哀しみの果てに(23)

翌日から信吾は、ともかく働いた。右も左も分からず 、ともかく質問する事が多かった。これまで半年以上も祖父の介護をしていたので、「何とかなる」ぐらいの甘い気持ちが何処かにあったのだろう。しかし個人家庭の介護と集団介護は余りに違い過ぎた。最も大きな違いは、その効率化である。
誤嚥をさせずに、如何に定められた食事量を摂取させるか、排便排尿も個人の意思ではなく、決められた時間配分の中で効率よくこなして行かなければ仕事はどんどん遅くなる。認知症とは忍耐との戦いである。
「個人の人格を尊重して、心の触れ合いを求めて」
と書かれてあるホーム玄関の標語が空虚に感じてしまう。
「おじいさん、おばあさん」
の呼称は禁句とされている。相手の人間性を重視して、
「鈴木さん、吉田さん」
と、個人名で話しかける事が義務づけられている。その呼び方に異論はない。しかし、そんな呼び方だけで個人の人格を尊重しているとは言いがたい。半分近くは認知症を抱えている。嚥下機能が低下をしている人も多い。何時も独り言を言っている人もいた。突然に怒鳴り出す人もいる。意思が全く通わない人もいる。如何に「人格を尊重して」と言われれても、人間としての会話が通じないのでは、どの様に接していいか分からない事も多い。
祖父とのマンツーマンの介護とは似ても似つかない。祖父の介護は家族としての情愛に根ざしている。しかし、老人ホームでの介護は情愛では無く仕事である。被介護者の危機を避けて、その身の安全が最も重視されている。リハビリにより筋力を向上させるよりは転倒防止が優先される。老人ホームと云うよりは宅老所に近いかもしれない。
入職して一週間後から一人立ちとなる。まじめに仕事をしていれば怖い事だらけである。食事の介助も排便排尿の処理にも一苦労である。入浴介助も大変だ。浴槽で排便する場合もある。恐らく排尿も多いのだろうが、気付かずに過ごしてしまう事もあるに違いない。しかし、そこまでは神経も行き届かない。少し臭うなと思っても気付かない振りをする事もあった。それでも昼間の仕事は未だ良い。先輩の介護士が多いので支えてもらう事も多かった。その分だけミスも少なくて済む。
問題は夜勤帯の仕事である。一人で20人以上の年寄りを介護しなければならない。半分近くはそのまま寝てくれるので助かる。しかし、幾人かはまるで寝ようとはしない。
「トイレ、トイレ」
と頻回に訴える人もいる。一晩に10数回も訴える人もいた。
ある晩には大きな声で歌を歌い出す人がいた。5~6分ぐらいは小声で一緒に付き合っていたが、一向に止める気配はない。隣室の人が、
「ウンコ、ウンコ…」
と騒いでいる。信吾はは慌てて、その人の排便処置に急いだ。紙オムツからはみ出した下痢便である。下着はおろかベッドシーツも交換しなければならない。掛け布団も便で汚れている。夜中2時のこの仕事は、一人で熟(こな)すにはかなり辛い。ともかく清拭をして眠りに付かせた。
次回に続く
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