想い出は風の彼方に(103)

浩司は改めて白血病と云う病気の凄まじさに恐れ慄いた。そして沢近の卓越した診断能力と、その行動力には脱帽するしかなかった。沢近は何故か、亡くなった患者の病理解剖を要請しなかった。
「沢近先生、解剖はしなくて良いのですか?」
そんな浩司の素朴な質問に、沢近は感情を押し殺すかの様に…
「篠木、お前はあの父親の後ろ姿を見てそんな事を頼めるのか?」
彼としては珍しく感情的な言い方をした。浩司も頷いて、
「そうですよね、余りに突然な出来事で…父親の頭の中は空白でしょうね!」
「俺もそう思うよ。それにAPLにDICが合併した症例で、今さら解剖したからといって何か新しい所見が得られるとも思えないし、ここはそっとしておいて良いんじゃないか」
沢近は情愛と冷静さを織り合わせた様な物言いをした。そんな彼に浩司は益々尊敬の念を強くした。それから1時間半ぐらい医局の休憩室で、二人は仮眠を取った。横になると鉛の様に疲れた二人の体は、そのまま海の底に沈んで行くかの様な深い眠りに落ちて行った。午前9時過ぎに沢近が起き出した。その気配で浩司も目を覚ました。身体は未だ眠りを求めていたが、1日の仕事があり余る程に待っている。空腹感は強かったが、昼までは我慢する事にした。空腹感が眠気防止に繋がる事は沢近の以前からの持論で、浩司も時にそれを真似していた。
洗顔もそこそこに、浩司は病棟に上がり後輩医師のカルテをチェックする。それにしても医師の字はどうして皆が皆、こんなにも汚いのだろう。浩司自身の字も決して上手だとは言えないが、それでも丁寧に書こうとは努めてはいる。その点では沢近の字は、その性格もあって割と読みやすいし、今時には珍しくドイツ語で書く事が多い。
戦前の医師はドイツ語に堪能であったが、戦後はドイツが戦争に負けた影響から医学や科学の進歩はアメリカ中心に動いていた。その為に原書と云うと、殆どが英語で書かれたものであった。そんな時代の流れから医師もドイツ語を真剣に学ぶ者は少なかった。
さらに1970年以降は、医学書も日本で書かれるものが多くなって来始めた。そうなると医師の英語力も格段に落ちて来た。だからカルテに書かれている文字は英語でもなく、学術用語の羅列に過ぎない。
それらをまた省略して使うものだから専門以外の人には益々理解が困難になって来る。例えば乳腺外科を「乳外」と云うくらいならともかく、「パイ外」なんて言われると内科の医師などにはまるで分からない。内科領域に限ってもMSと書かれていても、それが僧帽弁狭窄症(Mitral Stenosis)なのか多発性硬化症(Multiple Sclerosis)なのかも区別出来ない。そして専門医になると、より省略文字が多くなって部外者を困らせる。
また高校時代までは書道に励んで達筆な文字を書いていた様な人でも、医学部に入ると文字が急に乱雑になる傾向が強いと言われている。それは授業のスピードが速くて、どうしても速記文字みたいになってしまうらしい。
次回に続く
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