哀しみの果てに(29)

そう考え出すと、今まで一生懸命に取り組んでいた仕事に何とも言えない虚しさを覚えた。自宅に戻って、テレビを見ながらビールを飲んでいる父親に信吾は、それとなく話しかけてみた。
「お父さんは、今の仕事に満足しているの?」
父親は少し驚いた表情で、
「何だ、藪から棒に…何かあったのか?」
と、聞き返して来た。
信吾は、この数日間に湧き上がった胸のわだかまりをポツリポツリと話し出した。自分の学歴の事、介護士としての仕事についての疑問。特に仕事の社会的な地位の低さに対する不満などである。父親は珍しく信吾の愚痴を静かに聞いてくれた。テレビまで消してくれた。そして優しく信吾に問いかけて来た。
「お前はお父さんの仕事をどう見ている?」
「さあ、今まで考えた事もないよ」
「そうだろうな、初級の公務員の仕事なんか、お前には縁も所縁(ゆかり)もないだろう。でも、こんな私でもそれなりに自分の仕事に誇りは持っているつもりだよ。私たちの仕事は、如何に住民の方が快適に生活を送る事が出来るかが大きな使命だと思っている。ゴミ処理、騒音問題、結婚や離婚の案件。結婚は互いにハッピーな精神状況だから大きなトラブルは少ないが、離婚手続きとなると、かなり揉める事も多いのだ。男女の感情問題が大きいから、手続きが二転三転する事も多々あるんだよ。私たちは裁判官ではないから、冷静に見守るしかないんだ。常に笑みを崩さず、相手の感情を損なわいように努めているのさ。一口に市役所の役人と言っても、気を遣う事は多いんだ。同じ市役所の中でも福祉課や住民課、その他にも色々な部署があるんだよ。確かに大学卒業で中級職から来た人達は、初級職の人間を尻目にどんどん出世して行く。ましてや国家公務員の上級職に合格した人達は、いわゆる高級官僚としての道を歩んで行く。私たちから見れば、それは雲の上の人達だ。だからと言って、その人達だけで国なり、市が成り立っている訳ではない。私たちの様に現場で住民の人達と生身の仕事をする人間だって必要なんだ。確かに社会的な地位は低いかもしれない、それでも私は自分の仕事に十分誇りを持っている。信吾、お前もそんな事で挫けるんじゃあない。介護だって立派な仕事だ。看護師や医師で、威張りたい奴がいれば威張らせておけば良いのだ」
何時にない父親の冗漫な話だ。でも、今日は父親に相談して良かった。信吾の中で何かが吹っ切れた感じがした。
「まだまだ勉強しなければならない事は山ほどあるだろう。でも自分なりに介護の道を進んで行こう。未だ歩き出したばかりではないか…」
やはり介護福祉士には成るべきだろう。そこまで行って、介護のイロハがやっと分かるのではないのだろうか、急に信吾はそんな思いに駆られ出した。さあ、明日からまた新たな門出だ。ようやく彼の顔に生気が戻って来た。
「信吾、頑張るんだ!」
自分で自分に喝を入れた。
次回に続く
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