想い出は風の彼方に(106)

こうして浩司は37才の春から小金井にある「さくら町病院」の常勤医になった。午前中の外来は副院長が担当だったが、浩司が全面的に診察する事にした。副院長の外来は先細りで1日に5~6名も来れば良い方だった。病院の表玄関は外来にあると浩司は確信していたので、何としても外来患者を増やしたかった。井沢の世話で消化器と心エコーを担当してくれるパート医は紹介してもらった。これで外来体制は何とか整った。浩司の専門は血液内科であったが、市民病院で2年半も一般内科として多彩な患者を熟(こな)していたので、総合内科としての自信もあった。外来患者数も10名から20名へと半年程で増えて来た。入院患者も50名は浩司が一人で受け持った。多くは慢性疾患だったので毎日の回診は不要であった。これは市民病院の結核病棟で得た回診方法である。市民病院では15名の一般患者と30名の結核患者を担当させられたが、毎日の診察を要する一般患者に比べ、30名の結核患者は週に一回の回診で済んだ。もちろん結核病棟でも急変する患者が出る事もあったが、基本的には定期の診察だけで事は足りた。
医師の問題もさる事ながら、看護婦不足は緊急の課題だった。115床のベッドが60床しか稼働出来ないのでは赤字経営からは逃れられない。事務課長の木村に浩司は秋田、青森、九州方面の高校、看護学校を回って顔つなぎをする様に指示した。自分でも大学を中心に知り合いの看護婦に片っ端から電話をかけたり、食事に誘い出したりして常勤になる様にと口説き落とす事に専念した。先輩の井沢はパート医師だけは何とか手配してくれたが看護婦の支援までには手が回らなかった。浩司の誘いかけで3ヶ月の間に大学から2人、かつての市中病院から1人、それ以外のバイト先から2人と計5人の看護婦を確保した。さらに新聞の折り込み広告から3人の応募があった。
これでベッド数は何とか100床まで稼働出来た。
こうして浩司が、さくら町病院の常勤医となって一年が経った。病院長のポジションを何時までも空席にはしておけないので、仕方なく浩司が病院長になった。本来は副院長が院長職を務めるべきだが、彼は71才と云う高齢を理由に固辞した。副院長の月給が80万円で、浩司の院長職が110万円の契約だった。しかし、病院の累積赤字は5億円にもなっており浩司は60万円だけを辛うじて受け取った。債務超過の5億円は、前院長の弟である事務長が連帯保証人となって負っていた。
浩司が、さくら町病院の常勤医になって3年目ぐらいから病院の累積赤字は少しずつ減り始めた。
常勤医も二人増えたので、副院長には円満退職を願った。退職金は700万円で許してもらった。25年も務めてくれたが、それ以上は副院長に払う余裕がなかった。彼も経営責任の一端を感じていたらしく、その金額で納得した。
ベッド稼働率は110床前後でフル回転に近くなり、外来は午後も開け1日に100名前後にまで増えて来た。浩司も何とか週に1日は休日が取れる様になって来た。
ともかく何も考えなかった。ただ働いた。実働時間は1日に12時間以上だった。何の為にこんなに働いているのかも分からなかった。
それでも毎日の夢の中では大学病院時代の医局生活を思い出していた。出来るなら何時でも大学に戻りたいと、何処かで願っていたのだろう。
次回に続く

想い出は風の彼方に(105)

翌月から浩司は小金井の病院のバイトに行き出した。先輩の井沢の顔を立てての事だが、ともかくバイトでも確定した医師の体制を整理しなければ、医師が不在の時間帯が生じてしまうので、井沢と協力して7人の同僚医師を何とか集めた。外来は午前診だけに絞り、副院長が担当した。
それやこれやで数ヶ月間は、何とか形だけは病院を運営していた。
医療法人の許可ベッド数は115床だが、看護婦不足もあって60床を回して行くのが精一杯だった。小金井の病院に浩司が肩入れして半年、浩司は平日の半日を週3回と、週2回の夜勤当直を担当するまでに、この病院にのめり込んでいた。
先輩の井沢は4月から講師となって、沢近の後を継いで内科医局長に推された。こうなると井沢の動きも少し不自由になり、小金井の病院から少しづつ手を引き始めた。4月半ば、桜の花もすっかり散ってしまった頃になって浩司は井沢に愚痴った。
「先生、狡(ずる)いじゃあないですか。小金井の病院はどうするんですか、僕一人ではどうにもならないでしょう」
井沢は言い訳の様に
「だって沢近先生が福島で開業なさって、俺がその後任で医局長になってしまったんだから仕方がないだろう。その代わり医局長権限で篠木を小金井の病院に一年間出張扱いにすると云うのはどうだ」
「あんな病院が大学の関連病院として認められるのですか?」
「そこはアイディア次第で、どうにかなるさ!」
「どんなアイディアですか?」
「これからは高齢者が増える一方だろう。だから高齢者専門病棟みたいな位置付けで、サテライト病院としての申請をしてみるんだ」
「そんな風に上手く行きますかね…?」
「大丈夫だ、俺が何とかしてみせるさ。それが成功すれば医者は幾らでも送りこめるさ…それまでの辛抱だ」
「嫌ですよ、僕一人が小金井で孤立無援なんてのは…」
「孤立無援って事はないだろう。今でも副院長がいるだろう」
「また、そんな白々しい事を…あの先生はCTもエコーも分かりませんから、結局は僕が何もかも一人でやるしかないんですよ」
「まあ、そう言うな。少なくてもバイトの医師はいるんだし…ともかく早い内に人員は差し向けるから」
「約束して下さいよ、僕一人では無理なんですから…」
「分かった、分かった、ほんの一時の我慢だ」
「もう、井沢先輩にかかったら結局は言い負かされてしまう。それで何時から行くんですか?」
「急な事で申し訳ないんだが、5月1日付けで頼む」
「そんなに早くですか、後10日余りですか!」
「まあ、遠隔地に行くと言う訳でもないし、今でもバイトで行ってるじゃあないか。先日、向こうの事務長から頼まれたんだ。バイトの先生だけでは、この先どう見たって病院が立ち行かなくなるのは時間の問題だと…それに事務長も看護婦達も皆んなが篠木の事を一番気に入っているんだ」
「また、そんな風に煽てて僕を誑(たぶら)かそうとしているんでしょう」
「そんな誑かすなんて、人聞きの悪い事を…俺の話は全て真実だ」
「分かりました、先輩のご指示に従います」
次回に続く

想い出は風の彼方に(104)

36才の年、浩司はやっと医学博士の学位を取得した。ここからが大きな別れ道となる。開業するか、大学に残って研究者の道を歩むかの分岐点だ。同僚の何人かはすでに開業の道へと進んでいた者もいたし、中には公立病院の医長などのポストを手にしている者もいた。浩司も自分の将来設計を決断する時期が迫っている様な焦りを少し感じていた。その頃、浩司が尊敬している沢近も実家の福島で開業する準備に入っていた。そんな事情もあって浩司は大学に残る気持ちが日々薄れていた。しかし、彼は未だ確たる道が見出せずにいた。
そんな折、3年先輩の井沢から小金井に倒産しかかっている病院があるから、そこで一念発起して浩司に建て直しを計ってもらえないかとの相談が持ち込まれた。ベッド数が115床の老人病院であった。 
余りに唐突な話なので、浩司は面食らってどう答えたら良いか分からずにいた。
「ともかく、そこの病院長が脳出血で急死してしまったのよ。俺は3年前からバイトに行っていたから、そんな繋がりもあって夜勤当直も含め医者の遣り繰りが全部俺の肩にかかって来ているんだ。その遣り繰りで一ヶ月前から俺はノイローゼ気味になっているのさ。篠木、何とか力になってくれないか?」
そう懇願されても、即答出来る話ではなかった。しかし、以前から井沢はかなり効率の良いバイトを浩司に幾度となく紹介してくれたので、無下に断る事も出来かねた。それに浩司自身が隠れた山っ気の様なものを持っていた。彼は気付いていなかったが、父親譲りの商人の血が流れていたのかもしれない。彼の父親は…
「商いと云うものは金が先じゃあない。如何に良い商品をお客様に提供できるかが問題だ。良い商品が作れれば、金なぞ後から幾らでも付いて来る」
と言うのが、口癖だった。そんな父親の教訓を浩司は小さい時から刷り込まれていたので、それは商いだけではなく、全ての事業に通じるものだろうと云う信念になっていた。
さらに井沢は浩司に迫って来た。
「ともかく篠木、バイトだけでも引き受けてくれないか。常勤医は副院長1人しかいなくて、てんてこ舞いなんだ。その副院長も70才で、体力的に一人で何もかも熟(こな)すと云うのは限界に来ている」
そこまで言われて、浩司も多少の協力はしない訳にはいかなくなった。
「分かりました、バイトぐらいなら行かせてもらいます」
「そうか、助かるよ。夜勤当直と平日も1日ぐらいなら可能かな?」
「平日の1日ですか、少し厳しいですね。半日ぐらいなら無理してスケジュール調整も出来ますが…」
「じゃあそれで良いよ。バイト代は篠木が今行っている所よりは多く出させるから、しばらく様子を見て可能だったら、全てのバイトを小金井の病院だけに絞って欲しいんだ。もちろん、今すぐとは言わないが…何とか頼む!」
「先ずは夜勤当直を週に一回と、平日の半日だけで許して下さい」
浩司は取り敢えず、当面の妥協案を出して井沢を説得した。
次回に続く

想い出は風の彼方に(103)

浩司は改めて白血病と云う病気の凄まじさに恐れ慄いた。そして沢近の卓越した診断能力と、その行動力には脱帽するしかなかった。沢近は何故か、亡くなった患者の病理解剖を要請しなかった。
「沢近先生、解剖はしなくて良いのですか?」
そんな浩司の素朴な質問に、沢近は感情を押し殺すかの様に…
「篠木、お前はあの父親の後ろ姿を見てそんな事を頼めるのか?」
彼としては珍しく感情的な言い方をした。浩司も頷いて、
「そうですよね、余りに突然な出来事で…父親の頭の中は空白でしょうね!」
「俺もそう思うよ。それにAPLにDICが合併した症例で、今さら解剖したからといって何か新しい所見が得られるとも思えないし、ここはそっとしておいて良いんじゃないか」
沢近は情愛と冷静さを織り合わせた様な物言いをした。そんな彼に浩司は益々尊敬の念を強くした。それから1時間半ぐらい医局の休憩室で、二人は仮眠を取った。横になると鉛の様に疲れた二人の体は、そのまま海の底に沈んで行くかの様な深い眠りに落ちて行った。午前9時過ぎに沢近が起き出した。その気配で浩司も目を覚ました。身体は未だ眠りを求めていたが、1日の仕事があり余る程に待っている。空腹感は強かったが、昼までは我慢する事にした。空腹感が眠気防止に繋がる事は沢近の以前からの持論で、浩司も時にそれを真似していた。
洗顔もそこそこに、浩司は病棟に上がり後輩医師のカルテをチェックする。それにしても医師の字はどうして皆が皆、こんなにも汚いのだろう。浩司自身の字も決して上手だとは言えないが、それでも丁寧に書こうとは努めてはいる。その点では沢近の字は、その性格もあって割と読みやすいし、今時には珍しくドイツ語で書く事が多い。
戦前の医師はドイツ語に堪能であったが、戦後はドイツが戦争に負けた影響から医学や科学の進歩はアメリカ中心に動いていた。その為に原書と云うと、殆どが英語で書かれたものであった。そんな時代の流れから医師もドイツ語を真剣に学ぶ者は少なかった。
さらに1970年以降は、医学書も日本で書かれるものが多くなって来始めた。そうなると医師の英語力も格段に落ちて来た。だからカルテに書かれている文字は英語でもなく、学術用語の羅列に過ぎない。
それらをまた省略して使うものだから専門以外の人には益々理解が困難になって来る。例えば乳腺外科を「乳外」と云うくらいならともかく、「パイ外」なんて言われると内科の医師などにはまるで分からない。内科領域に限ってもMSと書かれていても、それが僧帽弁狭窄症(Mitral Stenosis)なのか多発性硬化症(Multiple Sclerosis)なのかも区別出来ない。そして専門医になると、より省略文字が多くなって部外者を困らせる。
また高校時代までは書道に励んで達筆な文字を書いていた様な人でも、医学部に入ると文字が急に乱雑になる傾向が強いと言われている。それは授業のスピードが速くて、どうしても速記文字みたいになってしまうらしい。
次回に続く

想い出は風の彼方に(102)

浩司は情け無い思いで、沢近に病室の確保が出来ない事情を打ち明けた。彼は自信あり気に、
「篠木の様に、ただ真っ正面から突き当たっては看護婦の反感を買うだけだろう。ところで10階の消化器病棟のナースは何て名前だ?」
「え~と、確か安岡だったと思いますが」
「安岡か、それなら大丈夫だ。俺が口説き落としてみるさ」
そう言うなり沢近は、消化器病棟に電話をして安岡と少し話しをしただけで緊急入院の承諾を取り付けた。浩司から見ると、それは手品の様であった。
「先生は、どうして直ぐにOKさせられたのですか?」
と聞かずにいられなかったが、彼はそれに答えず
「篠木、あの患者さんはAPL(急性前骨髄性白血病)だ。悪いけど、お前も今晩は帰れないから家に電話をしておけ」
と言うや否や、彼は入院指示と病状説明の為に患者の父親の元に消え去った。APLには高頻度で重篤なDIC (播種性血管内凝固症候群)の合併が見られる。この女子高校生の場合は、そのDICによる出血傾向があまりに顕著だった。この当時の基本的な治療方針である凍結血漿とヘパリンの併用投与で沢近は、何とか彼女の出血傾向を抑制すべく懸命の努力を重ねたが、白血球数30万と云うマグマの様に押し寄せる白血病細胞を前にしては、さすがの沢近にも抗すべき手段を持ち得なかった。入院後8時間以上も、この病魔と悪戦苦闘を繰り広げていたが、彼女の全身性の出血、性器出血、歯肉出血、鼻出血の凄まじさは、まるで洪水の様だった。ベッドシーツは真っ赤に染まり、シーツの端からはポタポタと血が滴り落ちていた。沢近は狂った様に輸血を繰り返し、その総量は1600mlに及んだが全ては意味をなさなかった。入院翌日の午前6時17分に彼女は出血多量による死亡が確認された。その日、彼女は16才の誕生日を迎える所であった。浩司は沢近の脇で、彼が次から次へと出す治療指示を伝票に起こしカルテ記載にと全神経を集中させていた。浩司の思考は停止し、沢近の指示を機械的に処理していただけである。浩司が今までに経験した事もない白血病の急性増悪の激しさに、彼の思考回路は機能麻痺に陥っていた。
死亡確認の現場には、夜勤看護婦2人と沢近そして浩司が立ち竦んでいた。そこは正に戦場だった。病室全体がまるで血の海であった。外では高校生の父親が何かに祈る様に病室のドアを見つめていた。
しばらくして看護婦たちは亡くなった、うら若き乙女の身体を綺麗に洗い清め出した。その間に沢近は彼女の父親に病状説明を、ゆっくりと丁寧に始めた。浩司は、その後ろで黙って立っていた。
父親は想像を超える事態の変化に言葉もなく、空虚な礼を述べていた。
「私の様な素人には何が何だか分かりませんが、名のある大学で、先生方に一晩中の治療をして頂いて駄目だったんですから諦めるしかございません」
そう言って、父親は娘の亡き骸にすがった。
「千賀子…!」
一声だけ、父親は押し殺した様にうめいた。
次回に続く

想い出は風の彼方に(101)

日頃の冷静沈着な沢近に似合わず、気持ちが高揚している様だ。
「すると彼女が、父親の言葉とは裏腹に『採血したのは左手です』と言うのだ。それで俺は何食わぬ顔で彼女の胸部を聴診しながら、上半身を仔細に見回した。前後の胸部には数ヶ所に出血班が見られたのさ。思わず、ドキッとしたよ。直ぐに耳朶採血で白血球数だけをカウントさせてもらったんだ。そしたら篠木、白血球数は幾つあったと思う?…30万以上だ!」
「30万ですか!」
浩司も誘い込まれる様に唸った。
1万以上でも多いのだ。30万なんて数字は常識の範囲を桁違いに超えている。
「篠木、そこで頼みがあるんだ。何処かに空いている病室がないか直ぐに探し来て欲しいんだ。内科の病室が無ければ、婦人科でも外科でも何でも良いから、ともかく看護婦を口説き落としてくれ。俺はその間に血液標本を作るから」
「分かりました。直ぐ探しに行って来ます」
時間は6時を過ぎている。準夜帯の時間だ。電話で空室状況を確認しても看護婦がまともに答えてくれるはずはなかった。内科病棟ならともかく、外科や婦人科となると事はもっと容易ではない。まるで治外法権の世界に足を踏み入れる様だ。大先輩の沢近の頼みだから、断る訳には行かない。何としてもベッドを確保しなければと浩司の気持ちは焦る。南11階が血液内科の病棟だが、そこはすでに沢近が空きベッドの状況を確認していた。個室から二人部屋、大部屋と全ては満室だった。内科病棟は1病棟当たり45~50名で、5つあった。9、10階と病室の空き状況を自分の目で見て調べる。10階の消化器専門の病室が1つ空いていた。早速、看護勤務室に出向き入院の依頼をするが、にべもなく断られた。
「そこは明後日に大腸ファイバーで検査入院の患者さんが入る予定ですから、空室では無いです」
との言い草だ。
「明日には南11階で退院が一人出るから1日だけで良いから貸してくれないか…」
と浩司は食い下がったが、まるで相手にされない。
「そんな事は私たちの一存では決められません」
との、反発だ。浩司は少し気色ばんで…
「じゃあ誰に相談したら良いんだ?」
と、自分より5つ以上は若い看護婦に詰め寄った。
「夜勤婦長にでも聞いて下さい」
そう言うなり、その看護婦は浩司の前から遠ざかった。仕方なく他の病棟を回ってみるが、何処もベッドは空いているが看護婦に拒否され、浩司は途方に暮れるばかりだった。大学では、この当時この隠れ空室が問題になっていた。大学病院での経常利益の悪化は、この隠れ空室が原因の一つであると全科の医局長会議でも度々取り上げられるが解決の糸口が見えて来ない。看護部長が賛同しないからだ。大学の看護部長は650名からいる看護婦の頂点に立って、全ての看護婦に対する人事権を掌握している。1講座30~40名程のスタッフしか抱えていない内科や外科の教授なんかでは及びもつかない支配的な権力を有しているのだ。
対等に渡り合えるのは、病院長か副院長ぐらいだろう。
次回に続く

想い出は風の彼方に(100)

赤ん坊が生まれてから浩司も、以前よりは少し早く帰る様になって来た。赤ん坊の入浴にも積極的だった。時にはオムツ交換さえした。大学での仕事も少し楽になっていた。後輩の医師が多くなり、雑用に近い仕事は彼等に任せた。ただ博士論文の準備にかかる時期が迫ってはいた。それでも論文の準備は時間に追われる仕事ではなく、自分なりの時間調整が容易であった。バイトの数も少し減らし、出来る限り綾子と過ごす時間を取る様に努めた。日常的に帰りは8時前後で、以前の様に10時過ぎになる事は殆どなかった。
浩司は家に帰り、先ずは赤ん坊の入浴を行うのが常であった。そして綾子との夕食、食後の後片付けは浩司が積極的に手伝った。
その後10時半から2時間近くは、論文作成の為に大学図書館から借り出して来た文献を読み漁っていた。論文の主要テーマは二つあって、未だ決めかねていた。一つは放射線障害と白血病の発生頻度、もう一つは白血病の病状変化と糖蛋白の動向であった。前者は自分の中の小さな疑問から始まった。広島、長崎の原爆投下により、同地域での白血病発生頻度は著しく高まったが、その5年後からは逆に日本の他地域に比べ、その発生頻度は極端に少ない。血液内科の医学雑誌に載っていた文献の一部であったが、疑問符だけが書かれていて詳細な報告はなかった。一年程は、この放射線障害の問題を調べていたが、因果関係を特定するのが困難で直ぐに挫折してしまった。
次の糖蛋白の動向は、沢近からヒントを得たものである。
浩司が大学に戻った頃は、多くの白血病患者が押し寄せる様に入院して来た。週に数名以上は新しい患者が見つかった。大学にいると、日本中には白血病患者だけがいるのではないかと錯覚する程だった。そんな患者の全てから採血により糖蛋白の動向を調べて行った。
急性骨髄性白血病と慢性骨髄性白血病の急性増悪では、有意な相関関係が出て来た。1年以上をかけて106名の検体が集められた。沢近の協力による所が大きい。
ともかく沢近の白血病患者への拘(こだわ)りは、徹底していた。群馬の町立病院で白血病の疑いがある患者さんが見つかったと聞かされると土日に関係なく、彼は直ぐに出かけ骨髄穿刺を行ない、町立病院の小さな検査室で自ら血液標本を作り、その場で診断を付け大学に転院させてしまうのだ。沢近は決して強要はしなかったが、浩司も2度に1度ぐらいは彼に伴われて千葉や埼玉などに出かけた。
沢近には多大な恩義を感じていたばかりか、精神的にも崇拝していたので、時間があると浩司は彼に従い、血液学の多くを学んだ。
ある日の夕方、沢近が医局に興奮した足取りで入って来た。彼は何時になく饒舌だった。
「篠木、今15才の女子高校生が緊急外来に来たんだ。たまたま俺が通りかかって顔を出したら、生理の出血が止まらないとの訴えだ。当直医の吉田が『それなら婦人科に行って欲しい』と、婦人科に回そうとしたんだ。何か俺の中で引っかかるものがあったんだろうな。吉田には俺が診ると言って、その女の子の診察を始めたんだ。すると、右上腕に出血班が認められたので、『この出血班はどうしたのですか?』って聞いたのよ。すると付いて来た父親が、今日の午前中に近くのクリニックで採血した跡だと言うのさ」
次回に続く

想い出は風の彼方に(99)

32才の春、浩司はやっと大学に戻った。同時に有給の医局員の席も用意されていた。大学でもらう給与には特別な感慨がある。医師の国家試験に合格して7年目で有給の医局員となれたのだ。市中病院に行くまでの5年近くは無給でいたので、市中病院でもらう給与より少なかったが、それでも20万円と云う月給は有り難かった。これで入職7年目の看護婦と同じ待遇になったのだ。
大学でも一人前になったと云う思いが、浩司には更なる前途が約束されている様な気がしていた。給与こそ安いものの、大学では研究日と云う名のバイトが平日で1日、夜勤のバイトでは本人の体力が続く限り許されていたので、毎月の収入は手取りでも50万円は超えていた。生活は格段に向上した。夏休み、正月休みと綾子と二人で旅行する事も多くなった。大学卒の初任給が12万円時代の話しである。
1970年代から新設医大ラッシュが10年間にわたり続き、医師の数が倍増して行った。1961年に国民皆保険制度が出来上がり医師不足が大きな社会問題となって、46校だった医大が一気に80校にまで増やされた。しかし、新設医大の卒業生が社会に出るのは1980年以降であったので、その間、医師のバイトは売り手市場が続き本人の体力次第では、月に100万円以上も稼ぐ者もいた。浩司自身も頼まれバイトが多く、月に90万円近く稼いだ事もあった。そうなると家に帰るのは週に一度あるか無いかになってしまう。収入はともかく、これでは何の為の夫婦か分からないと綾子の機嫌も悪くなる。そんな夫婦の微妙な行き違いの中でも、綾子はまた妊娠した。
浩司34、綾子30の年である。夫婦共に子供は熱望していた。
綾子も専業主婦となり、元気な赤ん坊が生まれる為には如何なる努力も惜しまなかった。母親学級にも綾子は欠かさず参加し、家に帰ってからは浩司に、母親学級で分からない事を雨の様に質問をして浩司を悩ませた。その為に彼は産科の参考書を隅から隅まで読み漁った。そんな甲斐もあって産まれて来た赤ん坊は2900gの可愛い女の子だった。浩司の喜びようはない。産院には毎日顔を出し、そこから出勤して行く様な有り様だ。
手と言わず、足から顔まで舐め回していた。
「綾子、ありがとう。俺とお前の子供だ。可愛いな、本当になんて可愛いんだろう」
「浩ちゃんが、ここまで喜ぶとは思わなかったわ。それにしても仕事に行く時間でしょう」
綾子に急かされ、渋々大学に出かけて行く様子だ。
7日目には赤ん坊を連れての帰宅になった。綾子の母親と兄も連日の様にやって来た。浩司の両親も来た。どの顔も笑みをたたえている。3人の祖父母たちにとっては初孫だ。芝居見物の初舞台の様な浮かれ方だ。
「目元は浩司に似ている」とか、「口元は綾子にそっくりだ」とか…
赤ん坊のちょっとした身体の部分にこだわって、大人達は大喜びである。
そんな周囲の人達に支えられ綾子は幸せだった。やっと浩司の赤ん坊を満足に産み出す事が出来た満足感は、綾子だけが強烈に味わっていた。産みの苦しみと不安は、当事者以外の誰にも分からないのだ。まして最初の赤ん坊は一度として綾子の乳房にすがる事もなく、その小さな命は消え去っている。一度は女としての自分を失いかけた綾子だが、改めて自信を取り戻しつつあった。
次回に続く