断章(23)

(23)日々の思い
昭和の時代を考える(その16)
戦中戦後の歴史に埋もれた「昭和の四連続超巨大地震」
第二次世界大戦中と大戦後に起きた四大地震は、戦中戦後の国民の士気を下げない為に、殆どの記録が闇に葬り去られてしまったと言われており、現在僅かに残されている資料の数字もかなりの修正を掛けられている可能性が高い。
*1)1943年の鳥取地震、*2)1944年の東南海地震、*3)1945年の三河地震、*4)1946年の南海地震が、「戦中戦後の4大地震」と言われている。
*1)1943(昭和18)年9月10日 鳥取大震災(マグニチュード7.2)
激しい揺れにより、鳥取市の中心部は壊滅し、古い町並みは全て失われた。木造家屋のほぼ全てが倒壊した一方で、五臓円薬局ビルなど鉄筋コンクリートの建物は比較的持ちこたえた。総被害は、死者1083人、家屋全壊7485戸、半壊6185戸、焼失251戸、被害総額は1億6000万円(当時)で、現在の貨幣価値なら数千億円とも言われている。
この地震は、鳥取平野付近を震源域として発生した陸域の浅い地震で、鳥取市で震度6、岡山市で震度5が観測された。
また、地震の影響による液状化現象も見られた地域も存在し、山陰本線や因美線といった鉄道もこの被害を受けたため、長期間にわたって鉄道が不通になった。
さらに時間帯が夕食前だった事も災いし、市内数か所にて火災の発生をみるが、市民による必死のバケツリレーにより大火にならずに済んだという。
*2)1944年12月7日 東南海地震(マグニチュード8.0)
現在の三重県紀勢町錦支所に残されている『昭和大海嘯記録』という記録によると、「午後1時40分前後に遠州灘を中心とする一大地震が突如として起こり1分8秒に及んだ。錦地区の町民一同は驚き戸外に飛出、津波の襲来を心配したが、10 数分にして大津波が押寄せた」「大半の民家は見る見るうちに将棋倒しとなり、間もなく津波はひき始め、倒壊家屋の古材が浦に充満した。」と書かれている。
九州から東北・北海道の一部でも揺れが観測されるほどの強い揺れだったとも言われている。別に昭和東南海地震とも言う。
海洋プレートの沈み込みに伴い発生した地震で、授業・勤務時間帯に重なったこともあり、学校や軍需工場等を中心に死者1,223人の被害が発生した。
建物の被害としては、橋梁172カ所、道路773カ所、堤防351カ所の損壊に加え、工場全壊1731棟、同半壊1281棟、流失81棟があったと報告されている。
特に三重県では、地震後に発生した津波による被害が大きく、志摩半島以南熊野灘沿岸の町村では、多くの死者・行方不明者が出た
『出典 : 戦時下の三重県に大きな被害、東南海地震』
三重県での被害は、死者・行方不明者 406人、負傷者 607人、家屋の倒壊 11,558戸にも達した。
しかし、同地震の被災記録は戦時中の報道管制でほとんど残っておらず、詳細ははっきりしていない
発生時が戦時中であったため、軍需産業の拠点が壊滅的被害を受けていると海外に知らせないために軍部が情報統制を行っていた。
次回に続く
 
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