哀しみの果てに(5)

それ以来、祖父はすっかり気力を失い、63才からは細々した年金暮らしの生活となってしまった。
信吾の父は、祖父が没落するまでは生活の苦労も知らず大学も2年まで行ったが、旅行先で知り合った同年齢の母と恋仲になり駆け落ちをしてしまった。当時は元気だった祖母が、祖父に隠れて若い二人の生活の面倒をみていたのが災いして、父は大学にも行かず遊び暮らしていた。
しかし、そんな怠惰(たいだ)な生活が何年も続く訳はなく、何時しか祖父の知れる事になり勘当されてしまった。大学も中退して定職もなかった父は、一念発起して職探しを始めた。しかし大学中退と云う半端な学歴では、大会社は言うまでもなく彼が望む様な会社の何処からも採用されなかった。仕方なく独学で勉強して「地方公務員初級職」に何とか合格した。それから今の市役所勤務となった訳である。市役所勤務となってからは、それまでの遊び人の様な生活からは別人の様に変わり、平凡な一市民としての生活に甘んじていた。
祖母は信吾が幼い頃、61才で胃癌になり他界していた。祖父の没落する前だったので、何も知らずに逝った祖母は幸福な人生を送ったのかもしれない。
信吾の誕生は、彼等の両親が一緒になって9年目の年だった。随分と遅い初孫であったが、その分祖父母の溺愛ぶりは尋常ではなかった。祖父母の家の8畳間は信吾の玩具で埋め尽くされていた。しかし、その玩具の部屋も祖母の死別と共に、哀しみの思いでが溢れる部屋にと変貌して行った。しかし未だ3才にも満たない信吾には何も分からず、
「おばあちゃんは何処、何故僕と遊んでくれないの?」
と家中を探し回っていた。祖母の葬儀には最期まで付き沿った信吾だが、多くの人が来て美味しい物を夜中まで飲み食いして、大人達は祖母の思い出話をしていた。信吾の目から見れば、それは殆どお祭り騒ぎに見えた。会った事もない親戚も多かった。信吾は同年齢の親戚の子供を集めては旧い家の中を走り回っていた。
その信吾の玩具の中身は、子供達には大好評で皆んなは大喜びで遊び回った。子供達が家中を走り回わる姿を見て祖父は
「これも、ばあさんの功徳だろう」
そう言って、目を濡らしながらも子供達の騒ぎを止めようとはしなかった。しかしその祖父も数年後には連帯保証人の借金地獄で、信吾の玩具はおろか、全ての家財を没収されてしまった。祖父も所詮は親から多額の財産を受け継いだので、坊ちゃん暮らしが身に付いていたのだろう。つまり人の良い所だけが取り柄の世間知らずだったのである。そんな育ち方をしていたので他人を疑う性格が本質的に欠如していたのかもしれない。
祖父を連帯保証人に頼み込んで来た友人は高校時代の親友で、その当時から…
「俺は世界を股にかけて歩き回るんだ」
と豪語する程の誇大妄想癖が強い男で、幾つもの事業に手を出しては、成功と失敗を繰り返していた。そんな男の連帯保証人になる祖父もどうかしているが、3万坪もの広大な雑地を購入して日本で一番豪華な霊園墓地を作るんだと云う話に、祖父はすっかり乗せられてしまったのだ。
次回に続く

哀しみの果てに(4)

3ヶ月前から信吾が働き出した、今のコンビニは四つのシフト制が組まれている。先ずは早朝組みが朝6時から午後2時まで、日勤組みが朝11時から午後7時まで、準夜勤が午後6時から午前2時まで、深夜組が午前0時から8時までとなっている。準夜勤組の為には3畳の仮眠室が二つ用意されていた。準夜勤の連中が4~5時間の仮眠を取って学校に出かけて行く場合もあった。そこで働く理由は様々である。親からの仕送りが少なく、それを補う為という学生が一番多かったが、全く独力で生活費を稼いでいる者もいた。信吾の様なフリーターで、ともかく何かしらの生活費が必要な人間もいた。しかし、この職場では誰も他人の生活に口を挟む者はいない。
それにしても昨日の勤務は異常であった。日勤から仕事に入った信吾は、午後7時過ぎには帰る予定でいた。しかし、インフルエンザの流行で仕事仲間からは相次いで「欠勤」の電話が入り、信吾は準夜、深夜と3コマも働く状況に追い込まれた。これまでにも2コマの経験はあったが、さすがに3コマはなかった。もっともパチンコ屋で開店から閉店まで、飲み食いもせずに10時間以上もパチンコ台
を睨み続けていた事は幾度もあった。いずれにしろ、このコンビニと云うバイトは信吾の性格に合っていた。自分なりのフリーな時間が多く取れるのが気に入っていた。父親の様に定刻通りの勤務を、何が楽しいのか30年以上も続けている神経は理解が出来かねた。
数日後、病院での面会制限が解除になったと父親から聞かされ、信吾は祖父の見舞いに出かけた。79才になる祖父は3年ぐらい前から認知症状が出始め、老人ホームに入居していた。祖父が入院している3階南病棟は40床あったが、患者の多くは高齢者であった。祖父の病室は4人部屋の廊下側で、酸素マスクを付け点滴をしている姿は、今にも儚(はかな)く消え入りそうな感じに見えた。そっとベッドの脇に立ち、耳元で囁(ささや)く様に…
「おじいちゃん、おじいちゃん!…信吾だよ、分かるかい?」
と声をかけたが、返事はなかった。手を握ってみる。少し目を開け、信吾の顔を見るが他人の眼差しでしかない。じわっと寂しさが信吾の胸の奥に拡がった。このまま永遠に自分の事が分からず祖父の命が途絶えてしまうのかと考えだすと、人の一生とは何なのか切なさだけが信吾の心を通り過ぎて行く思いだった。一人孫の信吾を祖父は、正に舐めまわす様に溺愛してくれた。幼稚園時代は、何時も祖父と一緒だった。横浜の旧家に育った祖父は戦後に落ちぶれて、堂々たる家屋敷からアパート暮らしにと転落して行った。その旧い家屋敷で信吾は5才まで祖父の元で育てられていた。人の良い祖父は友人の連帯保証人となって、全ての財産を失ってしまった。その友人は冬の横浜港に飛び込んでしまった。「小豆相場」で一山当てた、その友人は千葉に3万坪の土地を購入して霊園墓地の事業に手を出したが、何億もの負債を抱えて事業計画は頓挫した。景気の良い彼の口車に乗って、祖父は親から譲り受けた300坪以上の家屋敷を手放すはめになってしまった。
次回に続く

哀しみの果てに(3)

信吾は、公団の自分の部屋に入るや先ず浴槽にお湯を入れた。誰もいない部屋の中は寒々としていたので、ともかく身体を温めたかった。この家の暖房器具はキッチンのパネルヒーターと8畳間の炬燵そして信吾の部屋の電気スリッパだけであった。昨日は24時間以上も不眠不休で働いていた。日勤だけの予定だったが、仲間の一人がインフルエンザで突然の欠勤となり信吾が夜勤帯の仕事まで引き受ける結果となってしまった。
狭い浴槽でも身体を温める事は出来るし、頭も洗いたかった。出来れば、こんな日は銭湯に行って寛ぎたかったが、疲労感が全身を鉛の様に覆(おお)い自宅の浴槽に入るのが最後の気力だった。風呂から出ると、コンビニから払い下げてもらった賞味期限の切れたオニギリ3個を8畳間の炬燵の中で食べた。コップ一杯の水を飲むと、後は炬燵の中で倒れる様に寝てしまった。午後5時、買い物から帰った母親の気配で目覚めた。4時間以上は寝た様である。疲労感はかなり薄らいでいた。今日は夜勤帯の仕事が入っている。6時までには店に着いていなければならない。バスを利用しても30分以上はかかる。信吾は焦る気持ちを抑え
「母さん、カップ麺にお湯を入れておいて…」
と頼み、急ぎ顔を洗う。
「今夜も仕事かい、大変だね!」
母が心配気に声をかけて来た。
「うん、仲間の一人がインフルエンザにかかってしまったんだ。それに後3日で丁度3ヶ月になるんだ。3ヶ月間、無断欠勤と遅刻がないと時給が30円上がるんだ」
それだけを説明すると、信吾はカップ麺を飲み込む様に口に入れ家を出た。店には6時丁度に着いた。店長が顔を見せ、
「今日は休むかと思っていたよ。昨日は20時間以上の勤務だったしな…大丈夫か、無理すんなよ」
と、労わる様に信吾の肩を軽く叩いた。
「大丈夫です。未だ若いですから」
そう言って、信吾は少し照れ笑いをした。
「君のように責任感の強い人間ばかりだったら良いんだがな…」
そう言って、店長は信吾を激励した。
今日の相方は、彼より一つ年下の女子大生だった。大学の授業の合間に週3回ぐらいは店に出て来る。信吾とパートナーを組むのは今日で2度目だ。可憐な外見だが、異性としての意識は薄かった。自分が高卒であると云う微妙な劣等感があったのかもしれない。夜勤帯は日勤より時給が200円も高いので、フリーターの信吾には魅力的だった。未だ一つの定職について将来を考えるまでには、気持ちが固まっていなかった。21才と云う年令では将来の設計図を描き切れないのかもしれない。
それは父親の影響もあったのだろう。市役所の戸籍係と云う万年平社員に近い親を見ていて、将来に夢を持てと言うのが無理な話ではあったに違いない。50才を過ぎたばかりの父親に大人としての魅力は何も感じなかった。ただ定刻に出かけ、定刻に帰って来る。残業も無い代わりに、心ときめく様な話もない。それはまるで判を押した様な生活だった。
次回に続く

哀しみの果てに(2)

何時もは家に帰って寝る所だったが、今朝は病院に出向いた。不思議に眠気はなかった。午前10時には病院に着いた。外来待合室は人で溢れていた。多くの人がマスクをしている。受付窓口にはマスクの束が置いてあって、
「マスクはエチケットです」
との標語があった。信吾は慌てて窓口に設置されているマスクを取り出し、自分も着用した。これで他の多くの人達と仲間入り出来た気分になって、病院内での違和感も薄れた。
一呼吸入れて信吾は、受付窓口の女性に、
「村木和夫の病室はどちらでしょうか」
と、尋ねた。窓口の女性は微かに笑みを浮かべて、
「村木和夫さんですか?…今調べて来ますから少々お待ち下さい」
そう答えて、すぐに戻りやや暗い面持ちで…
「村木和夫さんの病室は3階南なんですが、今朝からそこの病室は面会禁止になっているのです」
「どうしてですか?」
折角やって来たのにと云う不満気な顔で、信吾は尋ねた。受付の女性は申し訳なさそうに…
「あいにく3階南の病棟で今朝方、インフルエンザ患者が一人出てしまったのです。感染拡大を防止する目的で、その様な場合は3~4日間の面会禁止が院内ルールになっているのです。そう云った事情で本日の面会は許可出来ないのです」
「そうなんですか、それじゃあ仕方がないな。それでは手紙を書きますので、それを渡してもらえますか?」
「はい、お手紙を渡すだけなら差し支えないと思います」
信吾は、待合室の机に向かって数行の手紙を書いた。
「おじいちゃん、今日は病院の都合で面会出来なかったけど、また来るよ。早く元気になって!…信吾より」
バッグの中からメモ用紙を取り出し、それだけを走り書きにして受付の女性に手渡した。ともかく一度家に帰るしかなさそうだ。家に着くまでのバスの中では急激な眠りに襲われ、停留所を一つ乗り越してしまった。その分だけ寒空の下を余分に歩いた。粉雪が少し降って来て眠気は一気に覚めた。公団住宅の5階まで、信吾は一気に駆け上がって寒さを吹き飛ばした。築30年以上は経ている5階建ての公団はエレベーターがなかった。信吾の家の収入では、この2DKの家賃を支払うのが精一杯だった。
それでも15年前に、この公団住宅に入れた時は家族中が大喜びであった。家賃がそれまで住んでいた6畳二間のアパートの半分だったので、これで生活が幾分楽になると母は心から喜んでいた。それは信吾が小学1年の時だった。未だ身体の小さかった信吾には、この公団が十分に広い空間に映った。しかし、大人になった彼から見ると、そこは狭苦しく窮屈な空間でしかなかった。6畳の和室にベッドと机を置くと、もう足の踏み場もなかった。8畳の和室で父と母が寝起きしていた。4畳半のキッチンは食堂も兼ねていた。風呂場はユニットタイプで、浴槽で脚を伸ばす事は出来なかった。だから月に一度ぐらいは銭湯に出かけ、大きな湯船でゆっくりと身体を温めるのが一つの贅沢となっていた。
次回に続く

哀しみの果てに(1)

信吾は21才で、高卒だった。彼の父親も高卒で市役所の戸籍係だった。口数の少ない男で親子の会話は殆どなかった。
信吾は卒業後、しばらくはフリーターでコンビニなどのバイトを転々としていた。暇があるとパチンコ屋に通っていた。時には1万円程の稼ぎになる事もあったが、常日頃は負ける事が多かった。それでも一回に3千円以上の金は注ぎ込まない様にしていた。月に15万円にも満たない彼の収入では、それ以上の浪費は許されなかった。
それでも親の家に同居していたので食住に困ることはなく、生活に不自由はなかった。
ある冬の日、コンビニの忙しい時間に信吾のケータイが急に鳴り出した。着信歴を見ると父親からであった。
「この忙しい時に一体何の用だ」
そう考えて、信吾は父親からの連絡を無視した。ケータイは一度鳴り終えたが、一時間後にまた鳴り出した。時計の針は夜の9時を回っていた。忙しさも一息ついた所だったので信吾は、渋々ケータイを手にした。
「信吾か、今どこにいる?」
「どうしたんだい、バイト先だよ」
「そうか、仕事中に悪いな。実は老人ホームにいる親父が肺炎を起こして近くの病院に担ぎ込まれたのだ。それで出来たらお前にも来て欲しいんだが…」
「俺が行ったって、どうにもならないじゃあないか…?」
「まあ、そうなんだが…親父が、うわ言で何度もお前の名前を呼ぶんだ」
「ふ~ん、そう言う事か。でも今は仕事中だから無理だぜ。明日なら少しだけ顔を出しても良いよ」
「そうか、それは助かる。何たってお前は、おじいちゃん子だったから…親父もお前の事が可愛くて仕方がないんだよ」
そう言われると、信吾には返す言葉がなかった。幼稚園ぐらいの時には、じいさんにディズニーランドにも何回か連れて行ってもらったし隠れて小遣いをもらった事も幾度となくある。思い出すと、じいさんには世話になりっ放しだった気がする。本当は今すぐにでも飛んで行くべきなんだろうが、夜のコンビニは二人体制だ。自分勝手に一人だけ抜け出す訳にはいかない。どうしたって朝の日勤が来るまでは病院には行けない。人間とは不思議なもので、行動が制限されると余計に、じいさんとの楽しい思い出が蘇って来る。あんな事もこんな事もあった…信吾の頬には何時しか涙の滴(しずく)がしたたり落ちていた。そんな信吾を見て相方が、
「どうしたお前、泣いているのか?」
と、聞いて来た。
「馬鹿を言え、目にゴミが入っただけだ」
そう言って、相方の質問を信吾は突っぱねた。余計な事で他人に弱味を握られたくはない。大体じいさんの事で泣いているなんて思われたら、同じ男として格好悪すぎる。こいつの口から他の仕事仲間にだって何を言われるか分かったもんじゃない。ともかく今は何知らぬ顔で朝まで待つしかない。
こう云う時の時間の流れは、ジリジリする程遅く感じるものだ。
それでも朝はやって来た。
次回に続く

想い出は風の彼方に(126)

    ーーー終章ーーー
浩司は支店長の話にかなり乗り気だった。しかし、綾子は消極的であった。確かに病院の経常利益は格段に向上したが、未だ5億円もの借金があるのだ。国は、とにかく医療費抑制政策に懸命になっている。この数年は老人ホームとの繋がりが増えてベッド稼働率は向上しているが、この先の事は不安定な要素が多すぎる。そんな綾子の考えに、
「今は責める時期だ。病院の運気は上昇傾向にある。老人ホームは増える一方じゃあないか、その連係を活かして病院のベッドは増やして行くべきだ。こんな絶好のタイミングを逃したら、後で後悔するのは目に見えている」
そう言って、浩司は病院の拡張計画を強く望んだ。しかし、綾子は妥協しなかった。
「あなたは何を望んでいるの?…良質の医療をしたいと言って今の病院を手掛けたのでしょう。それと病院の拡張計画とは結び付かないでしょう。ベッド数の多さと病院の質は結び付くとでも仰るの?…いま景気が良いからと言って、明日も好天の日が続くとは限らないのよ」
そう言われて、浩司は返す言葉がなかった。
その数年後、綾子の危惧は当たってしまった。老人ホームからの入院が激減し出したのだ。ホーム入所者の家族が、ホーム内での「看取り」を望むようになっていた。日本経済が一向に好転して来ない現状で、一般庶民の手取り収入が減少しているにもかかわらず、高齢者は増える一方では誰がそれを支えて行けると云うのだ。こうして病院のベッド稼働率は、また徐々に減少し始めた。
もしあの時、銀行の支店長の誘いに乗って新たな融資を受けていたら…そう考えるだけで綾子の心中には何とも言えない悪寒が走るのだった。
その後の「さくら町病院」が、どの様な流転を辿るのか筆者は知らない。
            ー完ー
次回の作品は「哀しみの果て」です。
引き続きお楽しみ頂ければ、幸いです。

想い出は風の彼方に(125)

それにしても病院の負債額が年々増加して行くのは、経理を扱っている綾子からすれば毎日が針の筵(むしろ)に座っている様だった。
この3月、長女の智美は現役で何とか公立の医学部に合格出来て、学費にかかる費用の心配だけからは解放された。それだけでも綾子の気持ちは、かなり楽だった。
無事に入学式も済んで桜の花も散り始めた4月半ば、ある知人の紹介で老人ホームの施設長から面談の申し入れを受けた。断る理由もないので、40代前半の施設長と面談する事になった。彼の相談内容とは、こうだった。
「これまでの配置医が高齢で老人ホームでの往診が厳しいと勤務の辞退を言われている。それで急なお話しで申し訳ないが、何とか『さくら町病院』で配置医の仕事を引き受けてもらえないか?」
との、申し入れである。渡りに船とは、この事で浩司は直ぐ快諾した。話はトントン拍子に進み2週間後の5月1日から、週1回の頻度で往診に行く事に決まった。
相手の老人ホームは、さくら町病院から車で10分程にある特別養護老人ホームであった。入所者は100名で週1回の午後3時間で25人づつ診て行く予定だった。1時半頃に病院を出て5時には戻れる計算だった。しかし初めての老人ホームでの往診は予想以上に時間がかかった。平均年齢84才の入所者は、正に病気のジャングルだった。高血圧、糖尿病、慢性心不全、脳血管障害の後遺症、腎不全そして認知症と病院での医療しか経験した事のない浩司にとって、それは困難極まりない仕事の山が眼前に巌の様に突き立つていた。とても3時間ぐらいで終わる内容ではなかった。
嚥下(えんげ)障害の強い老人も多く、誤嚥性肺炎で入院する入所者も多かった。仕事は厳しかったが、老人ホームからの入院は引っ切り無しでベッド稼働率は一気に向上した。それに伴い病院の経常利益は大幅な黒字に転化した。一年もしない間に別の老人ホームから、また配置医の依頼があった。浩司の忙しさは倍加したが、病院の黒字幅も拡大した。
さらに厚労省の意向で老人ホームの建築ラッシュが始まった。病院での医療費より、老人ホームでの介護費の方が割安だったので、医療費削減の効果が大きいと考えたのであろう。医療保険と介護保険の両立てで、何とか超高齢者社会を乗り越えようと計画したのだ。
しかし、一般国民の社会保障費は拡大する一方だった。給与所得から源泉徴収される金額も増える一方で、名目の年収が幾らか増えても手取り額は目減りするケースさえあった。国内の経済活動は縮小するばかりだ。抜本的な政策転換が必要であるのは言を俟(ま)たないが、赤字国債は増大し、この国の官僚体制では姑息的な数字合わせに終始するのみだ。
それでも、さくら町病院の黒字は増大して危機的な収益の悪化から逆転して銀行の融資額も確実に減って来た。一時は10億円近くまで増大した融資額は6年で5億円にまで縮小した。それに伴い銀行の対応も格段に丁寧になって来た。金利も年々低下し、新たな融資まで申し入れて来た。
「昨今これだけ経常利益の高い病院は何処にもないですよ。もっと積極的に病院の建築を拡大して行きましょうよ」
と、ニコニコの笑顔で銀行の支店長は浩司に迫って来る。
次回に続く

想い出は風の彼方に(124)

「すると今の医療保険制度が崩れ去ってしまうって仰るの?」
綾子は怪訝な面持ちで、浩司を見つめた。
「いや、5年や10年で今の保険制度が消え去ると云うのは考えにくいが、現実に自己負担額が年々増えているのだから、この状況が進行すると保険制度は何時の日か形骸化する危険はあるかもしれない」
「そうなると、日本の医療制度はどうなるのかしら?」
「まあ俺の勝手な推測だが、もしかすると自動車保険の様に、強制保険と任意保険の様なものが両立するかもしれない。つまり、最低限の肺炎や脳血管障害の急性期治療は強制保険の範疇でやるが、最先端の医療やリハビリ、人工透析など長期的に高額な医療費を要するものは各自の任意保険でやるとか云った制度に移行するかもしれないな…」
「そうなると、満足な任意保険に入れない人は癌などの治療は受けられないのかしら?」
「それは北欧などの医療制度が一つの参考になるかもしれない」
「それって、どんな制度なの?」
「年令制限を適応しているのだ。
例えば65才以上になると高額な医療費は全て個人負担に近い形で治療に当たってもらうのだ。もちろん心臓カテーテルやMRIなどは65才以上では保険適用にならない。高齢者は介護保険の範囲で対応して、医療行為はなるべく行わない制度だ。胃瘻や人工呼吸器などは65才以上で使用するなんて事は有り得ないのだよ」
「すると延命治療なんかは存在しないのね」
「その通りだろうね…」
「そうなると、高齢者を中心に診ている病院は全て倒産するって事なの」
「全てではないだろう、高額所得者の老人に特化した様な病院なら生き残れるんじゃあないかな…」
「それって貧富の差が、生命の値段にも関わって来る事になるんじゃない…!」
そう非難がましく、綾子が浩司を責めた。
「まあ、そう言う事になるだろな。しかし、我々の歴史上で身分差別がないとか経済格差がないった実情が存在した事があるのか?…現在では先進諸国だけが表面的に社会的な平等を、保っているかの様に見えるが、それだって怪しいものだ。19世紀までは、貧富の差が生命の重さに露骨に現れていたんだよ。例えばフランスなどでは平均所得以下の庶民の平均寿命は30才ぐらいまでが良い所だったが、貴族階級になると平均寿命は50才以上にまで上昇しているのだ。これは一般庶民の過酷な肉体労働と貧しい食生活が大きな原因であると言われているらしい。
それが第2次世界大戦後に、欧米諸国が専横していた植民地政策が次々と崩壊して、世界中で民主化の動きが活発になって経済格差も徐々に是正されて行ったんだ。だからと言って、現代社会で貧富の格差がまるで無いかと言えば、そんな事はないだろう」
「確かにそうね、特に先進諸国の雄と言われているアメリカでも貧富の格差は大きいものね」
そう言って、綾子も素直に頷いた。
次回に続く