哀しみの果てに(32)

それから認知症の病型分類についての説明がなされた。
「これまでは認知症と云うと、直ぐにアルツハイマー型認知症と診断されていたでしょう。しかし、最近の病型分類ではアルツハイマー型認知症よりレビー小体型認知症の方が、はるかに多いと言われています。さらに言えばですね、単独の認知症は割に少なく混合型が多いと云う報告も数多くなされています。つまりレビー小体型認知症にピック病が合併したり、脳血管性認知症にレビー小体型認知症が合併したりしている例が非常に沢山あるのです」
講演の半分近くが理解出来ず、信吾は昨晩の夜勤の疲れもあって段々と眠くなって来た。すると突然に講師から信吾に声がかけられた。
「そこの青年、だいぶお疲れの様だが何か質問はないかね?」
周りで、クスクスと笑う声が聞こえた。信吾は驚いて立ち上がり、
「あの、あのですね。私たち介護士が…え~と、認知症の高齢者と接する上で、何と言いますか一番重要な事はなんでしょうか?」
と、やっとの思いで尋ねた。信吾に質問を投げかけた講師は、にっこり笑って…
「うん、具体的でとても良い内容だね。それでは、お答えします。認知症の高齢者を介護する上で一番重要な事は、全てを先ず肯定的に捉えて行く事から始まります。常識外の問いかけにも否定してはならないと言われています。例えば今食事をしたばかりなのに、ご飯は未だか?…などと言った事柄が良い例です」
ここまで聞いて信吾は、嬉しくなって来た。自分の介護に対する思いと全く同じ意見を聞いたからである。さらに講師の説明は続いた。
「認知機能の未発達な乳幼児期でも、また退化しつつある認知症の人でも、先ずは肯定から始まるのです。相手を認め、人間の尊厳を素直に受け入れて行けば、お互いの人間関係が良好になって行くのです。愛情に満ち溢れた母親であれば、赤ん坊の泣き声だけでもその要求の何かを理解出来ると言われています。オムツが汚れているのか、お腹が空いているのかを区別できるのです。認知症の高齢者でも全く同じです。徘徊でも、夕方に強くなる帰宅願望でも、こちらに理解する気持ちがあるならば、その不可解と思える行動も少しずつ意味合いが見えて来るのです。例えば朝方に徘徊が強ければ、これから会社に行こうとしているのかもしれませんし、逆に夕方になってから徘徊が強くなるのであれば会社から自宅に帰ろうとしているのかもしれません」
信吾や同僚のスタッフの多くは、感心して聞きいった。徘徊一つを取っても、これだけの意味づけがなされるのかと、日常的に何も考えていなかった問題を深く掘り下げた講演に大きな感銘を受けた。それにしても赤ん坊の泣き声と認知症の徘徊を同じ俎板(まないた)にのせて語る手法は、かなり可笑しかった。少し疑問も残ったが、敢えて質問はしなかった。変な質問をすると逆に恥をかいてしまうのではないかと恐れたのだ。
次回に続く

哀しみの果てに(31)

別の看護師がまた質問に立った。
「では私達が現在、嘱託医から指示され服用させている薬は何なのですか?」
講師はゆっくりと落ち着いた表情で、
「それは現段階の仮説に基づいて作られたお薬です。例えばアルツハイマツー型認知症で言えば、側頭葉の海馬付近にアミノベーターやタウ蛋白が蓄積していると云う仮説です。もちろん、ただの仮説だけではなく、その様な事実も証明されてはいます。しかし、現実にはアルツハイマー型認知症の原因はそれだけではないのです。それ以外にも原因となる複数の蓄積物資があるに違いないのです。ただ現段階の医学では未だ分かっていません。しかし、功名に焦った一部の医学者や、利益中心の製薬会社が、これこそ認知症の原因で、その特効薬はこの薬だと決めこんだのに過ぎないのです。しかし、現実にはそんな単純なものではないのです。医学の歴史は常に誤謬(ごびゆう)と試行錯誤の繰り返しと言っても過言ではありません。厚労省が認可した薬と言っても、それは現段階の医学的知識に基づくものでしかないのです。つまり医学的知識とは常に未完成なものを含んでいるのです。これはどうにも仕方のない、医学だけではなく、科学の歴史とも言えるでしょう。その未完成な物でも、かなり有効性の高い発見もあれば、全く見当外れの物もあるのです。かつて抗癌剤の一種に「クレスチン」と云う薬剤がありました。1977年の販売開始後、単独でかなり多く使われた時期があったのですが、1989年12月に効能・効果(後述)が改められ単剤使用は認められなくなり、現在では全く無効と認定されています。認知症薬で言えば、その代表例には「ホパテ酸カルシウム」があります。1978年に認可され、日本中で実に多く使われましたが、現在では無効と認定され販売は中止されています。それ以外にも実に多くの薬剤が認可と無効の歴史を繰り返しているのです」
ここまで説明した所で、質問に立った看護師が…
「先生、それでは私達は何を信じて認知症の患者さんに取り組んで行けば良いのですか?」
と、重ねて聞いて来た。医師は少し微笑みながら…
「それは現在の医学の範囲内で対応するしかないですよね。例えば戦前の時代では、肺結核は国民病と言われていましたが、当時は栄養に気をつけるとか、休息を十分に取るとか、あるいは高麗人参が効くとか言われていたのです。元々、肺結核は感染症ですから個人の抵抗力だけで治った例もそれなりにはありました。しかし多くの国民に取っては、やはり不治の病だったのです。そして20世紀も中旬になって、抗結核剤が開発され、やっと根本的な治療が可能になって来たのです。その意味で認知症と云う病気も、まだ未知の分野が多く、かつての肺結核と同じ様に本格的な治療薬は未だ見つかっていないのです。いずれの日にかは、この分野にも光の差す時が来るでしょう。しかし、現段階では薬物治療より『脳トレニーング』や『生活習慣病』の見直しの方が効果があると言われ始めているのです」
次回に続く

哀しみの果てに(30)

こうして信吾は、また老人ホームの仕事に精を出した。それから半年後には「介護実務者研修」(旧ホームヘルパー1級)の資格を得た。仕事が慣れるにつれ、ホーム内で看護師たちの信吾をみる視線も変わってきた。食事の介助も入居者の世話の仕方も、信吾はすこぶる評判が良かった。彼自身が常にお年寄りの目線で物を考える様にしていた。認知機能が低下しているからといって、決して見下したりする様な行為に出る事はなかった。昼食後直ぐに高齢者から、
「未だご飯は出ないの?」
と聞かれても、
「お腹が空いたの…夕食は何だろうね?…何が食べたい?…」
と、高齢者の質問を否定するのではなく、巧みに話を変えていった。認知症者からの質問や妄想には、先ず肯定から入って行かなければならないと云う事を信吾は理解し始めていた。そして3年間の老人ホームでの仕事を終了して、やっと念願の介護福祉士の国家試験にも合格した。
丁度その頃、ホーム内で講演が企画された。認知症専門医による「今日の認知症治療の基本」と云うタイトルであった。信吾は夜勤明けで疲れていたが、一度家に戻り一寝入りして午後3時からの講演に参加した。50才代前半の医師が講師であったが控え目で謙虚そうだった。しかしその姿には、隠し切れない高慢さが見え隠れしていた。それは何十年も先生と言われ続けていた人間の特性かもしれない。同年代の信吾の父親とは、その自信あり気な態度からして違っていた。
そして講演が始まった。参加者はホーム内の看護師と介護士40名ほどだった。講師の第一声から衝撃的な内容であった。
「現段階で認知症に効く薬はありません」
それを聞いていた皆は一様に驚いた。さらに話は続く。
「認知症と云う病気の原因そのものが分からない以上、根本的な薬が出来る訳がないじゃあないですか。この40年近く認知症に効果があると言われた薬は10種類近くが大手製薬会社から販売されています。各メーカーは何年間かは売りに売りまくって何千億円と云う利益を手にしました。そして数年後には、それらの殆どが無効であると判断され保険医薬品から外されました」
ある看護師が突然に立ち上がって
「そんな馬鹿な事って、本当にあるのですか?日本の大手製薬会社と大学病院が推薦した薬が全く無効であるなんて信じられません」
講師は、そんな質問には全く動じる気配を見せず…
「昭和30年以後、日本各地で起きた薬害訴訟を皆さんは知らないのですか?どれだけ多くの日本国民が、この薬害で一生治らない後遺症を残したのか、一度や二度は誰でも耳にした事があると思うのですが…」
勢いこんで質問に立った看護師は黙って座った。さらに講師の説明は続く。
「認知症の薬だって例外ではありません。モルモットやサルの実験だけで何が分かると云うのですか?人間とでは脳細胞の数や大脳皮質の襞(ひだ)からいっても全然違うではないですか…」
次回に続く

哀しみの果てに(29)

そう考え出すと、今まで一生懸命に取り組んでいた仕事に何とも言えない虚しさを覚えた。自宅に戻って、テレビを見ながらビールを飲んでいる父親に信吾は、それとなく話しかけてみた。
「お父さんは、今の仕事に満足しているの?」
父親は少し驚いた表情で、
「何だ、藪から棒に…何かあったのか?」
と、聞き返して来た。
信吾は、この数日間に湧き上がった胸のわだかまりをポツリポツリと話し出した。自分の学歴の事、介護士としての仕事についての疑問。特に仕事の社会的な地位の低さに対する不満などである。父親は珍しく信吾の愚痴を静かに聞いてくれた。テレビまで消してくれた。そして優しく信吾に問いかけて来た。
「お前はお父さんの仕事をどう見ている?」
「さあ、今まで考えた事もないよ」
「そうだろうな、初級の公務員の仕事なんか、お前には縁も所縁(ゆかり)もないだろう。でも、こんな私でもそれなりに自分の仕事に誇りは持っているつもりだよ。私たちの仕事は、如何に住民の方が快適に生活を送る事が出来るかが大きな使命だと思っている。ゴミ処理、騒音問題、結婚や離婚の案件。結婚は互いにハッピーな精神状況だから大きなトラブルは少ないが、離婚手続きとなると、かなり揉める事も多いのだ。男女の感情問題が大きいから、手続きが二転三転する事も多々あるんだよ。私たちは裁判官ではないから、冷静に見守るしかないんだ。常に笑みを崩さず、相手の感情を損なわいように努めているのさ。一口に市役所の役人と言っても、気を遣う事は多いんだ。同じ市役所の中でも福祉課や住民課、その他にも色々な部署があるんだよ。確かに大学卒業で中級職から来た人達は、初級職の人間を尻目にどんどん出世して行く。ましてや国家公務員の上級職に合格した人達は、いわゆる高級官僚としての道を歩んで行く。私たちから見れば、それは雲の上の人達だ。だからと言って、その人達だけで国なり、市が成り立っている訳ではない。私たちの様に現場で住民の人達と生身の仕事をする人間だって必要なんだ。確かに社会的な地位は低いかもしれない、それでも私は自分の仕事に十分誇りを持っている。信吾、お前もそんな事で挫けるんじゃあない。介護だって立派な仕事だ。看護師や医師で、威張りたい奴がいれば威張らせておけば良いのだ」
何時にない父親の冗漫な話だ。でも、今日は父親に相談して良かった。信吾の中で何かが吹っ切れた感じがした。
「まだまだ勉強しなければならない事は山ほどあるだろう。でも自分なりに介護の道を進んで行こう。未だ歩き出したばかりではないか…」
やはり介護福祉士には成るべきだろう。そこまで行って、介護のイロハがやっと分かるのではないのだろうか、急に信吾はそんな思いに駆られ出した。さあ、明日からまた新たな門出だ。ようやく彼の顔に生気が戻って来た。
「信吾、頑張るんだ!」
自分で自分に喝を入れた。
次回に続く

哀しみの果てに(28)

「最も多くの時間を割いて、高齢者の世話をしているのは自分たち介護士ではないのか?食事の介助は言うに及ばず、排便排尿の処理、入浴補助、車イスでの散歩その他一日中世話をしているのは誰なのだ!…介護士だろう。医師と看護師だけで高齢者の介護が出来るのか…出来ると思うならやってみたら良い」
何時しか信吾の胸の内では、介護士以外の人間を呪う様な自問自答が満ち溢れ出していた。
「一番苦労している人間が、一番低く見られる社会とは何なのだ!明らかな身分差別ではないか?」
さらに信吾の自問自答は続く。
「何故こんな身分差別が許されるのだろう。そうか、それは資格の問題にあるのか?…仕事の大変さではなく、資格の重さに関係しているのだろうか?」
理不尽と思える差別感から、十分には割り切れないものの信吾の胸の内で資格の重さに考えが至った。
「そうか、資格を取る為の努力と時間が社会生活上の地位を確立させているのだろう。父親は大学2年で中退だったが、最終学歴は高卒でしかない。自力で公務員の初級試験に何とか合格したが、20年以上の仕事を積み重ねても市役所の係長止まりだ。それが大学卒業で公務員の中級試験に合格していれば、市役所の助役まで昇りつめる事が出来たかもしれない」
そんな父親を顧みて資格の重さを信吾は改めて感じた。自分たち初級の介護士は高卒後、わずか1ヶ月ちょっとで資格が得られる。それに比べ看護師は高卒後3年間看護学校に行かなければならない。看護大学だったら4年間である。その上で国家試験に合格しなければならない。まして医師ともなると6年間の大学生活と国家試験に加えて、さらに2年間の前期研修を経て医師として認められる。つまり8年間もかかるのだ。
結局は資格を得る為の努力と時間が社会的地位を得ていると思えた。
「そうか、そういう事か、軽い資格しか持っていない人間は一生かかっても軽い仕事にしか就けないのだ。それは学歴社会から繋がる資格社会への道が、人の人生を決定してしまうのだ。中学卒で朝から晩まで、病院や老人ホームのゴミ掃除をしても、それなりの資格が無い以上はどうにもならないのだ。仕事が大変だとかそう云う問題ではないのだ。その資格を得る為の多大な努力が、人生の大半を決定してしまうのだ。つまり介護職員初任者研修とは、介護の世界では最も低い社会的地位でしかないのだ。そこで高齢者の排便排尿処理がどんなに大変だと叫んでも誰もそんな事には耳を貸さない。この地位で昇りつめるには介護福祉士の国家試験に合格するか、看護師へと転職するしかないのだろう。大した資格を持たない人間が如何に不平不満を言っても社会は認めてはくれないのだ。どんな資格があるのか、その上にどんな実績があるのかで、始めて社会はその人間を、評価するのだ。掃除婦のおばさんがどんなに頑張っても、それは何の資格も無い掃除の仕事でしかないのだ。もちろん、その中には感染対策のゴミ処理の講習とか云ったものは含まれるが、それらは介護職員初任者研修と大して変わらないだろう。徹底的な管理社会では、資格の重さが最重要なのだ」
次回に続く

哀しみの果てに(27)

医師に散々な注意を受けた信吾は、ともかく家族に電話を入れて肺炎でM病院に入院となった事を説明した。真夜中に電話を受けた家族は
「危険な状態なんですか?今から直ぐ病院に駆けつけるべきなんですか?」
と、矢継ぎ早に質問を投げかけて来た。信吾はどの様に答えたら良いか分からず、
「先生、申し訳ありませんが先生からご家族に病気の説明をして頂いても良いでしょうか?」
と、恐る恐る医師に頼んだ。医師は無愛想な顔で、診察台の電話から家族の元に電話を入れ直した。信吾に対する口調とは違って、かなり丁寧な応対で家族に病状の説明をした。
「あっ、もしもし私は内科の吉川と申します。失礼ですが、あなたは息子さんですか?実は今少し前に老人ホームの方から高熱で外来に来たのですが、呼吸状態も悪く肺炎の疑いが濃厚です。このまま入院させて直ぐに治療をしないと、生命の危険もあります。もう、こんな時間ですから入院の手続きなどは明日でも構いませんから、このまま入院させても良いですかね…分かりました、それでは私、吉川が責任を持って治療に当たります。夜分のこんな時間に電話をかけて申し訳ありませんでした。ええ、今晩はお越し頂かなくても結構です。それでは失礼します」
何と、紳士的な応対だろう。自分に向けられた視線とは違い過ぎる。でも、そんな事で文句を言っても始まらない。信吾は医師に礼を言いつつも、心に幾許(いくばく)かの屈辱感を忍ばせながら、老人ホームに戻って行った。
翌朝、出勤して来た看護師に信吾は夜中の入院騒ぎを報告する。すると驚いた事にオンコール担当の看護師が、
「何故、事前にそんな重要な事を報告しないの?」
と、食ってかかって来た。開いた口が塞がらないとは、こんな事を言うのだろう。あれだけケータイに連絡したのに全く繋がらなかったではないか…半ば不貞腐れた気分で信吾はその事実を指摘した。朝の申し送りの時間帯だ。ケータイが繋がらない事実を指摘された看護師は逆に怒った。
「何を言っているの…私は一時もケータイを身から離した事はないわよ。あんた、全然関係のない所に電話したんじゃないの?」
大勢のスタッフの居る前で、そこまで言われると信吾も引っ込みがつかなかった。
「それじゃあ、ケータイの着信歴を見て下さいよ」
と、逆襲した。看護師は、
「な~に、その言い草は…」
と、反発しながらもオンコール用のケータイを見直した。
「あら、嫌だ。午前1時15分にホームから電話が入っているわ…どうして気付かなかったのかな?なんだ、マナーモードになっている。馬鹿みたい…」
そう言って、一人ケラケラ笑っている。信吾に謝ろうと云う様子はまるで見せない。
この看護師と言い、先刻の医師と言い、自分たち介護士を何と考えているのだろう。心の底から湧き上がる怒りを信吾は、じっと耐えた。
次回に続く

哀しみの果てに(26)

信吾はかつて経験した祖父との半年間に及ぶ介護生活が忘れられなかった。そこには介護と云う立場を超えた肉親の情愛があった。介護に関する知識は現在の方が遥かに高いが、人間としての深い繋がりがあった。それ故にこそ祖父の認知機能は、あんなにも向上したに違いない。
しかし、今の職場ではお年寄りのお世話が中心で認知機能を上げようと云う意識が殆ど無い。週に半日だけ往診に来る医師も、高血圧や糖尿病等の内科的な疾患をチェックするだけで、認知症の問題には関心が薄い。また月に一二度やって来る精神科医も、不眠症や暴言妄想の強い入居者に精神安定剤を処方するだけだ。老人の不安症状や妄想に対して納得の行く解決策を正面から取り組んで行こうとする人間は、医師や看護師を含め今の施設では誰もいない。
そして常に問題となっているのは夜勤帯の時間だ。常勤の看護師は昼間しかおらず、数名の介護士だけで入居者の体調の良し悪しをオンコール体制の看護師に連絡をして、その指示を仰ぐのが常となっている。医学知識の乏しい介護士だけでは、不安な夜を過ごす事も多い。夜中に高熱を出す年寄りがいると、慌てふためいてしまう。オンコールの看護師に電話で相談する。頭だけ冷やして様子を見る様にと指示されても、どこまで様子を見たら良いのか途方に暮れる事もある。
信吾が入職して1年目、午前1時に巡回すると、89才の男性が、
「う~ん、う~ん」
と、息苦しそうにしている。急ぎ熱を測ると、39°Cもある。オンコールの看護師に電話をするが、連絡がつかない。他の介護士と相談して、関連の病院に救急搬送した。当直の医師が出て来て、不機嫌そうに、
「この高熱は何時から出ているんだ?」
と、信吾に尋ねて来た。
「はい、先程巡回中に気づいたばかりです」
と、あるがままに答えた。すると医師は怒りを顔に表して…
「看護師はどうした?看護師は…」
介護士の信吾では、話にはならないと云った態度である。信吾は少しムッとしたが、顔には出さず…
「済みません、看護師と連絡がどうしても付かず不安に駆られて、ともかく診察をお願いにやって来ました」
と、額の汗を拭いながら言い訳をした。医師は仕方がないなと幾らか機嫌を直して診察を始めた。熱は39.5°C、血圧88/52、サチュレーション「*注*」SPO2が86%、医師は胸部の聴診を丁寧に行い信吾に向き直った。
「この患者さんは肺炎を起こしいるよ。昼間から何かの予兆があったはずだ。夕食は普通に食べていたのかね?」
「そう言えば、夕食は殆ど食べていないと聞いています。ただ食欲にムラのある方ですから…」
「そんな君の説明は不要だ。そんな事より、これからどうするの?
このまま入院させるのかい…」
「未だ、ご家族の方のご意向は聞いていませんので」
そんな信吾の発言に医師は再び機嫌を損ねた…
「君ね!そう云う事は前もってご家族に話しておくべきだよ。高熱で状態が良くないので、場合によっては入院になるかもしれませんと…」
次回に続く
*注「SPO2」血中酸素飽和度
パルスオキシメーターを使用して測定した動脈血酸素飽和度(近似値)を「SPO2」と呼びます。パルスオキシメーターで計るのは「動脈血酸素飽和度(と脈拍数)」です。動脈(心臓から全身に運ばれる血液)に含まれる酸素(O2)の飽和度(Saturation:サチュレーション)をパルスオキシメーター(pulse oximeter)を使って計っていますので、その測定値をSpO2(エスピーオーツー)と呼びます。
酸素の飽和度と言われても何のことかよく分からないかも知れませんが、この数値が90%以下になると(健康なら99%近く)肺炎や心不全を合併している疑いが強くなります。