想い出は風の彼方に(85)

沢近医師の言葉は、さらに続く。
「篠木くん、若い君だったら街で美しく可愛い女の子に出会ったら、名前を知りたいと思うだろう?」
「そうかもしれませんね…」
そう言いつつ、頭の片隅で綾子の事を思い浮かべた。沢近医師は得意気に、
「だろう!…あわよくば、その彼女の電話番号も知りたいと思わないかい?」
「まあ、そうでしょうね」
一般論として、浩司は納得した。
「それと同じ事が白血病細胞にも言えると思うのだよ。この細胞の名前は何て言うのだろうか?…と、限りない興味を覚えるのさ、違うかな?」
「確かに、そうかもしれませんね」
と浩司は、素直に了解した。
それ以上に浩司は沢近医師に、医師のあるべき理想像を見た。彼の説明には、学究の徒と云うイメージに加え人間味のある奥行きの深さが感じられた。
彼の下で学んでみたいとも考えた。これまでに病院実習で幾つかの診療科を回って来たが、指導医としては最も強い印象を受けたのだ。
その後も脳外科、麻酔科、産婦人科、皮膚科と全診療科の実習を終えてから2ヶ月間に及ぶ卒業試験がスタートする。この長期間の緊張維持は、かなりの困難さと精神力が付きまとう。そして卒業式となる。この時代は何故か卒業式の後に、医師国家試験が待っていた。その為に幾つかの悲喜劇が発生した。大学病院や市中病院に就職が決まり、4月から新人医師として働き始めていたにも拘らず、4月末の国家試験が不合格となると、就職辞退に追い込まれ浪人生活を余儀なくされたのである。
幸いにして浩司は、その様な不運に見舞われる事もなく順調に母校の大学病院に入職した。最初の一年間は内科全域を3ヶ月づつ実地研修をして回る。消化器、循環器、内分泌、血液内科の順番に浩司は研修を受けて行った。学生時代の病院実習とは違い、実際の医療行為がオーベンObenと呼ばれる指導医の基で可能となっていたので、遣り甲斐は学生時代の比でなかった。点滴当番があったり、膀胱洗浄や腹腔穿刺、脳脊髄液の採取も指導医の下では許された。
少しづつ一人前の医者になって行く実感が伴って来た。学生時代の試験勉強の時よりは、はるかに忙しく原書(多くは英語)の読書会などもあって勉学そのものも大変であった。
しかし、学生時代の受身の勉強ではなかったので精神的な苦痛は感じず、むしろ充実感のみが強かった。
内科当直も月に2度ぐらいで回って来たが、卒後4年目、6年目、10年目の医師と4人での当直体制なので、救急患者を診るのに何の不安も感じなかった。むしろ緊張感が何とも心地良かった。卒後2年目で一人立ちとなり、あれこれ悩んだ末に血液内科に籍を置く事にした。沢近医師の影響が浩司の決定を大きく左右した事に間違いない。この年、綾子が大学を卒業して二人は結婚式を挙げた。浩司が26、綾子が22才の年である。
彼女は大手の総合商社に就職した。
浩司は彼女に専業主婦を望んだが、一度は社会人としての仕事を経験したいと願う、彼女の強い要望で最難関の商社に挑戦してみた。慶応大卒業の学歴は大きく、卒業時の成績も優秀であった。文句なく綾子は希望の商社に採用が決定した。
浩司は心から喜んではいなかったが、一応は綾子の思い通りにさせた。それでも結婚だけは急いだ。
次回に続く
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