哀しみの果てに(24)

こんな辛い仕事が何時まで続けられるのかと思っていたが、人間の身体とは不思議なもので数ヶ月もすると、仕事の手順も高齢者への接し方もかなり慣れて来た。各人の名前を覚えると共に、その人の特性も理解出来る様になって来た。お喋り好きな人、いつも愚痴っている人、午後3時を過ぎると家に帰りたいと泣きぐずる人、意味もなく廊下を端から端まで歩き回る人、意思の疎通が働かない分、赤裸々な人間模様が露骨に出て来る。最初の数ヶ月は10名程度からなるユニットを介護して回った。当然、祖父のユニットも担当した。しかし祖父のユニットを担当している時には、どうしても祖父の行動が誰よりも気になる。食事や入浴の介助にも必要以上に丁寧になってしまう。信吾の意識にはその様な差別感はないつもりだが、肉親の情愛が自然とそうさせてしまうのだろう。数日もしない間に、別の高齢者から苦情が出た。その苦情は介護課長の耳にも届いた。信吾は直ぐ課長から呼び出された。
「私には、祖父だけを大切にしていると云う意識は全く無いのですが…」
彼はそう言い訳したが、その苦情は一人の老人から出ているものではなかった。他にも幾人かの老人から同様の苦情が出ていたのだ。
その課長の説明に信吾は言葉を失った。
「そうですか、良く分かりました。自分では自覚もないのですが、祖父への気持ちが表に出てしまったのでしょう。これからは注意します」
介護課長は、信吾を労わる様に…
「でも、あなたの気持ちも分かるのよ。誰だって半年以上も介護をしていた、おじいさまが他の人以上に気になるのは自然の感情だと思うわ。それを無理に押し殺すと云うのも大変でしょう。それで私は考えたのよ。おじいさまのユニット担当は外してもらった方が良いんじゃないかと…」
「でも私のそんな勝手な都合でローテーションを組んだら皆さんのご迷惑になるでしょう」
「確かに幾らか手間はかかりますが、ホーム全体としてはスムーズに回って行くと思います」
「そう云うご事情でしたら、私は課長さんのお言葉通りにいたします」
「有難う、素直に理解して頂いて助かるわ。それじゃあ来週から新しいローテーションを組み直すわね。それから来月になったら、昼間はなるべく介護の学校に行ける様に勤務形態を考慮しますから、頑張ってね」
「本当ですか、それは嬉しいです」
そこで介護課長はニヤッと笑った。
「その分、夜勤回数が少し増えますけどね」
「えっ、夜勤明けに学校へ行くのですか?」
「それはそうでしょう、仕事もしないで学校だけに行くと云うのは無理な相談じゃあない?」
しかし信吾は何故かスッキリしなかった。入職時の面談とは言葉のニュアンスがかなり違った様に思えてならなかったのだ。夜勤明けに学校に行けとは、一言も聞いていなかった気がする。学校に行く為の特別のスケジュールが用意されている話だったのではないのか、第一夜勤明けに学校に行ったって授業が身に付くのか…。
この人の良さそうな介護課長に、初めて不信感が芽生えた。
次回に続く
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