レビー認知症の娘さんへの回答(再々)

確か、前回もご説明しました様に「この認知症」と云う疾患は、非常にに多彩で、アルツハイマーとか、レビーとか単純に割り切れないのです。そして前回もお話しをしました様に「医原性疾患」(医師の誤診、投薬ミス)などが複雑に絡み合ったりしますと、現在の患者さんの病状を克明に診て行かないと、適切な治療は極めて困難です。また前回の話になりますが、私は認知症の初診患者さんでは30分以上はかかりますので、メールや電話だけでの診察には自信がありません。一度かなりの遠隔地から診察を受けにいらっした患者さんがいましたが、この方の場合は診察に1時間以上もかかった事がありました。私の診察は先ず患者さんとのスキンシップから開始しますので、どうしても時間がかかります。今、厚労省は遠隔地診療(タブレットなどの使用により)を計画している様ですから、この計画が実施可能になれば北海道や沖縄からでも診察は可能になるかもしれません。そんな日が早く来る事を望んでいます。
それから私の連載小説の件ですが、配送先の住所、郵便番号、御氏名、電話番号をお伝え下されば、何時でも送らせて頂きます。
緑協和病院 045-962-6666にご連絡下さい。
それでは失礼します。
「追伸」レビー小体型認知症でのレミニール服用は、薬そのもので明らかに病状は悪化させるケースが多いと言われています。一部の専門医では分かっていましたが、今でも日本中の医師の8割は理解していません。しかし、哀しい事に、このレミニールやアリセプトの副作用問題は、医療訴訟としては成立しません。何故なら日本の多くの医師が行っている医療過誤は、現代医療の常識と裁判所は判断するからです。
  【ご質問】
先生、ありがとうございます。
先生、お詫びだなんてとんでもありません。
今まで幸いにも長期に渡り病院にお世話になる事もなく過ごしてきた私達家族にとって、2016年10月に近所の認知症外来のある病院でアルツハイマーと診断(その後入院した精神科でレビーと診断されました)されてからレミニールを服用、どんどんおかしくなっていき、主治医に訴えても『薬のせいではなく、病気が進行しただけ』と取り合ってもらえないどこれか、4mgから8mgへ増量されたんです。
その後、自殺願望と暴力がひどくなり、精神科へ入院するも、どんどん壊れていく姿を見て、私はすぐにでも退院をさせたくて、地域包括センターへ在宅介護の相談を申し出た所、
『まだ精神科で薬を合わせてもらうべき、退院は急ぐべきではない』と言われ、
ケアマネージャーも紹介してもらえない状態でした。
誰を頼って良いのか、、
誰に相談したら良いのか、、
素人の私の考えが間違いでプロに任せておけば良くなるのか、、
でも、絶対、薬のせいだと思う…
そのような状態が今も続いており、
そんな中、成川先生が患者や家族に対し真摯に向き合ってくださる事がいまだに信じられません。
しかも、伺って受診していただいたのではなく、文章のみの相談でここまでしっかりアドバイスを頂けるとは思ってもみませんでした。
先生には感謝だけしかないです。
お詫びだなんておっしゃらないでください。
そして、出来る事ならお会いして感謝を申し上げたいです。
本当にありがとうございます。
25日から1泊2日、外泊しました。
入院前の昨年10月は自分でトイレに行き、排便後も自分で拭く事が出来ていましたが、もう出来ません。
トイレに行きたい、という事も言えず、うなりはじめるだけです。
もう、父と会話は出来ません。
母は、『トイレにも自分で行けないし、意志疎通も全く出来ない、大変なのは分かっているけど、一旦退院させたい』、と言ってます。
心配していた徘徊については、リビング以外が暖房がきいておらず寒いので、部屋から出ようとはするものの、『さむっ』と言いながら戻ってソファでほとんどを過ごしていました。
近々、母が主治医と面談をし、退院日を決める予定です。
名古屋の病院、そうです。
そこで、セルシンを処方してもらいました、さらに様子がおかしくなり、すぐに相談しましたが、そこでも『病気の悪化』と言われてしまいました。
母、弟と一緒に行ったのですが、私達家族の誰とも目を合わさず、ずっとパソコンに向かったままでした。
それでも、薬さえきちんと処方してくれて、父の症状が落ち着けば…と思いましたがそのような気持ちもただの期待だけに終わりました。
私が期待しすぎていたからいけなかったのですが、結局、どこも一緒なんだな…って思いました。
今の病院では、以前の精神科のような拘束はありませんが、歩き回るとクロチアゼパムを飲ますようです。
不穏時や不眠時も飲ますようです。
先生の教えて下さった(残念な事に無くなってしまった)病院のように、疲れるまで歩かせてくれたら言いのに…
2016年10月から、色々有りました。
何度も警察にお世話になりましたし、沢山の薬の服用、それにより、肝臓を悪くしたり、不明熱で精神科から県立医療センターに転院したり。
先生のおっしゃるよう、手遅れなのかもしれません。
服が着られなくなり、箸が使えなくなりました。
全く意味不明の事をずっと話し続けています。
ただ、母や私の事は分かります。
飼い猫の事もしっかり覚えており、帰ってきた時も猫の名前を呼んでいました。
退院後、薬、どうしたら良いでしょうか?
先生に診て頂きたいのですが、父を横浜まで連れていくのは難しく…
私だけが伺っても薬を調整して頂く事は無理ですよね?
霜月の夕暮れ、ぜひ読まさせてください。
先生の病院へ問い合わせさせて頂いても良いでしょうか?
今回も長文で失礼致しました。

哀しみの果てに(10)

「それはお前の本音か、それなら今までの言葉は許してやる」
どうにも太刀打ちしかねる。本当に認知症なのか、医者の診断には疑問が残る。一見話に筋は通っている様に思えるが、所々話の辻褄が合わない。大体が年齢から言っても祖父が軍隊になど行っているはずがない。終戦当時は小学生ぐらいに違いないのだ。それなのに満州での戦いは大変だったとか、移送船でシンガポールに渡る時は敵の魚雷で船が沈められ、陸まで20kmも泳いで九死に一生を得たとか、まるで実体験して来た様な話を誇らし気に語る。
他人の体験が、何時の間に自己体験と混同してしまったのか、旧い映画の記憶が奇妙な錯覚を生んだのか判明しないが、ともかく自分の体験として頑固に主張する。
この様な錯乱した話は、信吾と同居する様になってから強くなっていた。祖父は6畳間にベッドを置いて、信吾は4畳半に布団を敷いての共同生活となった。トイレが共同便所だったので、これには難儀した。週に数度は祖父の寝小便に見舞われ、夜中のベッドマット交換には泣かされた。食事はコンビニ弁当が多かったが、時には野菜炒めやカレーライスを苦労して作ったりする事もあった。週に一度くらいは母も手伝いに来てくれた。
何故信吾が、こんなにも頑張っているのかと言えば、祖父への情愛も少しはあったが、祖母の残された預金が未だ1千万円以上はあった。祖父の年金は信吾が管理していたし、多分にバイト感覚でそれなりにネコババもしていたのだ。昼間の天気の良い日には、公園へ散歩に連れ出す事もあった。ともかく2階から外へ下ろすまでが一苦労で、始めの数週間は2段、3段の階段トレーニングが限度だったが、一ヶ月程で17段ある階段の上り下りが可能になって来た。リハビリに関する知識など無いに等しい信吾が、これだけのトレーニングを何とか達成出来たのは、ただお金だけの問題だとは思われたくない。やはり一つの拘(こだわ)りがあったのかもしれない。
実際に2階から無事に17段の階段を下り切った日の感動は、ちょっと言葉では言い現せない。
「おじいちゃん、後一歩だ、そうもう一歩だ」
そんな信吾の励ましにもかかわらず、祖父は…
「年寄りを虐(いじ)めて、お前は嬉しいのか?」
などと言われながらも、
「もう少しだよ、関東軍の軍人魂はどうしたの!」
などと煽て上げ…
「うるせえ、それは昔の話だ」
と、逆切れされ…
「そんな事は無いよ、おじいちゃんは今でも若々しいよ」
と、宥めすかし一ヶ月間の階段トレーニングを何とか成功させた。
自分の脚で2階から信吾に支えながらも何とか下り終えた祖父の満足気な顔は、誰かに見せて誇りたい気分だった。しかし、天は無情か…それまで晴れ上がっていた空は突然の集中豪雨に見舞われた。そのまま散歩に連れ出す訳にも行かず、また降りて来た階段を上って行かねばならない。上りは下りの倍以上の苦労と励ましを伴う。3段上っては一休み、さらに2段上っては散々な嫌味を言われ…
「信吾、お前は俺に何か恨みでもあるのか?」
次回に続く

哀しみの果てに(9)

祖父の退院の日には母も信吾と一緒に病院まで来た。パートの仕事はあったが、さすがに信吾一人だけに任せておくと云うのも心苦しかったのであろう。病院から祖父のアパートまでは、タクシーで15分ぐらいであった。タクシー代は母が黙って支払った。
そこから祖父を2階の部屋まで運び入れるのが大変だった。エレベーターは無く、手すりだけの安アパートである。それでも信吾の家の5階建ての公団住宅よりは遥かにましと言えた。
母が前から引っ張り、信吾が後ろから祖父を押し上げた。わずか9日間の入院であったが、祖父の足腰はかなり弱っていた。冬の寒さにもかかわらず、3人は汗だくだった。部屋の中は汚れ放題だった。6畳と4畳半の二間に小さなキッチンはカップ麺の食べ残しや、腐ったコンビニの寿司、賞味期限の切れたトンカツ、欠けた茶碗、変色した雑巾やタオル、垂れ流した日本酒、トイレットペーパーやティッシュが行き場を失ったかのような散らかり方だ。祖父の部屋を開けた途端に臭気か飛び散って来る。母子は共にハンカチで顔を覆ったが、その臭気で吐き気に襲われた。しかし祖父は平気で立っていた。ともかくキッチンから椅子を持ち出し、祖父を毛布に包み玄関脇で待たせて置いた。そこから2時間以上も、母の悪戦苦闘が始まった。全ての窓を開け放ち、先ずはゴミの破棄からスタートさせた。片付けると云うよりは捨て去る仕事が優先だった。昼も1時を過ぎ祖父は盛んに空腹感を訴えたが、このゴミ捨て場の様な場所では何処にも飲み食いする場所など見つからない。ともかく何とか片付いたのは午後2時だった。母の靴下もエプロンも真っ黒になっていた。
部屋の後片付けが一段落したした所で、祖父を6畳の炬燵の前に座らせ、信吾は急ぎ 近くのコンビニに走り食べる物を買って来た。おにぎり4個、パン3個、漬け物合わせ、おでんと思いつくままに買い漁った。もっともバイト先で貰った、僅かばかりの金だっので信吾のポケットには大した金もなかったが…。それでも祖父は喜んで、よく食べていた。
この、食欲の旺盛さを見ていると元気になった証拠だと思えた。それでも、早食いの習性が気になる。誤嚥でも起こしたら、また病院に舞い戻りになってしまうだろう。
「おじいちゃん、もっとゆっくり噛んで食べなよ」
「何を言っている。昔の軍隊じゃあな、早飯、早グソは芸の内と言われたもんだ。男は何だって、テキパキやるもんだ」
「そりゃ働き盛りの内はそれで良いかもしれないけど…」
と、信吾も少しやり返した。
「何だと信吾、お前は俺が役立たずのボケ老人だとでも言うのか?」
「そんな事は言っていないよ。ただ身体の為には、ゆっくり噛んで咀嚼(そしゃく)するのが良いって言っているだけだよ」
「そんな事はお前なんかに言われなくても分かってるわい。ただ俺を年寄り扱いする、お前のその態度が気に入らないだけだ」
「おじいちゃんが年寄りだなんて考えた事はないよ。ただ少しでも元気でいて欲しいと願っているだけなんだがな…」
次回に続く

レビー認知症の父の娘さんへの回答(再)

この薬の服用の、仕方は完全にDLBに対する処方の仕方であるとは思いません。失礼ですが、認知症に深い知識を持った医師の処方ではありません。行き当たりバッタリの処方でしかありません。同じ医師として心からお詫び申し上げます。まずDLBの基礎を復習してみましょう。(1)抑うつ状態
(2)薬剤過敏症状: ちょっとした風邪薬でも副作用様が長引く、
(3)自立神経失調症状(便秘、不眠など)
(4)REM睡眠行動障害(夢遊病者に似た症状です)
(5)パーキンソン症候群
(6)幻覚、妄想など
これ以外にも微妙な症状が多彩にあります。
この中で一番注意しなければならないのは安易な薬剤投与です。何故なら「薬剤過敏症状が強い」からです。慎重にも慎重を重ね、その患者さんにあった薬剤を増やしたり、減らしたりしながら治療効果を診て行くのです。DLBの初期症状では私は、殆ど薬剤を使用しません。丹念なカウンセリングと脳トレ(励まし、励まし)が
私の基本方針です。そしてご家族にDLBの介護方法の基礎を学んでもらいます。先ず第一は本人の言動や誤ちを決して否定しないと云う事です。どの様な状況であれ、相手の人間性を否定するのは絶対にしてはいけない事です。
さらにウインタミン散の処方ですが、今の薬に付け加えると云うのは論外です。私の見解では今までの薬を全部検討することから始めるべきです。名古屋で著名な先生がいて、一度診察に行かれたと書かれていましたが、もしかしたら「名古屋フォレストクリニック」の河野和彦先生の事でしょうか?…私も彼の著書を何冊か読んでいますが、彼の診察態度が仰る通りの状況でしたら、私は失望のあまりショックを隠せません。私なら初診の患者さんに最低でも30分以上はかけます。まあ、そんな私事はどうでも良い事ですが、お父様の現在の病状は、いわゆる「医原性疾患」(医師が処方ミスなどで作り出してしまった病気)に近いかもしれません。失礼を顧みずに申し上げれば、かなり手遅れに近い病状かもしれません。そうでない事を祈っていますが…
また、私の認知症に関する連載小説は出版しておりません。出版などで、他人の目に触れる事を嫌っているからです。ご希望があれば、ご自宅に無料で送らせて頂きます。外来患者さんにも無料で皆さんに読んもらっています。
タイトルは「霜月の夕暮れ」です。
宜しければ、またの質問をお待ち申し上げております。なお、三重県四日市市で「認知症専門医」が何処にいるのかは分かりません。日本認知症学会に所属している医師なら調べられますが、その方の人間性までは分かりません。結局は医師と雖も、その人間性につきますから。実際に私も大学病院での「認知症」に関する誤診を沢山見ていますので、医師の私が言うのも変ですが、私もかなり「医療不信」を持っているのです。
  【ご質問】
先生、早速のご回答ありがとうございます。ご多忙な中、本当にありがとうございます。感謝します。(エラーになった為、コメントが重複し失礼いたしました。)
本日、外泊で朝から帰宅しています。
前回の外泊は1月で、その時も思ったのですが、段々出来る事が少なくなってきており、ずっとオムツを充てている為、排泄をトイレで行う事さえ出来ない状態です。
入院していて、出来ない事が増えてしまう事が本当に悔しく思います。
今日、迎えに行った時、不穏でした。
看護師さんから
『便が5日間出ていない。浣腸や下剤は使っていない』との事。
(前回の外泊時、下剤服用後の浣腸で、下痢がひどく、帰宅してから大変だった為、今回は"浣腸、下剤"を控えて頂くようお願いしました)
不穏の原因はきっと便秘、何とか便を出してあげたいと思い、病院からの帰り車内で、野菜ジュースを2本、帰宅後、お茶をコップに3杯飲んだら、大量の便が出ました。
そして、不穏はおさまり、その後1時間程寝ていました。
こういう工夫って病院ではしてくれないのでしょうか?
三重県四日市在住なのですが、先生のようなお考え、対応をしてくださるお医者さまは、こちらの地域にはいらっしゃらないでしょうか?
もしいらっしゃったら紹介をして頂きたいです。
名古屋で著名な先生ということで、1度、お世話になりましたが、診察時間が1分程で、しかも何も答えられない父に対し、『アスペルガーか!』って言ったんです。
医者に対する不信感の中、先生のブログに出会い、先生のような素晴らしいお医者さまがいるんだ…と思いした。
先生が信じられない程、真摯に向き合ってくださる事に、本当に感謝します。
先生の見解で病名まで教えてくださり、本当に本当に感謝します。
ありがとうございます。
あと、先生、お時間が有る時で構わないのでウイタミン散について教えてください。
現在下記を服用していますが、ウイタミン散も処方してもらっても良いでしょうか?
(1度目の入院をした病院で、リスペリドン、テトラミドなどの副作用で薬剤性不明熱、そして廃人同様になった旨を説明して今の薬を処方して頂いてます)

・デパケン細粒
・カルバマゼピン細粒
・ネシーナ錠
・パンテチン錠
・パルプロ酸ナトリウム
・アリナミンF

・朝の薬 ― ネシーナ錠

・昼の薬 + 330マグミット
眠前
・330マグミット
・デパケン細粒
・カルバマゼピン細粒
・ロゼレム錠
・ルネスタ
・100パルプロ酸ナトリウム
今も目の前に父がいますが、ずっと意味不明の事を話していて、どんどん壊れていきます。
何度も申し訳ありません。
先生、アドバイスを頂けたら幸いです。
(先生の御本も拝読させて頂きたいので、タイトルを教えてくださいませ。)
先生、早速のご回答ありがとうございます。ご多忙な中、本当にありがとうございます。感謝します。
(エラーになった為、コメントが重複し失礼いたしました。)
本日、外泊で朝から帰宅しています。
前回の外泊は1月で、その時も思ったのですが、段々出来る事が少なくなってきており、ずっとオムツを充てている為、排泄をトイレで行う事さえ出来ない状態です。
入院していて、出来ない事が増えてしまう事が本当に悔しく思います。
今日、迎えに行った時、不穏でした。
看護師さんから
『便が5日間出ていない。浣腸や下剤は使っていない』との事。
(前回の外泊時、下剤服用後の浣腸で、下痢がひどく、帰宅してから大変だった為、今回は"浣腸、下剤"を控えて頂くようお願いしました)
不穏の原因はきっと便秘、何とか便を出してあげたいと思い、病院からの帰り車内で、野菜ジュースを2本、帰宅後、お茶をコップに3杯飲んだら、大量の便が出ました。
そして、不穏はおさまり、その後1時間程寝ていました。
こういう工夫って病院ではしてくれないのでしょうか?
三重県四日市在住なのですが、先生のようなお考え、対応をしてくださるお医者さまは、こちらの地域にはいらっしゃらないでしょうか?
もしいらっしゃったら紹介をして頂きたいです。
名古屋で著名な先生ということで、1度、お世話になりましたが、診察時間が1分程で、しかも何も答えられない父に対し、『アスペルガーか!』って言ったんです。
医者に対する不信感の中、先生のブログに出会い、先生のような素晴らしいお医者さまがいるんだ…と思いした。
先生が信じられない程、真摯に向き合ってくださる事に、本当に感謝します。
先生の見解で病名まで教えてくださり、本当に本当に感謝します。
ありがとうございます。
あと、先生、お時間が有る時で構わないのでウイタミン散について教えてください。
現在下記を服用していますが、ウイタミン散も処方してもらっても良いでしょうか?
(1度目の入院をした病院で、リスペリドン、テトラミドなどの副作用で薬剤性不明熱、そして廃人同様になった旨を説明して今の薬を処方して頂いてます)

・デパケン細粒
・カルバマゼピン細粒
・ネシーナ錠
・パンテチン錠
・パルプロ酸ナトリウム
・アリナミンF

・朝の薬 ― ネシーナ錠

・昼の薬 + 330マグミット
眠前
・330マグミット
・デパケン細粒
・カルバマゼピン細粒
・ロゼレム錠
・ルネスタ
・100パルプロ酸ナトリウム
今も目の前に父がいますが、ずっと意味不明の事を話していて、どんどん壊れていきます。
何度も申し訳ありません。
先生、アドバイスを頂けたら幸いです。
(先生の御本も拝読させて頂きたいので、タイトルを教えてくださいませ。)

レビー小体型認知症の父の娘さんへの回答

レビー小体型認知症DLBは、この7~8年でやっと社会的な認知度を深めて来ました。それまでは何でもかんでもアルツハイマー型認知症ATDと診断されていたものが、実はDLBの方が患者数が多く、問題が深刻化している事が遅まきながら医者の間でも理解度が加わって来たのです。その為に一般医はともかく精神科医でも、その治療法に精通していない方がかなり多く見られます。それと昨今の日本認知症学会の発表では、単独のDLBやATDが少なく混合タイプが多くなっている事実も確認されています。74才のお父様は単独のDLBと言うよりは、一部ピック病が合併しているのではないかと思われます。これはレビー・ピックコンプレックと呼ばれている病名です。非常に複雑な病状を呈しますので、通常の精神科医の手には余るでしょね。病状に精通していない精神科医ですと、病気は悪くなるばかりです。根本治療は少量の精神安定剤(あくまで少量でウイタミン散10~20mg/day程度です)、後は脳トレと一日に数回の散歩(これにより徘徊は軽快します)、そして音楽療法(童謡、懐メロ)などです。しかし一口に脳トレと言ってもそれなりのテクニックがあります。この脳トレは病院では、あまりはやってくれません。もちろん施設でも…。現状では在宅でやるしかありません。病院や施設でやるには現状の医療保険や介護保険では人的状況や経済的な理由で困難だからです。私の近所でも、徹底な認知症治療に当たっている病院があり、そこの院長が驚くほど医学的な良心に燃えていた方で、実に真摯に認知症医療に取り組んでいましたが、ベット数300の病院は4年程で潰れました。患者1人に常時3人の介護職員が24時間付ききりで認知症治療に当たっていましたが、とても現在の保険制度ではそんな費用は出ません。結局は60億円以上の赤字経営で倒産しました、しかし、そこの病院での治療効果は抜群でした。患者さんの徘徊も、ご本人が疲労で動けなくなるほど自由にさせていました。夜中でもです。そして徘徊は静まりました。こんなにも認知症が良くなるんだと思うほどです。
私も現在は外来で多数の認知症患者さんを診ていますが、入院はさせません。患者家族がどんなに辛くても私のアドバイスに従って治療に当たって下さった方のみが、認知症治療に成功しています。施設や病院では悪くなるばかりです。しかし、在宅と言うのは簡単ですが非常に困難な道である事は充分に認識しているつもりです。私は認知症に関する本を何冊か書いていますが、認知症治療の最大効果は「患者家族の大きな愛」です。私の外来患者では100人に20数名が、認知症治療に大きな成果を示しているに過ぎません。ご家族が支え切れないからです。それでも私は認知症治療に取り組んでいます。それ以外にも一口に認知症と言っても動脈硬化性の部分や生活習慣病の部分、飲酒、喫煙などを総合的な配慮が必要ですから、精神科医に適切な治療は困難かと思われます。他にも具体的な質問があれば承りますので、何時でもご質問下さい。
【ご質問】
ご多忙な中大変恐縮ですが、アドバイスを頂きたいと思いコメントさせて頂きました。
父(74)はレビー小体型認知症と診断され、精神科の入退院を繰り返しています。
在宅介護は母(74)がする事になります。
私は離れて住んでおり、休みの度(週1)で帰る予定です。
主治医からは何度か外泊をしてみて、在宅介護が可能なら退院をしても良いと言われています。
私と母は、父に対する病院の対応なども良くないため、退院させて様子をみたいと考えています。
看護師からは、『病棟を歩き回るから在宅は無理』と言われる事もありますが、やる事がないから歩き回るのでは…と思う事もあります。
私より遠方に住む弟は、母が一人でみるのは無理、入院させておいた方が良い、と考えているようです。
今回の入院理由は"自殺願望、徘徊、暴言、暴力"がひどく薬調整の為でした。
3度目の入院で、今の病院にお世話になるのは2度目です。
主治医に相談したら良い話なのですが、
何の連絡も無しに主治医が変わり、主治医が変わった事を3か月後に知ったという事が有り病院に対して不信感が有ります。
昨年10月から入院をしており、母が週2、私が週1で面会に行ってますが特に暴言をはいたり暴力的なところは見られません。
退院後はデイサービスにお世話になろうと思っています。
父が外泊した時、見学に行ったのですが、父を人間扱いをしてくださる、すごく良い職員さんがいらっしゃり、安心しました。
病院では、そのような扱いをしてくださらないので…
このような状況なのですが、退院についてどう思われますか?
病院で歩き回っていたら、退院後に徘徊するでしょうか?
ご多忙な中、またメールでの相談で情報も少なく申し訳ありません。
アドバイスを頂けると幸いです。

哀しみの果てに(8)

しかし、信吾は次第に自分の親達の不甲斐なさが哀れに思えて来た。父親は50才を過ぎて、大学も2年で中退になり最終学歴は高卒でしかない。それでも途中から独学で勉強して「地方公務員初級職」に何とか合格した。そこまでは認められる。しかし、それ以降はキャリア・アップする為の努力も勉学もまるでやっている気配がない。狭い公団住宅に甘んじ、一人息子の信吾を大学に行かせる気力もなく毎日を蟻の様に過ごしている父親には何を相談しても意味のない事は分かっているはずだったのだ。信吾は改めて自分の父親の不甲斐なさを認識した。やはり、こうなったら自分が祖父の介護をするしかないと考える様になって来た。これまでも信吾の将来に、何か希望的な意見を言った事もなく毎日の生活に何の波風も立てない事が、生き甲斐の様な父のだった。祖父に対しては例え相手が自分の父親でもあっても、自分の生活には何の変化も与えたくはなかったのである。大して自分の父親に愛情も感じていなかったのであろう。その点、信吾は違う。やはり、あの旧豪邸で遊ばせてもらったと云う記憶は僅かに残っているし、没落してからも祖母の隠れた3千万円の定期預金が出てきてからと云うもの、親に隠れて小遣いも幾度かは貰っていた。
あれこれ考えると、この祖父の面倒を見るのは自分の役目ではないかと思えて来る。そんな考えから信吾は伏し目がちにちに両親の目を見た。
「なんだったら、俺がおじいちゃんと一緒に生活をしても良いよ」
彼の両親は驚いた様に、
「お前がか?」
と、聞いて来た。信吾は少し不貞腐れた様に…
「だって、今の場合は俺しかいないだろう。何の定職もなく、その日暮らしのバイトだけで生活しているんだから…」
父親は信吾の機嫌を取る様に、
「しかし、年寄りの面倒は大変だぞ。ましてあの親父は我儘育ちだから…」
「そうかな、俺はじいちゃんが苦手じゃあないぜ。結構憎めない所もあるし…それにしても何時からボケ始めたのだろう!…全然気が付かなかったな。そう言えば、この数ヶ月はバイトで忙しく、じいちゃんの所には全く遊びに行ってなかったからな…」
「そうね、私たちも近頃はお父さんの所にはまるで顔を出していなかったわ」
と、母が少し申し訳なさそうに言った。
「それは俺も同じだ。毎日の仕事があるから、そう頻回に親父の所に顔を出すと云う訳にも行かないだろう」
「それにしたって、実の父親が年を取って一人暮らしをしているんだから、月に1、2度は顔を出すべきだろう。大体、親父なんかプロ野球の観戦には月に一度ぐらい行っているじゃあないか?」
「馬鹿、それは付き合いってもんだ」
「何の付き合いか知らないが…」
父親は、それ以上は何も言い訳をしなかった。母親もその事に関しては、何の口も挟まなかった。
信吾は、さばさばした口調で…
「明後日は俺が病院に行って、じいちゃんの退院をさせて来るよ。そして、じいちゃんのアパートでしばらくは一緒に暮らすさ」
次回に続く

哀しみの果てに(7)

祖父は肺炎を起こしかけていたが、幸い一週間の入院で元気になった。退院に際して、担当医から…
「かなり認知症状が出ているから、一度専門医に相談した方が良い」
と言われて、父と信吾は軽いショックを受けた。
それでも翌日には、入院していた病院から外出願いを出して父と信吾の二人で大学病院の「物忘れ外来」に祖父を連れて行った。MRIと長谷川スケールが実施され、その結果は中等度の認知障害が認められるとの診断を受けた。
「これまでは一人暮らしだったんですけど、もう無理でしょうかね?」
と父が、医師に尋ねた。医師はしばらく考えていたが…
「う~ん、独居はかなり厳しいかな…」
と答えて、首を傾げた。
「そうですか、一人暮らしは難しいですか?」
再度、父は医師に尋ねた。
「本日の知能の簡易検査でも、長谷川スケールは13点でしたから…30点が満点で、25点前後になると軽度認知障害と言われていますし、20点以下ですと完全な認知症と定義されているのです。つまり13点と言うのは、かなり認知症が進んでいる事になります。一人暮らしをするにしても火の始末が怖いでしょう。台所のガス漏れの危険だってありますし…」
「そんなに悪いのですか?」溜め息混じりに父は再度医師に尋ねた。
「ともかく一人暮らしは、お止めになった方が良いでしょう」
医師にそう言われても、祖父の世話を誰がするのか父親は途方に暮れるばかりだ。
ともかく肺炎で入院していた病院に一度戻り、今日の大学病院での診断結果を説明して、担当の医師に父は縋 (すが)る様に、
「そう云う事情ですから退院は後2~3日待って頂けませんか、これから家に帰って家族全体で話したいと思いますので…」
と、頼みこんだ。
「分かりました。それでは退院は明後日と云う事にします」
そう軽く頷いて、医師は彼等親子の前から引き下がった。
病院からの帰り道、二人は黙々と家路に向かっていた。祖父のこれからの生活を考えると共に気が重くなるばかりだ。大体が何処で誰が面倒を見ると云うのだ。今の公団住宅では祖父を介護する場所など、何処にもないだろう。8畳と6畳の二間では親子3人が住んで、ぎりぎりの空間だ。だからと言って施設に預けるのにも2~3日で直ぐに見つかる訳もないし…どう考えても解決策が見つからない。
そんな重い足取りのまま二人は、自宅に帰り着く。母は夕食の支度に忙しそうだった。夕食後は、当然の如く祖父の介護をどうするかが話題となった。母も考えこんでしまう。
「この家で、お父さんの介護をする訳にも行かないしね…」
嫁としての義理も手伝ってか、無理な事は承知の上で、母がそんな事を言う。自分の発言を誤魔化す為か、話を今度は父に振った。
「あなたは、どう考えていらっしゃるの?…自分の親の事だから一番気になるでしょう!」
「お前にそんな事を言われたって、俺にも良い知恵が出て来るはずもないだろう。信吾、お前に何か良い考えはないか?」
何で孫の俺が引き合いに出されるんだ、この親達は何を考えているんだと頭の中では思っていたが、口に出すのも馬鹿らしいから黙っていた。
次回に続く

哀しみの果てに(6)

しかし、まだ幼児だった信吾には祖父の華やかな時代の記憶は微かにしか残っていなかった。幼稚園の後半からは、安アパート暮らしを経て今の公団住宅に両親と住む様になっていたので、年月の長さも手伝ってかつての祖父の豪邸は記憶の彼方に過ぎ去っていた。
63才から祖父はアパートで一人暮らしとなってしまったが、祖母が残しておいた3千万円の定期預金が偶然にも祖母の死後一年以上たって、押入れの片隅に忘れられていた行李箪笥(こうりたんす)の中から見つかった。それは債権者の手からも、税務署の目からも逃れる事が出来た。それを銀行から引き出すのは困難を極めたが、知り合いの弁護士の協力で半年かかって何とか祖父の手中に収める事が出来た。正に地獄に仏の様なお金だった。現実に年金だけの生活は、如何に一人だけのアパート暮らしと雖(いえど)も大変だったのである。時々はデパート駐車場の係員などのバイトも続け、月に5~6万円程度の収入を得なければ、どうにも生活費は足りなかった。
しかし、3千万円の定期預金が手に入ってからは、そんなバイトも辞めて呑気な生活が始まった。そして信吾にも時々は小遣いをくれる様になった。
「誰にも言うなよ。お前のお父さんやお母さんにもだ」
と言うのが、祖父の口癖になっていた。悠々自適の生活から、極貧の暮らしを経験して祖父は人が変わった様に猜疑心が強くなっていた。それでも孫だけには、良い所を見せたかった様だ。年金の他に3千万円の中から年に100万円前後の金を引き出して生活費に充当していたので、生活は一気に楽になって来た。その3千万円も銀行や郵便局に預ける事無く、全くの箪笥預金だった。その頃の祖父に信じられる物といえば現金の札束しかなかった。それでも一人孫の信吾には、よく小遣いをくれた。それが血を分けた孫への一つの生き甲斐の様であった。銀行から何とか取り戻した3千万円はアパートの押入れに現金で隠し持ち、その中から必要な生活費に毎月10万円近くを充てていた。今や銀行も郵便局も全く信用出来なかったのだ。この3千万円は正に彼の命綱だったのでる。年に100万円を使ったとしても30年は暮らせる金額であった。60代半ばの祖父には十分な生活費に思われた。市役所勤めの息子夫婦には一円のお金も渡す気持ちはなかった。元々が坊ちゃん育ちの祖父だから独善的で、自分一人の生活しか考えていなかった。70才ぐらいからはパチンコに興味を持ち出して、祖母から譲り受けた3千万円も加速度的に減って行った。そのパチンコも3年ほどで興味とお金を失い、今度は魚釣りに趣味が移ったりしていた。そして75才ぐらいからは釣り糸に餌を付けず悠々と釣りをしている姿が他人の目には奇妙に映り出して来た。そんな生活が半年程続いている間の、ある雨の日に合羽も着ず平気で釣りをしている祖父の姿が多くの人の噂になり始めた。そして、ある秋の日に高熱の老人が海沿いで倒れていて近くの病院に運ばれたとの報告が警察から持たらされた。信吾の父は、急ぎ指示された病院に駆けつけた。
次回に続く