想い出は風の彼方に(14)

父の条件は飲むしかなかった。夏休みの中だるみがなかったら、私も私立医大を受けさせて欲しいなどと云う甘えは出なかったろう。
だからと言って、もう一年また性根を据えて予備校生活を送るかと言われれば、そんな根性もない。そして年が明けて2月、私大の商学部は軽くクリアした。その10日後の比較的安全だと思えていた公立医大は一次試験しか受からなかった。入学手続には十分に時間的な余裕があったにもかかわらず
「お前が医学部に受かるはずがない」
と、父親は勝手に決め込んで私大商学部の入学手続きを済ませてしまった。母が少し父に噛み付いた。
「あんたは何故、そんなにせっかちなの、あと3日もすれば残りの私立医大の合否も出るじゃあない。それが駄目でも商学部の手続には2日も余裕があるんじゃないの?」
そんな母の食いかかる視線を父はピタリと抑えつけた。
「何を言っているんだ、私立医大と言っても36倍の競争率だ。わずか100名の募集に3600名もの受験生が群がっているのだ。
何時までも医学部に行きたいなどと云う夢想など追いかけず、全うな商人の道を歩ませる性根を叩き込むのだ」
私は恐る恐る父に言葉を返した。
「それでもお父さん、未だ3日もありますから…私立医大でも合格すれば行かせてはくれるのでしょう」
「うん、それは行かせてやる。
しかし、受かる訳はないよ。後3日だけ夢を見ているのはお前の勝手だがな…」
その最後の命綱とも言える私立医大合格発表の前日、私は一睡も出来なかった。合格発表時間は午前10時だったが、家の中で黙って待ち続ける気力もなく、9時には早くも大学構内にいた。
3月の寒い朝である。温かい缶コーヒーをオーバーコートのポケットに入れ、それで身体の寒さを凌(しの)いでいた。そんな時間にもかかわらず既に数十名の受験生が大学構内の中で待機していた。
9時半頃になると待機する受験生は数百名にも増えた。
10時10分前に大学の職員と覚しき男性2人が大きな模造紙を抱えながら、大学正面の掲示板に近づいて来た。待機していた受験生の全員が、その掲示板の前に走り寄っていった。私は逸早くその掲示板の前に立った。心臓が早鐘の様に鳴り出している。受験番号の早い順から合格番号が見えて来た。最初に飛び込んで来た番号は16番、次が28そして大きく飛んで96と数字が浮かび上がって来る。私の受験番号1321は、未だ先の方だったが一時も目は離せない。900番代ぐらいからは緊張のあまり逃げ出したくなる。そして1027、1294、1297、1301、次に行きなり1321の番号が飛び出して来た。一瞬そのまま見過ごしそうになる。
「1321番」私の…私の番号だ!
受験票と掲示板の番号を何度も見比べる。
「そうか、この運命は未だ私を見捨ててはいなかったのだ。これで医者への道が一歩近づいた。少なくても商学部に行く必要はなくなった」
歓喜と云うよりは安堵に近い感情が静かに私の身体を優しく包み込んでくれた。
次回に続く

想い出は風の彼方に(13)

癩病はらい菌と呼ばれる菌によって引き起こされる病気の事で、このらい菌を発見した医師の名前がハンセンなのでハンセン病と呼ばれている。どんな病気なのかと言えば、皮膚や神経を侵す重篤な病気で日本では1970年にこの病気は制圧されている。
それ以前の時代、有効な治療方針が確立される前は隔離療法が一般的で深刻な差別化社会が生み出されていた。
この癩病歌人、明石海人(本名:野田勝太郎)は沼津市に生まれ、沼商から師範学校をへて、教職に付いて結婚をし、長女が生まれた。これからという26歳の時にハンセン病を発病、名を捨て家族もすて(素性を隠し)明石楽生病院から長島愛生園での療養生活が強いられた。32歳で長島の地に来た海人はかなりの病状悪化にもかかわらず、短歌を勉強し、34歳ごろから短歌を発表しその才能が開花し、歌集「白描」を世に出した年の昭和14年、37歳の短い生涯を閉じてしまう。
10月の模試の解説で、国語の教師からこの薄命の歌人の生涯を聞かされ、私は再び初心に戻って猛勉強に取り組んだ。
12月に入り再び私は、Aクラス入りを果たした。しかし、8月前後の数ヶ月間にわたる私の中だるみを目にしていた父は、何処かで私の生来の気質に幾らかの不安感を抱いていた。私もこれ以上の予備校生活を続ける気力が少し萎え出していた。
本当の意味で未だ苦労を知らない私には、甘えも残っていた。そんな甘えを母親にそっと囁いた。
「滑り止めに私立の医学部を一つは受けさせて欲しいと…」
母は父に相談した。相談と云うよりは哀願に近かった。そんな母の甘さを知り抜いた私の作戦は、半ば成功したかに見えた。
数日後に父から呼びだされた。
「お母さんから、私立医大を受験させて欲しいと言っていると聞かされたが、お前の本音はどうなんだ。初めの約束とは違うな。
自分が志望する医学部だから、親には経済的負担をかけない公立の医学部に絶対に行きますと言ったのは、誰だ…早くも挫折したのか?」
私は返す言葉もなく黙って首(こうべ)を項垂(うなだ)れていた。ここで父の雷が落ちるものと覚悟を決めていた。しかし案に相違して雷は落ちなかった。
「まあ、この辺がお前の落ち着く先だろう。俺が考える程にお前は努力していた。滑り止めに私立医大受験は許す」
父がここまで妥協してくれるとは考えもしなかった。
「お父さん、あ…ありがとうございます」
私は興奮の余りに少し吃(ども)ってしまった。父は私のそんな狼狽(うろた)えるさまに苦笑いを浮かべていた。
「但しだ、俺の方にも条件が一つある」
「条件ですか?」
そう言って、私は恐る恐る父の顔を見上げた。
「あの、どんな条件なんでしょうか?」
「お前が私立医大を受ける代わりに、私立の商学部も滑り止めに受けるという条件だ。私立医大だからと言って確実に合格するという訳でもないだろう。その私立医大も駄目だったら医学部志望は諦めろ…これが最大の条件だ!」
次回に続く
 

想い出は風の彼方に(12)

4月からは都内の予備校に通い始めた。1クラス50名で6クラスある。ABの2クラスが国立医学系で、私はBクラスだった。Aクラスに入ると、国立医学部への合格率はかなり高くなる。毎週の模試で2カ月毎にクラス変更がなされた。
授業は8時半からだが、前から2列目ぐらいに何とか席を確保するには7時半には教室に入る必要があった。それでも4月中は7時50分ぐらいでも2列目の席に割り込む事が出来たが、6月になると7時半でも3列目より後になってしまった。私たち団塊の世代は、受験から就職、結婚に至るまでずっと勝ち抜き戦であった。全国で医学部の募集定員は現在の半分ぐらいでしかないのに、受験生は逆に倍以上もいたのだから競争は激化する一方であった。
6月になって、私はやっと念願のAクラス入りを果たした。何か医学部合格の予約チケットを手にした気分であった。7月からの夏期講習も何とか乗り切ったが、この頃から私の中で気の迷いが生じた。3年間の男子校から男女共学の予備校通いとなり、若い女性への免疫力が欠如していた私は麻疹にかかってしまった。
恋と云う麻疹は数ヶ月間も、私の学習意欲を低下させた。相手はBクラスの歯学部を目指していた小柄な女の子であった。
黛ジュンの「恋のハレルヤ」が流行した時代で、シングル盤のレコードを何度も聞いては目頭を熱くしていた。1ヶ月以上もラブレターを幾度となく書いては破り捨て、溜め息を漏らす日々を送っていたのだ。
当然の如く、成績は落ちてまたBクラス入りとなってしまう。数学の問題集を脇に退(ど)けて、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』やトーマス・ハーディの『テス』などを読みふけていた。初恋とも言える彼女には一言も気持ちを伝えられず、正に「恋に恋をしていた」のである。
そんな私に喝を入れてくれたのが癩病歌人、明石海人の「歌集白描」にある詩の一節であった。
《癩は天刑である
加はる笞(しもと)の一つ一つに、嗚咽(おえつ)し慟哭しあるひは呷吟(しんぎん)しながら、
私は苦患(くげん)の闇をかき捜って一縷(いちる)の光を渇き求めた。
― 深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない ―
そう感じ得たのは病がすでに膏盲(こうこう)に入ってからであった。
齢(よわい)三十を超えて短歌を学び、
あらためて己れを見、人を見、山川草木を見るに及んで、
己が棲む大地の如何に美しく、また厳しいかを身をもって感じ、
積年の苦渋をその一首一首に放射して時には流涕し時には抃舞(べんぶ)しながら、
肉身に生きる己れを祝福した。
人の世を脱(のが)れて人の世を知り、骨肉と離れて愛を信じ、
明を失っては内にひらく青山白雲をも見た。
癩はまた天啓でもあった》
10月の国語の模試にあった一文だが、この詩に触れて自分の悶々とした数ヶ月間が、何と甘ったれた迷いであるかを悟らされたのである。
次回に続く

想い出は風の彼方に(11)

叔父は私の父に向き直り、
「浩司から大方の話は聞きました。弟の私がこんな事を言うのも出過ぎた真似(まね)かもしれませんし、兄貴にも色々と考えはあるでしょう。でも、浩司だって18才ですよ。一昔前なら元服を挙げていたっておかしくない年じゃあないですか。
それに、子供なんて所詮は親の思い通りに育つもんではないでしょう。兄貴だって、俺だって死んだ親父の意向とは全く違った人生を歩いているじゃあないですか。
本人が医学部を受験したいって言っているんだ、何が理由でそんな決意を固めたって良いじゃあないですか。それが動機で、この一年間は猛烈に勉強しているって話しなんでしょう。立派な事じゃあないですか、うちの中3の坊主なんか野球クラブに熱中して日曜だって家にいたためしがないんですよ。親の私が何を言ったって、プロ野球の選手になるって言ってばかりで勉強なんかしているのは見た事もないんだ。
それに比べ浩司なんか、この秋の校内模試で一番の成績だって言うじゃあないですか。大したもんだ」
父親が急にムッとした顔になって言い返した。元々が仲の良い兄弟なので、話に遠慮がない。
「校内模試で一番だって言ったって、あんな三流校じゃあ医学部に合格するもんか。それに浩司は昔から、むらっ気が多くてどんな事にも長続きしないんだ。医学部なんて大学だけで6年間もあって、それを卒業したって10年近い修業時代が続くって話しだ。そんな長丁場、浩司が忍耐出来るもんか、親の目にはとても無理だと思うよ」
私は自分の膝頭を震わせながら、
「お父さん、僕にもう一度だけチャンスを下さい。これまでの僕は確かに何をやっても長続きしませんでした。でも今度だけは何かが違うって気がしてならないんです。どうか、お願いです」
そう言って、父親に深々と頭を下げた。
「兄貴、浩司もここまで言っているんだ。俺からも頼むよ…な!」
父は仏頂面(ぶっちょうつら)をしながら、
「本当にお前は心の底から医学部に行きたいと言うのか。今までの様に決してあれこれ迷う事はないのだな」
「はい、必ず合格するまで脇目は振りません」
「よし、そこまで言うのなら許してやる。『一念岩をも徹す』ぐらいの意気込みを忘れずに頑張れ!」
と、言い残し席を立った。
その後は叔父と二人で父の部屋に行き、碁を打ち始めた。
これで第一関門は突破した。
年の暮からは正月も忘れ、勉学に励んだ。公立の過去問は何処も手強かった。国語以外の科目は規定時間以内に全問を解き明かせなかった。数学は規定の倍以上の時間をかけて8割の正解がやっとだった。英語も文法は何とか熟(こな)したが長文には手間がかかり、ミスも多かった。結局、現役合格は夢で終わった。4校の国公立を受けるも一校だけが一次試験を通過したに過ぎない。
父親は始めから分かっていたのか、不合格の結果には何も言わなかった。むしろ一校でも一次試験に合格したので驚いていた様だ。後で母から聞かされた話しである。
次回に続く

【ある夜の独り言】

あなたは誰?
何処へ行きたいの
何をしたいの?
小さな心の世界で
何を騒いでいるの
なぜ生きる事に焦っているのかしら
何かに渇き切っているの
心の吐息が
叫び声に変わって
誰かを傷つけて
自分の中の寂しさを
狂気に変えて自分と
誰かを責める
何故あなたはそんなに
寂しくしかき生きられ 
ないの?
心静かに身の中に
爽やかなプライドを持つて
生きる事への意味を
一人では語れないの
大人になると言う事は
誰にも気づかれず
自分の精なるものに
語り続ける事では
ないのでしょうか
ドンキホーテの様な
ピエロになりたいの
あなたは?
大きな声で自己主張する
それは自分の愚かさを
皆んなの前で口外する
私は、こんなにも愚かです
と、言っているのですよ
ましてや父や弟に叫ぶ
あなたは、どんなに難しい
言葉を使っても、それは
小学生と同じでしょう!
大人になる事の意味が
分からない人は
一生発育出来ない
可哀想な人です
誰でもなく
大人に成り切れない
自分に一人囁いているのです

想い出は風の彼方に(10)

「いえ、ちょっと前にラーメンと餃子を食べたから今は大丈夫」
「そうなの、じゃあ…お風呂に入っていらっしゃい」
そう言えば昨晩は風呂に入っていなかった事を思い出し、
「じゃあ、お風呂に入って来ます」
と、私は言って風呂場に向かう。
「下着はあるの?」
と、叔母が追いかける様に聞いて来た。
「ちゃんと持っていますから大丈夫…」
と答えると、叔母が
「ずいぶんと用意が良いのね」
と呆れた調子で、顔をしかめた。家出の確信犯を見る視線だと、私は感じた。
夜になって叔父が帰って来た。家族の夕食は終え、叔父はビールを飲みながら…
「浩司、今回の家出の原因は何だ?」
と、斬り込む様に聞いて来た。父親ほどではないが、この叔父もそれなりに恐い。私はこれまでの経過を出来る限り素直に説明した。
さらに自分が何故「医学部」を志望するに至ったかも話した。話す間に私の言葉も少しづつ熱を帯びて来た。
「そんな訳で、僕は心の病を治す医者に成りたいのです。それを父は嘲笑って相手にしてくれませんでした。家の帳簿を付けられる様に成れば、それで十分だと言い張るのです。私には一生帳簿だけ付けて過ごす人生なんて考えられません。
だから家出を決断したのです」
「成る程な、それで浩司は医学部に合格する自信はあるのか?」
「自信って聞かれると、そんなには堂々と胸を張って答えられるだけの学力が身に付いたとは未だ言い切れません。それでも先日の校内模試では学年で一番になりました。一年前までは中以下の成績だった僕がです」
「それを兄貴は知っているのか?」
「もちろんです。でも僕が通っている高校で一番になったくらいで医学部を志望するなんてのは、考えが甘いと思っているんです」
「でもお前の努力は立派なもんだ。『鶏頭になるも、牛尾になるなかれ』と云う格言もあるくらいだから、いくら三流高校とは言え一番に成ると云うのは認められて良いだろう。努力こそ、人生だ!
よし、俺が兄貴に掛け合ってやる。明日にでもお前と一緒に行って兄貴を口説いてやる」
「僕も一緒に行くのですか…!」
「当たり前だ、お前自身の事だろう。兄貴の恐さは俺も知っているつもりだ。それでも自分の事を他人任せでは仕方がないだろう。心配するな、俺が責任を持って兄貴を納得させるから…」
翌日の夕方近くに、私は叔父の後に従って恐々と実家の門を潜(くぐ)った。予(あらかじ)め、叔母が電話で知らせておいたので父と母は居間で私たちを待ち構えていた。
「この度は浩司の事で次雄(つぐお)さんには、大変な迷惑をかけて済みませんでした」
と、先ず母が叔父に礼を言った。
叔父は照れ笑いをしながら、
「別に何が迷惑ですか、肉親の浩司の将来がかかった重要な事じゃあないですか。私だって子供を二人抱えているんです。とても、他人事とは思えませんよ」
叔父は母の挨拶を利用するかの様に、早くも説得の口火を切った。
次回に続く

想い出は風の彼方に(9)

翌朝は礼を言って吉村の家を出た。私服のままでは学校にも行かれず、近くの図書館に行って勉強をした。志望する大学の過去問に挑戦する。英語の問題が、かなり難解だ。サマセット・モームの長文である。分からない単語が随所にある。英和辞典を片手に2時間以上もかけて何とか和訳する。模範回答を読み返すと、かなりの誤訳が目立つ。このモームの「人間の絆」は、モーム自身が医者になって書き上げた自伝的小説である。私の現在の心境と幾らか相通じる所もあって、途中からは過去問に取り組むと云うよりは自己陶酔型の意訳(異訳?)が多くなっている。私の最も悪い癖が露骨に出ていた。試験問題に立ち向かっている間に、何時の間にか文学作品の世界に入り込んでしまうのだ。英語、現代国語、古典などの解釈でも、この性癖が時に出てしまう。
その結果、驚くほど適切な回答に導かれる事もあれば、問題の趣旨とまるで関係のない意味不明の回答を書いてしまったりする事もあった。
模範回答と照らし合わせている間に絶望的な焦りを感じる。
「やはり医者に成りたいなどと云う思いは、この自己陶酔型の性癖の為せる業(わざ)か?」
父親の言っている話も、それなりの的を得ているのかもしれない。
自己嫌悪を味わいながら図書館を出る。それでも何故か空腹感だけは人並みに感じている。そんな自分を呪いながらも、中華料理屋に入ってラーメンと餃子を食べる。
昼食を済ませて考える、さて今夜はどうするかを…。期末試験は終了しているので、このまま学校に行かなくても数日間で冬休みに入ってしまう。まさか出席日数が足りないなんて事は起きようもない。
公園のベンチでしばらく座っているが、北風が強く寒さが厳しい。
当時、高校生の私には一人で旅館に泊まると云う発想は未だ持ち合わせていなかった。
あれこれ考えた挙句、下北沢の叔父の家に行ってみる事にした。父親の二番目の弟で、中3と中1の子供二人がいる。父親とは碁敵で週に一回ぐらいはどちらかの家で夜を明かす事もある。その意味では今夜にも父親と鉢合わせをする危険がある。そうは言っても他の親戚は皆んな遠くに離れている。
前もって下北沢の家に電話で、探りを入れてみた。叔母が直ぐに出た。
「あれ、浩ちゃん。いま何処にいるの?…昨晩から何度もお母さんから電話がかかって来て、皆んな心配しているわよ」
「あの今晩、泊まっても良いですか?」
「良いも悪いもないでしょう。直ぐにいらっしゃい!」
「でも、僕が行くまでは父と母に何も話さないで下さいね」
「分かったから、ともかく早く来るのよ。ご飯はちゃんと食べているの?」
「はい、大丈夫です。叔父さんは何処にいるのですか?」
「心配はないわよ、仕事で出かけているから。それに浩ちゃんのお父さんも今晩は家に来る予定はないから…」
叔母は私の不安を見抜いて、安堵の言葉を投げかけてくれた。下北沢の家に着いたのは4時過ぎだった。玄関の呼鈴(よびりん)を押す間も無く叔母が出て来た。
「さあ、家に上がって…何か食べる」
と、叔母は心配そうに私の顔を見た。
次回に続く

想い出は風の彼方に(8)

夕食の支度を待つ間、吉村が思い出した様に言い出した。
「篠木、お前。この頃はすっかりガリ勉になったんだってな」
「誰がそんな事を言っているんだ」
「誰って事もないが、秋の校内模試では1番だったって皆んなの噂になっているぜ。ガセネタか?」
「まあ、ガセネタって言う訳でもないが、ガリ勉は言い過ぎだろう」
私は少し恥ずかしそう顔を紅らめた。
「だって、高1の時は俺と同様に成績はいつも下の方をウロチョロしていたじゃあないか。それが650人中1番って云うのは、どういう訳だ!…まさか、カンニングだけじゃあ1番には成れないだろうが」
「実は今日は、その事で親父から散々に嫌味を言われたんだ」
「何だ、それは。成績が上がって嫌味を言われたのか?」
「そう言う意味ではないが、俺が急に医学部に行きたいと言ったもんで、親父が呆れかえって俺みたいな出来そこないには無理だから馬鹿な夢を見るのも大概にしろって、怒鳴ったんだ!」
「成る程な、うちの高校から医学部に行ったなんて奴は一人もいないな。学年で一番って言ったって早稲田か慶応か、それさえ数年に一人ぐらいだろう。親父さんが言うのも、もっともな話かもしれない」
親友の吉村にそう言われ、私は忘れかけた興奮がまた蘇(よみがえ)って来た。
「吉村、お前までそんな事を言うのか。誰が何と言っても俺は医者に成りたいのだ」
「そこまで言うのなら、医者に成れば良いだろう。俺がとやかく言う事でもないからな」
綾子が心配そうに、
「もう、お兄ちゃんも篠木さんも言い争うのは止めて…折角のご飯が不味くなってしまうわ」
「すみません、勝手にやって来て皆さんに不快な思いをさせて」
私は何か居場所を失くす様な孤独感に襲われだした。
「良いのよ、若い時は大いにやり合って…それが若さの特権だもの。徹夫だって久しぶりに篠木くんと会えて、うれしいのよ。さあ、楽しくご飯を食べましょう」
彼の母親は鷹揚に笑ってテーブルの前に皆んなを座らせた。店の中からカニ缶を取り出し、キャベツと混ぜ合わせ即席の野菜炒めを器用に調理してテーブルの上に置いた。
「ご飯だけは沢山あるから、幾らでもお代わりしてね」
そう言い残して、台所に戻り今度はトン汁を作り始めた。
自分の突然の闖入(ちんにゅう)で、彼の母親をかなり忙しくさせてしまった事に申し訳なさを感じたが、緊張から解き放れたせいか私は猛烈な空腹感に襲われ出した。そして言われるままに3杯もお代わりをしてしまう。
そんな私を見て、彼の母親はニコニコと微笑んで…
「食べ盛りの男の子は良いわね、見ているだけで清々しい感じだわ」
と、娘の綾子と目を合わせていた。
私は食べるだけ食べると、すっかり興奮も覚め…
「ご馳走さまでした。お陰さまで気持ちも落ち着きました」
と、満足気に礼を述べた。
「それだけ食べれば気持ちも落ち着くだろう」
と、少しばかり吉村が嫌味な言い方をして、ニヤリと笑った。
次回に続く