想い出は風の彼方に(84)

翌月曜からは、内科の実習だ。実習期間は6週間と長い。先ず消化器内科で胃カメラや大腸ファイバーの実地研修を受けた。そして胃透視の指導を受ける。バリウムを飲ませながら透視台の患者を色々な体位に誘導してレントゲンを撮って行く。X線予防着には鉛が入っているので、かなり重い。午前中で8名の胃透視を見学すると疲労困憊になる。
胃透視を実施している医師の顔にも疲労の色が漂っていた。市中病院と比べ大学では点滴を含め、医療行為の殆どが医師の手で進められていた。大学以外では看護婦やレントゲン技師の手に委ねられている事も医師自身が実施するのが常であった。その分だけ医師の仕事は分業化され、外来担当医は外来だけ、病棟担当医は入院患者を診るだけで目一杯の仕事量になっていた。市中病院で大学と同じ様な医療体制を取ったとすれば、赤字経営で直ぐに倒産となってしまうだろう。故に市中病院では、医師には看護婦の数倍もの給与を払いながら効率良く医師本来の仕事を無駄無く熟(こな)してもらうのだ。
大学で何故、その様な医療体制が成り立つかと言えば、医師の多くが無給に近い状態で何年間も黙って働いているからである。
では何故、多くの医師はそんな無給に近い待遇で過酷な労働に耐えているのか?
それは医学博士と云うマジックである。この称号を取る事が医師のシンボルであると長い期間にわたり、大学は医師を呪文にかけ縛っていたのだ。
ただし、医学博士と云う称号がただの呪文であれば何時かは無意味な物として捨て去られる時が来たのであろうが、現実にはメリットもかなりあった。
つまり、大学や公的病院で管理職(講師以上教授まで、あるいは副院長や病院長)への道を歩む場合は、医学博士の称号が必要となる仕組みになっていた。
しかし、クリニックの開業や市中病院での勤務には医学博士の称号は何の意味も持ち得なかった。それでも多くの医師は、医学博士の称号を欲しがった。
医師の事を「ドクター」と言ったりする事も多いが、「ドクター」と云う呼称は「博士」と云う意味なので、文学博士だって「ドクター」なのである。
つまり医師の事を「ドクター」と言ってしまうのは、それだけ医学博士が世に氾濫していた事の証拠である。
さて、話を本題に戻そう。浩司の内科実習は消化器から血液内科へと移る。彼の大学は血液内科が、当時は主流であり患者も多かった。彼の指導に当たってくれたのは沢近医師だった。一日の多くを血液標本作成と、白血病の異型細胞鑑別に熱心で顕微鏡観察に多くの時間を割いていた。どれだけ美しく血液標本を作成するかに、限りない喜びを感じている様な人だった。一日の病棟実習が終わった後も研究室で顕微鏡の前に座り何時間も白血病細胞の見分け方を教わるが、不可思議な細胞の群れが多数存在するだけで、何だか全く分からない。正常細胞と何か違うらしいとは見当はつくが、それ以上は区別がつかない。途中から欠伸を噛み殺し聞いている振りをしていた。そんな浩司に気づいた沢近医師は、
「篠木くん、どうだい。この白血病細胞の絢爛豪華(けんらんごうか)な事、人間にとっては邪悪な存在かもしれないが、細胞自体はひたすら自己増殖を繰り返しているのだ。見方を変えれば、美しいとも思えるだろう。美しいと感じなくても、こいつは何者だろうと考えるだろう。その疑問から血液学だけではなく、全て学問の好奇心が湧いて来るのだよ」
そう言われ浩司は、成る程と思った。
次回に続く
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