71歳の母親を持つ方への回答

基本的にレビー小体型認知症の最大の特徴は、薬物過敏症状を中心に幻覚、妄想、うつ症状、自律神経失調症(便通障害、不眠など)、パーキンソン症候群その他の多彩な症状を呈しています。その為にアリセプトの使用などは、かなり慎重を要しますし、使用しても散薬で2mgぐらいからスタートするのが認知症専門医の間では常識となっていますが、精神科や神経内科医では割と安易に使用しているのが目立ちます。またルネスタなどの超短期型の睡眠薬などの使用もかなり慎重でなければなりません。リボトリールは抗てんかん薬ですが、ふらつきや錯乱症状に注意を払わなければなりません。レビー小体型認知症に適切な治療薬を使用出来る医師は極めて少数で、大学や総合病院でも誤診が多く医療不信の原因となっています。薬剤過敏症状を常に頭に置いている医師を見た事はほとんどありません。基本的には、お母様の様な場合はウィンタミン散の微量投与が中心ですが、この様な投与方法に熟知した医師は余りいません。これに抑肝散を併用すると、抑肝散の効果がかなり期待出来るのですが、抑肝散単独では効果が不十分な事が多いかもしれません。
また、「目が見えない」との訴えは緑内障などの眼科医のチェックが必要かもしれません。いずれにしても認知症専門医を、どの様に探し出すかが緊急の課題かと思われます。未だ我が国では「認知症専門医」が、余りに少数なのが現状です。私の外来では初診の患者さんには30分以上はかけますし、薬が安定するまでは週に一回の外来をお願いしています。それで根気良く、その患者さんに合った薬とか、「脳トレ」を指導して行くのです。
何故多くの医師が認知症の治療に専念しないかと言うと、この国の医療保険制度では、真剣に認知症の患者さんと向き合って行くと、確実に赤字経営を余儀なくされるからです。同じ保険点数で30分以上もかけて丁寧に診察などして行けば赤字は必須です。だから大きな病院では、高度な医療機器を使って検査や薬剤投与に終始するしかないのです。もちろん私の認知症外来は赤字ですが、それ以外の診療科で高血圧とか糖尿病とか、呼吸器外来とかで経営の辻褄を合わせています。大学から多数の専門医の医師に手伝って頂き病院経営はそれなりに運営しているのが現状なのです。
  【ご質問】
はじめまして。
71歳の母の事でコメントさせていただきます。
平成28年に配偶者が亡くなり一気に様子がおかしくなり、平成29年2月に、レビー小体型認知症と診断されました。
レビーの特徴的な症状、幻視、幻聴なでは無く、記憶障害も目立ちません。
常に、本人は、「目が見えない!見えにくい!」と訴えます。確かに、見えにくいようで、お茶を入れるのも、コップに入らずこぼしたり、家でも、壁にぶつかってアザだらけになったり、階段を踏み外したり、そのせいか、電化製品も使えなくなりました。(見えてなくてスイッチがわからないのか、使い方が、理解出来てないのかこちらとしては、悩むところなのですが、本人は、「とにかく見えない!」と言います。)
1人暮らしのため、食事は、娘である私が、作って、夕方帰る日々を送っていたのですが、日々、ひどくなり、平成30年1月にグループホームに入居しました。性格的にヒステリックになりやすく、多少の暴言は、あったのですが、入居して、暴言、自傷行為、夜間の不眠が、ひどくなり、診断直後は、アリセプトを服用してたのですが、アリセプトをやめて、まず、抑肝散を服用しました。それでもダメで、次にデパケンR錠。
それも変化なく、次にバレリン。これも変化なく。
で、4月から、病院を変えて、また新しく薬をかえました。それが、リボトリール1mg、朝昼夕方。
眠剤ルネスタ2mg、すると、今まで、うるさすぎたのが、副作用で、一日中寝てる状態になり、薬を朝昼0.25mg夕1mg。に減らしました。
それでも、ボーっとする事が多く、ろれつもまわっていない状態なので、先日、夕のみ0.5mg、ルネスタ2mgに、してもらいました。
現状、リボトリール、ルネスタのみの服用なのですが、日中、元気もなく、ぼやーんとしてる事が、多く、夜は、寝てる日やずっと起きてる日やまちまちだそうです。(ホームスタッフ談)
あきらかに、直近の薬で、元気が無くなり変わってしまい、薬の調節が、非常に難しいと思いました。
暴言、不眠などを抑えるには、どうしてもこのような薬が必要なのは、わかるのですが、他に、どのような薬ならば、穏やかに生活できるようになるのでしょうか?
なんとか、母に合う薬に、出会いたいのですが…!
まとまりのない、長文で、申し訳ありません。

断章(3)

(3)日々の思い
身体的感受性について
体温、血圧、睡眠の度合い…
自分の身体的な変化に驚くほど鋭敏な人と、こだわりのない人がいる。長い間、医者を生業(なりわい) としていると、その身体的な変化に感じ方がかなり違う事に驚かされる。37.0℃でも身体が怠(だる)くて仕方がないと訴える人もいれば、37.8℃でも平気で働いている人がいる。
血圧も同じで190/110でも何も感じない人もいる。一方では160/95で大騒ぎする人がいる。睡眠時間も同じで、人それぞれで大きな違いがある。この違いは何だろうかと時に戸惑いを覚えたりする。身体的な感受性以外に、精神的な感性の違いは更に大きな違いがありそうだ。文学的な素養を持つ人、理数的な発想の強い人。音楽的なもの、絵画的なもの…左脳的とか右脳的とかの解釈もある様だ。先天的なものなのか、後天的なものなのかは判断が別れそうだ。私は多くの子宝に恵まれているが、同じ様にピアノやバレエを教えても、その興味の持ち方はかなり違う。となると、先天的な要因が大きいのだろうか?
同じ両親から生まれた子供でも、遺伝子の微妙な掛け合わせで違いが生じるのであろうか…未だ世の中には分からない事が多い。

断章(2)

日々の思い(2)
日本だけが、先進諸国の中で経済状況が鈍化している。この20年間、他の国の平均労働者の年収は確実に増えている。40~80%ぐらいで年収が圧倒的に上昇している。ところが日本だけは-20%と驚くべき低下である。日本では確実に貧困化が進んでいる。質は問われず、値段の安さでのみで人は集まる。その根本原因は何かと言うと、「少子高齢化」である。出生率の驚異的な低下で、現在1億2千万人の人口が100年後には5千~6千万人になるとの予測がある。さらに300~500年後には地球上から「日本人」が絶滅するのではないかとも言われている。この様な国では大きな設備投資が行われにくい。基本的な景気が回復するとは、どしても思えない。未来に渡って消費者が加速度的に減って行くのだから!

断章(1)

断章【日々の思い(1) 】
「哀しみの果てに」は全く筆が進まなくなって来た。頭の中の創作活動が疲弊(ひへい)
してしまったのかもしれない。私の長年の読者には心からお詫びしたい。これからは断続的に日々の思いを書いていきたいと考えているので、お許し願いたい。

哀しみの果てに(32)

それから認知症の病型分類についての説明がなされた。
「これまでは認知症と云うと、直ぐにアルツハイマー型認知症と診断されていたでしょう。しかし、最近の病型分類ではアルツハイマー型認知症よりレビー小体型認知症の方が、はるかに多いと言われています。さらに言えばですね、単独の認知症は割に少なく混合型が多いと云う報告も数多くなされています。つまりレビー小体型認知症にピック病が合併したり、脳血管性認知症にレビー小体型認知症が合併したりしている例が非常に沢山あるのです」
講演の半分近くが理解出来ず、信吾は昨晩の夜勤の疲れもあって段々と眠くなって来た。すると突然に講師から信吾に声がかけられた。
「そこの青年、だいぶお疲れの様だが何か質問はないかね?」
周りで、クスクスと笑う声が聞こえた。信吾は驚いて立ち上がり、
「あの、あのですね。私たち介護士が…え~と、認知症の高齢者と接する上で、何と言いますか一番重要な事はなんでしょうか?」
と、やっとの思いで尋ねた。信吾に質問を投げかけた講師は、にっこり笑って…
「うん、具体的でとても良い内容だね。それでは、お答えします。認知症の高齢者を介護する上で一番重要な事は、全てを先ず肯定的に捉えて行く事から始まります。常識外の問いかけにも否定してはならないと言われています。例えば今食事をしたばかりなのに、ご飯は未だか?…などと言った事柄が良い例です」
ここまで聞いて信吾は、嬉しくなって来た。自分の介護に対する思いと全く同じ意見を聞いたからである。さらに講師の説明は続いた。
「認知機能の未発達な乳幼児期でも、また退化しつつある認知症の人でも、先ずは肯定から始まるのです。相手を認め、人間の尊厳を素直に受け入れて行けば、お互いの人間関係が良好になって行くのです。愛情に満ち溢れた母親であれば、赤ん坊の泣き声だけでもその要求の何かを理解出来ると言われています。オムツが汚れているのか、お腹が空いているのかを区別できるのです。認知症の高齢者でも全く同じです。徘徊でも、夕方に強くなる帰宅願望でも、こちらに理解する気持ちがあるならば、その不可解と思える行動も少しずつ意味合いが見えて来るのです。例えば朝方に徘徊が強ければ、これから会社に行こうとしているのかもしれませんし、逆に夕方になってから徘徊が強くなるのであれば会社から自宅に帰ろうとしているのかもしれません」
信吾や同僚のスタッフの多くは、感心して聞きいった。徘徊一つを取っても、これだけの意味づけがなされるのかと、日常的に何も考えていなかった問題を深く掘り下げた講演に大きな感銘を受けた。それにしても赤ん坊の泣き声と認知症の徘徊を同じ俎板(まないた)にのせて語る手法は、かなり可笑しかった。少し疑問も残ったが、敢えて質問はしなかった。変な質問をすると逆に恥をかいてしまうのではないかと恐れたのだ。
次回に続く

哀しみの果てに(31)

別の看護師がまた質問に立った。
「では私達が現在、嘱託医から指示され服用させている薬は何なのですか?」
講師はゆっくりと落ち着いた表情で、
「それは現段階の仮説に基づいて作られたお薬です。例えばアルツハイマツー型認知症で言えば、側頭葉の海馬付近にアミノベーターやタウ蛋白が蓄積していると云う仮説です。もちろん、ただの仮説だけではなく、その様な事実も証明されてはいます。しかし、現実にはアルツハイマー型認知症の原因はそれだけではないのです。それ以外にも原因となる複数の蓄積物資があるに違いないのです。ただ現段階の医学では未だ分かっていません。しかし、功名に焦った一部の医学者や、利益中心の製薬会社が、これこそ認知症の原因で、その特効薬はこの薬だと決めこんだのに過ぎないのです。しかし、現実にはそんな単純なものではないのです。医学の歴史は常に誤謬(ごびゆう)と試行錯誤の繰り返しと言っても過言ではありません。厚労省が認可した薬と言っても、それは現段階の医学的知識に基づくものでしかないのです。つまり医学的知識とは常に未完成なものを含んでいるのです。これはどうにも仕方のない、医学だけではなく、科学の歴史とも言えるでしょう。その未完成な物でも、かなり有効性の高い発見もあれば、全く見当外れの物もあるのです。かつて抗癌剤の一種に「クレスチン」と云う薬剤がありました。1977年の販売開始後、単独でかなり多く使われた時期があったのですが、1989年12月に効能・効果(後述)が改められ単剤使用は認められなくなり、現在では全く無効と認定されています。認知症薬で言えば、その代表例には「ホパテ酸カルシウム」があります。1978年に認可され、日本中で実に多く使われましたが、現在では無効と認定され販売は中止されています。それ以外にも実に多くの薬剤が認可と無効の歴史を繰り返しているのです」
ここまで説明した所で、質問に立った看護師が…
「先生、それでは私達は何を信じて認知症の患者さんに取り組んで行けば良いのですか?」
と、重ねて聞いて来た。医師は少し微笑みながら…
「それは現在の医学の範囲内で対応するしかないですよね。例えば戦前の時代では、肺結核は国民病と言われていましたが、当時は栄養に気をつけるとか、休息を十分に取るとか、あるいは高麗人参が効くとか言われていたのです。元々、肺結核は感染症ですから個人の抵抗力だけで治った例もそれなりにはありました。しかし多くの国民に取っては、やはり不治の病だったのです。そして20世紀も中旬になって、抗結核剤が開発され、やっと根本的な治療が可能になって来たのです。その意味で認知症と云う病気も、まだ未知の分野が多く、かつての肺結核と同じ様に本格的な治療薬は未だ見つかっていないのです。いずれの日にかは、この分野にも光の差す時が来るでしょう。しかし、現段階では薬物治療より『脳トレニーング』や『生活習慣病』の見直しの方が効果があると言われ始めているのです」
次回に続く

哀しみの果てに(30)

こうして信吾は、また老人ホームの仕事に精を出した。それから半年後には「介護実務者研修」(旧ホームヘルパー1級)の資格を得た。仕事が慣れるにつれ、ホーム内で看護師たちの信吾をみる視線も変わってきた。食事の介助も入居者の世話の仕方も、信吾はすこぶる評判が良かった。彼自身が常にお年寄りの目線で物を考える様にしていた。認知機能が低下しているからといって、決して見下したりする様な行為に出る事はなかった。昼食後直ぐに高齢者から、
「未だご飯は出ないの?」
と聞かれても、
「お腹が空いたの…夕食は何だろうね?…何が食べたい?…」
と、高齢者の質問を否定するのではなく、巧みに話を変えていった。認知症者からの質問や妄想には、先ず肯定から入って行かなければならないと云う事を信吾は理解し始めていた。そして3年間の老人ホームでの仕事を終了して、やっと念願の介護福祉士の国家試験にも合格した。
丁度その頃、ホーム内で講演が企画された。認知症専門医による「今日の認知症治療の基本」と云うタイトルであった。信吾は夜勤明けで疲れていたが、一度家に戻り一寝入りして午後3時からの講演に参加した。50才代前半の医師が講師であったが控え目で謙虚そうだった。しかしその姿には、隠し切れない高慢さが見え隠れしていた。それは何十年も先生と言われ続けていた人間の特性かもしれない。同年代の信吾の父親とは、その自信あり気な態度からして違っていた。
そして講演が始まった。参加者はホーム内の看護師と介護士40名ほどだった。講師の第一声から衝撃的な内容であった。
「現段階で認知症に効く薬はありません」
それを聞いていた皆は一様に驚いた。さらに話は続く。
「認知症と云う病気の原因そのものが分からない以上、根本的な薬が出来る訳がないじゃあないですか。この40年近く認知症に効果があると言われた薬は10種類近くが大手製薬会社から販売されています。各メーカーは何年間かは売りに売りまくって何千億円と云う利益を手にしました。そして数年後には、それらの殆どが無効であると判断され保険医薬品から外されました」
ある看護師が突然に立ち上がって
「そんな馬鹿な事って、本当にあるのですか?日本の大手製薬会社と大学病院が推薦した薬が全く無効であるなんて信じられません」
講師は、そんな質問には全く動じる気配を見せず…
「昭和30年以後、日本各地で起きた薬害訴訟を皆さんは知らないのですか?どれだけ多くの日本国民が、この薬害で一生治らない後遺症を残したのか、一度や二度は誰でも耳にした事があると思うのですが…」
勢いこんで質問に立った看護師は黙って座った。さらに講師の説明は続く。
「認知症の薬だって例外ではありません。モルモットやサルの実験だけで何が分かると云うのですか?人間とでは脳細胞の数や大脳皮質の襞(ひだ)からいっても全然違うではないですか…」
次回に続く

哀しみの果てに(29)

そう考え出すと、今まで一生懸命に取り組んでいた仕事に何とも言えない虚しさを覚えた。自宅に戻って、テレビを見ながらビールを飲んでいる父親に信吾は、それとなく話しかけてみた。
「お父さんは、今の仕事に満足しているの?」
父親は少し驚いた表情で、
「何だ、藪から棒に…何かあったのか?」
と、聞き返して来た。
信吾は、この数日間に湧き上がった胸のわだかまりをポツリポツリと話し出した。自分の学歴の事、介護士としての仕事についての疑問。特に仕事の社会的な地位の低さに対する不満などである。父親は珍しく信吾の愚痴を静かに聞いてくれた。テレビまで消してくれた。そして優しく信吾に問いかけて来た。
「お前はお父さんの仕事をどう見ている?」
「さあ、今まで考えた事もないよ」
「そうだろうな、初級の公務員の仕事なんか、お前には縁も所縁(ゆかり)もないだろう。でも、こんな私でもそれなりに自分の仕事に誇りは持っているつもりだよ。私たちの仕事は、如何に住民の方が快適に生活を送る事が出来るかが大きな使命だと思っている。ゴミ処理、騒音問題、結婚や離婚の案件。結婚は互いにハッピーな精神状況だから大きなトラブルは少ないが、離婚手続きとなると、かなり揉める事も多いのだ。男女の感情問題が大きいから、手続きが二転三転する事も多々あるんだよ。私たちは裁判官ではないから、冷静に見守るしかないんだ。常に笑みを崩さず、相手の感情を損なわいように努めているのさ。一口に市役所の役人と言っても、気を遣う事は多いんだ。同じ市役所の中でも福祉課や住民課、その他にも色々な部署があるんだよ。確かに大学卒業で中級職から来た人達は、初級職の人間を尻目にどんどん出世して行く。ましてや国家公務員の上級職に合格した人達は、いわゆる高級官僚としての道を歩んで行く。私たちから見れば、それは雲の上の人達だ。だからと言って、その人達だけで国なり、市が成り立っている訳ではない。私たちの様に現場で住民の人達と生身の仕事をする人間だって必要なんだ。確かに社会的な地位は低いかもしれない、それでも私は自分の仕事に十分誇りを持っている。信吾、お前もそんな事で挫けるんじゃあない。介護だって立派な仕事だ。看護師や医師で、威張りたい奴がいれば威張らせておけば良いのだ」
何時にない父親の冗漫な話だ。でも、今日は父親に相談して良かった。信吾の中で何かが吹っ切れた感じがした。
「まだまだ勉強しなければならない事は山ほどあるだろう。でも自分なりに介護の道を進んで行こう。未だ歩き出したばかりではないか…」
やはり介護福祉士には成るべきだろう。そこまで行って、介護のイロハがやっと分かるのではないのだろうか、急に信吾はそんな思いに駆られ出した。さあ、明日からまた新たな門出だ。ようやく彼の顔に生気が戻って来た。
「信吾、頑張るんだ!」
自分で自分に喝を入れた。
次回に続く