となってしまうだろう。故に市中病院では、医師には看護婦の数倍もの給与を払いながら効率良く医師本来の仕事を無駄無く熟(こな)してもらうのだ。
大学で何故、その様な医療体制が成り立つかと言えば、医師の多くが無給に近い状態で何年間も黙って働いているからである。
では何故、多くの医師はそんな無給に近い待遇で過酷な労働に耐えているのか?
それは医学博士と云うマジックである。この称号を取る事が医師のシンボルであると長い期間にわたり、大学は医師を呪文にかけ縛っていたのだ。
ただし、医学博士と云う称号がただの呪文であれば何時かは無意味な物として捨て去られる時が来たのであろうが、現実にはメリットもかなりあった。
つまり、大学や公的病院で管理職(講師以上教授まで、あるいは副院長や病院長)への道を歩む場合は、医学博士の称号が必要となる仕組みになっていた。
しかし、クリニックの開業や市中病院での勤務には医学博士の称号は何の意味も持ち得なかった。それでも多くの医師は、医学博士の称号を欲しがった。
医師の事を「ドクター」と言ったりする事も多いが、「ドクター」と云う呼称は「博士」と云う意味なので、文学博士だって「ドクター」なのである。
つまり医師の事を「ドクター」と言ってしまうのは、それだけ医学博士が世に氾濫していた事の証拠である。
さて、話を本題に戻そう。浩司の内科実習は消化器から血液内科へと移る。彼の大学は血液内科が、当時は主流であり患者も多かった。彼の指導に当たってくれたのは沢近医師だった。一日の多くを血液標本作成と、白血病の異型細胞鑑別に熱心で顕微鏡観察に多くの時間を割いていた。どれだけ美しく血液標本を作成するかに、限りない喜びを感じている様な人だった。一日の病棟実習が終わった後も研究室で顕微鏡の前に座り何時間も白血病細胞の見分け方を教わるが、不可思議な細胞の群れが多数存在するだけで、何だか全く分からない。正常細胞と何か違うらしいとは見当はつくが、それ以上は区別がつかない。途中から欠伸を噛み殺し聞いている振りをしていた。そんな浩司に気づいた沢近医師は、
「篠木くん、どうだい。この白血病細胞の絢爛豪華(けんらんごうか)な事、人間にとっては邪悪な存在かもしれないが、細胞自体はひたすら自己増殖を繰り返しているのだ。見方を変えれば、美しいとも思えるだろう。美しいと感じなくても、こいつは何者だろうと考えるだろう。その疑問から血液学だけではなく、全て学問の好奇心が湧いて来るのだよ」
そう言われ浩司は、成る程と思った。
次回に続く

想い出は風の彼方に(83)

綾子と母親は、二人の酔っ払いを後にして明日の食事の下準備にかかった。何時もだったら、今夜のオデンの残りで適当に朝食を済ませるのだが、浩司が泊まって行くとなると、そうもいかない。第一、綾子の気持ちが済まない。恋人の浩司に残り物のオデンを食べさせるには、彼女のプライドが許さなかった。台所で朝食の準備をしながら思いついた様に母親が綾子に言った。
「そう、そう、お前…浩司さんの家に電話を入れたの。こちらに泊まって行くからと、お伝えしなければご両親が心配になるでしょう」
そう言われ、綾子は自分の迂闊(うかつ)さに気づき浩司の家に電話を直ぐかけた。
「もし、もし、篠木さんのお宅ですか。夜分遅くに申し訳ありません。実は浩司さんが私の家に泊まって行きますので、それをお伝えしたく…」
「まぁ、綾ちゃんなの。ご免なさいね。浩司がご迷惑をかけて…でも遅くなっても良いから帰る様に言ってくれないかしら」
「それが、兄と二人ですっかり酔いつぶれて帰れる状態ではないんです」
「まぁ、呆れた。綾ちゃんのお母さまに顔向けが出来ないわ。一体、どうしたのかしらね。それじゃあ仕方がないわね。申し訳ないけど、綾ちゃん浩司の事はお願いします。綾ちゃんの家だったら安心だし…でも、これで浩司の事が嫌いになったりして…」
「おばさま、私の気持ちは固まっていますから、これぐらいの事で浩司さんの事が嫌いになるなんて事は絶対にありません」
そう言ってしまって、綾子は一人で顔を紅くしていた。
「それを聞いて安心したわ。明日は日曜だから大学もないし、それでは綾ちゃん今晩は厄介になります」
「それでは、おばさま失礼します」
「はい、お休みなさいね」
そう言って電話を切り、浩司には出来た娘(こ)だと鈴子は満足した。これだったら近い将来に篠木家の嫁になっても安心だと考えたりもしていた。
翌朝、9時過ぎに浩司は目を覚ました。オデンが置いてある食卓の前で寝ていた。枕の上に寝かされ、掛け布団もかけられいた。部屋には誰もいなかった。起き上がろうとすると、二日酔いで頭がズキズキする。綾子が入って来た。
「起きたの、お腹が空いたでしょう。
今すぐに準備しますからね」
まるで女房そのものの口調だ。浩司は場所がらも考えずに綾子を抱き寄せた。
彼女は少し驚いて、
「ここではダメよ、私の家でしょう」
そう、たしなめられて浩司は自分が何処にいるかを自覚した。
「ともかく、顔を洗って来て…」
そう言って、浩司に軽く口づけをして台所に消えていった。昨晩の記憶が曖昧(あいまい)である。何故、綾子の家に泊まってしまったのか良く分からない。彼女と公園に行き、そしてオデンを食べ吉村と日本酒を浴びる程飲み…顔を洗いながら記憶が少しずつ繋がって来た。
いずれにしても正体を失って飲みつぶれた事だけは確かなようである。何か恥ずかしい行為をしてしまったのではないか、そんな事が気になり出した。
綾子の給仕で朝食を取る。家の中には誰もいない。吉村も母親も仕事に出ていったらしい。
「綾ちゃん、昨晩の俺は何か馬鹿な事をしなかったかい?」
「別に何もなかったわよ。ただうわ言の様に、和也くん、和也くんって言っていたけど、私にはその意味が分かっていたから夢の中でも魘(うな)されているんだと考えると、浩ちゃんが可哀想になって来たわ」
そう言って、綾子は浩司の手を握りしめた。
次回に続く

想い出は風の彼方に(82)

冬の夜は早かった。公園の中は真っ暗だった。しばらく二人は何も言わず、ただ抱き合っていた。浩司が何を悩み苦しんでいるのかは分からなかったが、浩司の気持ちの鎮まるまで彼女は待ち続けていた。その内、浩司の口からポツリポツリと言葉が漏れ出した。
「俺は下らない人間だ。およそ医者になど向かないんだ」
そう吐き捨てる様に、浩司は誰に言うでもなく自分自身を罵(ののし)った。
独り言の様に呟きながらも、小児科病棟での経緯(いきさつ)をゆっくりと話し出した。
4才の和也くんの病気の事、仮面ライダーの話、病理解剖での自分の心の動揺などを語りながら浩司は涙ぐみ出した。そして自分を責める様に、
「俺なんか何の役にも立たない。和也くんの気持ちを慰める事さえ出来ないんだ。ただ彼の最期にオドオドしながら立ち竦(すく)んでいるしか出来ない能無しなんだよ。こんな人間が医者になんかなって、どうするんだ!」
上ずった浩司の声は、犬の遠吠えに近かった。
「浩ちゃん、そこまで自分を責めないで…私はそんな浩ちゃんが大好きよ。誰よりも傷つきやすく、感受性が豊かだから、そうやって自分を責めるのよ。だって他のクラスメートの人も皆んなが、浩ちゃんみたいに落ち込んでいる訳ではないでしょう?」
「まあ、そりゃそうだが…でも和也くんを担当していたのは僕だけだ」
「そうなんだ。でも取り敢えず家に帰りましょう。寒くなって来たでしょう。何時までも、こんな公園にいたら風邪を引いてしまうわよ。何か温かい物を作るわよ、お腹も減ったでしょう」
綾子にそう言われて、浩司は急に空腹感を覚えた。家に帰るや、綾子は台所に立って母親と一緒にオデンを煮込み始めた。今夜のおかずは最初からオデンだったので造作もなかった。綾子の一家と浩司の4人で、まるで家族水入らずみたいな夕食となった。兄に言われ、綾子は熱燗を数本付けて来た。
親友の吉村と酒を飲むなんて、考えてみれば始めての事だった。冬の夜に熱燗とオデンの組み合わせは抜群だ。吉村と二人で4本の熱燗は、あっと言う間に飲み干してしまった。飲む程に自分が哀れになって来た。和也くんのご両親は、解剖された小さな亡骸(なきがら)の前で、涙に明け暮れているに違いないのだ。それなのに自分は好きな女の家族と一緒に酒を飲み続けている。
「好い気なもんだ…!」
背後で自嘲じみた声が聞こえて来る感じがする。でも今夜は酒に溺れたい、自分の弱さを知りつつも酒に浸り何もかも忘れたかった。これ以上、自己嫌悪に陥っても、それはただの自慰行為にしか過ぎないだろう。それなら気障ったらしい言い訳などせず酒に酔いを任せるのが良いかもしれない。そして明日から立ち直ろう。そんな事を酔いが回った頭で、浩司は考えるともなく考えていた。綾子が心配になったのか、
「もう、お酒は程々にしたら…」
と、言い出すと…吉村が、
「お前は、今から何を古女房みたいな事を言っているのだ。そんな事を言っていると篠木に嫌われるぞ…なぁ、篠木」
「僕が綾ちゃんを嫌うなんて事は絶対にあり得ない。綾ちゃんが僕を嫌ってもだ」
酔いの回った頭で浩司は、そう抗弁した。
「聞いたか、綾子。篠木はお前が死ぬほど好きだって…馬鹿らしくっていられないよ。お前たち、早く結婚してしまえ」
「お兄ちゃんも、酔っ払って何を言い出すのか呆れるばかりだわ。もう、お酒は出しませんからね」
そう言って、綾子は兄を睨んだ。
次回に続く

想い出は風の彼方に(81)

浩司の心は鬱積(うっせき)していた。
このまま家に帰る気にもならなかった。足は何時しか酒屋の吉村の家に向かっていた。医学部の同級生とは話をしたくなかったが、誰かと話はしたかった。まるで関係のない吉村が急に懐かしく思えた。夕方6時前には吉村の家に着いた。吉村は仕事が一段落したのか、暇そうに店番をしていた。
「おや、篠木じゃないか。どうした、何か用か。そうか、綾子か…ちょっと待ってくれ、直ぐに呼ぶから」
「いや、今日はお前と話がしたくなったのだ」
「珍しいな、男の俺と何の話だい!」
「いゃあ、別に大した話がある訳でもないんだが何となくな…」
「どうした、何があったんだ?」
吉村が訝(いぶか)し気に尋ねた。浩司が話題を逸らした。
「そう言えば高校時代に、ここでバイトした事があったよな…」
懐かしそうに浩司が独り言の様に呟いた。
「確かに、そんな事もあったな」
吉村も懐かしそうに頷いた。
「吉村の親父さんが、心筋梗塞で突然の入院になった時だ…綾ちゃんは小学6年で、俺とお前は高2になる直前の春休みだった。あれから8年もたっているんだよ。お前もすっかり酒屋の親父になっているしな…」
吉村が少し混ぜかえす様に、
「よく、そんな事を覚えているな。それにしても小学6年の綾子が、篠木のフィアンセになっているんだから驚きだよ」
そう言われて、浩司は少し照れた顔をした。そんな話の最中に綾子が急に顔を出した。
「あら、来ていたの。お店の中で男二人が何を話し込んでいるの…何故、浩司さんに上がってもらわないのよ」
綾子が兄を責める様に言った。
「いゃあ、今日の篠木は少し変なんだ!…綾子より俺と話したいって言うんだよ」
「そんな、嘘でしょう!」
綾子は、咎めるように浩司の顔を睨んだ。浩司は彼女の視線を避ける様にして
「男同士で話したい時もあるんだ」
と、言い訳の様に呟いた。
「まあ、それなら好きなだけ二人で話していたら…」
「綾ちゃん、そんな言い方はしないでくれ。今日の俺は気持ちがブルーなんだ。昔懐かしい吉村と、どうでも良い話しを訳もなくしたかったんだ。気持ちが落ち着いたら後で理由は話すよ。綾ちゃんお願いだから、怒らないで…君の感情を損ねたなら謝る。今の僕は自分で自分が分からなくなっているんだ。吉村、綾ちゃんを少し連れ出しても良いかな?」
「別に俺に断らなくても、綾子が良いならどうぞ。二人はフィアンセ同士なんだから…」
「綾ちゃん、ちょっとそこまで付きあってくれる…!」
「一体、どうしたの?」
そう言いながらも綾子は、浩司の後に付いて来た。家から少し離れた公園のベンチに座り、浩司は綾子の手を握り
「綾子、俺はどうして良いのか分からないんだ」
そう言うなり、綾子を思い切り抱きしめた。二人だけになると、浩司は彼女を呼び捨てにした。綾子は抱きしめられながら、
「浩ちゃん、嫌な事があったのね。大丈夫、何時だって私がそばに居るわよ。さっきは強い言葉を使って、ご免なさいね」
「綾子…好きだよ!」
突然に浩司は綾子の唇を求めて来た。
彼女は浩司のなすがままにさせておいた。
次回に続く

想い出は風の彼方に(80)

「仮面ライダーなんて、ぼくの病気を少しも治してくれないよ。どこが正義の味方なんだ?」
弱々しい声ながらも和也くんはママに噛みつく様に迫った。ママは幾らか困った顔で、
「そうね、仮面ライダーはどうしたのかな…でも、小林先生がいるじゃない。和也の病気を治す為にいつも側(そば)にいるじゃないの」
彼はママを睨みつける様にして…
「先生は、嘘ばかりついている」
と、吐き出すように言った。
「どうして…!」
ママは優しく彼の抗癌剤で禿げ上がった頭を撫でた。
「だって注射しないって言って、いつも注射ばかりしている」
そう言われて、ママは下を向いているばかりだった。その頬には幾すじの涙が流れていた。
その3日後に和也くんは息を引き取った。
和也くんは亡くなって直ぐに病理解剖に回された。彼のママは、はじめ小林医師の解剖依頼には拒否的だったが、半年以上に及ぶ小林医師の献身的な医療行為に心から感謝をしていたので、医師の強い懇願に屈する形で、子供の解剖を渋々同意した。浩司の小児科実習の最終日は土曜で、午後からは家に帰るつもりでいたが、小林医師の指示で午後2時からの解剖に立ち会った。
当時の大学病院は、亡くなった患者さんの半分以上は病理解剖に回す事が慣例化していた。病理解剖こそ、最終診断の模範解答になると考えられていたからだ。だから半分以下の病理解剖しか実施していない大学は、他の大学からは軽んじられていた。現に国立大学や名門私立大学では8割以上の解剖実績を誇っていた。
午後からの病理解剖の事を考えると、浩司は食欲が出なかった。基礎解剖は大学3年の時、半年に渡って実施していたので解剖そのものに恐れはなかった。しかし、生前の顔や声を知っている和也くんの病理解剖は、まるで見知らない遺体の基礎解剖とは受ける精神的な圧迫感が全く違う。出来る事なら解剖に立ち合いたくはなかった。でも小林先生から指示された以上、避けて通る訳にはいかなかった。
そして定刻の午後2時前に病理解剖室へと出向いた。既に和也くんの遺体の前には、解剖を手がける医師3人と小林先生が立ち会っていた。浩司は他の同級生と静かに頭を下げ、解剖室に入った。
小林先生とは目だけで会釈をした。
病理解剖の医師3人は、壁に掛かった時計を見て2時丁度に、
「それでは、定刻になりましたので解剖を行います」
と、厳かに宣言した。一人の医師が頭部から、もう一人が胸部から、あとの医師が腹部から執刀を開始した。定刻より数分遅れて2名の病理の医師がやって来た。筆記専門であった。3人の医師の手際は見事だった。一分の無駄もなく解剖は進められ、口頭で解剖所見が次から次へと述べられ筆記専門の医師が、どんどん記述していった。まるでベルトコンベアーみたいな仕事で、一切の感情を挟む余地はなかった。
和也くんの腹部腫瘍は、大小さまざまで10数個は認められた。肝、膵、肺、骨と転移は多数に散見された。改めて転移の凄さに浩司は、言い知れぬ恐怖を感じた。午後5時、解剖は終わった。解剖室を出た所で、浩司は小林先生に礼の言葉を述べた。そして同級生の誰とも口をきかずに別れた。
次回に続く

想い出は風の彼方に(79)

こうして和也くんの厳しい闘病生活が始まった。2度にわたる開腹手術、抗癌剤治療など、ただの延命治療に過ぎないが医師たちの闘いも過酷であった。まだ延命治療と云う概念も乏しい時代であった。「生命の尊厳」こそが、医療の最大目的であった。抗生剤の開発、ステロイド剤の発見により、20世紀の医学は驚異的に人間の生命を伸ばしていた。天然痘、癩病、結核などの感染症は次から次へと克服されて行った。しかし、新しい病気も生み出されていた。花粉症、ウィルス性肝障害、医原性疾患(医師の薬剤投与などにより引き起こされた疾患)、神経系統の難病、そして各種の癌病変など、どんなに医学が進歩しても常に無限の課題が医療の前には横たわっている。
「生命の尊厳」と、「人間性の尊厳」との何(いず)れかが重要であるのか?
そう問われ出したのは、20世紀も後半になってからだ。日本では欧米に比べ少し遅れ、21世紀になって「延命治療」の見直しが議論される様になって来た。それは欧米の宗教感に基づく「人間性の尊厳」と云うよりは、医療経済による「延命治療」に疑問が出て来たと言うべきだろう。少子高齢化が加速する日本では膨大な医療費の増大により、国家予算が悲鳴を上げ出した。その対策として、国は無料だった老人医療費の自己負担額を年々増加させ出した。患者並びに家族も、その負担額の厳しさに「延命治療」を経済的理由を基に考え直している。さらに、我が国では戦後の道徳教育の衰退により
「武士道」から派生したと言われる「死生観」の意識構造が薄弱化している。
「何の為に生きるのか?」
と云う、問いかけさえ出て来る事は稀である。ましてや、
「誰の為に生きるのか?」
と云う問いかけは、皆無に近いのではないだろうか?
それでも浩司が医学生の時代は、医療費の差額もまだ無償化に近かったし、使命感の中で日々切磋琢磨していた医師は数多くいた。患者も医師も経済的な問題に神経を使う事はなかったのだ。そんな時代では一人前の医師になるまで、国家試験合格後も無給に近い待遇で甘んじていた若い医師は幾らでもいた。一人前の医師になれば報われる日が来る事を信じていたからに違いない。新人の看護婦の1/3にも満たない薄給で何年も昼夜を分かたず医療活動に専念していたのである。むしろ、そんな薄給にプライドさえ持っていた。
医師が過労で倒れるのは常識でさえあった。この時代、医師は他の職種に比べかなり短命であったのだ。おそらく医療活動にロマンを感じていたのだろう。
その様な時代に浩司は、医師を目指していた。医学部6年生、国家試験前の病棟実習が続いていた。小児科病棟での実習は精神的な疲労が多かった。同じ医学生の中でも感じ方は、人それぞれであった。文学青年的な鋭い感性を持った浩司には、辛い実習である。
受け持ちの和也くんには、最期の時が迫っていた。和也くんの担当になって10日目、彼はベッド脇のママの前で何かを囁いていた。その囁きが浩司の耳にも入ってしまった。
「本当に正義の味方っているの?」
そんな質問を彼は、ママに投げかけていた。
「仮面ライダーがいるじゃない…!」
そうママが答える。
次回に続く