中沢家の人々(50)

「村田道子さんの病状はやや安定して来ています。脳動脈瘤の手術が可能かどうか、脳外科と麻酔科でミーティングしているのですが、最終的にはご家族の意志を聞いてから結論を出そうと私たち医師が、相談していた所です。そこで、ご意志を確認したいのですが!」
何か医師サイドの一方的な話に聞こえ、紀子は釈然としないまま毅然と尋ねた。
「意志を確認すると仰られても、私たち素人では答え様がないと思うのですが?…もっと具体的に手術すれば助かるのか、それとも危険を承知で敢えて手術をするのか?…そこの所をはっきりして頂けなければ、何をどう答えて良いのか分かりませんでしょう!」
医師は素直に応じた。
「ごもっともなお話です。先程まで麻酔科のドクターとかなり激しく遣り合っていたものですから、その勢いで失礼な発言になってしまった事はお詫びいたします。簡単にお話しますと、麻酔科の医師は手術に反対しています。麻酔科のサポートがなければ手術の実施は困難ですから、時には手術を巡って激しい口論になってしまうのです。私たち脳外科は3割の可能性があれば常日頃から手術に持って行きたいと思っています。しかし村田道子さんの場合、麻酔科医は1~2割の可能性しかないと主張するのです。では手術しなければどうなるかと言えば、そのまま植物人間になってしまう危険性が大きいのです。最悪の場合は、このまま死ぬまで目を覚ます事なく人工呼吸器を付けた状態が続くのです」
「そんな!…」と、
紀子は思わず悲鳴を上げそうになった。
「ですから私たち脳外科は一か八かの勝負に出るか思い悩んでいる所です。となると、ご家族の決断を仰ぐしかない訳です。麻酔科だけではなく脳外科としても極めて難しい手術である事は充分に覚悟しております」
紀子は青ざめた顔で
「一晩だけ考える時間はありますか?…こんな究極の選択を今すぐに返事をしろと言われても頭の中が混乱するばかりです」
「もっともな、お話です。しかし手術にはタイミングと云うものもありますから、誠に申し訳ないのですが明日のこの時間までには結論を是非とも出して頂きたいのですが…」
と、医師は折り畳みかけるように言った。
「分かりました、明日までには必ずご返事を申し上げます」
と、紀子は力なく答えた。
母の命の 選択を自分が決めなければならないとは、これ程の重荷が何処にあるだろうか?
午後6時に仲道と共に富士屋ホテルに戻る。紀子の頭の中では医師の話が堂々巡りしていた。
「手術すべきか、植物人間への道を選ぶべきか!…あのプライドの高い母が植物人間への道を選ぶとはとても思えない。
でも手術に失敗すれば母とは永遠の別れとなる。そうなれば私が耐えられない。例え植物人間になったとしても母がそこに居ると云うだけで私の心のバランスは違ってくる。母がこの世に存在しなくなるなんて事実には耐えられそうにもない。」
次回に続く

中沢家の人々(49)

そんな紀子の心の動揺を鎮めるかの様に仲道は彼女の耳許にささやいた。
「社長、ここは先生方にお任せして私たちはただ祈るしかないでしょう。お母さまの生命力を信じて」
「確かに、そうね!…祈るしかないわね。先生、有難うございました。私たちは一度戻ります。取り敢えずは、この病院のそばに宿を取って又午後にでも出直しして参ります。それでも大丈夫でしょうか?」
「まあ、この数時間でどうにかなると云うものでもないでしょう。一先ずお帰りになって結構です」
「では、お言葉に甘えて又出直して来ます。長々と丁寧なご説明を有難うございました」
「いいえ、ともかく私たちも治療には全力を尽くします」
「それでは失礼します。また後ほど…」
と紀子は医師に軽く頭を下げた。仲道も同時に医師に頭を下げた。
彼等は一先ず箱根宮ノ下「富士屋ホテルに荷を解いた。チェックインには未だ間があったが、ともかく超過料金を払ってでも早めに休ませて欲しかった。仲道とは隣合わせの部屋を取り、紀子は先ず入浴した。後は倒れる様にベッドで横たわった。
仲道も同様に睡魔に襲われるごとく、そのままベッドに潜り込んでしまった。
3時間近く紀子は、意識を失うかの様に寝てしまう。午後1時前に紀子がやっと目を覚ます。仲道は2時間半ほどで眠りから覚めた。彼はシャワーで汗を流し紀子から呼ばれるまで自分の部屋で、これから起こり得る事態と対処の仕方をあれこれ考えあぐねていた。午後1時に仲道の部屋の電話ベルが鳴る。
「仲道さん、大丈夫。起こしてしまったかしら!」
「もう30分ぐらい前には起きていました。だいぶ休んで元気になりました」
「そう、それは良かったわ。それよりお腹が空かない。私たち今朝から何も食べていないでしょう」
「そうでしたね、社長にそう言われ私も急に腹が減って来ました」
「そうよね、このホテルのメインダイニングで何か食べません!」
「はい、喜んでお供いたします。」
「でしたら、1時半に予約を取って貰って良いかしら…」
「分かりました。すぐに手配します。少しお待ち下さい」
「それじゃあ、お願いね。私はお化粧直しをするから…」
午後1時40分ホテルのメインダイニングで昼食を取る。ランチメニューのコース料理を注文するが、空腹であるにもかかわらず、紀子はパスタを半分食べるのがやっとだった。仲道は申し訳なさそうに一通りは食べた。
その後、デザートのコーヒーだけは紀子もゆっくり味わった。
午後3時半頃、二人で再び小田原の病院に向かった。
早朝、病状説明してくれた小村医師は当直明けなのか不在であった。代わりに30才代後半と思われる山中医師が説明に当ってくれた。
次回に続く

中沢家の人々(48)

「ところで先生、クモ膜下出血と云うのはどんな病気なのですか?…そんな突然に来る病気なのですか!」
「先ずはですね、人間の脳細胞は3枚の膜で保護されているのです。外側、つまり頭蓋骨のサイドから見て行きますと、硬膜、クモ膜、軟膜と呼ばれる3枚の膜がありまして、真ん中のクモ膜と軟膜の間に出血したのが俗に言うクモ膜下出血です。問題はクモ膜下出血が発症した直後には、出血巣がクモ膜と軟膜の間に限局しているのですが、病気の進行と共に出血巣が軟膜を突破して、丁度大洪水で防波堤を水が突破してしまう様に脳室内全域に血液が拡がって行くのです」
紀子は更に尋ねた。
「先生、お話の内容は少しばかり分かりましたが、母は未だ59才ですよ、そんな年令でも脳出血なんか起こすのですか?
脳出血なんて云う病気はもっとご高齢の方の病気だと思っていたのですが!」
紀子は何か腑に落ちない気持ちで医師に質問を繰り返した。
「確かに、昔から言われています脳卒中、大きく分ければ脳出血と脳梗塞の好発年令は圧倒的に65才以上です。しかしクモ膜下出血は別なのです。何故かと言えば、クモ膜下出血の原因は脳動脈瘤の破裂によるものが多いからです。先天性の動静脈の奇形などでは30才ぐらいでもクモ膜下出血を起こす場合さえあるのです」
「すると母は脳血管の奇形があったのですか?」
「そんな単純な話でもないのです。30才代ぐらいの若い年代ですと血管の奇形が圧倒的に多いのですが、59才ぐらいですと何とも言えません。奇形以上に動脈硬化性変化による動脈瘤も考慮せざるを得ないからです。それ以外にも色々な原因はありますが…なかなか判断のしにくい所です」
「それで母は助かる見込みがあるのでしょうか?」
「極めて厳しいです。止血剤と脳圧亢進を抑制させる保存的な治療で何処まで出血巣を縮小出来るかが問題ですが、脳室内にこれ程までに拡がった出血を改善させるのは簡単ではないでしょう。脳動脈瘤の除去もしくは結紮を先ずは第一番目にすべきなのですが、全身状態が極めて悪いので脳外科的に開頭術を実施出来るか悩んでいる所です。
現に呼吸停止が来て人工呼吸器に頼っている状態ですから…」
「そんなに良くないのですか?」
と紀子は悲嘆にくれた思いで溜め息をついた。彼女の膝頭が微かに振るえていた。今更ながら悔やんでいたのだ。
「何故もっと早く母を自分の手許に引き取らなかったのか?」と、
3年前に母の励ましで何とか女社長として事業拡張に邁進して来たが、やはり何処かで母への甘えを捨て切れなかったのだ。
59才まで自分の母が何故、旅館の女中をし続けなければならなかったのか!…このまま母に死なれたら、何の親孝行もせずに私はずっと母に負い目を持ち続けながら生きて行くのであろうか…?
「お母さん、お母さん、お願いもう一度目を覚まして!」
紀子の悲痛とも言える呻き声だが道子の耳には届かない。
次回に続く

中沢家の人々(47)

なお医師の説明は続いた。
「今回の重篤な病状の原因は、クモ膜下出血による脳室内への広範な大出血です。このCTを見て下さい。これが村田さんのCTです。一様ご参考までに正常のCTと比較してみて下さい。頭部正中線上に脳細胞が綺麗に密集していますでしょう。正中線上に見える左右対象の黒い陰影は上部が側脳室で、その下に見えるのが第三脳室です。多発性脳梗塞などでは、この側脳室と第三脳室が左右不対象に大きく拡張しています。これがサンプルBのCTです。正常のCTに比べ脳室全体が大きく黒い陰影が拡がっているでしょう。これが多発性脳梗塞のCTの所見です。そして村田さんのCTを見て下さい。正常のCTと比較して真っ白ですよね、これは脳室内に出血と云う大洪水が起きているとの証拠です」
医師の説明を聞きながら、紀子も仲道も溜め息をつきながら、
「それで回復する見込みはあるのでしょうか?」
と、紀子が絶望的な思いで医師に尋ねた。
「残念ながら、これだけ出血巣が広範囲ですと手術自体が極めて困難です。村田さんは昨晩の11時半頃に頭が割れる様に痛いとの訴えをしていたと、先ほど旅館の女将さんから聞かされましたが、それがクモ膜下出血の重要な徴候なのです。そこから1時間以内に緊急入院となっていたなら、つまり12時半から午前1時ぐらいまでに入院していれば救命率は80%以上はあったと思うのですが、入院して来たのは午前4時前ですから3時間近くは遅れてしまったのです。誠に申し訳ないのですが、この3時間が生死の境目と言われる時間帯なのです」
「それでは母はもう手遅れなのですか?」
紀子は医師にすがる様な思いで聞いた。
「残念ながら極めて困難です、救命は!」
と医師は冷静に答える。
「何か他に方法はないのですか、お金なら幾らかかっても構いませんから、打つ手は何かないのでしょうか?…例えばヘリコプターを使って都心の大学病院に移すとか…」
医師は一瞬不快そうな顔をしたが、それを押し隠し
「お気持ちはよく分かります。実を申し上げると、私はここの常勤の医師ではないのです。都内の国立大学病院で脳外科の助教授をしています。友人の頼みで脳腫瘍の難しい手術を頼まれ一昨日からこちらの病院にお手伝いに来ていたのです。失礼ですが、その私の見立てでこれは極めて困難な病状であるとご説明しているのです」
紀子の偏見が、こんな小田原の辺鄙な病院で診てもらうよりは都心の大学病院で診てもらった方が何とか治るのではないかと云う思いは、今の小村医師の発言でピシャリと抑え込まれてしまった。
よく分かりました。大変失礼な事を申し上げた様で、先生どうかお気を悪くなさならないで下さい」
と、紀子は謝罪した。医師の機嫌を損ねたかが気になったのである。しかし医師はそれ程は気にしていなかった。
「最善の医療を尽くして欲しいと云うご家族の気持ちは痛い程に分かります。しかし、出来る事と出来ない事があると云う状況もご理解下さい」
と、医師は冷静に余裕を持って答えた。
次回に続く

中沢家の人々(46)

紀子と仲道の二人は、そんな女将の話を食い入る様に聞いていた。さらに女将の話は続く。
「この病院に運び込んだのが午前4時前で、すでに道子さんの意識は全くなかったの…当直の先生たち数名が道子さんを診ている間に私が紀子さんの所に急いで電話したっていう訳なのよ」
「そうなんですか、それは随分とお世話になって本当に申し訳ございません。それでお医者さまは何と言っているのですか?」
と、紀子は女将の苦労にお礼の言葉もなかったが、聞きたい事は未だ幾つもあった。
女将は疲労の色を顔に滲ませながら、さらに説明を続けた。
「ここの病院に着いた直後に看護婦さんが道子さんの血圧を測り、240とか言っているのが聞こえ、駄目だ!…呼吸停止が来そうだと言って、ドクターは直ぐに人工呼吸器を取り付けCT室とかいった部屋に道子さんを運び入れ、頭のCTを撮っていたみたい。その結果、クモ膜下出血による意識レベルの低下が急激に来たとか仰っていましたが、私には余り理解出来ないので詳しくは紀子さんが直に聞いてみて下さい」
「分かりました。後は私たちでやりますので女将さんはどうか帰ってお休み下さい」
「そうね、今日の所は私も帰らせてもらいます。何か急な変化があったら遠慮なく旅館の方に連絡して下さいな。それでは…後は宜しく」と言って、
女将は旅館の車で帰っていった。とても疲れ切った感じである。確か母より一つか二つぐらい年上だと道子から聞かされていたので、昨晩から今朝にかけての苦労は並大抵のものではなかったであろうと、容易に推察がつく。
紀子も仲道もかなりの疲労感を覚えていたが、それ以上に道子の病状が気になって仕方ない。
午前8時半、40才代後半と思われる医師が集中治療室から出て来た。
「村田道子さんのご家族ですか?」と、
聞いて来た。
「はい、私が村田の娘です。この病院に緊急入院させたのは母が勤める旅館の女将ですが、先程お帰りになりました」
「そうですか分かりました。ところで、そのお連れの方は?」
と医師は少し不審気に尋ねて来た。紀子も一瞬、言い淀んだが
「私が経営する店の支配人です」と、
当たらず遠からずの答え方をした。医師はそれ以上は何も尋ねなかった。集中治療室脇の小部屋へナースにより招き入れられた。テレビで見る警察署の取調室みたいな雰囲気で、不安がより増大して行く感じだ。仲道と紀子の二人はその部屋で10分程待ったが、医師がレントゲンフィルムを小脇に抱え急ぎ早に入ってきた。
「私は担当医の小村と言います。本日早朝、緊急入院となりました村田道子さんの病状について、これからご説明します。先ず始めにお断りいたしますが、お母さまの病状は極めて重篤で、この数日間が一つの大きな山場であるとお考え下さい」
と、非常に深刻そうな顔をして医師の話がゆっくりと静かに、そして淡々となされた。
次回に続く

中沢家の人々(45)

午前5時過ぎに仲道は早くもやって来た。紀子の方が支度に手間取り20分程、仲道を待たせてしまった。
「仲道さん、呼んでおいて待たせたりしてご免なさいね」
「いえ、女性の支度は男の様には行きませんから気になさらないで下さい」
午前5時45分、仲道が乗って来たタクシーでそのまま小田原に向かった。夜はすっかり明け、梅雨空の小雨が降り続いていた。車は東名高速から小田原厚木道路を経て1時間半程で目的地の病院に着いた。7時20分救急センター入口に走り寄って行くと、旅館の女将がすでに紀子達を待ち構えていた。女将が急ぎ紀子のそばに駆け寄り
「紀子さん、紀子さんですよね!」と、
言うなり、それ以上は言葉にならず紀子の手を握り…
「お母さんはね…今日一杯も持ち堪えられないかもしれないと、今お医者さんから聞かされたばかりで、紀子さんが何時到着するのか気ばかり焦っていたのよ」
とだけ、やっとの思いで告げた。紀子は女将の手を握りながら、
「それは本当にご心配をかけて申し訳ありませんでした」
と、紀子は女将に頭を下げた。
「そんな事はどうでも良いんだけれど後は紀子さんが、ご自身でお医者さんに確認して下さいな。貴女の顔を見たら急に疲れが一気に出た感じね」と、女将はホット溜め息をついた。
「色々とご迷惑をおかけして、お礼の言葉もございません。ところで何故、急に病気で倒れたのでしょう?…何か予兆のようなものがあったのでしょうか!」
「それが昨晩の11時半頃だったかな、道子さんが急に頭が割れる様に痛いから何か薬がないかって言うので、医者に行くにしても時間も時間だし取りあえず手持ちのセデスを2錠手渡したの。私も頭痛持ちで時々はセデスのお世話になるもんだから…道子さんは1錠で足りないと思ったのか私の見ている前で2錠ごと飲んで、そのまま部屋に戻ってしまったわ。私もそのまま寝たのですが、その日は団体のお客さんが泊まっていて夜中まで麻雀をやっていたのですよ。
その物音が気になって何か眠れずにウトウトしていたんですけれど、それ!満貫一発積もだ、とか言ったお客さんの声で目を覚ましたんですが時計を見たら午前3時でした。
幾ら何でもこんな時間まで麻雀もないもんだと思ったので、お客さんにもう少し小さな声でお願いしますと、ご注意申し上げに行ったのです」
「いゃあ悪かった。もう3時も回っているんだ。皆んな好い加減に寝ようぜ」
と、お客さん方も分かって頂いた所で
「自分の部屋に戻りかけたのですが、急に道子さんの事が心配になったんですよ。胸騒ぎがしたとでも云うのですか、道子さんの部屋を覗きに行ってみたんです。道子さん具合はどう?…と言って起こしても悪いし、そっと部屋の中に入って行ったんですね。何か眠っている様にも見えたんですが、それにしては変なんです。何時になく眠っていると言うよりは意識を失なっている様な感じがしてならなかったので、道子さん、道子さん、と言って声をかけながら少し起こしてみたんです。しかし、殆んど反応がなかったのです。父が中気で倒れたのを見ていたので、その時の思い出が蘇ったのですかね?…そこで慌てて救急車を呼んで、この病院に入院させたのですよ」
次回に続く

中沢家の人々(44)

あの世で始祖に祭り上げられた貞雄は、己自身の巨大な墓石を目にして
「何とも居心地の悪い所に葬られたものだ」
と、恐らくは苦笑している事だろう。
しかし紀子の嫁としての意地と巨大企業への果てしなき野望が、その胸の内に隠されている事実には誰も気づかない。もちろん清吉へのある種の復讐心が、この様な形で現れたと考えられる。だからと言って紀子の清吉への思いが覚めた訳ではなく、その嫉妬心を闘争心に変えただけかもしれない。常に頭の何処かでは清吉を意識し、嫁に過ぎない紀子が中沢家の当主であるかの様に振る舞ったのである。
それは、かつての尼将軍(北条政子)に似た行動とも取れた。
源氏の家督を守る為に女である身も捨て政権トップの地位に就いた如く、紀子もまた唯の嫁に過ぎないのに中沢家の家督を守るべく懸命な努力を重ねていたのであろう。そんな紀子の思いが分かるはずもなく清吉の日々は少しずつ萎んで行った。
浮気もゴルフ三昧も所詮は、自己の本分としての仕事を熟して、その合間に楽しむ事に無上の喜びを感じるものである。その本来の人生の過ごし方を清吉は何故か見落としていた。
貞雄の一周忌も無事に済ませ、上野5号店が開店直前の紫陽花の季節にその凶報は持たされた。箱根の旅館の女将からの電話である。6月9日午前4時に自宅の電話がけたましくなった。上野5号店の新装開店の準備で忙しく今晩も寝付いたのは午前1時だった。
「一体こんな時間に何の電話だろう!」
と思いながら紀子は受話器を取った。電話の向こうの声は妙に緊張している。
「こんな時間に電話をしてすいません。中沢さんのお宅ですよね?」
「はい、それが何か!」
「失礼ですが貴女は道子さんの娘さん?」
「はい、そうですが…」
「実は道子さんが昨晩から意識不明の重体なの。あなた直ぐに来てくださらない」
「ところで母は今何処に?」
「小田原の総合病院に先程緊急入院させたの、原因は未だ分からないみたい…ともかくなるべく早くいらっしゃってね」
「はい、分かりました」
と答えたが、紀子の心臓の鼓動はそれから激しくなりだした。ともかく行かねばならない。総合病院の電話番号だけを聞いて受話器を置いた。立ち眩みに襲われそうで、とても一人で小田原まで行けそうにない。先ずは仲道に電話をかけた。
「あの、仲道さん。こんな時間に電話などをしてすいません。実はね、いま箱根から電話があって母が意識不明の重体だって聞かされたの。我が儘言って申し訳ないんですが、私と一緒に行って下さる…お願い!」
話の後の方は涙声になり振るえていた。仲道は電話の向こうの紀子のすすり泣く声を聞きながら、
「言うまでもありません、そう云う用事でしたら何時でもお供をさせて頂きます。これからタクシーを呼んで直ぐに社長の自宅に向かいます。一泊ぐらいの準備は必要ですかね?」
「有難う、そうね一泊ぐらいの準備は必要かも…じゃあ待っていますから」
と言って、軽い旅支度をした。
現金もそれなりに持った。
次回に続く

中沢家の人々(43)

始祖と云う紀子の言葉に清吉は、素朴な疑問を抱いた。
「何故あの親父がことぶき店の始祖となるのか?」
そんな清吉の疑問を打ち消すかの様に紀子の挨拶は続いた。
「戦後まもなくバラック小屋同然だった、ことぶきを新大久保の地にたった一人で大工職人の名人と言われた義父が釘一本も使わず、木組みと云う伝統的な工法で作り上げたのです。その新大久保店も今はかなり増改築が進み、当時の面影を残してはいませんが、しかしその魂は残っています。
その義父が旧新大久保店を作り上げたのは1954年3月でした。年こそ違え本日と同じ3月です。これはただの偶然でしょうか?…私には義父の魂が蘇った様に思えてなりません。自分が丹精を込めて作った、ことぶき店をこれからは私たちの手でしっかりと発展させて欲しいと、あの世から温かく見つめているのです。その様な義父の魂に守られながら、ことぶき店はより拡大させながら少しでも多くの方々に日本料理の真髄を味わって頂けます様に職員一同と共に懸命な努力を重ねて行く所存でおります。これからもご愛顧の程をよろしくお願い申し上げます。本日はお寒い中にお集まり頂き誠に有難うございます」
「これが自分の妻だった紀子か?…死者に贈る餞けの言葉として、これ以上に相応しいものはないではないか!」と、
余りに感動的な挨拶に清吉は己の存在価値をすっかり失っていた。
里美はまた彼女なりに考えこんでしまった。
「何と素晴らしい女性なんだろう。それに比べ清吉は一体何なのだ。毎日ゴルフばかりやっている唯の遊び人では無いか」
里美の心の中では清吉の影が薄くなり始めた。
仲道や川崎も紀子の挨拶には感動していた。彼等の目には清吉その者が入らない。路傍の石の一つでしかなかった。
紀子の指示に従い仲道や川崎らが懸命の努力が実り、何とか青山墓地の一角に財界人や芸能人に劣らぬ広さの墓地を入手する事が出来た。
ここに「中沢家の墓所」が貞雄の一周忌直前に完成し壮大な法要が取り行なわれた。4平米もの黒御影石に中沢家の墓所と銘され、始祖中沢貞雄(俗名)が眠ると墓石の横に書かれてあった。
当然の如く、この儀式には清吉も招かれた。ことぶき店の職員も全てが呼び集められた。
3月17日を「始祖の日」として全店閉業、幹部職員の総てが毎年墓参に来る事が義務づけられた。
唯この一周忌だけは全職員に墓所開所の席に着く様に指示された。この他を圧倒する中沢家の墓所を全職員に見せつける事により、中沢家が如何ほどのものであるかを誇示して全職員の士気を鼓舞する事が紀子の目的であった。その間にも中野に4号店が完成され、上野に5号店が建築中であった。
開所式の最前列に立たされた清吉は言葉もなく、横に並ぶ紀子の操り人形でしかなかった。
晩年はアル中で何処で野垂れ死しても不思議ではない貞雄が、紀子の手で中沢家の始祖に祭り上げられたのである。
次回に続く