想い出は風の彼方に(86)

綾子は総務部秘書課に配属された。
数ヶ月間の研修後、常務取締役の秘書に任じられた。常務の秘書は定員が3名で、最古参は40才で男性の木村、次席がやはり男性で32才の川上だった。常務の福原は原油の買付けと為替動向のチェックが主たる業務であった。先輩の男性2人は1973年のオイルショック以来、原油価格の急騰に福原と共に頭を悩ませていた。
発生に至る情勢は1973年10月6日に第四次中東戦争が勃発。これを受け10月16日に、石油輸出国機構(OPEC)加盟産油国のうちペルシア湾岸の6カ国が、原油公示価格を1バレル3.01ドルから5.12ドルへ70%引き上げる事を発表した。翌日10月17日にはアラブ石油輸出国機構(OAPEC)が、原油生産の段階的削減(石油戦略)を決定した。またアラブ石油輸出国機構(OAPEC)諸国は10月20日以降、イスラエルが占領地から撤退するまでイスラエル支持国(アメリカ合衆国やオランダなど)への経済制裁(石油禁輸)を相次いで決定した。さらに12月23日には、石油輸出国機構(OPEC)に加盟のペルシア湾岸の産油6カ国が、1974年1月より原油価格を5.12ドルから11.65ドルへ引き上げる、と決定した。 
この原油急騰に日本経済は一気に萎み始めた。綾子の勤める総合商社も経常利益が悪化していた。為替は1ドル275円から305円までを行ったり来たりしていた。この数年は3月末が円高に振れる事が多かった。
これらの情報分析と為替相場への注文指示に、常務を始めとするスタッフは汗を流していた。為替にしても年に30円の変動は、一歩間違うと会社の命運がかかって来る。
綾子が初めて、秘書業務と聞かされた時は常務のタイムスケジュールが主な仕事ぐらいに考えていたが、実際は証券会社の為替ディーラーの様なチャート分析が主な仕事なので、かなり面食らった。入社して半年目ぐらいからは残業も多くなり、家に帰るのも10時過ぎになる事が度重なったが、浩司も病院での仕事が大変で1週間に2日ぐらいしか家には戻らなかった。
医師になって2年目からは市中病院でのバイト(平日当直や土日当直)が解禁されていたので、浩司は大学での無給研修を補う為、月に10日程はバイトに精を出し25万円程を稼ぎ出していた。綾子の給料が12万円程だったので二人の生活は、比較的に楽だった。
しかし、新婚の二人はすれ違いが多く夕食を共にするのは月に数度でしかなかった。学生時代より一緒に過ごす時間が短い感じさえあった。それでも結婚1年半で綾子は妊娠した。これを機に専業主婦になって欲しいと浩司は頼んだが、綾子は仕事の忙しさを口実に、問題を先送りしていた。
医者になって4年目に、浩司は大学が関連する市中病院に出張を命じられた。これまでの様なバイトに精を出さなくても30万円近い月給が保証された。綾子は産休に入り、共に家で過ごす事が多くなった。風呂に入るのは、いつも一緒だった。浩司が大きく張り出したお腹の、綾子の髪を洗っていた。しばらくは仲の良い夫婦生活が続いていた。
次回に続く
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