想い出は風の彼方に(83)

綾子と母親は、二人の酔っ払いを後にして明日の食事の下準備にかかった。何時もだったら、今夜のオデンの残りで適当に朝食を済ませるのだが、浩司が泊まって行くとなると、そうもいかない。第一、綾子の気持ちが済まない。恋人の浩司に残り物のオデンを食べさせるには、彼女のプライドが許さなかった。台所で朝食の準備をしながら思いついた様に母親が綾子に言った。
「そう、そう、お前…浩司さんの家に電話を入れたの。こちらに泊まって行くからと、お伝えしなければご両親が心配になるでしょう」
そう言われ、綾子は自分の迂闊(うかつ)さに気づき浩司の家に電話を直ぐかけた。
「もし、もし、篠木さんのお宅ですか。夜分遅くに申し訳ありません。実は浩司さんが私の家に泊まって行きますので、それをお伝えしたく…」
「まぁ、綾ちゃんなの。ご免なさいね。浩司がご迷惑をかけて…でも遅くなっても良いから帰る様に言ってくれないかしら」
「それが、兄と二人ですっかり酔いつぶれて帰れる状態ではないんです」
「まぁ、呆れた。綾ちゃんのお母さまに顔向けが出来ないわ。一体、どうしたのかしらね。それじゃあ仕方がないわね。申し訳ないけど、綾ちゃん浩司の事はお願いします。綾ちゃんの家だったら安心だし…でも、これで浩司の事が嫌いになったりして…」
「おばさま、私の気持ちは固まっていますから、これぐらいの事で浩司さんの事が嫌いになるなんて事は絶対にありません」
そう言ってしまって、綾子は一人で顔を紅くしていた。
「それを聞いて安心したわ。明日は日曜だから大学もないし、それでは綾ちゃん今晩は厄介になります」
「それでは、おばさま失礼します」
「はい、お休みなさいね」
そう言って電話を切り、浩司には出来た娘(こ)だと鈴子は満足した。これだったら近い将来に篠木家の嫁になっても安心だと考えたりもしていた。
翌朝、9時過ぎに浩司は目を覚ました。オデンが置いてある食卓の前で寝ていた。枕の上に寝かされ、掛け布団もかけられいた。部屋には誰もいなかった。起き上がろうとすると、二日酔いで頭がズキズキする。綾子が入って来た。
「起きたの、お腹が空いたでしょう。
今すぐに準備しますからね」
まるで女房そのものの口調だ。浩司は場所がらも考えずに綾子を抱き寄せた。
彼女は少し驚いて、
「ここではダメよ、私の家でしょう」
そう、たしなめられて浩司は自分が何処にいるかを自覚した。
「ともかく、顔を洗って来て…」
そう言って、浩司に軽く口づけをして台所に消えていった。昨晩の記憶が曖昧(あいまい)である。何故、綾子の家に泊まってしまったのか良く分からない。彼女と公園に行き、そしてオデンを食べ吉村と日本酒を浴びる程飲み…顔を洗いながら記憶が少しずつ繋がって来た。
いずれにしても正体を失って飲みつぶれた事だけは確かなようである。何か恥ずかしい行為をしてしまったのではないか、そんな事が気になり出した。
綾子の給仕で朝食を取る。家の中には誰もいない。吉村も母親も仕事に出ていったらしい。
「綾ちゃん、昨晩の俺は何か馬鹿な事をしなかったかい?」
「別に何もなかったわよ。ただうわ言の様に、和也くん、和也くんって言っていたけど、私にはその意味が分かっていたから夢の中でも魘(うな)されているんだと考えると、浩ちゃんが可哀想になって来たわ」
そう言って、綾子は浩司の手を握りしめた。
次回に続く
関連記事

コメント