想い出は風の彼方に(80)

「仮面ライダーなんて、ぼくの病気を少しも治してくれないよ。どこが正義の味方なんだ?」
弱々しい声ながらも和也くんはママに噛みつく様に迫った。ママは幾らか困った顔で、
「そうね、仮面ライダーはどうしたのかな…でも、小林先生がいるじゃない。和也の病気を治す為にいつも側(そば)にいるじゃないの」
彼はママを睨みつける様にして…
「先生は、嘘ばかりついている」
と、吐き出すように言った。
「どうして…!」
ママは優しく彼の抗癌剤で禿げ上がった頭を撫でた。
「だって注射しないって言って、いつも注射ばかりしている」
そう言われて、ママは下を向いているばかりだった。その頬には幾すじの涙が流れていた。
その3日後に和也くんは息を引き取った。
和也くんは亡くなって直ぐに病理解剖に回された。彼のママは、はじめ小林医師の解剖依頼には拒否的だったが、半年以上に及ぶ小林医師の献身的な医療行為に心から感謝をしていたので、医師の強い懇願に屈する形で、子供の解剖を渋々同意した。浩司の小児科実習の最終日は土曜で、午後からは家に帰るつもりでいたが、小林医師の指示で午後2時からの解剖に立ち会った。
当時の大学病院は、亡くなった患者さんの半分以上は病理解剖に回す事が慣例化していた。病理解剖こそ、最終診断の模範解答になると考えられていたからだ。だから半分以下の病理解剖しか実施していない大学は、他の大学からは軽んじられていた。現に国立大学や名門私立大学では8割以上の解剖実績を誇っていた。
午後からの病理解剖の事を考えると、浩司は食欲が出なかった。基礎解剖は大学3年の時、半年に渡って実施していたので解剖そのものに恐れはなかった。しかし、生前の顔や声を知っている和也くんの病理解剖は、まるで見知らない遺体の基礎解剖とは受ける精神的な圧迫感が全く違う。出来る事なら解剖に立ち合いたくはなかった。でも小林先生から指示された以上、避けて通る訳にはいかなかった。
そして定刻の午後2時前に病理解剖室へと出向いた。既に和也くんの遺体の前には、解剖を手がける医師3人と小林先生が立ち会っていた。浩司は他の同級生と静かに頭を下げ、解剖室に入った。
小林先生とは目だけで会釈をした。
病理解剖の医師3人は、壁に掛かった時計を見て2時丁度に、
「それでは、定刻になりましたので解剖を行います」
と、厳かに宣言した。一人の医師が頭部から、もう一人が胸部から、あとの医師が腹部から執刀を開始した。定刻より数分遅れて2名の病理の医師がやって来た。筆記専門であった。3人の医師の手際は見事だった。一分の無駄もなく解剖は進められ、口頭で解剖所見が次から次へと述べられ筆記専門の医師が、どんどん記述していった。まるでベルトコンベアーみたいな仕事で、一切の感情を挟む余地はなかった。
和也くんの腹部腫瘍は、大小さまざまで10数個は認められた。肝、膵、肺、骨と転移は多数に散見された。改めて転移の凄さに浩司は、言い知れぬ恐怖を感じた。午後5時、解剖は終わった。解剖室を出た所で、浩司は小林先生に礼の言葉を述べた。そして同級生の誰とも口をきかずに別れた。
次回に続く
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