哀しみの果てに(12)

公園での滑り台、ブランコ、シーソー台などの日常的な遊びが祖父の認知機能を日々改善させていた。信吾はリハビリの基礎知識は何もなかったが、ただの散歩では退屈だったので、公園にある遊具を次から次へと使用してみた。
祖父との同居が始まって半年が過ぎ、季節は夏から秋へと移り変わっていた。信吾は22才の若者へと成長していたが、フリーターでコンビニを転々としていた頃に比べると、性格がかなり明るくなっていた。
祖父の運動機能が日々向上して行くのが、今の信吾に取っては最大の喜びだった。夜の夜中にコンビニで買い物客に釣り銭を渡す仕事と比べれば、祖父との生活の方がよほど生き甲斐を感じる。この同居の間に信吾の貯金は100万円を超えていた。祖父のお金を信吾が横取りしたと言うよりは、買い物での釣り銭を返さなかっただけだ。信吾には何の悪意も感じなかった。バイト感覚で考えるならば、当然の見返りであったろう。それでもバイトで駆けずり回っていた頃に比べれば、信吾の財布の中身はずっと豊かだった。祖父にしても、アパートでの一人暮らしの生活から考えれば、余程生活に潤いが出て来た。
しかし、22才の信吾はその若さから出る無謀さもあって、祖父を危険な目に遭わせそうになった事が少なからずあった。公園のブランコで普通に座り漕ぎしている分には何と言う事もないのだが、
そんな座り漕ぎにも飽きが来たのか、立ち漕ぎまでさせてしまった。ブランコから落ちれば大怪我となっていたかもしれない。
それ以外に祖父に大怪我させかねない状況は度々あった。しかし幸いにも祖父は一度も大怪我をするには至らなかった。天気の良い日には祖父をよくボートに乗せに公園へ連れ出した。そして池の中央にまで来ると、わざとボードを大きく揺らせ祖父を怖がらせた。
「信吾、止めなさい。危ないから!」
「でも、おじいちゃんは戦争中には沈没した船から陸まで20km以上泳いだ事があるんでしょう。こんな池の中で落ちたって、どうって事はないじゃあない」
「馬鹿、それは50年以上も前の話だ。ともかくボートを揺するのは止めてくれ」
そうは言いつつも、祖父は信吾の悪ふざけに怒りもしなかった。半年以上の同居生活で、二人の中に自然と情愛が深まって行ったのだろう。
ある朝、信吾はふとした疑問に襲われた。祖父は本当に認知症であるのかと?
そう思うと、以前の認知症専門医の診察を祖父に受けさせたくなった。急ぎ以前の病院に電話を入れて外来予約を申しこんだ。次の木曜午前、祖父を連れ病院の診察を受けた。担当医は変わっていたが、以前のカルテを丁寧に見て少し首を傾げていた。そして信吾に向き直り、
「これまでのカルテには長谷川スケールが13点と記載されていますが、外見的に見ても13点とは思えませんね。今、私と話していても普通の高齢者と何の変わりもありませんよね。もう一度、長谷川スケールのチェックをさせて頂いても宜しいでしょうか?」
医師は、そう切り出した。
次回に続く
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