断章(15)

(15)日々の思い
昭和の時代を考える(その8)
昭和の軍部が陥った精神論とは?
職業軍人は、幼年学校や士官学校、さらに陸軍(海軍)大学を通じてエリートとして養成され、社会との接触を知らずに成人となって行った。
明治10年の西南戦争で旧士族の反乱に懲りた当時の政府は、軍人達に愛国教育、天皇を神として敬う宗教教育を徹底し、それが軍部全体として神がかり的な体質をつくり出す事になった。
そうした体質がひきおこした事件としては、いわゆる八甲田事件がある。
これは、1902年におきた出来事で、日露戦争を想定した冬山行軍訓練で起きた事件である。現場の指揮官は、この寒さ(酒が凍る寒さ)でこの装備では兵士らは間違いなく凍死すると判断し、一旦は訓練の中止を決定するのだが、
「そのようなことでお国の為に役にたてますか」
と下士官らが騒ぎ出し、その場の雰囲気に引きずられた監査役の上官が訓練続行を指示。危険を予想しながら雪山に入り、そして予想通りに部隊のほぼ全員(210名中199名)が死亡した事件である。
食べ物がないと判っているジャングルの中、少ない兵站で行軍を強行し、案の定大半が餓死したインパール作戦(1944年)と非常によく似ているかもしれない。
可能な作戦か不可能な作戦かを判断して、兵を温存するのも将校の役割の一つなのに、「お国のために」という「空気」にあうと自暴自棄の行動にでる。これが軍部の”神がかり”体質であったのだろう。
こうして、現在の私たちには考えられない精神構造が国民全般に構築され、ひたすら軍国日本は壊滅への道に突入して行った。もちろん日本人の中には、この様な戦争に懐疑的な勢力もあった。地下組織の中で非合法の抵抗を示す社会主義や共産主義の人たちも存在したのだが、それらは *特別高等警察により徹底的に弾圧された。
*特別高等警察*(とくべつこうとうけいさつ)は国事警察として発足した高等警察から分離し、国体護持のために無政府主義者・共産主義者・社会主義者、および国家の存在を否認する者や過激な国家主義者を査察・内偵し、取り締まることを目的とした大日本帝国の政治警察である。内務省警保局保安課を総元締めとして、警視庁をはじめとする一道三府七県に設置されたが、その後、1928年に全国一律に未設置県にも設置された。略称は特高警察(とっこうけいさつ)、特高(とっこう)と言う。第二次世界大戦後の1945年に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指示により廃止された。
この様な国家的な弾圧と軍部による精神主義の喧伝により、泥沼化した戦争が遂行された。
フィリピンの戦い (1944-1945年)
1945年(昭和20年) 硫黄島の戦い、沖縄戦、占守島の戦い
と、絶望的な状況に日本全体が追い込まれ、
8月6日 *広島市への原子爆弾投下
8月8日 ソ連対日参戦
8月9日 長崎市への原子爆弾投下
へと続く。
*広島市への原子爆弾投下*(ひろしましへのげんしばくだんとうか)は、第二次世界大戦(太平洋戦争)末期の1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、アメリカ軍が日本の広島市に対して世界で初めて核兵器「リトルボーイ」を実戦使用した出来事である。これは、人類史上初の都市に対する核攻撃である。この核攻撃により当時の広島市の人口35万人(推定)のうち9万 - 16万6千人が被爆から2 - 4か月以内に死亡したとされる。
*日本への原爆投下の意義*
元陸軍長官のスティムソンが「ハーパーズ・マガジン」194号(1947年2月刊)に投稿した論文では、日本本土への上陸作戦「ダウンフォール作戦」による米兵の新たな犠牲は100万人と推定され、戦争の早期終結のために原子爆弾の使用は有効であったとの説明がなされており、この論文は原爆投下を妥当であったとするアメリカ政府の公式解釈を形成する上で重要な役割を果たしている。しかし、スティムソンの見解はスタンフォード大学のバートン・バーンスタインによって、厳しく批判されている。バーンスタインは、原爆投下の目的が「一般市民への殺戮」かつ、「日本への懲罰」であることを明らかにしている。さらに西洋人による東洋人への人種差別的な意味あいを内在した「人体実験」であったとする学者の意見もある。
次回に続く
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