断章(17)

(17)日々の思い
昭和の時代を考える(その10)
1945(昭和20)年
・労働組合法制定
1946(昭和21)年 
・(1月)*昭和天皇の人間宣言*
 1946(昭和21)年1月1日,昭和天皇が「新日本建設に関する詔書」によりみずからの神格性を否定した宣言である。冒頭に五か条の御誓文を掲げるなど,戦前の天皇制を完全に否定したものではなかったが,一般的には天皇の現人神を否定した詔書として受けとめられ,「天皇人間宣言」とよばれた。この詔書はGHQの意を受けて幣原首相が外国を意識して英文で起草したことでもわかるように,天皇の神格性の否定によって,天皇の戦争責任や天皇制の廃止を免れようとするもので,その効果を十分に果たした。さらに,同年11月3日の日本国憲法の”象徴”天皇制を先取りするもので,総司令部の民主化政策に適応させて戦後の天皇制の維持をはかったものであった。
・(11月3日)日本国憲法公布
(施行は1947年5月3日)
この公布により天皇が神格化された大日本帝国憲法は正式に効力を失った。
しかし、新憲法は*GHQ*の監督下で作られたもので日本国民の自主憲法とは言い難い。にも関わらず2018年の今日まで「平和憲法」の名の元に日本国民は、この憲法を圧倒的な支持で受け入れている。外国では、この様な例は見られない。どの国でも時代の流れの中で部分的に憲法改正は行われているのだが、他国の支配の下に作られた憲法であるにも関わらず、憲法改正は即、軍国主義への道と言うばかりに改正の議論そのものが、日本ではタブー化されている。
その精神構造は、戦前の「国民精神総動員」の真逆的な発想ではあるが、一切の議論をも封じ込めてしまうと云う点では、何か類似性を感じてしまうと思われてならない。
*GHQ*
連合国最高司令官総司令部は、第二次世界大戦が終結する際に、ポツダム宣言執行のため日本を占領して間接的に統治を行った、連合国の日本での司令本部で、日本ではGHQという通称が使われた。連合国軍総数20万人のうち、12万人が横浜市に上陸した。最高司令官・マッカーサー元帥が飛行機から日本(厚木基地)に降り立つ姿は、日本の歴史に刻まれている。
*日本を統治
1945年9月、第二次世界大戦が終結して間もなく、日本がポツダム宣言を受諾した。平和条約発効までの6年9ヶ月の間、イギリス、アメリカ、中華民国、ソビエト連邦、カナダからなる連合国軍が日本の間接統治権を与えられ、アメリカ陸軍のダグラス・マッカーサー元帥が最高司令官として着任した。それまであった日本の政治機構を引き続き利用し、日本政府に指示や命令を出す間接統治であった。命令の多くはポツダム命令の形で公布や施行され、政府にとって連合国軍からの命令は絶対的で超法規的なものであった。
日本はGHQにより軍事機構と国家警察が廃止された。さらに政治の民主化、政教分離、財閥の解体、農地解放が行われ、これまでの日本の国家を完全に改造した。この間、日本に外交権はなく、内政のみ日本が行っていた。
【GHQの政策】
組織の一番の目標は、小国ながらも世界を敵に回した日本の軍事力を解体することにあった。それまで軍国主義だった日本から軍隊をなくし、民主的な国家の形成を目指した。
「軍事裁判」
GHQは日本を占領直後から、第二次世界大戦の指導者の検挙に着手した。東条英機元首相ら数十名が逮捕され、A級戦犯として*極東国際軍事法廷*において、国際法に違反した法律による裁判で、東条英機以下7名を絞首刑、残りの多数を禁固刑などに処した。
次回に続く
 
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