青田さんへの回答

お母様の場合に薬物服用を考えるならば、アリセプトよりレミニール4mg×2(朝、夕)×1ヵ月、次の1ヵ月はレミニール8mg×2(朝、夕)計16mgこれに抑肝散2.5g×3(朝、昼、夕)の併用使用を私なら考えます。
アリセプト単独使用より副作用報告が少ないからです。これ以上のレミニールの増量は、後の症状次第です。
レミニール4mg×2と抑肝散7.5gの併用服用でも初回から2週間ほどの使用で十分な効果が得られる事も多いので、その後の経過を教えて下さい。
前回の青田さんのご質問には、何か私が試されている様な感じが強くしましたので敢えて、お答えしませんでした。お許し下さい。
【ご質問】
成川様お世話になっております。
実は、父親が、リハビリ病院で、リハビリが原因(おそらく)金属プレートが折れて、再手術になり、また、ゼロから、リハビリになりそうです。(歩行器で歩けるまでになっていたのにショックです。)
心配なのは、母親です。
父親の病院通いを母親としていますが、母親は、かなり、疲れて、夜になると、不安感からか、誰か帰ってくる(亡くなった祖母、お兄さん)ようなことを言います。
父親が帰ってくるまでと、私も頑張っていたのですが、正直、私自身、心が折れました。
母親が、月曜日、水曜日、金曜日とデイサービスに通っています。
現在、アリセプトを服用していませんが、父親が退院するまでの間だけでもアリセプトを服用してもらい、これ以上、悪化しないことを検討しています。
成川先生が何かイイ考えなどありましたら、ご助言頂ければ、幸いです。
何卒よろしくお願い申し上げます。

診察室からコンニチハ(53)

話は再度病院運営の事になります。
病院の職員数は160名ですが、この程度の規模ですと、中小企業とも言えず大規模に属するとも言えない組織体です。1人のトップで目を配るのは少し困難さを感じます。トップが30~40歳代の若さですと、当然スタッフも若い人が多くなりますので、随所で不満の声はあるものの若いエネルギーで、多くの困難は何とか乗り切れるものです。さらに若さのエネルギーは遊びにも向かいますから、病院開設10年ぐらいの間は院内のクラブ活動も活発でした。英会話教室、テニス部、華道部、スキー部、旅行部などがあって参加者も多く仕事以外にも爽快な汗を沢山流していました。秋の職員旅行は盛り上がり過ぎて、箱根の旅館では出入りを禁止される様な醜態を演じた事もありました。病院10周年の職員旅行では韓国旅行まで実施されました。
この様に仕事と遊びを通してスタッフとのチームワークも良好になり、病院運営も極めて順調でした。
しかし、この10年近くはクラブ活動の参加者が日々少なくなり、全く活動を停止しています。また職員旅行も参加者が激減して、旅行計画そのものが実施困難になっています。
日本全体で若者の酒離れも顕著になっていると言われています。
集団での活動よりは、少数での交際が好まれている様です。日本経済の長引く不況と若者たちの質素な生活が蔓延しているのでしょうか?
ともかく元気のない人たちが多すぎます。そんな日本人と比べ、銀座などのデパートを見ると高級店に群がっているのは外国人ばかりです。
病院経営も厚労省の度重なる医療費抑制政策で、何処も採算の悪い状況が続いています。それでも常に新しいアイディアを出して病院に明るい未来の展望を打ち出して行くのが、経営者の使命だと自らを叱咤激励している日々です。
次回に続く

はなさんへの回答

ご返事が遅れて申し訳ございません。裁判所に提出する正規の診断書(5万円ぐらいの費用負担)を、認知症専門医もしくは精神科医が書いて、裁判所(恐らくは家庭裁判所)に提出すれば「認知症として自己判断能力は無い」との判断で、お母様の意向は通らないと思います。ケアマネでも、そのあたりの手続きは分かっていると思うのですが。ただし重要な事は通常の診断書では意味をなさないです。あくまで裁判所が認める形式に沿った診断書が必要です。私も何度か、同じ様な診断書を作成した事がありますが、この作成には数日間は要する手間がかかりますので多くの医師が引き受けたがらないのが実情です。
  【ご質問】
以前も別件でお世話になりました。
母が認知1で、一番激しいのが脳血管性認知症で、物忘れもの取られ、私が犯人扱いされてどうにもならぬ状態です。母子家庭で別居してますが一人っ子です。しかし、私が泥棒すると思い、遺産はほかの親戚にあげると言っておりケアマネにも言ってます。財産管理をいずれ頼む場合、亡くなったあとの相続名を本人が記載する欄があるそうで、そこに親戚の名前を書こうかと思っているようです。万が一、自分で公正役場などで相続名をサインしてきた場合、無効にはならないのでしょうか?自分で行きサインできる場合認知症とは思われませんよね?通ってしまうのでしょうか?認知症と言う証明があっても無効ですか?

診察室からコンニチハ(52)

病院運営の最大の悩みは、いつも人手が足りないとの危機感です。それは時に医師だったり、看護師だったり、薬剤師その他の種々の職種で常に人手不足の問題は抱えています。何もこれは病院に限らず日本の全ての企業が抱えている問題なのでしょう。
それでも病院が他の業種と違うのは、無資格者の人手集めに苦労の種が尽きない事です。薬剤師や検査技師などの有資格者は、医療関係で働くしかない訳ですから比較的に人手の確保はしやすいのですが、事務系や看護補助者などは世間の景気にかなり左右されます。
不景気の時代には事務系や看護補助者なども容易に応募に反応してもらえたのですが、景気が良くなると他の業種に流れてしまいます。特に患者さん方の食事や入浴など縁の下の力持ち的な仕事をしてくれる人達の確保は大変です。
少子高齢化と高学歴化で、若い人たちは地味な仕事からは確実に遠ざかっています。デパート駐車場の整理係、道路工事の誘導など多くは高齢者の仕事になっています。同じ様に病院でも介護者の高齢化が目立ち始めています。かつてはブラジル日系人の方々により介護要員の多くを担っていましたが、風土の違いや女性同士の細やかな感情の行き違い、あるいは日本の島国根性などが重なって海外からの人員補充は先細りになるばかりです。
病院も開設35年目を迎えると、色々なルールや形式が知らない間に芥(あくた)の如く溜まってしまいます。もちろん良き伝統もあるのですが、「悪貨は良貨を駆逐する」の譬(たと)えにもある様に、組織と云うものは常に自己改革に努めなければ、何時しか消滅して行く運命にあるものです。
日本を代表する大手企業と雖(いえど)も例外でない事は、昨今の社会現象が証明しています。
さて私たちの病院は、これから先どの様な自己改革が出来るのでしょうか?…病院長である私の責任は重大です。
次回に続く

診察室からコンニチハ(51)

現在社会では、多くの情報が氾濫しています。医学情報も同様です。時に少し疑わしい情報もあります。マスメディアからの医学情報は膨大な量です。テレビ、新聞、週刊誌そしてネット上で流される情報は洪水の様で、多くの人達に戸惑いを与えています。
それら情報の中には、医師として納得の行くものもあれば、かなり怪しいものも多分に含まれています。
外来診療の合間にも、
「テレビで血圧の話をしていたんですが、私の血圧は高くないですか」
とか、
「サプリメントが認知症に効果があるって聞いたのですが、先生はどう考えますか?」
など、質問も様々です。
結局は自分の40数年間の医師生活の中で学んだ事でしか、答えようがありません。後は自問自答して、
「正常血圧とは何だろう。高齢者に正常血圧の概念は当てはまるだろうか?…コレステロール値と動脈硬化の因果関係は?…海外と比べ日本での使用薬剤が、一般的にかなり多いのは何故だろうか?」
あれこれ考えながら、日常診療では自分なりの方針を打ち出して行くしかないのです。それが10年ぐらい経て、自分の方針が間違っていなかったと学術文献で実証される事もありますし、自分の勉学の浅さに気付かされる事もあります。それ以外に間違った医学情報を鵜呑みにしていた事もあります。医学文献でも情報は常に修正されているのです。
そんな日々の中で、患者さん方から熱い信頼を受ける事もありますし、逆に大病院志向から私の説明が受け入れられない事もあったりします。
嬉しさと、プライド、そして挫折感の入り混じった日々です。
次回に続く

診察室からコンニチハ(50)

私が医学部の学生時代(1970年代)、医師はまだ権柄尽(けんぺいず)くな人が多かった気がします。特に大病院の医師の中に、その様な人が多かった印象があります。まだ医師が「お医者さま」と、呼ばれていた時代でした。結核を始め、多くの感染症が克服され日本人の平気寿命は飛躍的に向上して行きました。乳児死亡率も激減しています。1955の乳児死亡率39.8(出生1000人に対する死亡率)に対して2000年での死亡率は3.2までに減少しているのです。外科手術も格段の進歩を遂げています。
未来に直面する甚大な不治の病よりは、克服されて来た数多くの疾患の上に医師たちは幾らか慢心の思いを抱いていたかもしれません。
それら慢心の裏返しか、または患者さん方の権利意識の目覚めか、医療訴訟が1997年ごろから急増して来ました。1997年(訴訟数310件)、1999年(678件)、2004年でピーク(1110件)を迎え、その後は軽減して2017年(857件)となっています。医療ミスは医療サイドだけの問題なのか、システムに欠陥はないのか(医師の超過勤務 : 週に80時間以上もあり得る)などの問題も昨今は惹起(じやっき)されています。
いずれにしても医師が「お医者さま」から「お医者さん」と名称の変化が生じたのは確実です。
それは聖職者ではなく、知的技術者になった事を意味しているのかもしれません。
そしてパソコンの発達、画像診断の向上、電子カルテの普遍化などにより、医師と患者さんの生(なま)の会話は少なくなっている様な気がします。
病を通じて感情の共有は激減しているのではないでしょうか?
この患者さんの病気を何とかしたい(仕事ではなく、人間として)と云う医師を見かける事は、昨今では稀有になっています。家に帰って、食事をしていても自分の受け持ちの患者さんがどうなっているか常に気になって仕方がないとの、思いに駆られている医師は今でもいるでしょうが、少数にはなっているでしょう。
かく言う私は、60才代後半から少しずつ医師として気力の衰えを感じ始めています。それでも少しは何かの役に立ちたいと願いながら、このブログを3年以上続けています。
次回に続く

診察室からコンニチハ(49)

かつて大学病院の助手時代、「医師国家試験対策」補助指導を半年ほどさせられた事があります。医師になって9~10年目ぐらいだったと記憶しています。血液内科に籍を置いていましたので、指導教科は当然血液学です。5年間ぐらいの過去問を見ながら、最先端の知識にも目を通して20人一組で90分間の講義をして行きます。詳しい事は忘れましたが、90分間を1単位として4~5単位ぐらいのカリキュラムだったと思います。
未だ骨髄移植のない時代で、急性白血病は不治の病でした。自分より若い20代の人が亡くなった時は、治療をする立場の人間としては精神的にもかなりの苦痛を感じました。治療の基本は抗がん剤で感染症や貧血の悪化さらに止血対策など直面する課題は山の様にありました。関東地方全域から、白血病の患者さんが連日送られて来ました。確定診断としての骨髄穿刺(多くは胸骨から)も週に何度となく行っていました。若い女性からは、検査の不安から手を握る様に頼まれたりもしました。
抗がん剤の集中治療で一時的な効果は、かなり上がっていました。顕微鏡的に白血病細胞の認められなくなった病状を、当時の私たちは「寛解」と称していました。一度寛解に入ると退院になります。後は外来で経過を見て行くのですが、経過の良い患者さんですと1年以上は自宅での生活が可能でした。そして多くは8ヶ月~14ヶ月の間に再発してしまいます。そして、また厳しい闘病生活のスタートとなります。初回に比べると、治療効果はかなり落ちます。30代後半になると、度重なる抗がん剤の治療に体力が持たなくなるのです。白血病で使用する抗がん剤は、肺癌や胃癌で使用する薬剤とは比較にならないくらい副作用が強かったのです。それでも若く体力のある方は二度目の寛解に、何とか成功します。そして無事に退院の運びに漕ぎ着ける事が出来るのですが、三度目の再発で寛解に至るケースは極めて稀でした。
さて話を学生指導に戻りますと、彼等には白血病の分類や、どの様な白血病にはどの様な抗がん剤が効果的であるか、さらに多くの合併症に対する予防と治療法などを説明していました。23~25才ぐらいの若者たちは、皆んな真剣な眼差しで私の話を聞いていました。医師国家試験まで1年間を割りこんでいる時期ですから、彼等が真摯にならざるを得ないのは当然だったかもしれません。
そんな学生たちに授業の最後に、私が決まって送る言葉がありました。
「もし医療が完璧なもので、どの様な病気でも確実に治せるものなら医師は横柄な態度を取っても許されるだろう。しかし、現実には不治の病は永遠に存在するのです。それを現代医療の限界だと居直ってはならない。不治の病に直面する患者さんには、医師自らの至らなさを謙虚に詫びる心が必要です。一つの生命に対する敬虔(けいけん)な気持ちで、患者さん方の最期に贖罪すべきなのです」
こう言って、私は彼等を常に送り出します。
次回に続く

診察室からコンニチハ(48)

認知症の外来診察を通じて常に思う事は、家族が率先的に参加して、医師と二人三脚で少しでも親なり、配偶者の認知機能を改善しょうと努力する人と、性急に結果を要求する家族とでは明らかな違いが出て来る様に思えてなりません。
こう書くと如何にも医師の言い訳に聞こえるかもしれませんが、認知症治療は試行錯誤の連続です。ご家族と医師の手探り状態であると言っても過言ではないのです。何故ならアルツハイマー型認知症にのみ単独で罹患していると云うケースは割と少ないのです。
一口にアルツハイマー型認知症と言っても、以前の様にアミロイドβのみが蓄積している(その様に言われていた時期も長かったのです)だけではなく、タウ蛋白の蓄積もかなりの比率で認められていると昨今の文献では記載されています。その蓄積比率で病状も微妙に変化する様です。レビー小体型認知症に関してもアルツハイマー的な要素が混在しているケースも多いと言われています。ピック病に関しても同様に脳血管性とか、レビーとかが入り混じっていたりするのです。
ですから、稀には「ドネペジル」や「ガランタミン系」の薬剤がそれなりの効果を示す例もあります。しかし、それらの薬が長期的に効くかと言えば疑問が残ります。何故なら認知症の病状は月日の流れと共に、その病態生理を変えて行くからです。
脳内に蓄積して行く変性物資が、癌細胞の転移に似た変化を起こしたりするのです。しかし癌細胞の転移と違うのは、認知症であろうと人間の感情は最後まで残りやすいのです。
その感情を利用する事により、認知症を改善する為の努力は必要なのです。現段階で出来る事は「脳トレ」であろと、「音楽療法」であろうとやってみるべきなのです。
認知症の根本治療は脳内に蓄積した変性物資の除去以外にはないのですが、その変性物資にしても完全に解明できていると云う訳ではないのです。つまり、根本治療に至る道は未だ遠いと言わざるを得ません。
戦前の時代、まだ「抗結核剤」が発見されるまででも結核の治療は、栄養のある物を食べるとか、転地療養などで多少の効果を上げていました。全快例だってあったのです。
認知症治療にしても、同じ様に考えられます。生活習慣病の改善や朝の散歩、規則正しい生活なども補助的な治療になるのです。結局、人は生きている限り、その与えられた状況で精一杯に生き続けるしかないのです。希望を捨てず…。
次回に続く