想い出は風の彼方に(45)

10月に入って、なおこもAクラス入りを果たした。それに伴って二人の志望校の目標もかなり上がって来た。私は東大理IIIか東京医科歯科大に、なおこは東京医科歯科大の歯学部にと最難関校の大学を目指し始めていた。二人は心ひそかに同じ医科歯科大に合格する事を夢見ていた。医学部と歯学部と学部は違っても同じ大学の下であれば会って、昼食を共にする機会も増えるだろうと淡い想いを抱いていた。11月の校内模試で私は12番に彼女も31番まで急上昇して来た。12月初旬の進学相談で私は東大理III類を彼女は東京医学歯科大の受験を指導教員から勧められた。12月最後の校内模試で私の東大合格率は80%以上と出た。彼女の医科歯科大合格率も80%以上であった。私は大いに悩んだ。
東大に行くべきか、彼女と同じ医科歯科大に行くべきかを…
彼女は盛んに私の東大行きを勧めてくれた。私はやや不満気に、
「そうなったら、僕らは別れ別れになってしまうじゃあないか…」
「大学が違っても別れ離れにはならないんじゃあない。だって、毎週日曜日にデートすれば良いのよ。それとも東大に行って、もっと素敵な彼女を見つけてしまうかな?」
「何を馬鹿な事を言っているんだ、そんな事は絶対にあり得ない!」
私は少し睨む様にして彼女の顔を見た。帰りの電車の中で彼女は私の手を握りしめながら耳許で囁いた。
「嫌ね、本気しているの。私は絶対に貴方を離さないわ。学生結婚だってあり得るわ…どんだけ貴方の事が好きなのか知らないんでしょう」
私も負けずに彼女の耳許で囁き返した。
「今、直ぐに君が欲しいって言ったら…どうする?」
「別に構わないわよ…貴方が私に望む事で拒否する事なんて何もないもの」
私は自分の男性自身が膨張して来るのを抑制するのに、かなりの苦労を強いられた。しかし、大学受験を直前にしてそんな本能に負けた行為に彼女を引きずり込む事には、私の理性が許さなかった。
「有難う、なおちゃん。大学合格するまで僕は我慢する。折角ここまで努力して来たんだ。こんな所で本能に負けた行為をしてしまったら、僕は自分が許せない。一緒に無事志望校に合格できたら、その時は二人で箱根にでも旅行に行こう。行ってくれるよね?」
「当たり前じゃあない。行くに決まっているじゃあない。貴方にそう言われると益々勉強の励みになるわ」
そんな彼女の言葉を聞いて私は愛おしさで心が揺れ動いた。しかし今は耐えるしかない。それこそが真に彼女を愛している事に繋がって行くのだ。そう自分自身に言い聞かせ自分を何とか律した。
こうして年も明け一月も中旬となり、入学願書も提出して最後の猛烈な追い込みとなった。一月下旬のある日、珍しく彼女が予備校に顔を出さなかった。気になって昼休みに彼女の自宅に電話をした。彼女の母親は私達の事を充分に理解していたので、気持ち良く応対してくれた。
「ご免なさいね、なおこは少し風邪気味だったので今日は休ませたの。お気になさらないで貴方は勉強に励んで下さい。なおこは今、寝ていますので貴方からの電話は申し伝えておきます」
次回に続く

想い出は風の彼方に(44)

私と彼女はファミレスで夕食を済ませ新宿署に戻った。小山巡査部長が笑顔で出迎えてくれた。
「今日は本当に大変でしたね。痴漢野郎は留置場に叩き込んでおきましたから安心ですよ」
私は少し驚いて聞き返した。
「あの程度の痴漢行為でも留置場に入れられるのですか?」
「いえね、詳しい事は申し上げられませんが調べて行くと色々な余罪が出て来たんですよ」
「そうなんですか、やはり過去にも悪い事をしているのですね」
「まあ、そんな事です。それはそれとして、お嬢さんには被害届けを出して頂きたいのです。決して外部に漏れたり、ご迷惑をおかけする事は無いですから…」
「分かりました。で、どの様にお書きすれば良いのですか?」
「今回は現行犯逮捕でしたので、大まかに書いて頂ければ良いです。後は私が現場にいましたから補足出来ます。男性の方は目撃証人として、如何に痴漢行為を注意しても止めようとはしなかった…と、お書き下されば結構です。お疲れになりましたでしょう。簡略で構いませんから、後はお帰りになって下さい。本当に大変な日でしたね。お陰で私達は大物の暴力団組織を挙げる事が出来そうなんで、とても感謝しています」
「私達に危害が及ぶ事は無いでしょうか?」
「そんなご心配はありません。市民の安全を守るのが私達の任務ですから…それから、この事で貴方がたを今後ともお呼び立てする事も無いですから、どうか安心して学生の本分に励んで下さい」
そう言って巡査部長は優しく私達を労ってくれた。
私達は、しばらくして警察署を出た。何時の間にか二人の手は握られていた。普段通りに渋谷では別れず吉祥寺の彼女の家まで送っていった。私にとってはかなりの回り道となってしまったが、それが自然の成り行きだった。痴漢行為で受けた彼女の心の傷がそんな簡単に癒される訳はないと思ったのである。だから渋谷駅でも何時もの様に、
「じゃあ、また明日ね!」
と、彼女の方から言う事はなく二人の手は握られたままだった。共に離れがたかった。ぴったりと寄り添い心も身体も一つでいたかったのかもしれない。
吉祥寺からバスで10分程で彼女の家の近くに来た。夜は10時を過ぎていた。それでも二人は別れたくはなかった。家の脇にあるブランコに5分程座っていたが、私の方から彼女に声をかけた。
「なおちゃん、帰ろか?家はすぐそこだ。もう痴漢の心配はないよ」
「そうね、今日は有難う。じゃあ又、明日ね」
そう言ってブランコから立ち上がったが、二人は何時の間にか抱き合っていた。そして不器用な口づけを交わした。もうすぐ二人は二十歳になろうとしていた、これが初めての恋心だったのかもしれない。その後、彼女は脇目もふらず自分の家の中に走る様に去っていった。私一人が取り残された感じであったが、心は甘い匂いで満ち溢れていた。そこから私の自宅までは一時間以上もあったが幸福な感覚に酔いしれていた私には、自分がどう帰ったのかも夢の中だった。
次回続く

想い出は風の彼方に(43)

巡査部長は苦笑いをしながら、
「それじゃあ、お前の線からガサ入れ(家宅捜査)をしたんじゃあないと云う事にしてやっても良い。その代わり全てを自白するんだな!」
「分かりました。私の事を隠して頂けるなら何でもお話をします」
「よし、分かった。先ず一番目の質問はお前が所持していた覚醒剤は、何処から手に入れたんだ?」
「ええ、知り合いの仲買人からです」
「何処の仲買人だ?」
「旦那、それを答えるのは許して下さいよ。そんな事をペラペラ喋ったら、俺はただじゃあ済まないですよ」
「お前は今、全てを正直に自白するって言ったばかりじゃあないか。大丈夫だ、その仲買人の名前を聞いてもお前の名前は絶対に出さないから、その名前を言ってみろ。まさか仲買人なんて嘘じゃあないのか?…本当は組の事務所から持ち出して来たんだろう」
「旦那、旦那、そんな恐ろしい事を言わなで下さいよ」
「やっぱり、そうなんだな!」
「旦那、これ以上は勘弁して下さい。これ以上話したら、俺は命が幾つ有っても足りないじゃあないですか」
「だから何度も言っているだろう。お前の名前は絶対に出さないから全てを自白しろって…」
「本当ですか、本当に私の名前は隠し通してくれますか」
膝をガタガタ震わせながら、痴漢男は全身に冷や汗をべっとりかいていた。
「お前の事は必ず守ってやる。もうこれ以上は何度も言わせるな!」
「分かりました。旦那がそこまで言って下さるなら全てを話します」
「やっぱり組の事務所から持って来たのだな?」
「旦那に合っちゃ敵(かな)わないや、仰る通り事務所から持ち出して来ました」
「馬鹿野郎、最初から素直に話せば良いんだ。余計な手間を掛けやがって…」
「旦那、これで私は返して頂けるんで…」
「甘えるんじゃあない。お前には当分、臭い飯を食わせてやる」
「しかし、それじゃあ話が違うんではないですか?」
「何も違わないよ。お前を守ってやるとは言ったが、釈放してやると言った覚えはない。それにお前もここに居る方が安全なんだ。留置場に居れば誰もお前に手は出せないしな!」
「一体、何日ぐらい留め置かれるので?」
「大した日数じゃあないよ。10日か、そこらだ。一番の目的はお前の話が本当かどうか裏を取る必要がある。それにはお前を確保して置かなきゃあならないだろう。
ともかく事務所をガサ入れして、お前の話が本当かどうか裏付け調査をする必要がある。その事実が確認出来たら、お前は返してやるさ…」
「本当ですね、10日ぐらいで私は許して頂けるんですね」
「あゝ、書類送検ぐらいで済ませてやる」
男は涙をボロボロこぼしながら、
「必ず約束は守って下さいね」
そう哀願する様に取り調べ官を見上げた。
「心配するな、10日もすれば間違いなく返してやる。今後は痴漢なんてしない事だな、そんな下らない事でこんな事になったんだ!」
「分かりました、もう二度と馬鹿な事はしません」
次回に続く

想い出は風の彼方に(42)

駅前には、早々とパトカーが待機していた。彼女は助手席に座り、手錠をかけられたままの痴漢男と私服警官(小山巡査部長)に私が同乗して新宿署に連れて行かれた。パトカーが新宿署に横付けされると、小山巡査部長が私達に優しく声をかけた。
「先ずは、この男の身辺調査から始めますのでお二人は食事でもなさって来て下さい」
そう言われたので、私達は近くのファミリーレストランに向かった。二人で夕食を共にするのは初めてであった。注文した食事を待つ間、私は彼女に詫びた。
「今日はご免ね、何の役にも立たなくて。怖かったでしょう」
「確かに死ぬほど怖かったけど、貴方は必死に私を守ってくれたわ。謝るなんてとんでもない。心から感謝しているのよ」
「そう言ってくれると僕の気持ちも救われる…それでも男の癖にあんまり腕力がないので呆れたでしょう」
「そんな事はないわ、貴方は将来お医者さんになる身でしょう。チンピラやくざと遣り合って怪我でもしたら馬鹿みたいじゃあない。貴方のあの勇気だけでも私は感動しています。貴方も大した怪我をしないで本当に良かったわ」
「有難う、なおちゃん」
そう言うなり私は彼女の右手を思い切り握りしめていまった。冷たく柔らかい手だった。甘い香りが漂って来る様な感触である。
「あっ、ご免ね。僕まで痴漢男みたいな真似をして!」
彼女は私の手を握り返し、
「ううん、嬉しいわ。男の人の手って温かく大きいのね。ずっと手を握っていて欲しいわ」
その瞬間から私達は友人から恋人同士となった。
一方の痴漢男は杉森勇太という28才の暴力団員だった。前科一犯だったが、少年院送りも経験している、かなりの悪である。身体検査で覚醒剤の所持まで発覚した。
そうなると警察の取り調べは、より厳しさが加わる。
「お前は何処の組のもんだ。正直に言わないと、何年と臭い飯を食う事になるぞ」
「旦那、許して下さい。組の名前なんか喋ってしまったら、私は半殺しになってしまうじゃあないですか?」
「この馬鹿、お前のシャツに着いているバッチは何だ。森村会のバッチだろう?」
男は慌ててバッチを外しにかかった。
「馬鹿野郎、今更バッチを外してどうする。何処の森村会だ、おおかた池袋辺りの山崎が組頭の森村会だろう。有り体に言わないと、お前を引き連れ山崎組の事務所に、乗り込むぞ!…それでも良いんだな?」
男はワナワナと震え出して、
「旦那、それだけは許して下さい。私が自白(ゲロった)って事を内緒にして頂けるなら何でもお話をしますので、私の首根っこを捕まえて事務所に乗り込むのだけは勘弁して下さい。そんな事にでもなれば、私は間違いなく東京湾にコンクリート詰めにされてしまいます」
「てめえなんか、東京湾にでも何処にでも沈めてしまえば世の中が明るくなって丁度良いじゃあないか!」
「旦那、そんな殺生な事を言わず何とかご慈悲を願いますよ」
男は両手を合わせて嘆願した。
次回に続く

想い出は風の彼方に(41)

私は恥も外聞も忘れ
「誰か、この痴漢野郎を何とかして下さい」
と、周囲の乗客に助けを求めた。
しかし、何処から見てもヤクザにしか見えない、このチンピラ男を恐れ誰も手助けをしてくれない。むしろ何も見えない振りをしている。そんな状況下で男は益々増長して、彼女の胸の中にまで手を入れる気配を示し始めた。男は多分にアルコールも入っている様だった。次の駅に着いて乗降ドアが開く直前になって、男はやっと彼女の身体から手を離した。自分なりに、このまま痴漢行為を続けるのはヤバイと感じたのだろう。乗降客が10数名は入れ替わった。一人30代前半と思われる体躯の頑強そうな男性が乗り込んで来た。ドアが閉まり電車がまた動き出した。
しばらくすると痴漢男はまた彼女の身体を触り始めた。
「好い加減にしないか、お前は変態か?」
私はまた怒鳴った。腕力で勝てないと思っても私なりに痴漢男と戦うしかなかった。
「この生学、まだ俺にとぐろを巻こうと云うのか。この野郎、腕の一本もへし折ってやろうか。この姉ちゃんだって、それなりに楽しんでいるんだ。これが本物のテクニックなんだよ、馬鹿野郎め!」
彼女は実際の所、恐怖で口もきけないでいたのだ。それに私がこの男から暴行的な行為を受けたのを目の当たりにしていたので、自分がしばらく我慢すれば事は円満に片づくのだと考えていたのかもしれない。
しかし事態は急な変化を帯びて来た。新しく乗り込んで来た体躯の頑強そうな男性が急に
「痴漢行為をすぐ止めるのだ」
そう言って、痴漢男の肩を強く叩いた。
「何をするんだ、てめえも痛い目に合いたいのか?」
と言って、男は拳(こぶし)を上げかけた。その手に、
「この馬鹿者め、痴漢行為で現行犯逮捕をする」
と言うや否や、ガチャンとその手に手錠をかけた。男は事態の急激な変化に顔面を蒼白にして…
「旦那、私は何もしていませんよ。こんな満員電車の中ですよ、自分の意志とは関係なく誰の身体にだって触れてしまいますよ。それを痴漢行為の現行犯だなんて、あまりのお言葉ですよ」
男は態度も言葉つきも下手に出て、自分の無実を訴えた。
「黙れ、お前の痴漢行為は私の目の前で行なわれていたのだ。それだけではない。お前は私にさえ暴行を加え様としたではないか。どんな言い逃れが出来ると言うのだ。ともかく、署まで来てもらおう」
私は勇気を取り戻して、
「彼女は私の親友です。彼女への痴漢行為を何度も注意したのですが、この男は一向に止め様としません。それどころか、私にも暴行を加えて来ました。もし宜しければ私も警察署に同行して証人となりたいのですが…」
私は、この痴漢男を心の底から憎んでいたので、こんな男は徹底的に社会から排除して厳重な処罰を下して欲しいと願っていた。
私服の警察官は、
「それは有り難い、是非ご協力をお願いします」
と言って、私に軽く頭を下げた。
次回に続く

金澤さんへの回答

ご返事が遅れて申し訳ありません。どの程度の事が出来るかは疑問ですが、人口呼吸器を含め嚥下のリハビリも当院では可能です。
ただ実際の患者さんを診ておりませんので、回復能力の可能性は自信を持ってお答えしかねます。ただ、どの様な病状であっても当院では患者さんの受け入れを拒否しません。現代医学で出来る事は精一杯やります。
「回復の見込みがない患者に医療行為を続けるのは薄利多売だから
療養病棟に移ってほしい」と言われたとの事ですが、
同じ医師として余りに寂びしい言葉だと思います。同業者として心からお詫び申し上げます。
当院はケアミックスの病院で一般病棟と療養病棟があります。たしかに一般病棟で長期入院(18~21日)となると病院側は赤字経営になってしまうと云うのは事実です。ですから当院では長期入院となった場合は療養病棟に移ってもらいます。しかし、療養病棟に移っても当院の特徴は絶対に医療の質を落とさない事です。人口呼吸器はもちろん、嚥下訓練などにも一切手を抜く事はありません。それで病院は赤字にならないのか?
当然の疑問が出て来ますが…
一般病棟ですと一割負担で一ヶ月15万円前後(オムツ代を含め)、療養病棟ですと22~24万円前後の自己負担となり、何とか赤字を防いでいます。しかし、一口に22~24万円前後の負担と言っても一般家庭では年単位となると、大変な負担額となり大変です。この負担額を少しでも緩和する為に数ヶ月以上の入院が続く患者さんには「身体障害者手帳」の申請を行います。この申請には医師と云う以外に別の資格も必要ですが、当院では私がその資格を持っています。この申請が通ると95%以上は適応となりますので、ご安心下さい。医療費の一割負担部分が免除となり、上記の金額から4~5万円が軽減されます。更にオムツ代の控除申請などもあり、これを利用すると更に負担額は低くなります。この様に出来る限り患者さんへの自己負担額を軽減しながら良質の医療を提供して行きたいと病院長の私は考えております。この様な種々の公的援助を受けながらも真に良質の医療を追求して行くと、一人の患者さんで一ヶ月に50万円前後の赤字が発生してしまう事も時にはあります。それでも私は医療の質を落とす事は絶対に許しません。他に働いている医者の多くにも、医療の本質を忘れたら病院ではないと強く戒めています。入院に関するご質問は私が直接に承った方が早いかもしれません。病院長の成川は月曜であれば、午後2時から4時まで火曜も同時刻、木曜であれば午前10時から12時、金曜であれば午後2時から4時までが最もご相談に応じ易い時間帯です。後は外来勤務であるとか種々の会議で時間が取れません。ブログで質問をした金澤と言って頂くと助かります。
【ご質問】
初めまして。鎌倉在住の金澤と申します。
78歳の父が誤嚥性肺炎で茨城県の病院に入院しています。
ただ今、転院させられる病院を探しています。
パーキンソンの持病があるものの、入院までは普通食を食べ、通所リハビリに通い
自力で生活していましたが
7月9日に肺炎を起こし入院しました。
その後、回復して退院に向けたリハビリ病棟に移る予定の8月9日に誤嚥性肺炎をおこし
鼻から入れる人工呼吸器をつけ
食事は点滴だけになりました。
しかし、5日後辺りから自宅に戻る事を目標に、足や腕を上げ下げする自主リハビリをしたり、落語や音楽を聴いたり、見舞い客と笑顔で筆談したりしています。
ですが先日、主治医から
「回復の見込みがない患者に医療行為を続けるのは薄利多売だから
療養病棟に移ってほしい」と言われました。
リハビリをする予定もなく、食事を食べさせる予定もありません。
ミイラのように痩せ細った父の今の希望は「一日も早く口から食べたい」です。
そちらの病院で呼吸や嚥下のリハビリをさせて頂けないでしょうか?
茨城には人工呼吸器を受け容れてくれる病院が少なく、あっても嚥下のリハビリがありません。
どうぞ宜しくお願いします。

想い出は風の彼方に(40)

こうして暑い夏期講習を私達は仲睦まじく、学習意欲を落とす事なく成績を向上させていた。9月の校内模試で私は12番に、彼女は41番まで上昇して来た。彼女のAクラス入りも射程内に見えて来た。
10月の校内模試でも二人は十分な手応えを感じていた。校内模試の答え合わせにも共に熱が入った。予備校には5時までしかいられない。夕方からは現役の高3が授業に入って来る。日中の予備校生は、それまでには校内を出なければならない。何時もは、この時間までには二人とも家路に着く。
しかし、この日に限って答え合わせに熱中して駅近くの喫茶店で答え合わせの続きを行なった。
この模試の結果では彼女もAクラス入りが現実のものとなって来る。一問一問の答え合わせにも真剣味が以前よりは強い。時間の経つのも忘れ意見を交換した。喫茶店の時計は7時を指していた。何時もよりは、かなり遅くなって来た。私の方からにこやかに声をかけた。
「あっ、もう7時だ。そろそろ帰ろうか?」
「そうね、お腹も空いて来たし」
そう言って彼女も笑顔で応じた。
「何か食べて行く?」
と、私が尋ねた。
「ううん、良いわ。母がご飯を作って待っているし…それに余り長い間、貴方と一緒にいると別れるのが逆に寂しくなるから」
と言われ、私の心に小さな波紋が広がった。それまで何とか抑えていた性的欲望が眠りから覚め出して来た。確かに、これ以上彼女と一緒にいると私の心のバランスも崩れてしまうかもしれない。その愛おしさに、自分の中の男が制しきれなくなるかも…それでもそんな妄想は打ち捨て、何時もの電車に乗って二人は帰路に着いた。
10月とは云え残暑は厳しく電車の中はラッシュアワーの時間と重なり、蒸し暑かった。物凄い人混みの群れで、彼女と私の立つ場所も人の波に流され二人の間は一駅づつ遠ざかっていった。何時の間にか私と彼女の間には4~5名の人達が立ち塞がってしまった。4つ目の駅を過ぎた辺りから彼女の隣には20才代後半と思われるチンピラ風の男が、ぴったりと寄り添い始めた。しばらくして彼女が困った顔で、私に助けを求める視線を送って来た。少しの間、私は彼女の視線の意味を気づかなかった。
しかし、揺れる電車の中で人混みの隙間をかいくぐって私は彼女の方に一歩近づく事が出来た。その私の目に驚くべき光景が飛び込んで来た。さっきのチンピラ風の男が彼女の臀部を何気ない顔をして幾度となく触りまくっているのだ。私は慌てて人混みの中を押し分けて彼女の近くにと擦り寄って行った。そしてチンピラ風の男の手を、しっかりと捕まえて…
「なにをしているのだ、この痴漢野郎」
と、怒鳴りつけた。しかし私の怒声など男はまるで無視して、
「俺が何をしたって?
てめえ、生学(せいがく)だろう。そんな半端野郎がこの俺に因縁をつけると云うのは、良い度胸じゃあないか!」
そう言うなり私の手を逆に捻じ上げて来た。腕力の差は一目瞭然であった。受験生の私は体力的もかなり落ちている。日常的に喧嘩慣れをしているチンピラ男とは比較にならない。
次回に続く

想い出は風の彼方に(39)

それ以来、私たちは急速に親しくなり出した。昼食も一緒に食べる事が多くなっていた。志望大学の事、家庭の事情、将来の夢、若い二人には話すべき事が幾らでもあった。彼女の実家は歯医者で、歯学部に行くのが目的で予備校に通っているらしい。私は精神科医になりたいと云う自分の志望動機を偉そに言うには恥じらいを感じていた。ただ何となく医学部を目指していると、お茶を濁した。
あどけない彼女の瞳の前で「フロイトの精神分析論」を語る気にはなれなかった。彼女と親しくなるにつれ私の成績は一気に上昇して行った。彼女への見栄も大きく影響していたのかもしれない。
5月末の模試では300人中28番まで上がって来た。校内掲示板に貼り出された成績表を見て、彼女は自分の事の様に感動の声を上げた。毎週100番までが掲示板に貼り出されるのだ。彼女は87番だった。
何時しか校内模試の後は二人で答え合わせをやる様になっていた。
どちらかと言えば私がリード役で彼女が教わる事が多かった。しかし、この役回りが私の学習意欲をより向上させた。典型的なプラトニック・ラブで、手を握り合う事もなかった。彼女の存在、共に過ごす空間それだけで私の心はいつも満ち溢れていた。
もちろん彼女に性的な魅力を感じていない訳ではなかった。何気なく触れてしまう手の感触にさえ私の心は喜びに震えていた。しかし、それ以上の行為を私が望んだとしたら私達の大切な関係に微妙なヒビが入ってしまうのではないいかとの恐れが頭から、こびりついて離れなかった。
「一般に若い男女の間で、その愛欲が最後の一線を越えてしまうと、そこからは性的関係が中心となって、日々その欲望に敗け互いの精神生活が希薄化してしまう傾向が強くなる」
と、私は何年か前に読んだ哲学書の一文を思い出していたりしていた。また一般に男の性欲は本能的な部分が大きく、女の性欲は情緒的な側面が強いとも言われている。
ともかく当時の私は彼女に心の恋人を求めるだけで、十分に満足していた。この様なプラットニックな関係が私達の学習意欲を向上させ模試の成績も確実に伸びて行った。6月中旬の校内模試で私は300人中17番に、彼女は61番にまで上がって来た。これで私のAクラス入りは決定的となった。
彼女はそのままBクラスに残留となる為、クラスは別々となってしまった。その為に幾らか寂しさは残ったが、そんな事より私のAクラス入りを彼女は心から喜んでくれた。
7月から私は晴れてAクラスの生徒となったが、昼休みなどは出来る限り彼女と一緒に過ごした。帰りも渋谷までは同じ電車で雑談をしたりする事が多かった。渋谷からは京王線に乗り換え吉祥寺の自宅へと彼女は戻ってしまうが寂しさは余り感じなかった。
それよりは一層学習意欲が上がって来た。自分だけではなく彼女も何とかAクラス入りを果たせたいと云う強い願望が心の奥底から湧き上がり、彼女のいない寂しさなどと云う浮ついた感傷に浸っている暇などなかったのである。
愛の本質は、お互いを高める所にあると当時の私は考えていたのだ。
次回に続く