想い出は風の彼方に(112)

子供二人は自分の母親に預け、次の土曜の午後に綾子はさくら町病院にやって来た。2時間近くも病院の隅から隅まで覗いて回った。浩司が言う様に、病院の老朽化はかなり進んでいる。病室のベッドも傷んでいる物が多いし、廊下の壁も薄汚れている。ともかく病院全体が暗く感じられる。カーテンの色も褪せて汚れが目立つ。一通り回ってから綾子は浩司がいる院長室に入って来た。事務長も呼んでもらった。そして彼女はゆっくりと説明を始めた。
「私の意見を述べさせてもらっても良いかしら?」
「どうぞ、お願いします」
と、事務長はニコやかに答えた。
「先ずは限られた予算で、何処まで病院をリニューアル出来るかです。何をどの様に優先すれば患者様に居心地の良い空間を提供出来るかですね。当面の予算としては幾ら準備出来ますか?」
「まあ、5千万円ぐらいですかね」
事務長は上目遣いに綾子を見た。
「5千万円ですか…それだと少し厳しそうですね。耐震構造の補強まで考慮するとなれば、それだけで5千万円はかかってしまうでしょう。少なくても後7、8年は何とかこの病院を維持して行こうと思えば更に1億円の上乗せが必要ですね」
「すると合わせて1億5千万円は必要だと言うのか?」
浩司が少し厳しそうな表情で言った。
「はい、最低でもそのくらいの投資は必要だと思います」
「ふ~ん、そんなに必要か…しかし、綾子はどこでそんな見積もりを試案したのだ」
「実はあなたには黙っていたんだけど、前に勤めていた総合商社のお友達に色々と相談してみたのよ。それに1週間前に、この病院も実際に見てもらったの…それとなく…」
浩司は驚いた顔で、
「お前は何時の間に、そんな早業を…!」
「あなたのお父様が今は大掛かりな工事をすべきではないと、おっしゃったのを聞かされた時から、私なりに考えていたの」
「いや、内助の功もここに極まれりですな。これだったら私の後を継いで直ぐにでも事務長になれそうですね」
事務長が、そう感嘆の声を漏らした。
綾子は恥ずかし気な表情で、
「私なんか、ほんの聞きかじりですから事務長なんて大役が務まるはずもありませんわ。それに総合商社って言いますのは、どんな所にも首を突っ込みますので、ゼネコンなどとも関係は持っているのです。その中の友人が、何時も口癖の様に、企業の過渡期には最小限の投資で最大限の利益を上げる事が重要だ。お客様の利便性を考えながらも、企業の足腰が固まるまでは不必要な支出は出来る限り抑えるべきだと言うのです。その友人が申しますのには、今やバブル景気で誰も彼もが日本は永遠に発展して行くと思いこんでいます。アメリカの1/25のしかない国土で日本の土地価格はアメリカ全土の倍以上の価値があると豪語している時代なんですって…」
そんな妻の話を浩司は呆れる思いで聞いていた。
次回に続く
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