哀しみの果てに(14)

医師の説明は、こんな回答でしかなかった。
「最も一般的な事例としては、せん妄状態があります。これは一時的な精神ストレスで、錯覚した現象を現実の事と、取り違えてしまうものです。普通の成人でも高熱に魘(うな)された場合などには、よくある現象です。それに村木和夫さんは今回、肺炎で入院しましたよね。となると、その肺炎が原因で、せん妄状態に陥ったのかもしれません」
「先生、一つお聞きして良いですか?」
「はい、どうぞ」
「その、せん妄状態と云うのは長く続くものなのですか?」
「いや、多くの場合は一過性で数時間から数日間ぐらいですね」
「それでしたら、祖父の認知障害は一ヶ月以上は続いていましたから、せん妄状態には当たらないじゃないかと思うのですが…そんな長いせん妄状態と云うのも稀にはあるんですか?」
医師は返答に困った様な面持ちで「確かに。そんな長いせん妄状態は聞いた事がないですね」
信吾はやや得意気に、 
「それでは僅か半年程でこんなにも祖父の認知症が軽快したのは何故なんでしょうか?」
医師も頷きながら、
「問題は、そこなんですよね。何が村木和夫さんの認知機能を、この半年間にここまで向上させたのでしょうかね。本当に何か思い当たる節はありませんか?」
逆に医師の方から尋ねて来た。信吾も、この半年間を顧みながら色々と考えを巡らせてみた。しかし、公園の散歩以外には何も思い付かなかった。次の瞬間、何故かふと信吾の頭に微かな閃(ひらめ)きの様なものが出始めた。でもそんな発言をすると、医師に笑われそうな気がして直ぐには口に出来なかった。でも、もしかするとと云う思いが強くなって来て信吾なりの意見を述べてみた。
「先生、今ふと思いついたのですが実は公園を散歩させながら漫然と散歩をしていても飽きてしまいますので、祖父を滑り台に乗せたり、ブランコに乗せたりしていたのです。それ以外にボートにも何度か乗せたりしました」
医師は少し驚いた顔をして、
「滑り台なんかは怖がりませんでしたか?」
と、尋ねて来た。
「確かに最初のうちは嫌がっていましたが、騙し騙し台の上まで何とか階段を登らせると後は降りるしかない訳です。階段で降りるよりは滑って降りる方がずっと簡単ですから、私が無理矢理に祖父の後ろを支えながら滑って降りました」
医師は信じられないといった面持ちで、
「村木さんは、怒ったり泣いたりとか激しい感情を出さなかったのですか?」
「それが割とケロリとしていたんですよ。ブランコなんかも立ち漕ぎまでさせましたが、結構楽しそうでしたよ。一度だけブランコから足を滑らして軽い怪我はしましたが、それでも嫌がったりはしませんでした」
医師はさすがに呆れ顔で、
「80才にもなる、お年寄りによくそんな無謀な事が出来たもんですね…いくら何でもブランコの立ち漕ぎはあんまりじゃあないですか…!」
次回に続く
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