想い出は風の彼方に(75)

やはり、友人の病院で見学させてもらった精神医学の現場は、自分のこれまでの想像とは余りに違っていた。
そして大学5年の12月から、いよいよ病院実習が始まった。スタートは何故か精神科からだった。2週間の実習であったが、友人の病院見学とは違って緊張感の漂う日々だった。口頭試問的な質問も多く、気が抜けなかった。
しかし、浩司は精神医学史などもかなり事前に勉強していたので、8人が1グループの同級生の中では一歩抜きん出ていた。
教授の初診外来は、驚くほど丁寧だった。患者さんと、ご家族の話をゆっくりと詳細に聞き、診断を進めて行く過程は学ぶべき事が多かった。一人の患者さんに1時間近くはかけていた。
それは、正に精神科の初診外来に相応(ふさわ)しい光景だった。浩司は、この教授外来に接して、また精神科医への志望に心を傾け出した。午前中は外来実習が多く、午後は病棟実習だった。
精神科の入院ベッド数は45床で病状は多彩であった。精神分裂病(現在は統合失調症)が15名、うつ病12名、シンナー中毒6名、覚醒剤中毒5名、アルコール中毒5名、空床2であった。年齢層も幅広く18才のシンナー中毒患者から、55才のアルコール中毒患者までいた。
入院患者さんの中で、浩司が一番関心を抱いたのは18才のシンナー中毒で再入院を繰り返している女の子だった。
名前は下山百合子と言う。彼女のカルテからアナムネ(入院歴や病歴)を調べる事から始めた。そこに書かれている内容は驚くべき事実の経過報告だった。
また、カルテ以外にも担当医とナースから次の様な話を聞かされた。さらに彼女自身の口から告白じみた話も聞かされ、百合子の心の闇を浩司なりに整理してみた。
彼女の父親は百合子が12才の夏に、交通事故で亡くなっている。彼女の母親は翌年には同棲を始めた。相手はフリーのカメラマンで年令は母親より一つ下だった。収入は不安定で、パチンコ好きだった。母親は昼間は歯科医院の事務をやり、夜は居酒屋のバイトをしていた。亡くなった父親の交通事故による保険金が700万円程手元に残されていたが、数年で生活費に消えていった。
彼女は新しく父親らしい顔で入って来た、この男には、どうしても馴染めなかった。中学2年の彼女を見る目線が、何処か卑猥さを漂わせていたのだ。
母親は朝から晩まで仕事で忙しく、家には殆どいなかった。ところが男の方は、家でゴロゴロしている事が多かった。たまに数日間、急にいなくなる事があった。カメラマンの仕事が入ったらしい。そんな時は、ご機嫌で帰って来た。数ヶ月に一度は10数万円のお金を家計に入れる事もあった。
夜遅く帰って来た母親に、そんな時は仕事の自慢話しを盛んにしていた。母親も嬉しそうに聞いていた。
しかし、実際の生活は母親の細腕にかかっていた。こんな男と、どうして結婚したのか百合子には理解が出来なかった。母親の勤務する歯科医院に、患者として幾度か通って来たらしい。どうやら、その時に口説かれた様だ。母親もまだ37才で女盛りであった。誰か心を支えくれる人が欲しかったのかもしれない。男は年令よりは5才ぐらいは若く見え、一見女好きのする顔だった。
百合子が13才の冬、母親と男が一緒に帰って来た。二人共、かなり飲んでいた。それ以来、男はそのまま家に住みこんでしまった。三部屋の一戸建ての家だったが、新しい男の闖入(ちんにゅう)で家の中は急に狭くなった。
次回に続く

想い出は風の彼方に(74)

それでも人格破壊に繋がる治療の歴史が続いていた。
1938(昭.13)・メタンフェタミン、ドイツでぺルビチンの商品名で発売。
1939   (昭.14)・電撃痙攣療法
  * 電気痙攣療法は、頭部(両前頭葉上の皮膚に電極をあてる)に通電することで人為的にけいれん発作を誘発する治療法であり、元々精神分裂病(現在のほぼ統合失調症に当たる)に対する特殊療法として考案されたものである。日本では1939年に九州大学の安河内五郎と向笠広次によって創始された。その後、他の疾患にも広く応用されて急速に普及し、精神科領域における特殊療法中、最も一般化した治療法であるが、作用機序は不明である。
1940   (昭.15)  ・日本ではメタンフェタミンはヒロポン・ホスピタンの商品名で発売。
  *日本での精神科病院と病床数の推移
(精神病院165・精神科病床24000床)
1941(昭.16)・ぺルビチンは軍隊で多用・習慣性が問題となり麻薬と同じ法規制となる。
1942  (昭.17)  ・ロボトミー(前頭葉切除術)導入。
この野蛮な治療行為が一時は世界的に受け入れられた事自体が驚きを通りこしていた。
1943(昭.18)・古くは漢方薬の製造販売には殆ど何の規制もなかったが、西洋医学の導入と医制の発布を契機として、これまでの薬事・売薬法・薬剤司法を統一して(旧々)薬事法制定。
1946(昭.21)・GHQ指導の下(旧)薬事法制定(不良医薬品を取り締まる衛生警察法規色彩が強)
・医師国家試験制度採用
・生活保護法公布
1948  (昭.23)年7月・『精神医学教科書』内村祐之によって著された。その中に
「強い運動興奮には、ヒオスチンやスコポラミンの皮下注射、躁病には鎮静剤・睡眠薬スコポラミンの皮下注射、鬱病には精神的対処療法と自殺予防の注意及び痙攣療法、持続催眠療法が詳しく記載され、阿片定式療法、コレステリン・ポルフィリン・覚醒アミンなどについて触れている」
また覚せい剤は薬事法により劇薬に指定、それ以前は新薬として医師向けに販売されていた。
1949(昭.24)・リチュウム塩の躁効果オーストラリアで発表
・覚せい剤(メタンフェタミンなど)製造自粛と製造と製造中止勧告
1950(昭.25)・薬価基準制度制定(健康保険制度の普及に伴う)
当時は医薬品や売薬の輸入販売などの規制は少なく医師の責任で自由に輸入、患者に使用できた。厚生省の薬品製造・販売への認可は簡単であった
1952・フランスでクロールプロマジン(CPZ)の精神病への効果発見、臨床に用いられ有効性が確認される。その後レセルピン・メプロバメートなども有効性確認
1954(昭.29)・『常用新薬集』15版出版される。
その中に催眠剤として、ブロムワレル尿素(ブロバリン)、バルビツール系製剤(バルビタール・イソミタール・ラボナ・チクロパン)、鎮静剤はブロムカルシュウム注、抗痙攣剤としてフェノバルビタール製剤、ヒダントイン製剤(アレビアチン・コミタールなど)その他アーテン、自律神経興奮剤としてヒロポン、アルコール中毒治療剤にアンタブース、後に向精神薬として用いるレセルピンを含むインド蛇木根アルカロイド製剤のエガリンが血圧降下剤としての記載が認められた。
1955(昭.30)・輸入されたCPZを使用し、1955年頃から症例報告される。
・コントミン(吉富製薬)、ウインタミン(塩野義製薬)の製法特許、独自のCPZ製剤発売:一般精神病院でCPZが本格的に使用され出したのは昭和31~32年頃からであった。
  *日本での精神科病院と病床数は拡大し続けて    いた。
(1955年時、260病院・精神病床44、250で人口1万対4.96)
1956(昭.31)・1950年代初期、精神症状に治療効果のある薬物をトランキライザーとよび、抗精神作用のあるものをメジャートランキライザー・神経症性不安に有効なものをマイナーランキライザーと称した。現在は「抗不安薬」に相当する薬物を指す。
ここまで調べ上げて、浩司は改めて自分の進む道は精神科医ではないと確信した。
次回に続く

さくらさんへの回答(再)

先ずは、総合病院の脳ドックでみるのは多くの場合、MRIで脳梗塞の兆候、脳動脈瘤、脳腫瘍などの有無を調べる程度ですから、認知症の早期発見は困難です。ただ進行したアルツハイマー型認知症であるなら、海馬の萎縮が認められますので脳ドックでも認知症の診断が可能な時もあります。画像診断で考えるならば、脳spectは脳の血流循環を見て行くので認知症診断には有効です。しかし、この検査で早期診断が可能かと言えば疑問が残ります。高度の医療機器に信頼を寄せがちですが、臨床所見と必ずしも一致しないからです。画像診断にのみ頼った大学病院などで認知症の誤診が多いのは、この為です。私の認知症外来に大病院で誤診された患者さんが数多く訪れるのは、そんな理由もあるのでしょう。認知症の早期診断は、やはり熟練した認知症専門医の診断力に頼るしかないでしょう。脳外科では診断が困難ですから、お気をつけて下さい。非常に簡単な検査で診断精度が高いのは、長谷川スケールですが、この検査をするにもそれなりの経験が必要です。ご希望であれば詳細を付記しますが、ネットで容易に調べられます。参考までに私が日常外来で行っている「脳トレ」の資料を送ります。この中の記憶力の初級で6個以上出来なければ、幾らか認知症の疑いがあるかもしれません。
初級コース(記憶力のアップ)
2文字の単語を10個並べる。
くり、いす、はな、かき、なし
さる、とり、うみ、とら、うで
以上を2分間、音読で暗記する。
そして次の2分間で書いてみる。
8個以上暗記出来たら次に行く。
これは私のオリジナルですが、この脳トレを毎日15~30分実施する事で認知症の改善は目に見えて改善しています。
取り敢えず、全文を掲載します。
【脳トレ見本】
脳トレーニング
初級コース(記憶力のアップ)
2文字の単語を10個並べる。
くり、いす、はな、かき、なし
さる、とり、うみ、とら、うで
以上を2分間、音読で暗記する
そして次の2分間で書いてみる
8個以上暗記出来たら次に行く
初級中級コース
2文字と3文字の混合
すずめ、くま、かもめ、りす、さくら、かみ、とけい、ほん、さとう、ねこ
同じ様に2分間の音読で暗記
次の2分間で書いてみる
8個以上暗記出来たら次に行く
中級コース
3文字の単語を10個並べる
かめら、みみず、みかん、
いちご、つみき、からす、
ばなな、さくら、うちわ、
とんぼ
 
 中級上級コース
3文字の単語と4文字の混合
うちわ、すずむし、すいか、
よこはま、まくら、にんじん、ばなな、たけのこ、こりす、
しまうま、
上級コース
4文字の単語を10個並べる
まつたけ、やまいも、
かきのき、しんぞう、
ほんばこ、すいしゃ、
のこぎり、だいこん、
あおぞら、さざんか
 
初級コース(計算力のアップ)
12問を1分以内での練習
3+5=、8+9=、7+6=、4+8=
12+6=、17+9=、25+8=
7+13=、42+5=、8+16=
19+5=、6+23=
初級中級コース
12問を1分以内での練習
39+17=、21+18=、45+18=
52+14=、34+13=、61+42=
76+21=、46+17=、19+15=
43+18=、13+42=、56+37=
中級コース
12問を100秒以内での練習
57-6=、23-8=、45-7=
42+26=、36-9=、38+45=
65-11=、48+15=、37+61=
84-13=、72+13=、69-21=
中級上級コース
12問を100秒以内での練習
13×3=、16×4=、18×3=
21×2=、17×3=、22×4=
31×3=、15×4=、12×5=
8×11=、19×2=、23×3=
上級コース
12問を100秒以内での練習
33÷3=、21÷7=、45÷9=
44÷4=、63÷9=、18÷9=
55÷11=、81÷9=、15÷5=
72÷8=、48÷4=、66÷3=
以上です。
何かの参考になれば幸いです。
【ご質問】
成川先生、まさか本当にご返答いただけるとは思っていなかったので、感激しております。ありがとうございます。
77歳の母のことをご相談した者です。
通販番組の会社には私自身も問い合わせして、納得できる内容だったので間違いはないと思います。昔のことを忘れてしまうのは私にもあることなので、そういったことを抜きにすればその件以外で母が記憶を全くなくしたことは今までないと思います。他に以前と違う点、変わった点も今のところ思い当たりません。今後もう一度同じようなことがあってから病院で診ていただこうかなと考えていますが、手遅れになる可能性はありますか?私達が住んでいるところは大きい町ではないので、認知症専門の先生がいらっしゃる病院はないように思います。総合病院の脳ドックを受けても認知症は発見できますか?
重ねがさねの質問、長文で申し訳ございません。

想い出は風の彼方に(73)

1926・「精神病院法」第一条による最初の病院:大阪府立中宮病院開院(大正15年)
1928・警視庁、精神病者指紋採取開始(昭和3年)
1929(昭.4)・スルフォナール持続催眠療法導入
continuous sleep treatment;(独)Dauerschlaf
1920年スイスのJ. Kla¨siがソムニフェンを用いた持続睡眠療法で精神分裂病の治療を行った。わが国では1922年下田光造がスルホナールを用いて躁うつ病の治療を始めた。これではスルホナール1日量1.0~3.0gを与え,食事と排泄以外は睡眠をとらせ,10~20日を1クールとする。その後は排泄が遅く,腎障害,発熱など副作用が多いスルホナールは用いられず,クロルプロマジン,レボメプロマジンなどの催眠作用の強い抗精神病薬に各種睡眠薬を併用して行われる。
一方では精神病者の治療にスルホナールが用いられ,これが盛んに行われた時期がある。治療期間は10~20日前後で,主として鬱病や躁病,精神分裂病の興奮状態などがその治療対象となった。…
ここまで読み進めて、浩司は考えこんでしまった。同世代のフロイト(1856-1939)の理論は、精神医学の領域では何も利用されなかったのかと?
さらにアドラー(1870-1937)そしてユング(1875-1961)と云う偉大な心理学者が続出しているのにだ。心理学的な活用は成されず…
薬物療法が中心の副作用の強い治療にのみ医師は、のめり込んで行ったのかと…
それでも更に、薬物療法の歴史は続く。1930(昭.5)・レセルピンの抗精神病効果がインドで見出される
1935・昭和10年代:サルファ剤などの新薬導入
1936  (昭. 11)・『精神病学』丸井清泰:「阿片定式療法」
 *1935年までの日本では、鬱病の治療法として、アヘン定式療法といってアヘンチンキを少量から漸次増量する療法が用いられてきた。ついで、大量の鎮静剤や睡眠薬を組み合わせて患者をほとんど持続的に眠らせる治療法が用いられてきた。
阿片を治療に使うなど、浩司には想像を超えた出来事に思えてならない。
しかし、電気ショック療法の有効性が1938年に発表されてからは事実上これが唯一の、最も有効な治療法となる。後に感情調整薬といわれる三環系抗うつ薬が出現するまでは、かなり原始的な医療行為が続いていたのだ。
1937  (昭.12) ・インスリン療法導入(1960年頃まで行われた)
 *インスリン療法
1933年には、ポーランドの精神医学者マンフレート・ザーケルにより、インスリンを大量投与することにより低血糖ショックを人為的に起こさせて精神病患者を治療するというインスリンショック療法(Insulin shock therapy)が考案されたが、死亡例が多く、その後電気けいれん療法、薬物療法(クロルプロマジンに代表される抗精神病薬)などが登場したため1950年代には廃れた。
浩司は、このインスリンショック療法にも、言い様のない驚きを隠し切れなかった。
当時の精神科医はなにを考えていたのかと…彼は益々失望を強くして行った。人間の心の問題を心のままに何故考えようとはしなかったのか?
次回に続く

さくらさんへの回答

他にどんな症状があるのか分かりませんので、明確な答えは出来かねますが「レム睡眠行動障害」の疑いがあるのか、ただの物忘れなのか区別がつきかねます。もしかするとテレビ通販のミスもあるのか、これも如何に着信記録があったとしても、お母様が夢遊病みたいな感じで電話をかけたとすれば相手方が、その異常に気付かないのも変な気がします。これまで何度も、その通販会社に電話注文していたとすれば、その記録は残っているはずですから、何かの手違いで誤って注文を誤認する事だって皆無ではないでしょう。
もし、万が一にでも「レム睡眠行動障害」の疑いがあるとすれば、それはレビー小体型認知症の初期症状の危険性があります。しかし、さくらさんのメール内容だけでは何ともお答えしにくいです。やはり、健康診断的な意味で認知症専門医の診断を受ける事をお勧めします。一般内科医では鑑別は困難かと思われますから。また眠剤の長期服用や血圧の下げ過ぎでも認知症を誘発する恐れがありますので、要注意です。日本高血圧症学会の血圧目標値には疑問が多いのです。お母様のご年齢では160/90ぐらいまでは、血圧の薬を服用する必要がありません。高血圧症学会の130/80と云う目標値には、心ある医師は誰もが疑問を抱いています。何故なら、この目標値では逆に認知症を誘発してしまう危険性があるのです。何にしても製薬資本がリードしている日本の医学会は、時に大きな過ちを犯していますので注意が必要です。医師は医師の悪口を言ってはならないと云うのが、この世界の不文律ですので、これ以上の発言は控えます。ともかく志しの高い医師を探す事です。
【ご質問】
はじめてまして。
同居している77歳の母のことでご相談させていただきます。母はテレビの通販番組を好んで観ていて、気に入ったものがあるとその場で電話で注文しています。先日、自分では注文した記憶のない商品が届いたということで、とても心配になりました。母自身がその通販番組の会社に問い合わせてみると、確かに自宅の電話番号からの着信があり、時間も正確に記録されているとのことなので母が注文したことは間違いなさそうです。時間は夜中の12時頃で、その時間もまれに起きていて番組を観ながら注文している姿を何度か見ています。時間が時間なだけに、これはただ寝ぼけているだけなのでしょうか?寝ぼけていて全く記憶がなく思い出しもしないことはあるのでしょうか?それともいよいよ認知症の初期症状なのでしょうか?もしそうであれば早急に病院へ一緒に行き、初期の段階で食い止められたらと思っています。
ちなみに母は内科に定期的にかかっていて、血圧の薬や眠剤などを処方されているようで、夜 床につくとものの数秒で眠りについているようです。
長々と失礼致しました。時間のあるときにご返答頂ければ幸いです。
よろしくお願い致します。

想い出は風の彼方に(72)

大学病院の図書館で浩司は、精神医学史を調べて見た。大学に入って5年目、部活と日々の学習それに綾子とのデートで浩司は忙しく過ごしていた。
本来の志望動機である、精神医学の現状については何も考えていなかった。
何と無くフロイト理論を追求して行けば良いくらいの気持ちでいた。
しかし自分の志望動機が、現実の医療現場と照らし合わせ如何に甘いものであるかを思い知らされた。
その為に子供じみた夢を追い駆けるのではなく、近代から現代にかけての精神医学史を、じっくりと学んでみるべきだと自己反省をしたのである。
近代日本の精神医学・医療の事実上の創設者は呉秀三(1865年3月14日~1932年3月26日 )と言って良いだろう。彼の有名な言葉に、
「わが国十何万の精神病者はこの病を受けたるの不幸のほかに、この国に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」
と、ある。彼の悲憤慷慨の弁であった。精神病に罹っただけでも充分に悲劇的なのに、この国では精神疾患に対する差別的な視線が厳しいと嘆いたのだ。呉は、1890年(明治23)に、帝国大学医科大学(現東京大学医学部)を卒業、1891年に医科大学精神病学教室(榊俶教授)助手、東京府巣鴨病院医員、1896年に医科大学助教授となり、1897~1901年の間、オーストラリア・ドイツに留学し、1901年(明治34年)帰国と同時に医科大学教授、巣鴨病院医長(制度が変わって1904に院長)になった。翌1902年(明治35年)に三浦謹之助(内科教授)とともに日本神経学会(現在の日本精神神経学会)を創設、「神経学雑誌」を創刊する。
以後、呉秀三はドイツ精神医学に倣った治療を開始した。
1902(明.35)東京府巣鴨病院年報によれば、「薬剤としてタカジアスターゼ・ヲイカジン・ソマトーゼ・沃剥・満俺鐵・ペプトーン・沃度チリン・石炭酸・臭素カリ・臭素ソーダ、臭素カリ・臭素ソーダなどが使用されていた」
1919(大.8)・緒方彰がメタンフェタミンを合成、欧州に紹介する。
*メタンフェタミン
(英語: methamphetamine, methylamphetamine)は、間接型アドレナリン受容体刺激薬としてアンフェタミンより強い中枢神経興奮作用をもち、依存性薬物である。日本では商品名ヒロポンとして販売されているが「限定的な医療・研究用途での使用」に厳しく制限されている。
第二次世界大戦当時には連合国軍と枢軸国軍(日本、ドイツ、イタリア)の双方で、航空機や潜水艦の搭乗員を中心に、士気向上や疲労回復の目的で用いられた。
近年、世界各国において、その蔓延の急速な進行が確認されており、一例としてアメリカ合衆国では「最も危険なドラッグ」として、語られるものとなっている。
主な作用は中枢神経を刺激して覚醒させる作用があるため、医療用途としてはうつ病・精神病などの虚脱状態や各種の昏睡・嗜眠状態などの改善・回復に用いられている。
1922 (大.11)・未成年者飲酒禁止法公布
・健康保険法公布(実施は1926年)
1924 (大.13)・マラリア発熱療法導入(進行麻痺の三分の一が治療可能となった)
*マラリア発熱療法
   毒性の比較的弱い三日熱マラリア病原虫を接種して行う発熱療法。梅毒治療などに用いられた。
次回に続く

想い出は風の彼方に(71)

「浩司、ご飯は食べないの!」
1階から母の声が聞こえて来る。返事をするのも鬱陶(うっとお)しかった。さらに母の声が響いた。
「浩司、どうしたの。ご飯が冷めてしまうわよ」
その言葉を無視する訳にも行かず、
「身体の調子が良くないから、このまま寝かせてよ」
とだけ、答えた。
事実、食欲は全くなかった。ともかく寝たかった。寝て何もかも忘れたかった。自分の立脚点が突然に失われてしまったのだ。自分の心のバランスを取り戻す為には、自己の原点と思われたものをリセットするしかない。それには眠る事だ。
頭から布団を被って目を閉じた。それでも今日一日の事が次から次へと思い出され、なかなか眠りにはつけなかった。今は行なわれていないとはいえ、ロボトミーの事と言い、そして現場を目の当たりにした電気ショック療法と言い、人間の心の問題を真正面から捉えようとはしていない精神医学と云う学問は、一体何を目指しているのか?
果てしなき自問自答が浩司の脳裏から離れなかった。
悶々たる疑念を抱きながらも、浩司は何時しか眠りに落ちて行った。健全な若さの持つ力には、どの様な苦境にあっても深い眠りにつけると云う特質がある。
朝6時には目が覚めた。猛烈な空腹感を覚える。母が洗面所で顔を洗っている気配がした。浩司は母のそばに近づき
「お母さん、お腹がすいたよ!」
と、子供じみた催促をする。一人っ子なので、母親も浩司には甘い。
「はい、はい、ちょっと待っててね。身体の調子はどうだい。昨晩は何も食べなかったから心配になっていたけど、その分では大丈夫そうね。昨晩の余り物でよかったら直ぐに温め直すけど…」
「それで良いよ、ともかく早く何か食べさせてよ」
「じゃあ居間でテレビでも見ていて、直ぐに出来るから」
母親は急ぎ台所に行き、浩司の食事の準備をした。昨晩殆んど手付かずのカレーライスが出て来た。大皿に盛られたカレーライスを浩司は物も言わず2杯のお代わりをした。その間にポタージュと野菜炒めが出されたが、これも平らげてしまった。
「それだけ食欲があれば身体の具合も良さそうね!」
そう言って、母親は彼に笑顔を向けた。そんな母親に向かって突然に、
「お母さん、僕は精神科に行くのは止めにしたよ」
と、言い出した。
「何だい、藪から棒に…」
「お母さんにも話しておいた様に、昨日は友達のお父さんが経営する精神病院に見学に行って来たんだ」
母親は頷いて、
「そう言えば、そんな話しだったね。
そこで何か嫌な事があったのかい?」
「別に…病院の先生方は親切だったし色々と病気の説明も詳しく教えて頂いて、とても勉強になったよ」
「それじゃあ何が不満で、昨晩は食事もしないで不貞腐れた様に寝てしまったの?」
「何も不貞腐れてなんかいないよ。ただ僕が理想を抱いていた精神医学と現実の医療の現場の違いに、僕の心が揺れ動いただけだよ」
「どんな風にだい?」
「一言では語れないさ…ともかく大学に行って来るよ」
「未だ夏休みだろう」
「でも大学病院の図書館に夏休みは無いだろう。病院自体に夏休みなんかある訳はないからね」
そう言って、浩司は大学に出掛けた。
次回に続く

想い出は風の彼方に(70)

抗精神病薬クロルプロマジン(商品名コントミン、ウインタミン)でコントロールしにくい患者さんに、この電気ショック療法が利用されるらしい。
気分症状と運動症状の両方にしばしば効果が認められると云う。薬物抵抗性がある場合などの疾患の末期に用いられるのが典型的であるらしい。
1961年当時の厚生省保険局通知「精神科の治療指針」による適応症として『精神分裂病、躁うつ病、心因反応、反応性精神病、神経症、神経衰弱、麻薬中毒、覚せい剤中毒、酒精中毒性精神病等』があげられていた。
ECTは1930年代から実施されているが、その作用機序については充分に解明されていないらしい。それでいて年間使用頻度は1000万人を超える年もあるから驚きだ。
しかも、以下のような副作用が数多く報告されている。
(1)心血管系の障害:徐脈や心拍停止、血圧の低下を生じることがある。また、カテコールアミン放出を伴う交感神経系の興奮が惹起され、頻脈や血圧上昇、不整脈などが起こることもある。
現に浩司は目の前で心停止に陥った患者さんを見ていて、この様な治療法が許されるのかと、限りない疑問を抱き始めていた。
2)認知障害:通電直後に生じ、見当識障害、前向性健忘(以前の記憶はあるが、ECT後の出来事などが覚えられなくなる)や逆行性健忘(新しいことは覚えられるが、以前の記憶、特にECT施行直前の記憶がなくなっている)が見られることがある。老人に頻度が高く、多くは時間とともに回復する。失見当識・前向性健忘は比較的短時間に回復し、逆行性健忘は回復が緩徐である。また、そのまま認知機能の低下が遷延するという例も少数だが報告されている。
3)躁転:時に多幸的・脱抑制・易刺激性を伴う。双極性障害患者において特に躁転する頻度が高い。*うつ病の患者が躁状態(テンションが上がる)となる現象を躁転と言う*
4)頭痛:45%程度の患者が自覚するとされている。拍動を伴う前頭部痛を示す事が多い。
これが現実の精神医学なのか、浩司は自分が思い描いていたフロイトの世界とは、余りに掛け離れていたので失望感に打ちのめされた。
自分が追い求めていた精神科医像とは、とても相容れないものを感じた。それは拒絶反応に近いものがあった。
今日の病院見学で、副院長の時間を半日も使ってしまい申し訳ないと思ったが、彼の心は精神科医志望を断念していた。
後は虚ろな心で病棟見学を、ただ付き合いで熟(こな)していた。もう何も彼の心には映らなかった。5時近くになって、人の良い副院長に深々と礼を述べ友人の病院を去った。7時過ぎ家に戻ったが、食欲もなく一人部屋に閉じこもり天井を見ていた。自分の生きる目標を失った、取り留めのない思いで空白の時間を過ごしていた。
次回に続く