想い出は風の彼方に(120)

こうして綾子は、病院の経理を担当する事にした。勤務は週に4日程で勤務時間も子供が学校に行っている時間の朝10時から午後3時ぐらいまでのパート勤務だった。
先ず綾子の最初の大仕事は、何と言っても土地の権利問題である。前院長の息子から借地権を買い取り、地主からは底地を買い取る事であった。いづれにしても1200坪の堅固な病院と云う建物が建っているのだ。その建物の所有権は医療法人「さくら町病院」にある。この新病院の建築に当たっては、地主からも借地権者からも公文書で許可も得ているのだ。それでも前院長の息子は、借地権の売却に3億円を要求して来た。今回の新病院建築の許可を得る為に、その息子には印鑑料として既に1千万円を手渡している。その上で3億円の売却費と云うのは、とても承服しがたいものがあった。弁護士に相談すると、
「そんな要求は、余りに法外で納得出来る金額とは程遠いから私、が交渉に当たりますよ…」
と言ってくれたので、彼に任せてしまった。結局、売却費は5千万円で話し合いがついた。地主からの底地権は見送る事にして、借地の更新に留めた。20年の更新延期で1千万円を支払った。
綾子は病院として、これ以上の借入れを起こしたくなかった。バブル崩壊後の不景気の波が目前に迫って来る様な危機感があったのだ。事実、ベッド稼働率は年々減少傾向にあった。デパートの売り上げは減る一方だと報じられていたし、高齢者は自己負担額の少ない療養型の専門病院へと流れている。ともかく全て、より安いものへと日本中が目の色を変えていた。一般庶民の年収も低迷している。年老いた親の面倒を見るよりは、自分たちの生活で精一杯になっていた。
医療費の抑制政策は年々厳しさを増している。それでいて、看護職を始めとする人件費は徐々にではあるが増加していた。
この翌年に病院経営には最大のピンチが訪れた。数キロ先の総合病院が倒産して、ある不動産会社に買収されたのだ。もちろんダミーの病院長が飾りの如く据えられていた。しかし、この事実を知った看護婦の多くが一斉に退職届けを出した。この事態に慌てた不動産会社の社長は看護職320名の基本給を一気に4万円も上げた。昇給が年に数千円の時代にである。この常軌を逸した昇給で看護職320名は全員が退職届けを引っ込めた。しかし、この事態に近隣の病院の経営者は震え上がった。
昇給にあてる財源など何処にもないのに、この総合病院の昇給で「さくら町病院」の看護職も動揺し始めた。数人が、かの総合病院に転職して行った。事態を重く見た綾子は、この年だけ看護職の基本給を一律に2万5千円上げた。60名からいる看護職の昇給で、「さくら町病院」は浩司が病院長に就任して以来、最大の赤字となった。銀行の態度は急激に冷たくなって来た。浩司の父親から譲り受けたマンションを綾子は6千万円で売却して、何とかその赤字を補填して、自分達は泣く泣く賃貸マンションに引っ越した。浩司の病院長としての給与も限りなくゼロに近かった。正に崖っぷちに立たされた状況である。
次回に続く
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