想い出は風の彼方に(105)

翌月から浩司は小金井の病院のバイトに行き出した。先輩の井沢の顔を立てての事だが、ともかくバイトでも確定した医師の体制を整理しなければ、医師が不在の時間帯が生じてしまうので、井沢と協力して7人の同僚医師を何とか集めた。外来は午前診だけに絞り、副院長が担当した。
それやこれやで数ヶ月間は、何とか形だけは病院を運営していた。
医療法人の許可ベッド数は115床だが、看護婦不足もあって60床を回して行くのが精一杯だった。小金井の病院に浩司が肩入れして半年、浩司は平日の半日を週3回と、週2回の夜勤当直を担当するまでに、この病院にのめり込んでいた。
先輩の井沢は4月から講師となって、沢近の後を継いで内科医局長に推された。こうなると井沢の動きも少し不自由になり、小金井の病院から少しづつ手を引き始めた。4月半ば、桜の花もすっかり散ってしまった頃になって浩司は井沢に愚痴った。
「先生、狡(ずる)いじゃあないですか。小金井の病院はどうするんですか、僕一人ではどうにもならないでしょう」
井沢は言い訳の様に
「だって沢近先生が福島で開業なさって、俺がその後任で医局長になってしまったんだから仕方がないだろう。その代わり医局長権限で篠木を小金井の病院に一年間出張扱いにすると云うのはどうだ」
「あんな病院が大学の関連病院として認められるのですか?」
「そこはアイディア次第で、どうにかなるさ!」
「どんなアイディアですか?」
「これからは高齢者が増える一方だろう。だから高齢者専門病棟みたいな位置付けで、サテライト病院としての申請をしてみるんだ」
「そんな風に上手く行きますかね…?」
「大丈夫だ、俺が何とかしてみせるさ。それが成功すれば医者は幾らでも送りこめるさ…それまでの辛抱だ」
「嫌ですよ、僕一人が小金井で孤立無援なんてのは…」
「孤立無援って事はないだろう。今でも副院長がいるだろう」
「また、そんな白々しい事を…あの先生はCTもエコーも分かりませんから、結局は僕が何もかも一人でやるしかないんですよ」
「まあ、そう言うな。少なくてもバイトの医師はいるんだし…ともかく早い内に人員は差し向けるから」
「約束して下さいよ、僕一人では無理なんですから…」
「分かった、分かった、ほんの一時の我慢だ」
「もう、井沢先輩にかかったら結局は言い負かされてしまう。それで何時から行くんですか?」
「急な事で申し訳ないんだが、5月1日付けで頼む」
「そんなに早くですか、後10日余りですか!」
「まあ、遠隔地に行くと言う訳でもないし、今でもバイトで行ってるじゃあないか。先日、向こうの事務長から頼まれたんだ。バイトの先生だけでは、この先どう見たって病院が立ち行かなくなるのは時間の問題だと…それに事務長も看護婦達も皆んなが篠木の事を一番気に入っているんだ」
「また、そんな風に煽てて僕を誑(たぶら)かそうとしているんでしょう」
「そんな誑かすなんて、人聞きの悪い事を…俺の話は全て真実だ」
「分かりました、先輩のご指示に従います」
次回に続く
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