認知症詩集(47)

如何なる治療法が認知症に有効なのか、生活療法が優先するのか?薬物療法が先行するのか?
実際の所は誰にも未だ分かっていません。認知症専門医の中でも意見は色々に分かれています。
誤診による安易な薬物療法で病状を悪化させてしまうケースも未だ後が絶ちません。
認知症の病型区分さえ満足に出来ていない医者が殆んどですから。
しかし認知症専門医の間では…生活療法を中心に考えて行こうとする学者が増えています。
それでは生活療法だけで治療が可能かと言うと、そんな単純なものでもありません。
こんな例があります。
ある認知症専門医が理想に燃えた専門病院を作りました。薬物療法は殆んど行なわず生活療法中心の徹底的な人道作戦です。
重症のピック病には24時間体制でナースを中心に3人体制で1人の患者さんを見て行きます。つまり1人の患者さんに三交代ですと9人のスタッフが必要となります。ボーナスも換算するとスタッフ1人の給与は最低でも月に30万円以上にはなります。となると、1人の患者さんの治療費にかかる人件費だけで270万円以上になります。
その病院長のお父さまが200億円以上の遺産を残してくれたので、毎年5億円以上の赤字を出しながらも、その病院は未だ存続しています。もちろん室料差額と言う名の自己負担額も月に40万円以上は請求されます。
それを支払う患者家族の方にも大変な負担ですが、病院側の患者さん1人当たりの赤字額は月に100万円以上でしょう。
先にお金の話ばかりをして申し訳ありません。ただ理想的な医療行為には、それ程のお金がかかってしまうと説明したかったのです。認知症専門病院ではありませんが東京には「聖路加病院」という患者さん中心の病院もあります。医療技術もサービス精神も日本の中では最高峰の一つに属します。ただし肺炎などで一カ月間も入院すると100万円近くの自己負担が請求されます。それでも病院は赤字経営が続いていると言われています。「聖路加病院」を愛する多くの資産家の寄付で何とか存続していると聞かされました。
すいません、お金の話ばかりで…
話を最初に戻します。理想に燃える認知症専門病院での生活療法を中心とした治療法の成果はどうであったか?
ここが肝腎の話ですが、それは見事に成功していました。大暴れするピック病の患者さんにも薬を使わず精神的にも驚く程、穏やかになりました。
どうして、そんな事が可能であったのか…それは患者さんに一切のストレスを加えず、もちろん抑制するなんて事は全くありません。患者さんの暴力行為や妄想行為にも全く否定しません。総てを思い通りのままさせます。病院内の器物破損にも何の文句も言わず、にこやかに対応しています。ナースを中心としたスタッフが患者さんから暴力行為を受けるのも日常茶飯事です。ですから、どんな高級な給与を支払ってもナースは次から次へと辞めて行きます。人件費は嵩む一方です。それでも病院長は自分の理想主義を曲げません。
その結果、患者さん方は1~2ヶ月の間にみんなと童謡を歌ったり、脳トレーニングのゲームにも参加したりします。感動すべき成果です。
しかし、ここに大きな問題が出て来ました。数ヶ月間ならともかく、それ以上となると患者家族が月に40万円の自己負担額を支払い続けられなくなって来たのです。当然と言えば当然でしょう。精神的にも見違える程に安定して来たので3ヶ月程で目出度く退院となります。自宅に戻っても1~2ヶ月は安定した状況は維持されます。
しかし自宅や老人ホームでは、今までの病院の様にスタッフが3人も付いて介護などしてくれません。病院ではオムツの使用は全くありませんでした。どんなに尿や便の失禁があっても、ニコニコと世話をしてくれます。それは1人の患者さんに3人ものスタッフが介護をしてくれたから出来た話です。オムツの使用は認知症を悪化させてしまうのです。
しかし自宅や老人ホームでは、そこまで理想的な対応は困難です。当然の如くオムツも使用していました。結局、6ヶ月後には元の荒れた精神状況に戻ってしまいました。何とも哀しい結末です。
皆さんは、この話をどう思われますか?

認知症詩集(46)

認知症に関しては
薬物療法ではなく生活療法に主点を置いて行こうと云う考えが一般的になっていますが…
生活療法の根本は運動療法(散歩など)、脳トレーニング、音楽療法(高齢者の方の青春時代の歌、または童謡)、生活習慣病のコントロール、成るべく自立心を確立すべき努力、禁煙、飲酒の調整など、さらに患者家族の方が認知症患者さんへの対応する為の学習能力の向上を目指し、その上に薬剤の微量調整が入ります。
ピック病だけが例外的に薬物療法が先行する場合もあります。
つまり認知症の治療法は…
患者家族の大きな愛と言っても過言ではありません。
早期診断はとても重要です。
何故なら早期診断の上に早期の生活療法と患者家族の認知症対応の学習を始める必要があるからです。ピック病以外で薬物療法を先にスタートさせる事は極めて危険であると考えて下さい。さらに患者さんの顔を余り見ないで、高度の医療機器だけで薬だけを平気で出す医者を信じてはいけません。大学病院とか建物の大きさだけで診断能力を過信してはいけません。ご家族の方の耳と目で医者の能力を診断する事から全てが始まります。患者サイドから医者を診断するのです。医者から診断される前にです!

認知症詩集(45)

この超高齢者社会を国は
どの様に乗り切って行こうとしているのか?
先ずは在宅介護の徹底的な誘導であると思う。
家族の誰が犠牲になろうとも国家財政の負担増大には有無を言わせないと云う姿勢を貫いて来るだろう。
想像出来る政策とは次の様な事が考えられる。
(1)介護保険の区分を上げる。
事実これまで要介護IIの人が特別養護老人ホームに入所出来たのに今度の改悪では要介護III以上の人しか入所出来なくなってしまった。
(2)医療、介護の保険点数を下げる。
その結果として病院経営も介護施設経営も立ち行かなくなる。その赤字を埋め合わせる為に室料差額と云う名目の患者さん方の自己負担をどんどん上げて行く。国は黙って見ぬふりをする。その室料差額を上げられない病院や施設は高齢者への果たすべきサービスをどんどん下げ天国への道を早めて行く。
「看取り」と云う美辞麗句の許で…
これでめでたし、めでたしと行って良いのだろうか?
これは私の勝手な推測を書いている訳ではない。
鉄の女サッチャーが総理大臣に在任中の1979~1990年に行った医療政策から私なりに推測しているのだ。
この結果、英国の医療レベルはヨーロッパでは最悪となり外科医はほとんどいなくなったと言われています。民間病院の3割は倒産したとも伝わっています。
これ程、露骨に「金のない奴は死ね」と云う医療政策を実施した総理大臣は他に例を見ません。さすがに「鉄の女」そのものです。弱者切り捨ての徹底的な経済政策で英国の財政事実は見事に上昇したと言われています。サッチャーは偉大な首相であったのか、あるいは唾棄すべき首相であったのか私には分かりません。

認知症詩集(44)

認知症、この難解な病気の前で 多くの患者家族の方が言葉には尽くせない、多大なご苦労をなさっている。経済的にも精神的にも限界に達している方は数え切れない程いるに違いない。厚労省は在宅介護を盛んに推し進めているが、在宅介護の意味をどれ程に理解しているのであろうか?家族の誰かが相当の犠牲を強いられると云う事実を理解しているのであろうか?時には親の介護の為に離職の危機さえ起こり得ると云う実態を本当に理解しているのだろうか、甚だ疑問が残って仕方がない。
だから多くの場合は特別養護老人ホームに預ける事になってしまう。しかし年金額だけでは賄い切れない老人ホームが増えつつある。何故か?
先ずは年金額が年々下げられている。こんな年金額で、どの様に生活して行けるのか…特に国民年金に至っては!
更に厚労省が推定していた以上に介護認定者が増大し、当初の介護保険料だけでは多大な赤字が予測されている。
それ以上に老人ホームの個室化を厚労省自らが推進し介護利用者の負担額が大きく増大している。以前は多室部屋が普通であって室料差額を入れても毎月の支払いは6~7万円ですんだものが個室化されてからは支払い額も12~20万円と倍以上に負担額が増大している。その上に大変な事は病気に罹った時である。入院中も入院費用以外にホームの室料差額がかかってしまい二重負担を患者家族は強いられるのだ。
となると患者家族の負担額が一ヶ月以上の入院にもなると月に30万円以上が一般的になってしまう。また病院でも個室に入ったりすれば40万円以上の負担額だ!…誰がこんな高額な負担に耐えきれるのか?
正に介護難民そのものではないか…?

認知症詩集(43)

人間の平均寿命は何処まで延びるのであろうか?
長くなれば成る程、認知症の問題も更に複雑化して来るに違いないだろう。その意味では平均寿命の問題も考えずにはいられない。平均寿命の推定説は幾つかある。
先ず第一が成人年齢に至るまでの年齢(人間で言えば20才)×4もしくは5倍説だ。これで行くと80~100才と云う事になる。
第ニが心拍数限界説だ。
これによると一生の心拍数は「23億回」説が最有力であるが、生物学者の間では「15億回」が定説にもなっている。
1分間70回前後が適切であるとされ、それ以上だと自律神経の乱れが影響されているか、生活習慣病を考慮すべきだとの意見が多い。
毎年の健康診断で心電図の異常を指摘された事がなくても。
哺乳(ほにゅう)類は心臓が
一定数打つと一生を終えると説いた。
1992年に出版されベストセラーになった
『ゾウの時間ネズミの時間』(中公新書)筆者の本川達雄氏は、「のんびり生きても、せかせか生きても、哺乳(ほにゅう)類はその心拍数を使い果たすと
一生を終える」と書いてある。
人間にも同じことがあてはまる
東邦ガス診療所(名古屋市)の林博史所長はこう言い切る。
心臓の消費エネルギー量はおおむね決まっているとみており、心拍が速いと劣化が進み、寿命が短くなるという。
血圧が正常でも…
名古屋大病院に在籍中、心筋梗塞(こうそく)の患者をたくさん診てきた。
一命を取り留めた場合、何が予後を左右するのかに興味を持ち調べたところ、心拍数にたどり着いた。
いつまでも脈が速い人は、回復に時間がかかった。
時間生物学の概念を取り入れ、哺乳類ごとの体重や心拍数、心周期(1心拍にかかる時間)
と寿命との関係を分析し、人間が一生の間に打つ心拍数は「23億回」とはじき出した。
1分間脈を測り、その数で割れば、寿命(分)がわかる。心拍数が60回で約73年、70回で約63年、80回で約55年になる。
脈が速いと死亡リスクが高くなるとの研究報告が国内外にいくつもある。
東北大学の研究グループは2004年、岩手県大迫町(現在は花巻市)の追跡調査で、
血圧が正常でも心拍数が1分間に70回以上の人はそうでない人よりも心臓病による死亡リスクが約2倍になる、と公表した。
米国の高血圧患者約4500人を36年間追跡した調査では、心拍数の増加に伴い心臓病死する割合が高くなった。
心拍数の減少で様々な病気による死亡率が減るというイタリアの報告もある。
ただ、心臓病の専門医の間では、人間の一生の心拍数に決まった限界があるとの考えに否定的な意見も多い。
心拍数の増減は自律神経に左右されており、一部の不整脈のように心臓自体に問題があることは少ないからだ。
その他、世界中の学者で様々な意見があって誰もが一致する定説は未だ確立されていないのが現状です。

認知症詩集(42)

認知症、この難解な病気に新しい朝が来るのであろうか?
総ての認知症を根本から解明し、完全な治療法が見つかるのであろうか…
私は不可能であると思う。
何故なら、それは不老不死への
治療法に他ならないからだ。
総ての認知症に可能な治療法とは、ある意味で不老不死への挑戦と同義語である様な気がしてならない。
紀元前250年前の秦の始皇帝以来、不老不死への憧れは人類永遠の願望である。何千年も生き抜いて来たと云う仙人伝説も枚挙に暇(いとま)がない。
では、認知症の治療法は永遠に見つからないかと言うと、それ程悲観に成る事もないと思う。
ある種の治療可能な認知症は幾つか見つかると思う。
同じ癌と言っても早期癌の治療成績には抜群の数字が示されている。また癌の種類によっては治療成績に格段の差が認められている。進行の早いもの、遅いものと一口に癌と云う言葉だけでは、その治療成績を簡単には評価出来ない。
それと全く同じ事が認知症の治療法に当たっても言えるのではないだろうか?
かつては老人性認知症と一括りにされていたものが、アルツハイマー型認知症ATD、前頭側頭型認知症FTD、レビー小体型認知症DLBと区分されています。
さらにFTDもピック病、意味性認知症、進行性非流暢性失語と細分化されています。
この様に認知症もより医学の進歩と共に細分化されて行くでしょう。そして更に難解な認知症も発見されて行くでしょう。
それは胃癌にも何種類もの癌細胞があって夫々に悪性度に違いがある様に認知症の種類も悪性度により複雑化して行くものと思われるのです。
その意味では治療可能な認知症と治療困難な認知症か明確になって行くでしょう。
始めに認知症の治療は不老不死への挑戦だと申し上げましたが、それは永遠不滅的に医学の進歩と歴史が続くと申し上げているのです。治療法の確立した病気もあれば、より困難で難解な病気も新しく出現して来ると云う意味です。
それは認知症と云う学問にしても同じ事が言えると思うのです。

認知症詩集(41)

今回は認知症の歴史について説明します。
(1)1906年にドイツの精神医学者アルツハイマーの症例報告に始まります。「51才の女性で嫉妬妄想と進行性の認知症を示し大脳皮質に広範囲で特有な神経細胞変性が認められた症例」ですが、多分若年性で遺伝子要因の強いケースで現在一般的に言われているアルツハイマー病の特殊な例ではないかと思われます。
(2)ピック病
前頭側頭型認知症(FTD)の一種であり、
特有の人格変化、行動異常、言語機能障害を示す初老期の神経変性疾患で1926年に
満州医科大学の大成潔とドイツ・ミュンヘン大学Hugo Spatzにより組織病理がまとめられ「ピック病」と命名されました。
(3)レビー小体型認知症
レビー小体とはドイツの神経学者フレデリック・レビーが神経細胞の封入体を1913年レビー小体と命名し、
1976年に日本の精神科医、小阪憲司が始めてレビー小体が起因となるレビー小体型認知症の症例報告を学会で発表しました。
一方、一般臨床医が
上記認知症の区分を認識し始めたのは2000年以降で、その治療法に至っては未だ暗中模索の時代が続いています。
「認知症の治療薬はなく、悪化を防止するだけです」と、製薬会社の手先かと思われる様な無意味に近い薬を意味も分からず一般臨床医は認知症患者さん方に出し続けています。大学病院を中心とした権威主義が如何に誤診を繰り返しているか目に余る現象が、実に多く見られます…
しかし、この数年心ある医師たちが成るべく薬を使わず生活療法を主体とした治療法に専念すべきだと云う意識改革が出始めています。

認知症詩集(40)

認知症とは自立心の消失か?
何でもかも妻に任せ切っていた夫が妻に先立たれた時は認知症になりやすいと言う
仕事人間で自宅に戻ったら
右の物を左にも動かさない
停年退職したら粗大ゴミ化する
男族は圧倒的に認知症になりやすい
社会人としてはそれなりの仕事は出来たのだが停年退職後には毎日が日曜日で趣味もないとなると認知症への道は確実に近づいて来る
かつて、こんな話を聞いた事がある
ある高校の校長が60才で停年退職となり、する事も無くテレビばかりを見て昼間からチビリチビリ酒を飲んでいた
タバコも好きだった
63才の年に自宅から50m程離れた店にタバコを買いに出かけ、そのまま家に帰れなくなってしまった
それ以後は徘徊が多くなり何度も警察官に探してもらい67才で他界した
奥さんはいわゆる昔気質の良妻賢母の女性で夫に口答え一つする事なく40年近くも夫に傅(かしず)いていた
奥さんはそれから30年以上も慎ましやかに生きていた
もちろん認知症には成らず急性心筋梗塞で亡くなられた
死の3日前までは、ご自身の身の回りの事は総て一人でおやりなさっていたとの話だ
何とも考えさせられる…