断章(27)

(27)日々の思い
昭和の時代を考える(その20)
【朝鮮戦争による日本への影響】
*日本の再軍備化への示唆
韓国への米軍支援部隊は当時、日本に駐留していた約7万5000人を即時参戦させた。アメリカ軍はすでに韓国からほぼ撤退しており、韓国内には僅かな数の軍事顧問しか存在せず、朝鮮戦争の勃発では日本での駐留軍を派遣するしかなかった。
そうなると、どうなるか?
日本は戦後GHQによって徹底的に非軍事化を進められていたため、旧日本軍はすでに解体されており、軍事的には空白状態になっていた。
その状況を知ったソ連が東アジアでの勢力を拡大するために日本へ侵攻して来るのではないかと云う事を、アメリカは恐れた。
そこで、アメリカは日本政府の吉田首相に対して、「National Police Reserve」≒「警察予備隊」の設置を命令した(形式上は「許可」)。
朝鮮戦争勃発の翌月の50年7月、マッカーサーは日本政府に対して7万5000人の警察予備隊の結成を指令した。憲法9条に違反する実質的な軍隊が、改憲を経ずにポツダム政令によって創設されたことは注目に値する。先ず警察予備隊は、朝鮮に出兵する米軍の空白を埋めることを直接の目的とし、兵器や装備は米軍によって供給され、訓練も米軍が実施した。訓練を担当したアメリカの大佐は「小さいアメリカ軍」と呼んだ。警察予備隊は52年10月には保安隊に、54年7月には自衛隊に改組され、再軍備が進んだ。
*朝鮮特需
朝鮮特需とは、「朝鮮戦争」によって必要となった在朝鮮アメリカ軍および在日アメリカ軍から日本に対して発注された物資やサービス全般のことを言う。
朝鮮戦争勃発直後の1950年8月25日には横浜に在日兵站司令部が設置され、主にアメリカ軍から日本企業に直接発注する「直接調達方式」により大量の物資が買い付けられた。その総額は1950年から1952年までの3年間に10億ドルとも言われ、インフレによる不景気に喘いでいた日本経済の回復と成長に大きく貢献した。
また、アメリカ軍による直接調達のほかに、在日国連軍や外国関係機関による間接的な調達も存在し、こちらの金額は1955年までの間に36億ドルにものぼると言われている。
同時期の朝鮮特需以外の貿易による輸出総額は年間10億ドル程度であったので、朝鮮特需の規模がどれだけ大きかったかが伺いしれる。
朝鮮特需により立ち直った日本経済は、敗戦直後には生産の極度の低下と悪性インフレによって混乱を極めていたが、1949年にアメリカの特使ドッジ(デトロイト銀行頭取)によって実施された強力な引き締め策によってインフレは収束した。その一方で不況が深刻化したが、まさにその時に朝鮮戦争が起こった。鉱工業生産は50年後半から急上昇に転じ、同年平均でも、前年比22%増、51年は35%増、52年は10%増、53年には22%増と高成長を続け、51年には戦前の水準を回復した。実質でみたGNP(国民総生産)や個人消費も、総額で51年度には戦前水準を超え、53年には一人あたりで戦前の水準を突破した。
1951(昭和26)年9月8日 : サンフランシスコ平和条約締結→連合国による占領が終結、日本は主権回復を成し遂げたが「日本の戦争賠償と戦後補償」と云う大きな問題が残っていた。
次回に続く
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