哀しみの果てに(16 )

高齢者だからと言って、炬燵の中で一日中何もしないでボーっとしていて良いと云う事にはならない。やはり積極的に外に出て自然の空気に触れるべきなのだ。なるべく他人に頼らず自分の身の周りの事は自分ですべきだろう。一駅ぐらいなら電車などに頼らず歩くべきだ。混雑時は別として電車やバスでも座ったりしない様に努めるべきだと思う。本人の体調にもよるが80才ぐらいまでは30~40分ぐらいの交通機関では立ち続ける習慣が重要だ。信吾はこの習慣を徹底的に祖父に叩きこんだ。その結果、祖父は益々元気になっていった。もちろん無理は禁物であるが。大事なのは、その健康意識にある。自分が老け込んだと思った時が、本当に年老いた時だ。若さの秘訣は年齢にあるのではない。本人の生命の活力を維持する、直向(ひたむ)きな努力にあるのだ。
信吾は聞きかじりの知識で、祖父にそれを実践させていた。祖父にとって幸いだったのは、信吾がフリーターであった事だ。一日中祖父のそばにいられたからである。公園はおろか遊園地や動物園などにも幾度となく連れ出した。祖父の介護をすると云う義務感は彼の中には微塵もなかった。かつてのフリーター時代にパートの仕事を転々として味わった不快な人間関係よりは祖父との人間関係の方が、どれ程心静かに生活出来る事か…それにも増して祖父が日々認知症から脱して人間性を回復して行く姿が何よりも信吾の励みになった。
それから数ヶ月後の事である。夕食の買い物に近くのスーパーに出かけた。祖父の財布は同居が始まって以来、信吾がずっと管理していた。トイレットペーパーやら、すき焼きの肉を買ったりして、4200円の支払いだった。信吾は1万円札を出して5800円のつり銭を、そのまま自分の財布の中にねじ込んだ。今日に限って祖父は信吾のその行為を目ざとく見つけた。これまで一度もそんな事に関心を持たなかった祖父がだ。信吾はしどろもどろに言い訳をした。
「慌てて間違えたんだよ」
しかし、祖父は譲らなかった。
「俺がボケていると思って、今までにも度々そんな事をしていたのだろう」
それは全て事実だつた。事実をそのまま指摘されると、今の若者は逆切れする傾向が強い。信悟は5800円のつり銭を祖父の財布に入れ直し、そのまま一人でスーパーを出て両親のいる公団住宅に帰ってしまった。
心の中は怒りで爆発しそうだった。誰への怒りかは、自分でも分からなかった。この半年以上も寝食を忘れ祖父の介護に当たっていたのに、あの祖父の言い方は何だ。確かに月に10数万円のつり銭を自分の物にしていたのは事実だったが、その程度の報酬は当然ではないか。それを祖父は信吾が泥棒でもあるかの如く叱りつけた。
確かに、つり銭を横盗りしていた事は責められて当然かもしれない。心の何処かで信吾も、それは分かっていた。
しかし一方では、釈然としない思いが重くのしかかっていた。
「あんなジジイは何処かでくたばってしまえば良いんだ」
もちろん、それは信吾の本心ではなかったであろう。しかし何かに向かって思い切り毒突かなければ、彼の心の平成さが保てなかった。
次回に続く
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