断章(24)

(24)日々の思い
昭和の時代を考える(その17)
「昭和の四連続超巨大地震」の続き
*3)1945年の三河地震
1月13日 三河地震(M6.8*M7.1という説もある)が発生
地震によって、延長20kmの大規模な地震断層「深溝断層」が出現した。
東南海地震のわずか37日後の午前3時に内陸直下型の三河地震が発生したので、この地震は昭和東南海地震の余震だとも言われている。
三河地震については死者2652人と報告。未明の発生で「人的被害が非常に大きかった」とされている。
その他、負傷者3866名、住家全壊7221戸に上ったと言われる。死者が多数に上ったのは、全壊家屋の多さに加え、被災時が夜半で、ほとんど就寝中であったからと思われる。
軍需産業地域直下の地震であったため、特に”ナゾ”の多い地震とされている。そんな影響もあってか、規模の割に大きな被害を出したとも言われている。
また、この地震が敗戦を早めたとの説もある。(中部工業地帯の軍需産業の拠点が壊滅状態に陥ったため)
この地震では、最大震度7の局地的な大被害をもたらしたが、東南海地震と同様、「隠された地震」である。
*4)1946(昭和21)年12月21日 南海道地震(マグニチュード8.1)
「南海地震」と呼ばれる海溝型の巨大地震の、その最古の記録は、「日本書紀」に記された684年の「白鳳南海地震」であるが、それ以来1946(昭和21)年の「昭和21年南海地震」まで、8回の南海地震の記録が残っている。このうち一番新しい時代に起きた三度の南海地震、すなわち昭和21年南海地震(1946)、安政南海地震(1854)、宝永地震(1707)を比較すると、それらの間にはかなりの規模の差があって、昭和南海地震が一番小さく、安政南海地震が中程度、宝永地震が大型の南海地震であったことが知られている。
この南海地震は紀伊半島南方から四国沖に起こった巨大地震で、マグニチュードは8.1に達した。
この地震は、奥羽地方の北部と北海道を除くほとんどの地域で有感観測され、関東大震災を上回る規模のものであった。
とくに強震であったのは、和歌山・徳島・高知・三重・愛知・岐阜の各県で、被害は全体で、死傷者・行方不明6603人、全半壊家屋3万5105戸、焼失家屋2598戸であった。
この地震で最も大きな被害をこうむったのは四国地方で、なかでも高知県西部は、音信不通でしばらく消息がつかめなかった。24日の「朝日新聞」は、第一報として「土佐中村、瞬時に八割全壊」「惨状は言語に絶す」と報じている。また、徳島県の被害については「最もひどかったのは浅川で、満足な家は一軒もない。田畑はすべて砂河原と化し、町の道路という道路は、家のかけらで足の踏み場もない。人々はなべ一つぶらさげて、たき出し米にありつこうと右往左往している状況だ。沖には数千の屋根が、破船の材木などとともにプカリプカリと浮いている」と惨状を報じた。
この地震による津波は静岡県より九州にいたる海岸に来襲し、高知・三重・徳島沿岸で高さ4~6mに達した。
室戸・紀伊半島では南上がりの傾動を示し、室戸で1.27m、潮岬で0.7m上昇、須崎・甲浦で約1m沈下、高知付近で田園15平方キロメートルが海面下に没した。
このため家屋流失1451、浸水3万3093、船舶破損流失2991の被害が生じた。
また高知市付近は、地震発生と同時に地盤が1m位沈下したため、完全に海水がなくなるのに1ケ月位かかったという。
「4大地震」の2年後に発生した
*福井地震(マグニチュード7.3)は、
1948年6月28日福井平野に起こった大地震で、死者3895人、負傷者2万2203人という大きな被害が出た。正に地震列島の我が国である。
次回に続く
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