想い出は風の彼方に(107)

井沢の提案した大学病院のサテライト問題は、何時の間にか立ち消えになってしまった。ベッド数100床前後の老人病院が大学の関連病院になるなんて事が、基本的には無理な話だったのだ。教授会にかけられる以前に医局長会議で否決されてしまった。浩司のさくら町病院での出張期間も一年から二年そして更に制限なしの有耶無耶(うやむや)の状態におかれてしまった。井沢は医局長を5年間務め上げて郷里の長野に戻り開業してしまった。浩司には何の連絡もなしに…
こうして浩司は半ば孤立無援で病院経営の実質を担う立場に追い込まれた。浩司が42の年には累積赤字が2億円にまで減った。しかし、病院自体の老朽化が目立ち新たな増改築を立案しないと病院の存続が困難になって来た。75才になった事務長は、
「もう私の力では無理です。これから借り入れを新しく起こして病院の増改築をするかの判断は篠木先生に任せます」
と、力なく言って来た。浩司は悩みに悩んだ。妻の綾子にも相談した。彼女は真っ向から反対だった。
「何故、あなたがそんな苦労をするの?…これまでだって、さくら町病院の為には苦労のし続けじゃあないの。この上、あなたが何億円もの借金を背負って病院の再構築をする理由が何処にあるの?」
「綾子、それは考え違いだ。借金を背負うと云うのは自分の病院を立て直すと云う事だ」
「どういう意味なの?」
「綾子には言ってなかったが、俺は今や病院の理事長になっているんだ。つまり経営責任は取らされる立場にいるんだよ」
「そんな大事な話を今まで何故してくれなかったの!」
「だって病院長を引き受けた話はしただろう」
「それは聞いたけど、でも理事長なんて話は初めて聞くわ…」
「そうかな…?」
「そうよ、聞いていないわ。それに今の病院だって1、2年の出張だって言ってなかった…!」
「まあ確かにそうだったが、事の成り行きで病院長も引き受けてしまったし…」
「そうよ、あなたは人が良すぎるから深みにはまってしまうのよ」
「まあ、そう言うな。俺にも何処か山っ気があった結果だよ」
「でも私は、あなたが真摯に医療にだけ集中している姿が好きよ」
「綾子、そうやって俺をいじめるな。一度、乗りかかった船だ。今更、逃げる訳には行かないんだ」
「でも何億円もの借金をして、それは誰が返すの?」
「それは医療法人のさくら町病院が返すに決まっているだろう」
「その医療法人が返せなくなったら、誰が責任を取るの?」
「それは理事長の俺が責任を取る事になるだろうな…」
「そうでしょう、結局あなたが巻き込まれるんじゃないの」
「でも、そうなったからと言って俺たち家族が路頭に迷う事はないから心配するな」
「何故そんな事を言い切れるの?」
「理事長の責任として俺は、全財産を没収されるだろう。預金も家も全てはゼロになるが、ただそれだけだ。つまり破産宣告すれば話は終わるのさ…」
「無一文になるって事なのね」
「そう無一文になるだけだ」
浩司は平然と答えた。
次回に続く
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