哀しみの果てに(28)

「最も多くの時間を割いて、高齢者の世話をしているのは自分たち介護士ではないのか?食事の介助は言うに及ばず、排便排尿の処理、入浴補助、車イスでの散歩その他一日中世話をしているのは誰なのだ!…介護士だろう。医師と看護師だけで高齢者の介護が出来るのか…出来ると思うならやってみたら良い」
何時しか信吾の胸の内では、介護士以外の人間を呪う様な自問自答が満ち溢れ出していた。
「一番苦労している人間が、一番低く見られる社会とは何なのだ!明らかな身分差別ではないか?」
さらに信吾の自問自答は続く。
「何故こんな身分差別が許されるのだろう。そうか、それは資格の問題にあるのか?…仕事の大変さではなく、資格の重さに関係しているのだろうか?」
理不尽と思える差別感から、十分には割り切れないものの信吾の胸の内で資格の重さに考えが至った。
「そうか、資格を取る為の努力と時間が社会生活上の地位を確立させているのだろう。父親は大学2年で中退だったが、最終学歴は高卒でしかない。自力で公務員の初級試験に何とか合格したが、20年以上の仕事を積み重ねても市役所の係長止まりだ。それが大学卒業で公務員の中級試験に合格していれば、市役所の助役まで昇りつめる事が出来たかもしれない」
そんな父親を顧みて資格の重さを信吾は改めて感じた。自分たち初級の介護士は高卒後、わずか1ヶ月ちょっとで資格が得られる。それに比べ看護師は高卒後3年間看護学校に行かなければならない。看護大学だったら4年間である。その上で国家試験に合格しなければならない。まして医師ともなると6年間の大学生活と国家試験に加えて、さらに2年間の前期研修を経て医師として認められる。つまり8年間もかかるのだ。
結局は資格を得る為の努力と時間が社会的地位を得ていると思えた。
「そうか、そういう事か、軽い資格しか持っていない人間は一生かかっても軽い仕事にしか就けないのだ。それは学歴社会から繋がる資格社会への道が、人の人生を決定してしまうのだ。中学卒で朝から晩まで、病院や老人ホームのゴミ掃除をしても、それなりの資格が無い以上はどうにもならないのだ。仕事が大変だとかそう云う問題ではないのだ。その資格を得る為の多大な努力が、人生の大半を決定してしまうのだ。つまり介護職員初任者研修とは、介護の世界では最も低い社会的地位でしかないのだ。そこで高齢者の排便排尿処理がどんなに大変だと叫んでも誰もそんな事には耳を貸さない。この地位で昇りつめるには介護福祉士の国家試験に合格するか、看護師へと転職するしかないのだろう。大した資格を持たない人間が如何に不平不満を言っても社会は認めてはくれないのだ。どんな資格があるのか、その上にどんな実績があるのかで、始めて社会はその人間を、評価するのだ。掃除婦のおばさんがどんなに頑張っても、それは何の資格も無い掃除の仕事でしかないのだ。もちろん、その中には感染対策のゴミ処理の講習とか云ったものは含まれるが、それらは介護職員初任者研修と大して変わらないだろう。徹底的な管理社会では、資格の重さが最重要なのだ」
次回に続く
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