断章(19)

(19)日々の思い
昭和の時代を考える(その12)
「財産税の公布」
1946(昭和21)年11月12日
財産税法(臨時法)が公布
GHQの占領下、吉田内閣は財産税法を公布した。
財産に対する課税は今でもある。相続税、贈与税、固定資産税などであるが、戦後のこの時期の ”財産税” は、とてもきびしい臨時税であった。
財産税課税の名目は、戦時利得の没収で、 GHQ(連合国軍総司令部)の指示した
「戦時利得の除去及び国家財政の再編成に関する覚書」
に基づいて行なわれた。
この年の3月3日の時点で所有していた動産・不動産の合計が、10万円以上の個人に課税されたのである。同一家族で該当者が複数ある場合は、合算された。
1946(昭和21)年11月、戦後の財政の行き詰まりを打開するため、GHQの指導に基づき、政府は、「財産税法」を制定して、財産税が徴収される事となった。
財産税は、10万円以上(今の価値に直すと約5000万円以上)の財産を保有する個人に課せられ、税率は次のとおりであった。
財産額よる税率 
10万円を超える金額 25% 
11万円を超える金額 30% 
12万円を超える金額 35% 
13万円を超える金額 40% 
15万円を超える金額 45% 
17万円を超える金額 50% 
20万円を超える金額 55% 
30万円を超える金額 60% 
50万円を超える金額 65% 
100万円を超える金額 70% 
150万円を超える金額 75% 
300万円を超える金額 80% 
500万円を超える金額 85% 
1500万円を超える金額 90% 
すなわち、膨大な資産を持っていた華族達は、全財産の90%近くを税金として支払う必要があった。戦後の混乱期とはいえ、個人財産の約9割を取上げる累進課税は、過酷であった。
現金で支払うか、物納するか、利息を払って延納するか?
広大な屋敷、別荘、土地、先祖伝来の絵画、掛け軸などの骨董品を直ぐに換金することは出来ず、多くのケースで財産が物納された。
物納された骨董品の買い手は日本国内には存在せず、国宝級の美術品が海外に流出して行った。
このとき延納を選び土地を温存し、*ドッジデフレ時代*(次回に解説)の資金繰りを凌いだ華族は、土地価格の高騰で大金持ちとして生き残れたようだ。
1948年春に発表された財産税の納税番付のトップは、天皇家である。
37億4300万円を納め(現在の2兆円弱)、残りの財産は国有財産になった。
秩父宮、高松宮、三笠宮を除く、11家51人の皇族は財産税を支払った上に皇籍を離脱させられた。彼らに対しては少しの一時金が支払われたが、直ぐに底をついてしまった。
ある内親王は、鶏を飼い、卵の生産・販売をしたり、プラスチック加工の内職をして、元軍人で失業中の夫を助けたそうである。
皇族でさえこの状況だから、多くの華族がこの瞬間に致命的な打撃を受けて没落し、路頭に迷う事になった。
1950年1月、絶世の美女といわれた伯爵令嬢・堀田英子さんが、戦後の成金・小佐野賢治さん(国際興業社主)と結婚したが、その結納金は、なんと400万円(現在の20億円)であった。財産税がなかったら、二人の結婚はなかったであろう。
華族達を犠牲にした財産税は、日本の財政再建と復興には役に立ったと思われる。
1948年5月、日本国憲法の制定とともに華族制度は廃止されたが、多くの華族を苦しめ没落させた政府の施策は華族制度廃止の2年前に断行されていたのだ。
次回に続く
関連記事

コメント