断章(22)

(22)日々の思い
昭和の時代を考える(その15)
戦後日本のハイパーインフレ(1945年~)
戦争は莫大なる支出(武器、食料、修理、兵士給与・死亡保障など)が伴うにも関わらず、まったくモノを生み出さない非経済的行為である。そして負けた国は、戦後相手国の損失を補償[金銭・資産賠償]しなければならないという地獄のルールがあった。
そして、日本やドイツはこの勝負に負けてしまった。
第一次世界大戦でドイツが負けた時は、相手国(フランスなど)から支払い不能な賠償金を請求され、徹底的に国力を搾り取られた。その結果、食糧などの物資不足を伴うハイパーインフレーションが発生し、この苦しみからナチスが台頭。第二次世界大戦へと発展して行ったのである。
この教訓により、第二次世界大戦後、敗戦国には莫大な賠償金が請求される事はなかった。これは戦後日本が急速に立ち直れた要因の一つであった。
・日本のGDP
1941年[戦前] 2045億ドル
1944年[戦中] 1974億ドル
1945年[戦後]  987億ドル
戦後処理費用  264億ドル
(参考)第二次世界大戦前・戦中の主要国国力-UNITED DEFENCE
(参考)日本の具体的戦後処理-財務省
ただ、それでも政府には、戦時中、資金調達手段として利用した戦時国債の莫大な債務負担が残っていた。(1944年の債務残高のGDP比204%)
生産設備に関しては、1944年末から1945年8月15日(終戦)まで、大規模な本土空襲※に遭い、大きなダメージを受けていた。
※全国で200以上の都市が被災。死者33万人、負傷者43万人、被災人口970万人。製鉄所や軍需工場を有する工業都市は艦砲射撃によっても破壊された。(日本本土空襲-wikipedia)
そのため税収も大きく落ち込み、財政赤字[歳出>歳入]は拡大。市場から新たに資金を調達しにくくなった日本は、ドイツ同様、国債を中央銀行に引き受けさせる形[裏づけなしの増刷]で財政赤字分の資金を調達。
また、戦後ほどなく軍需関連企業や兵士・遺族などへの支払いが一斉に行われた。
その結果、第一次世界大戦後のドイツと同様、モノと通貨量のバランスが大きく崩れ、1945年末にハイパーインフレが発生した(月率90%ほどで、1945年10月から1949年4月までの3年6か月の間に消費者物価指数は約100倍)。この事は100万円の定期預金(ほとんどが固定金利)が1万円の価値になってしまった事を意味する。
(参考)戦後ハイパー・インフレと中央銀行-日本銀行金融研究所
また、物価が急騰しても国債の返済額は一定のため、政府の債務負担は急激に減少。1946年にはGDP比で56%、50年には10%台にまで低下。
一方で国債を保有していた国民の多くが、無一文に近い状況に追い込まれた。つまり、財産税と合わせて旧富裕層の資産は国に徹底的に吸い取られてしまった。富の再配分が強制的に行われ、新しい日本経済が台頭して行ったとも言える。
また、戦後フランスに工業地帯を占領されて輸出力をもがれたドイツと違い、日本は1947年から民間貿易を再開。その後、1950年に勃発した朝鮮戦争特需により、多額の外貨を獲得し、輸入力[供給力]が回復。一気に成長路線への転換となった。そして新しい富裕層が出現して来た。
次回に続く
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