診察室からコンニチハ(39)

「さらに、ご無礼を承知で申し上げれば筆者の視点が常にずれているのですね。時に患者さんの視点だったり、医師の視点になったりと目まぐるしいのです。ある程度は視点を定めて、医師の見解を述べたいのであれば患者さんが医師から説明を受けた体裁を取るべきなのです。それにメインテーマが認知症であるなら、もっと認知症に関するエピソードを詳細に記述する必要があるのではないでしょうか?」
「そ、そうなんですね」
私は戸惑いながら溜め息まじりに答えた。
「もう少し、お話を続けても良いですか?」
川島さんは追い討ちをかける様に続けた。
「小説を書く上での筆力が足りないですね」
「筆力?」
私の怪訝な顔に、川島さんは…
「文章の表現力とでも言ったら分かりやすいですかね」
と、まるで駄目押しの様に付け加えた。結局は作家としての才能がまるで無いと言われたのと同じた。
返す言葉もなく、私はただ俯(うつむ)くだけだ。
「ともかく幾度でも書き直して下さい。納得の行く原稿が出来上がったら、また見せて下さい。それまで一年でも二年でも待ちますから…」
そう言って彼は、出されたお茶を飲み干した。
私は返す言葉もなく、うな垂れたまま…
「今日は、お忙しい中をわざわざお越し頂き有難うございます。私なりにもう一度頑張ってみます」
そう言って彼を送り出した。笑顔を取り繕っていたが、私の心の中は今にも泣き出しそうだった。彼が帰った後の私は、しばらく放心状態のまま何も手に付かなかった。
次回に続く

診察室からコンニチハ(38)

待ちに待ったS出版社から電話が入ったのは、9月初旬で猛暑の夏は未だその勢いを少しも緩めてはいなかった。4日後の火曜に病院に訪問しても良いかとの確認だった。午後3時からなら都合がつくと私は答え、互いにのスケジュール調整が了解出来た。S出版社に出向くと言うのではなく、向こうから訪問して来るとの話に私の夢は大きく前進した。
そして火曜の午後3時、その少し前にS出版社の50歳代と思われる男性・川島(仮名)さんが院長室に入って来た。その手には私の小説「霜月の夕暮れ」が握られていた。かなり読み込まれたらしく、綴られたプリントは相当に傷んでいた。
川島さんは、先ず出されたお茶を少し飲んで話しを始めた。
「とても興味深く読ませていただきましたが、このままでは小説になりにくいと思います」
私は川島さんに詰め寄るように、
「文章が稚拙だからですか?」
と、尋ねてしまった。
「いや、それよりは小説の形態をなしていないのです。認知症とは何の関係もない話が随所に出て来ます。それぞれの話は面白いのですが、これは明らかに脱線しているとしか思えない個所が多すぎます。さらに雑誌記者の話が出てきますが、現実の雑誌記者の生活や収入はご存知ないでしょう?…いくらフィックションといっても余りに現実離れした設定では、この作家は随分と不勉強であると読書に見破られてしまうのです。そうなると、折角丁寧に書かれている認知症の部分にまで、読者の不信感が生まれてしまうのです。その意味では、ご自分の経験や専門知識に熟知した事を基盤にして筆を進めて行くべきなのです」
と、川島さんの批判はかなり厳しい。私は頭を下げて聴いているだけだ。そんな私の姿を見て、川島さんは幾らか遠慮ぎみな口調になった。それでも彼の舌鋒は衰えない。
「もう少し話を続けても良いですか、余り気にしないで下さいね」
私は素直に頷くしかなかった。
「宜しくお願いします。川島さんのお説は一々ごもっともだと思いますので、どの様な忠告も喜んで受け入れます」
そうは言ったものの、私はかなり傷ついていた。
次回に続く

診察室からコンニチハ(37)

家に戻り、妻に今日のT女史との遣り取りを話す。妻の第一声は、
「800万円!…それって非常識な金額じゃない。結局は自費出版を甘い言葉で勧誘されただけじゃないの。それにしても800万円ってのは、法外な金額だわ。そんなドブに捨てる様なお金の使い方は、直ぐに断ってちょうだい。とても納得出来ないわ」
そう言うなり、妻はネットで幾つかの出版社に自費出版にかかる費用と販売に乗せる負担額を調べ出した。
その結果は300~400万円が販売経費も含めた値段だった。翌日、自分自身で大手のK出版社に電話をかけてみた。その値段だけで全国の書店に本を置いてくれると言う。それだけではない。自費出版の場合、販売価格の60%は私に返してくれると説明された。ただの一冊でも60%のバックは変わらないと言うのだ。つまり5千冊ぐらい売れると、400万円ぐらいの元は取れると言うのだ。M社の1万冊以上売れないと1円も私の手元には戻らないと言うのとは大違いである。驚き呆れるばかりだ。
私はその電話でK出版社に訪れる約束を取り付けた。
その翌日、妻の更なる忠告でまた別のS出版社に電話を入れてみた。値段はK出版社より、100万円は安い値段を呈示された。そればかりか、契約前に先ず原稿を送って欲しいと言われた。訪問の約束をしたK出版社は、契約時に半金の200万円が振込まれてから原稿をチェックしてくれると言う。先ずは契約ありきの姿勢であった。私はこのS出版社の経営姿勢に熱く感動した。両方の出版社とも、日本では甲乙つけがたい大手である。しかし、経営姿勢はこんなにも違うのだ。直ぐにS出版社に原稿を送って、K出版社への訪問をキャンセルしたのは言うまでもない。原稿を送って2日後にS出版社から丁寧なハガキが届いた。原稿は拝受しました。2週間ほどのお時間を頂いて返事を下さると書かれてあった。その1枚のハガキだけで、私は天にも昇る心地だった。もう天下のS出版社から、すっかり自分の小説を出した気分になっていたのである。
次回に続く

診察室からコンニチハ(36)

2日後の金曜、午前中の外来診療はいつも通りの忙しさであったが私の心は落ち着かなかった。昼食も殆ど喉を通らなかった。約束の午後2時にT女史から、少し遅れるとの電話が入った。幾らか拍子抜けしたが、それでも大きな期待感が萎(しぼ)んだ訳ではない。午後2時15分になって彼女はやって来た。やや恐縮の態で、先ず遅刻の謝罪をした。
私はそんな彼女の謝罪を意に介する様子は見せず、笑顔で院長室に招き入れた。先ずは名刺交換をして、夫々が応接セットのソファに座った。彼女の方から話が始まった。その脇には私の小説をプリントアウトした「霜月の夕暮れ」が置かれていた。
そのプリントの束を目にして私は、T女史の本気度を自覚した。そして彼女は滔々(とうとう)と語り出した。
「ネット上で先生のブログに出会い『霜月の夕暮れ』を読ませてもらい、とても感動しました。その感動を多くの人にも知って欲しいので、それには是非ともこの小説を出版させたいのです。先ず初版は3千部から手がけ日本中の大きな書店に置き、後は売れ行きの度合いを見て重版する方針です」
との説明は、私にとっては願ってもない話であった。
「しかし、このままで小説は通用するのですか。手直しの必要はないのでしょうか?」
私の稚拙な文章が、そのまま小説として通用するとは思えなかった。そこまで自惚れが強くもなかった。
「はい、私どもはどの様にしたら売れる小説になるのか、先生とゆっくり協議を重ねながら良い作品を世に送り出したいと望んでいます。その為には、先生の意図を十分に尊重しながら文章のリライトは幾度かして行くつもりです。ですから小説完成には1年以上のお時間を頂きます」
そんなに時間がかかるのかと、胸の内で思ったが言葉には出さなかった。さらに彼女は話を続けた。
「それで、先生のご理解が得られますなら早い時期にご契約を頂きたいのでが…」
「分かりました。契約内容はどんな内容でしょうか?」
「今の予定では、ご説明しました様に先ずは3千部を出版して、ご希望であれば1割の300部を先生のお手元にお渡しします。その辺りはご希望にお任せしますが、それらにかかる費用として800万円ほどをお願いしたいのですが…」
「800万円ですか?」
私の驚いた疑問に、
「でも、この本により病院の宣伝効果は大きいと思うのですが…」
T女史は、取って付けた説明をした。
「それで私の元には印税とかの見返りは、どうなっているでしょうか?」
T女史は怪訝(けげん)な面持ちになって、
「印税ですか、それは少し難しいかもしれませんね。1万部以上売れたら幾らかの印税はお支払い出来るかもしれませが、1万部売れると云うのは並大抵の事ではありませんから」
との、話であった。
もしかしたら騙されているのでは?
そんな疑問が頭の片隅に浮んだが、彼女の熱い視線に射られ自分の質問が非常識なものの様な気にさせられてしまった。結局4~5日で契約書類を纏(まと)め上げるから、来週中には署名捺印をして欲しいと言われ、その日の話は終えた。
次回に続く

診察室からコンニチハ(35)

比較的大手の出版社Mから病院に速達の手紙を頂いたのは、猛暑の8月初旬でした。
何事かと思って、M社の手紙をくれた女性営業の方に直ぐ電話を入れてみました。私を待っていたかの様に営業のT女史は、直ぐ電話口に出て来て、
「わあ、先生からこんなにも早く電話が頂けるなんて光栄です」
と、20代後半から30代前半と思われるその女性は華やいだ、それでいて妙にテンションの高い声の持ち主であった。私は少しばかり腰が引けそうになりました。
「私のブログを読んで頂いているとお手紙にありましたが、どの様なご用件でしょうか?」
と、私は極めて冷静さを保って尋ねた。
「実は先生のブログの中の小説を弊社で出版させて頂きたいと思いまして、お手紙を差し上げたのです」
「私のどの小説ですか?」
自分の中の昂揚感を抑えながら、私は尋ねた。
「認知症について書かれた『霜月の夕暮れ』と云う小説です。ブログで読ませて頂き非常に感銘を受けましたので、是非弊社で出版させて頂きたいと思います。それで近日中に先生とお会いしたいのですが、どうか少しお時間を頂けませんか?」
と、実に誘惑的な電話の内容であった。否(いや)も応もなく、私は自分のスケジュール手帳を取り出して明後日の金曜午後なら、時間の空いている事を相手に伝えた。T女史は直ぐ了解して金曜の午後2時に私の病院を来訪すると、嬉々とした声で応じた。もしかすると私も、これで念願の小説家になれる道が拓けるかもしれない。私の幻想は限りなく拡がっていった。
次回に続く

診察室からコンニチハ(34)

もう一編だけ私の拙い詩に付き合って下さい。「詩集の小箱」からナースコールです。
     「ナ-ス・コ-ル」
  一本のコ-ドに託(たく)された
私のはかない希(ねが)い
   小さな事
  めんどうな事
  時には
 どうでも良い様な事かも
  看護婦さん
  あなた方がどんなに忙しいのか
  分かってはいるのです
 でもね
 どうしょうもないのです
  不安で切なくて
  いつも何かにすがっていたいのです
  ただ一本の…そのコ-ド
  それは私の明日へと続く生命(い のち)の証(あかし)なんですから
   そんなコ-ドの先から聞こえて来る
  看護婦さん、あなた方の優しい声の響きや
  あるいは寒々とした声の冷たさに
   私たちは心が安らかになったり
  動けぬ体が…なみだ…で
  こきざみに振るえたりするのです
 
   次回に続く

診察室からコンニチハ(33)

私の詩集の小箱から
「魂の宿にありて」を書きます。
初めて あなた方に問う
本当は だれに問うのか…だれで もない私に…
弱き者…小さき者…老いたる者…病に伏したる者…
これらの人達は、いつも愛に包まれていなくてはならない
愛とは 魂の目である…それは心を捧げた注意力である
小さき者…それは未だいい…光輝く何かが待っているかもしれないから
老いたる者…はかなき命という名の灯の中で…
そのはかなき灯の数々を…その灯のままに…
ただ暖かく見つめる
人はいう…
ぼけちゃった…手がかかる…わがままだ…
で、私は問う 何故に人は…
死にいく時…滅び去る時…
ただ一度の人生であれば…その今際(いまわ)のふちに立つ時…
恐ろしさを感じえない者が一人でもあろうか
人は十月(とつき)の間…その母の身にありて…
真っ暗な闇の中から…光輝く世界へと導かれる
その細く長い道のりの恐ろしさを…誰も知らない
   ましてや死にいく時の恐ろしさを…誰が知ろう
老い去りいく者が、わがままであっても…ぼけていようとも…
その大地に帰る日の恐ろしさを忘れるため…
それは、それで、いいのではないだろうか…
再び問う…あなた方に…そして私に…
   弱き者…小さき者…老いたる者…病に伏したる者…
これらの人達は、いつも愛に包まれていなくてはならない
愛…その言葉の重みの中で、私は問う…
私にそれを語る資格があるのか…
愛…その言葉の前で私はたじろぐ…
かくも愚劣な私が…この言葉を使う罪を…
どうぞ、お許し下さいと…
愛、それは魂の目である…
何故に…何故に…かくも愚劣な文字の数々を…
あなた方に…そして私に問うのか…
それは病院という名の「魂の宿」に…
人は何故に…勤めるのか…
誰でもない、私への問いかけである
  次回に続く 
 

診察室からコンニチハ(32)

私はブログの中で幾つもの小説を書いています。はじめは認知症の公開質問が目的だったのですが、小さい時から小説家に憧れていた私は、この私的ブログの中で何時しか小説を書き始めていました。これまで拙い詩はかなり書いていましたが、少し長い小説となると息が続かなかったのです。ただ日記だけは50年近く書き続けていましたので、書く事そのものは苦ではありませでした。。何度かは小説に挑戦していましたが、多くは途中で投げ出していました。本格的に小説を書き出したのは、母親の癌末期の死にいたるプロセスでした。医師としての仕事が終わった午後6時頃から9時頃までの3時間を自分の部屋のパソコンに向かって書き続けていたのです。プリントした原稿は家内の添削を受けていました。そして何回も書き直しを指示され、自分の文章能力に限界を感じ始めていました。そんな生活を3ヶ月ほど続けましたが、原稿は目標の半分も進みませんでした。病院での仕事も忙しく午後8時になっても医師としての業務が終わらない日もあったりして…それやこれやで、結局は根が尽きて未完のまま10年以上は放置されてしまったのです。それが3年前からスタートした、このブログにより母親の病状日記も再度書き上げる意思が舞い戻り何とか完成の運びに至りました。以前と何が違うかと言いますと、今度はパソコンではなくiPhoneで書き直したので継続が可能になったのだと思います。パソコンと違ってiPhoneだとベッドで横になりながら気楽に文章が書けるからです。生来が怠惰な私にはピッタリのライフスタイルなのかもしれましん。こうして母親の病状日記「迷子の医者」が出来上がりました。。次回は私の稚拙な詩を少しばかり披露してみます。
次回に続く