想い出は風の彼方に(121)

「病院は多額の借金を抱えたまま倒産してしまうのだろうか?」
綾子にとって眠れぬ日が幾度となくあった。だから病院長など成るべきでは無いと思っていたのに、浩司は少しも耳を貸そうとしなかった。子供が二人もいて、一体この先どうするのであろうか?
赤字決算が2年続いた年の3月に、綾子は思い切って浩司の意向を質した。
「ねえ、あなた。娘の智美もこの4月からは高校3年になるのよ。大学受験はどうするつもり?」
「当然、行かせるべきだ」
何を今更分かり切った事を聞くんだといった顔つきである。
「そんな事を仰っても、我が家に智美を大学に行かせるだけの余裕があるの?」
「別に智美を大学に行かせるぐらいの事は、どうにでもなるだろう…」
「どうにでもなるって仰っても、あなたの給料は半分にカットしてあるのよ。他の常勤のドクターよりはずっと安いんだから…」
「そうか、昨年からそんな取り決めになっていたな…!」
浩司は少し思案気に黙っていたが、
「だったら、俺の給料を元通りにすれば良いだろう」
「そんな事をすれば病院の赤字は拡大するわよ、それでも良いの…」
「まあ、それも仕方がないな。それでも智美は大学に行かせるべきだろう。俺とお前の二人が大学に行っているのに、自分の娘を行かせないって訳にはいかないだろうが…」
「そりゃ、そうでしょうけど…あなたの給料を元に戻せば、智美を大学に行かせるのも訳はないかもしれないけど、でも智美は医学部に行きたいって言っているのよ…」
「医学部?…そうか智美は医学部に行きたいのか」
「そうなのよ、恐らくあなたの影響だと思うわ…」
浩司は少し嬉しそうに、
「それが本人の希望なら、医学部に行かせてやれば良いじゃあないか…!」
「そんな事を仰っても、公立ならともかく、私立の医学部にでも行くとなったら、あなたの給料を元通りにしても月謝は払い切れないわよ…」
「そんな事はどうにでも成るよ」
「どんな風になるの?」
「智美の学費に困るならば、お前の給料を上げれば良いだけだよ」
「どうやって?」
「別に名目はどうにでもなるだろう。俺がこの病院の理事長であり、病院長なんだ。お前の給料を上げるなんて事は簡単な事だ…」
「ふ~ん、そうなんだ。でも、そんな風にあなたと私の給料を好き勝手に上げて、病院の赤字拡大はどうなるの?」
浩司は少し嫌な顔をして、
「赤字の拡大は頭の痛い所だが、俺が他の医者と同程度の給料を貰っても文句は何処からも出ないだろう。大体今までが変だったのだ。病院長の俺が看護部長と同じくらいの給料に抑えられていた方がおかしいのだ。お前にしたって時給1050円なんてパートの事務員並みの給料でいたんだ。それもこれもお前が病院の経理をする様になってからだ」
「だって病院の赤字状態を見ていたら、先ずは自分達の給料を、下げて行くべきでしょう?」
次回に続く

想い出は風の彼方に(120)

こうして綾子は、病院の経理を担当する事にした。勤務は週に4日程で勤務時間も子供が学校に行っている時間の朝10時から午後3時ぐらいまでのパート勤務だった。
先ず綾子の最初の大仕事は、何と言っても土地の権利問題である。前院長の息子から借地権を買い取り、地主からは底地を買い取る事であった。いづれにしても1200坪の堅固な病院と云う建物が建っているのだ。その建物の所有権は医療法人「さくら町病院」にある。この新病院の建築に当たっては、地主からも借地権者からも公文書で許可も得ているのだ。それでも前院長の息子は、借地権の売却に3億円を要求して来た。今回の新病院建築の許可を得る為に、その息子には印鑑料として既に1千万円を手渡している。その上で3億円の売却費と云うのは、とても承服しがたいものがあった。弁護士に相談すると、
「そんな要求は、余りに法外で納得出来る金額とは程遠いから私、が交渉に当たりますよ…」
と言ってくれたので、彼に任せてしまった。結局、売却費は5千万円で話し合いがついた。地主からの底地権は見送る事にして、借地の更新に留めた。20年の更新延期で1千万円を支払った。
綾子は病院として、これ以上の借入れを起こしたくなかった。バブル崩壊後の不景気の波が目前に迫って来る様な危機感があったのだ。事実、ベッド稼働率は年々減少傾向にあった。デパートの売り上げは減る一方だと報じられていたし、高齢者は自己負担額の少ない療養型の専門病院へと流れている。ともかく全て、より安いものへと日本中が目の色を変えていた。一般庶民の年収も低迷している。年老いた親の面倒を見るよりは、自分たちの生活で精一杯になっていた。
医療費の抑制政策は年々厳しさを増している。それでいて、看護職を始めとする人件費は徐々にではあるが増加していた。
この翌年に病院経営には最大のピンチが訪れた。数キロ先の総合病院が倒産して、ある不動産会社に買収されたのだ。もちろんダミーの病院長が飾りの如く据えられていた。しかし、この事実を知った看護婦の多くが一斉に退職届けを出した。この事態に慌てた不動産会社の社長は看護職320名の基本給を一気に4万円も上げた。昇給が年に数千円の時代にである。この常軌を逸した昇給で看護職320名は全員が退職届けを引っ込めた。しかし、この事態に近隣の病院の経営者は震え上がった。
昇給にあてる財源など何処にもないのに、この総合病院の昇給で「さくら町病院」の看護職も動揺し始めた。数人が、かの総合病院に転職して行った。事態を重く見た綾子は、この年だけ看護職の基本給を一律に2万5千円上げた。60名からいる看護職の昇給で、「さくら町病院」は浩司が病院長に就任して以来、最大の赤字となった。銀行の態度は急激に冷たくなって来た。浩司の父親から譲り受けたマンションを綾子は6千万円で売却して、何とかその赤字を補填して、自分達は泣く泣く賃貸マンションに引っ越した。浩司の病院長としての給与も限りなくゼロに近かった。正に崖っぷちに立たされた状況である。
次回に続く

想い出は風の彼方に(119)

こうして浩司は、8億5千万円をかけて、本格的な改修工事をスタートさせた。子供は二人になっていたが、綾子も積極的な協力を惜しまなかった。設計に1年、工事に1年2ヶ月をかけ念願の新病院が完成した。浩司は53才になっていた。綾子は49才で子供たちも上の女の子が高校生で、下の男の子が小学生になっていた。
新しい門出を迎えようとしていた時、丁度借地権の更新時期が迫っていた。40年前に契約した当事者は、亡くなった前の病院長だった。その権利は当然の如く、相続の一環として前院長の息子の手に渡っていた。さくら町病院の理事長は浩司であったが、借地権は又貸しになっていたのだ。その息子は区役所に勤めているサラリーマンで、病院に顔を出す事も殆どなかったから病院スタッフと浩司は、すっかり彼の存在を忘れていた。
だからと言って、土地の権利問題をこのまま放置してはおけない。
浩司は10年以上も事の成り行きで病院長を務めていたので、土地の問題は初めから念頭になかった。毎月の地代は事務課長から事務長に昇進した村上が、水道光熱費を支払う感覚で処理していた。
どちらかと言うと、医者馬鹿に近い浩司は医療関係と離れた事務問題の対応には疎かった。
新病院はベッド数を115から150床に増やし、一般病棟が40床、療養型病棟が110床の体制で職員数もかなり多くなっていた。この組織を運営して行くには医者馬鹿の浩司には重荷で、綾子は外から見ていても不安になる事が多々あった。今回の土地問題にしても、8億5千万円の借入れを起こして新病院を建てたにもかかわらず、借地権の権利が棚上げになっていた事実に驚かさるばかりだ。
新事務長になった村上は、それなりの実績を上げてはいるものの、綾子の目には完全に運営管理させるには一抹の不安を残していた。
綾子は色々と悩んだ末に、浩司の父親に土地問題を相談した。80才になった父親は現役こそ引退していたが、知り合いの弁護士を紹介してくれた。彼女は夫のプライドを傷つけない様に、
「ねえ、あなた。この際、土地の権利問題は綺麗に整理しておいた方が良いわよ」
と、それとなく話した。
「そうだな、後にゴタゴタを残しておくのも面倒だから、誰か適切な人に相談して借地権と底地の両方を一つに纏(まと)め上げておくべきだろうな」
「私もそう思うわ…それでね、あなたにお断りしなかったんですが、お父様に相談して弁護士の先生を紹介してもらったの…」
そう言って、浩司の顔をチラリと見上げた。自分の独断専行が彼のプライドを傷つけないかと恐れたのだ。
「そうか、それは良かったな」
彼は屈託の無い笑顔を綾子に向けた。基本的に浩司は医療以外の問題には、あまり頭を突っ込みたくなかった様だ。これを機会に綾子はもう少し踏み込んでみた。
「ねえ、私も少し病院のお手伝いをしても良いかしら?…子供も大きくなったし、フルタイムとは行かないけど何かお役に立ちたいわ」
彼女は幾らか甘える様に頼んだ。
次回に続く

想い出は風の彼方に(118)

浩司は父親に、この赤字経営を脱却する秘策がないかを相談した。
父親は明快に答えてくれた。
「ベッド稼働率が満床に近いなら、全体的な室料差額を上げ薬価差益の損失を補填するしかないだろう。それによりベッド稼働率がどこまで下がるか、それが問題となるが…。また他の病院でリハビリでの収益が悪化すれば、当然リハビリを縮小させて行くだろうから、さくら町病院は、その逆を行くのだ。医療保険制度の枠でしか考えられない医療行為は、どうしても収益性に目を奪われてしまう。時には赤字でも目玉商品として、医療保険制度とは関係なく患者さんにとって必要と思われるリハビリには決して手を抜かない事だ。そのリハビリを誘い水にして、室料差額を上げて行けば良いのだ」
浩司は改めて父親の視野の広さに感じいった。彼は早速に父親のアドバイスを受け入れ、大幅な室料差額の増加に踏み切った。病院リニューアルと、リハビリ重視の経営理念が実を結んで、室料差額の値上げにもかかわらずベッド稼働率の低下は微細で済んだ。その結果、病院の経常利益は1億円を超えた。ただし、リハビリ部門に限れば2千万円程の赤字であった。
しかし、病院経営は順調で浩司が50才になった時には銀行からの借入れはゼロになった。
当時バブル崩壊後の日本経済は惨憺たる状況を呈していた。バブル期には日経平均が3万8915円を 付けていたのに1万円をも割り込む大暴落となっていた。
実質GDP(国民総生産) の推移は1994年が117.89(指標)で最高値を付けた後は2013年に98.90の最低値を付けて後に、「日本経済の失われた20年」と云う言葉が流行語にまでなるのである。 一般国民の実質賃金も減少の一途を辿った。この間、米国も欧州も実質GDPは2倍近くまで伸ばしていた。明らかに日銀の金利政策ミスであり、当時の日銀総裁第26代:三重野康(みえのやすし)はA級戦犯と言わざるを得ない。就任 は1989年12月17日、退任 1994年12月16日で正に日本経済は惨憺たる状況に陥れた張本人である。
1990年(平成2年)3月27日に「不動産融資総量規制」という一通の通達が、大蔵省銀行 局長・土田正顕の名で全国の金融機関に発せられた。この異常な投機熱を 冷やすのが目的であったが、この通達により日本の不動産価格は大暴落となってしまった。
その意味では、三重野総裁の金利政策ミスと土田局長の「不動産融資総量規制」が日本金融史上、最悪の政策ミスと言って良いだろう。
その様な不況の嵐の時代にあっても、さくら町病院は黒字経営をそれなりに維持していた。ベッド稼働率は少しばかり低下していたが室料差額の増額分が病院の収支バランスを健全なものにしていた。
やはり、リハビリに手を抜かず常に、患者本位のリハビリを心がけていた事が功を奏していたのかもしれない。
これに気を良くした浩司は51才の年に、病院の大幅な増改築にかかった。父親の予言通りに建築コストはバブル時代の半分近くで済ませる事が出来た。1995年の阪神大震災後一時的には高騰した建築コストも4年を経て、建築コストも落ち着いた時期であった。
次回に続く

原田さんへの回答

お母様の消化器症状は、明らかにアリセプトの副作用です。この様に副作用が強く出る患者さんでのアリセプト使用は百害あって一利なしです。アリセプトは即刻中止して下さい。かつて全認知症の半数以上がアルツハイマー型の認知症と言われ、盛んにアリセプトが多用されておりましたが…
昨今の知見では純粋なアルツハイマー型の認知症は10%前後だと言われています。それよりはレビー小体型認知症が40%以上はいるのではないかと考えるのが、認知症専門医の常識となっています。
ですからアリセプトを中止すると、病状がどんどん良くなって行くケースが増えています。私の認知症外来では、極力薬は使わず「脳トレ」と「生活習慣の改善」に努めています。アリセプトとかメマリを安易に使用していた時よりは認知症の改善率は確実に向上しています。
    【ご質問】
母のアリセプト服用について悩んでいます。もう長く服用していますが、今考えると軽い下痢から始まり吐き気やおう吐胃の不快感・食欲不振・頭痛の症状はあったのですが、胃カメラをしたり様子を見る感じで今まで来ました。たまに一瞬ですが気を失うこともありました。そしてずっと続いているのが足の不随意運動です。
今まで先生に症状を伝えても副作用の関連の話は出なかったので、何年も私はそのままにしてきましたが、アリセプトの副作用に該当してました。
アリセプトを飲んでいたから、今の状態なのか?でも年々進行しています。
アリセプトの服用を中止は、家族の意思でできるのでしょうか?止めない方がいいのでしょうか?
今までの母の症状が副作用関係していたなら、私のアリセプトを服用させる選択は母を苦しめただけなのでしょうか?どうしたらいいか分からずメールしました。すみません

想い出は風の彼方に(117)

建築コーディネーターは岡崎設計に頼み、病院側の総務係は事務課長の村上に任せ、病院リニューアルの計画がスタートした。週に一度は病院長、事務長、総婦長、病棟婦長が集まり設計上の意見交換がなされた。
限られた予算の範囲内ですべき事は、病院外壁の塗装、院内の壁紙交換、エアコンの交換、電動ベッドの導入、床材にはカーペットを敷設(ふせつ)し、更に建物の耐震対策などが最低限に必要な事と決定された。これらをゼネコンに丸投げすれば数億以上はかかるであろう。それを何とか1億5千万円以内で実行しようと云うのだから、総務の村上は大変な努力を強いられた。3ヶ月以上も脚を棒にして幾つもの工務店や素材メーカーを歩き回った。岡崎設計のコーディネーター料も1千万円を700万円に値切り、その分は村上が自分の脚で設計事務所に再三通って設計士の補助業務まで行なった。
ともかく全てを安く上げる為には自分の脚と汗しかないのだ。その意味で村上は孤軍奮闘した。
電動ベッドも定価25万円を11万5千円にまで値切り倒した。ベッド業者からは13万円以下では原価割れだと言って泣きが入った。
「それでは、今回はベッドの導入は諦めるしかない」
村上はそう言って、一度は業者を突き放し数ヶ月は何の連絡も取らなかった。結局は業者の方から譲歩して来た。
「いや、村上さんには敵わないや!…その代わりに、この値段で仕入れたって事は何処にも言わないで下さいよ。こんな値段で商売をしていたら会社が潰れてしまいますから…もう、全く」
そんな不満を言いながらも、妥協して来たのだ。全てにわたり村上は、こんな調子で業者泣かせをして徹底的に支出を抑え、目的のリニューアルを9500万円で達成した。これには浩司も事務長も驚いた。以前から浩司が欲しくて仕方がなかった全身用のCTも定価1億2千万円を、ただの2千万円まで値切り倒した。基本的にCTは半値が通り相場だと聞いていたので、村上は腰を据えて価格交渉に入った。3千万円が最後の攻防戦だったが、村上はこれさえも乗り越えた。これ以外にも多少の雑費は要したが全てを含めて1億2千万円で抑え込んだ。この間1年半を要し、1992年3月に病院は見違えるほど綺麗にリニューアルされた。しかし、日本経済はバブルが崩壊し始め、薬価差益は大幅に減少した。その為、この年は初めて病院の収支バランスが赤字に傾いた。ベッド稼働率は98%と年間を通して満床状態が続いているにもかかわらずだ。年間の薬価差益が1億5千万円あったものが、1千万円以下に急落し、浩司が病院長になって初めて2千万円の赤字決算となってしまった。これには、さすがに浩司も焦った。無制限だったリハビリも大幅に規制され、月間600万円程のリハビリ収入が100万円以下に削られた。バブル崩壊と共に医療費の大幅な削減が大蔵省と厚生省により実施され、日本国中の医療機関が悲鳴を上げ出した。綾子は生後1年半の幼児を抱えて、自分の不吉な予感が当たった事を危惧していた。
次回に続く

想い出は風の彼方に(116)

「綾子、お前にそのコーディネーターの当てはあるのか?」
「今回、色々と相談に乗ってくれた人が病院の仕事を手伝ってくれるかどうかは分かりませんけど、私なりに頑張って探して来ます。後は病院側で、どなたを総務担当にもするのか、その人事はお願いします。私もこんなお腹ですから実際の役には立てないと思いますわ」
綾子は自分のお腹をさすりながら答えた。
「そうだよな、お前の出産予定日まで後2ヶ月もないからな。何とか1ヶ月ぐらいで建築コーディネーターを探してもらって、増改築のプランを早いうちに立てないとな…そうそう事務長さん、銀行の融資は大丈夫なんでしょうね」
事務長はニッコリと頷いて、
「今の様な好景気の時代は、銀行は融資先を懸命に探していますから、この病院の様に堅実な経営をしている病院なら幾らでも貸してくれますよ。先日も菱山銀行が来て、10億円ぐらいの融資を何とかさせてくれないかと言って来たばかりです」
浩司は目を丸くして、
「銀行からの借入れって、そんなに楽なんですか?」
事務長は少し得意気に…
「楽なんてもんじゃあないですよ。少しでも業績の良い所なら、『お金を借りて欲しい』の大合唱ですよ。不動産が馬鹿みたいに値上がりしているんです。数年前までは2DKの団地が1千万円前後だったのに、今では2千万円はおろか3千万円の値段だって付く時代なんですから、こと不動産にしては正に狂乱物価と言えるぐらいです。うちの病院だって1800坪からありますからね、全て借地なんですがね…それでも必要なら銀行は幾らでもお金は貸してくれますよ。旧借地法ですから、自分の土地と変わらないんです。こちらの意志で100年以上でも借りたままでいられるんですよ。土地の借地料にしても固定資産税に毛の生えた様なもので、自己所有の土地と何んら変わりはないんですよ。ともかく今は不動産を持つているものが強いんですよね。お金ではなく、アイデイアと事業の企画力が試される時代なんです。お金なんかどうにでもなるんです」
「そうなんですか、うちの親父なんか戦後の引き上げで土地も金も無く、事業展開には相当苦労していましたがね」
「それは昭和20年代から40年代ぐらいの話でしう。昭和36年から国民皆保険になりましたから、病院や診療所に駆けつける患者さんは急激に増えたのです。この昭和30年代から40年代と云うのほ医療業界の最盛期ですよ。この時代、不動産は買った者勝ちなんですよ。病院も拡張して不動産をより多く所有すれば、経営自体トントンでも土地の担保能力がウナギのぼりでしたから、銀行は幾らでもお金を貸すのですよ。病院が経営破綻に陥るのは、後継者問題と病院以外の事業に多大な投資をした場合だけです。何しろ患者さんは増える一方ですし、医療保険制度ですから貸し倒れなんて発生しようもないのです。こんな安全な事業は他にないですよ。だから銀行は病院だと云うと目の色を変えて融資をさせて欲しいと日参して来るのです」
そう得意気に事務長は説明した。
次回に続く

想い出は風の彼方に(115)

「宣教師の様にか、なる程な。実に言い得て妙だな…それはそれとして、誰か梶棒を取る人間は必要だろう…?」
浩司は綾子に視線を戻して尋ねた。
「確かにリーダーになる人は必要でしょうね。看護婦長さんとか事務長さんとか…」
「いやいや、奥さん。私はその任には耐えられません。先程からお話を伺っているだけで、もう私の様な、年寄りの出る幕じゃないと思っていた所ですから」
「それじゃあ一層の事、綾子お前がやれば良いだろう…!」
「あなた、私は子供を抱えているのよ。今日だって、母に頼んで何とか病院に来たぐらいなんだから…それに後数ヶ月もすれば、もう一人出来るのよ。上の珠江は小学2年だから、それ程には手がかからないけど未だ母親は必要な年令だわ…」
「でも働いている母親は、世間には幾らでもいるぞ。産まれて来る子供は保育園にでも預けて頑張る方法だってあるだろう」
「あなた、保育園だってそんな簡単には入れないのよ。半年以上は待ち続けている人たちが殆どなんだから…」
「そうか、それなら俺のお袋にでも育児は頼むか?」
「あなた、お母様の年を幾つだと思っていらっしゃるの…65才なのよ。2、3日ならともかく本格的な育児なんて無理ですよ。私の母だって、お母様と同じ様な年齢だから当てにするだけ無駄よ」
「そうか、お袋も65才になっているのか。それじゃあ孫の子守りを押し付けるのは気の毒だな…となると、誰にさせるかが問題だな」
浩司は困り果てた顔になった。すると綾子が、
「この病院には総務係の様な人はいないの?」
「総務ですか…皆んなが適当に助け合って、それなりにやっていたから特別に総務なんて係はないですね」
と、事務長が説明に入った。
綾子が少し不満気に、
「それでも100人以上もいる組織を纏(まと)めるには、総務係も必要になるんじゃあないですか…」
「まあ~これまでは何かドンブリ勘定でやっていたので、総務係なんてものの必要性は感じていなかったんですよ。それに余計な人件費も増やしたくなかったですしね」
そう事務長は、事も無げに話した。綾子はあくまでも笑みを崩さず、
「事務長さんのおっしゃる意味はよく分かりますが、逆に効率的な役割分担と云う考え方もありますよ。誰の責任かも分からず、ただその場の雰囲気に流されて仕事をしていると何も満足には達成出来ていないなんて事だって、あるんじゃあないですか?」
「奥様にそうおっしゃられると、返す言葉もありませんが…」
横から浩司が、
「綾子、お前は少し言葉が過ぎるんじゃあないのか…!」
と、口を挟んだ。
「あら、言葉がきつかったかしら…それならお許し下さい。でも、新しい病院の体制作りには、総務係はどうしても必要だと思いますわ。その方を中心に病院改築の計画を立てて行くべきだと思うのですが。それに専門の建築コーディネーターをある期間は雇い入れる必要がありますわね…」
次回に続く