断章(14)

(14)日々の思い
昭和の時代を考える(その7)
「神風特別攻撃隊」の本当の戦果は?
一隻撃沈のために、81人の命が犠牲に… 
そもそも、ただでさえ動きが鈍く防御力の乏しい一式陸攻に2トンもの「桜花」を積んだら動きがさらに鈍くなり、敵戦闘機の餌食になるのは必定であった。実際、「神雷部隊」の一式陸攻18機もすべて撃墜された(「桜花」を搭載していたのは16機)。
敵艦は一隻も沈んでいない。
敗戦まで、航空特攻の戦死者は海軍が2431人、陸軍が1417人で計3830人であった(人数には諸説がある)。
一方で敵艦の撃沈、つまり沈めた戦果は以下の通りである(『戦史叢書』などによる)
正規空母=0/護衛空母=3/戦艦0/巡洋艦=0/駆逐艦=13/その他(輸送船、上陸艇など)=31
撃沈の合計は47隻である。1隻沈めるために81人もの兵士が死ななければならなかったと云うことだ。しかも戦果のほとんどが、米軍にとって沈んでも大勢に影響のない小艦艇だった。
この中で大きな軍艦といえば護衛空母だが、商船などを改造したもので、もともと軍艦ではないため防備が甘く、初めから空母として建造された正規空母より戦力としては相当劣る。特攻が主目的とした正規空母は一隻も沈まなかったという事実を、我々は知らなければならない。
「撃沈はしなくても、米兵に恐怖を与えて戦闘不能に陥らせた」
といった類いの指摘が、しばしばある。そういう戦意の低下は数値化しにくく、戦果として評価するのは難しい。それは特攻=「必ず死ぬ」という命令を受けたか、受けるかもしれないと思って日々を過ごしている大日本帝国陸海軍兵士の戦意がどれくらい下がったのかを数値化できないとの同じだ。
我々が知るべきは、特攻の戦果が、軍上層部が予想したものよりはるかに低かったと云う事実である。むろん、特攻で死んでいった若者たちに責任は全くない。
それにしても戦時下の国民の精神は、どの様にして軍部に洗脳されて行ったのだろうか?
それには、第一次近衛内閣が1937年(昭和12年)9月から行った政策・活動の一つで、「国家のために自己を犠牲にして尽くす国民の精神(滅私奉公)を推進した」運動、国民精神総動員(こくみんせいしんそうどういん)がある。
長期戦と物資不足が懸念されていた日中戦争及び太平洋戦争(大東亜戦争)において、国民の戦意昂揚のために「欲しがりません勝つまでは」「ぜいたくは敵だ!」「日本人ならぜいたくは出来ない筈だ!」「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」「遂げよ聖戦 興せよ東亜」「聖戦だ 己れ殺して 国生かせ」「進め一億火の玉だ」「石油(ガソリン)の一滴、血の一滴」「全てを戦争へ」などの戦時標語を掲げ、女性や子供を含む非戦闘員の国民にまで耐乏生活を強いた。この頃には、飯の真ん中に梅干しを1個乗せただけの「日の丸弁当」奨励、「パーマネントはやめましょう」、国民服やモンペ姿を男女の制服として推奨した教化運動なども叫ばれた。
合理的な戦争論ではなく、軍部上層は自らの戦略ミスを認めず、国民の犠牲を全く顧みない精神論で、「 1億総玉砕」をも辞さない狂乱の対応で全てを乗り切ろうとしていた。
では何故、この様な排他的な精神論に昭和の軍部は陥ったのであろうか?
次回に続く
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