想い出は風の彼方に(125)

それにしても病院の負債額が年々増加して行くのは、経理を扱っている綾子からすれば毎日が針の筵(むしろ)に座っている様だった。
この3月、長女の智美は現役で何とか公立の医学部に合格出来て、学費にかかる費用の心配だけからは解放された。それだけでも綾子の気持ちは、かなり楽だった。
無事に入学式も済んで桜の花も散り始めた4月半ば、ある知人の紹介で老人ホームの施設長から面談の申し入れを受けた。断る理由もないので、40代前半の施設長と面談する事になった。彼の相談内容とは、こうだった。
「これまでの配置医が高齢で老人ホームでの往診が厳しいと勤務の辞退を言われている。それで急なお話しで申し訳ないが、何とか『さくら町病院』で配置医の仕事を引き受けてもらえないか?」
との、申し入れである。渡りに船とは、この事で浩司は直ぐ快諾した。話はトントン拍子に進み2週間後の5月1日から、週1回の頻度で往診に行く事に決まった。
相手の老人ホームは、さくら町病院から車で10分程にある特別養護老人ホームであった。入所者は100名で週1回の午後3時間で25人づつ診て行く予定だった。1時半頃に病院を出て5時には戻れる計算だった。しかし初めての老人ホームでの往診は予想以上に時間がかかった。平均年齢84才の入所者は、正に病気のジャングルだった。高血圧、糖尿病、慢性心不全、脳血管障害の後遺症、腎不全そして認知症と病院での医療しか経験した事のない浩司にとって、それは困難極まりない仕事の山が眼前に巌の様に突き立つていた。とても3時間ぐらいで終わる内容ではなかった。
嚥下(えんげ)障害の強い老人も多く、誤嚥性肺炎で入院する入所者も多かった。仕事は厳しかったが、老人ホームからの入院は引っ切り無しでベッド稼働率は一気に向上した。それに伴い病院の経常利益は大幅な黒字に転化した。一年もしない間に別の老人ホームから、また配置医の依頼があった。浩司の忙しさは倍加したが、病院の黒字幅も拡大した。
さらに厚労省の意向で老人ホームの建築ラッシュが始まった。病院での医療費より、老人ホームでの介護費の方が割安だったので、医療費削減の効果が大きいと考えたのであろう。医療保険と介護保険の両立てで、何とか超高齢者社会を乗り越えようと計画したのだ。
しかし、一般国民の社会保障費は拡大する一方だった。給与所得から源泉徴収される金額も増える一方で、名目の年収が幾らか増えても手取り額は目減りするケースさえあった。国内の経済活動は縮小するばかりだ。抜本的な政策転換が必要であるのは言を俟(ま)たないが、赤字国債は増大し、この国の官僚体制では姑息的な数字合わせに終始するのみだ。
それでも、さくら町病院の黒字は増大して危機的な収益の悪化から逆転して銀行の融資額も確実に減って来た。一時は10億円近くまで増大した融資額は6年で5億円にまで縮小した。それに伴い銀行の対応も格段に丁寧になって来た。金利も年々低下し、新たな融資まで申し入れて来た。
「昨今これだけ経常利益の高い病院は何処にもないですよ。もっと積極的に病院の建築を拡大して行きましょうよ」
と、ニコニコの笑顔で銀行の支店長は浩司に迫って来る。
次回に続く
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