哀しみの果てに(10)

「それはお前の本音か、それなら今までの言葉は許してやる」
どうにも太刀打ちしかねる。本当に認知症なのか、医者の診断には疑問が残る。一見話に筋は通っている様に思えるが、所々話の辻褄が合わない。大体が年齢から言っても祖父が軍隊になど行っているはずがない。終戦当時は小学生ぐらいに違いないのだ。それなのに満州での戦いは大変だったとか、移送船でシンガポールに渡る時は敵の魚雷で船が沈められ、陸まで20kmも泳いで九死に一生を得たとか、まるで実体験して来た様な話を誇らし気に語る。
他人の体験が、何時の間に自己体験と混同してしまったのか、旧い映画の記憶が奇妙な錯覚を生んだのか判明しないが、ともかく自分の体験として頑固に主張する。
この様な錯乱した話は、信吾と同居する様になってから強くなっていた。祖父は6畳間にベッドを置いて、信吾は4畳半に布団を敷いての共同生活となった。トイレが共同便所だったので、これには難儀した。週に数度は祖父の寝小便に見舞われ、夜中のベッドマット交換には泣かされた。食事はコンビニ弁当が多かったが、時には野菜炒めやカレーライスを苦労して作ったりする事もあった。週に一度くらいは母も手伝いに来てくれた。
何故信吾が、こんなにも頑張っているのかと言えば、祖父への情愛も少しはあったが、祖母の残された預金が未だ1千万円以上はあった。祖父の年金は信吾が管理していたし、多分にバイト感覚でそれなりにネコババもしていたのだ。昼間の天気の良い日には、公園へ散歩に連れ出す事もあった。ともかく2階から外へ下ろすまでが一苦労で、始めの数週間は2段、3段の階段トレーニングが限度だったが、一ヶ月程で17段ある階段の上り下りが可能になって来た。リハビリに関する知識など無いに等しい信吾が、これだけのトレーニングを何とか達成出来たのは、ただお金だけの問題だとは思われたくない。やはり一つの拘(こだわ)りがあったのかもしれない。
実際に2階から無事に17段の階段を下り切った日の感動は、ちょっと言葉では言い現せない。
「おじいちゃん、後一歩だ、そうもう一歩だ」
そんな信吾の励ましにもかかわらず、祖父は…
「年寄りを虐(いじ)めて、お前は嬉しいのか?」
などと言われながらも、
「もう少しだよ、関東軍の軍人魂はどうしたの!」
などと煽て上げ…
「うるせえ、それは昔の話だ」
と、逆切れされ…
「そんな事は無いよ、おじいちゃんは今でも若々しいよ」
と、宥めすかし一ヶ月間の階段トレーニングを何とか成功させた。
自分の脚で2階から信吾に支えながらも何とか下り終えた祖父の満足気な顔は、誰かに見せて誇りたい気分だった。しかし、天は無情か…それまで晴れ上がっていた空は突然の集中豪雨に見舞われた。そのまま散歩に連れ出す訳にも行かず、また降りて来た階段を上って行かねばならない。上りは下りの倍以上の苦労と励ましを伴う。3段上っては一休み、さらに2段上っては散々な嫌味を言われ…
「信吾、お前は俺に何か恨みでもあるのか?」
次回に続く
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