哀しみの果てに(25)

そんな信吾の気持ちを察したのか介護課長は、
「でもスクールに行く日の夜勤は一時間早めに帰って良い事になっているのよ」
「そうですか、それは助かりますね」
それでも月4回の夜勤を6回に増やされ、朝8時半までの勤務を1時間短縮されたからと云っても、自分の朝食だって満足には取れないかもしれない。それでも「介護職員初任者研修」のカリキュラムだけは、どうしても修了しなければならない。
2月から信吾は「介護職員初任者研修」に出かけた。夜勤明けの2回と公休日3回を、この研修に時間を費やした。第1科目は「職務の理解」であった。全てで130時間の研修である。
1)介護の社会化と介護保健制度の創設
2)介護保健制度における多彩なサービス
3)介護保険外サービス
その他にも学ぶべき事は山ほどある。夜勤明けの研修では、うつらうつらと寝てしまっている事も多く、思った以上に辛かったので、公休日の研修を3回から4回に増やしてカリキュラムの消化に努めた。10月になって信吾はやっと「介護職員初任者研修」を終了した。
その翌月の11月からは信吾の月給も5万円上がって基本給が17万円となった。これに月5回の夜勤手当と皆勤手当それに介護士手当が2万円あって、額面の給料は21万5千円と跳ね上がった。正規の介護士となって貰った給料明細書を見て、
「これで自分も一人前の介護士になった」
と、信吾は心秘かに思った。それでも手取り額となると20万円には手が届かなかった。しかし、毎日が忙しく遊ぶ暇もないので月に10万円近く貯金が出来た。
ここでの唯一の不満は、祖父と二人だけの時の様な自分なりの介護が許されなかった事だ。リハビリは殆どやらず、食事の介助と排便排尿の処理、そして週に何回かの入浴補助で、一日の大半を取られた。偶にはホームの庭を車イスで散歩する事もあったが、数日に一度ぐらいが精一杯だった。時に顔を合わせる祖父の表情は、何時も寂し気だった。明らかに認知機能は低下している様だった。
ボランティア活動による音楽療法も月に数回は企画され、そんな時の高齢者は割と楽しそうだった。しかし、そんな音楽療法に参加する高齢者は半分にも満たず、まるで無関心の人も多かった。基本的な人間同士の接触時間が余りに少ないのだろう。それには介護士の数が少な過ぎる様な気がした。
必要なのは個と個の接触時間をどれだけ多く持つかであって、個と集団の関わり合いではない。まして認知機能が低下すると、より個と個の繋がりが重要ではないのかと、信吾は祖父との半年間の介護生活を通じて、しみじみと感じていた。認知化と云うのは幼児化の流れの逆行現象と同じだと言っても過言ではないだろう。そんな気持ちで働く中で、信吾は現在の自分の日々の仕事に少しずつ疑問を持ち始めていた。
次回に続く
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