断章(30)

(30)日々の思い
昭和の時代を考える(その23)
一般に「準賠償」は賠償請求の放棄と引き換えに提供される無償供与とされているが、その内容は様々であり、厳密な法的定義は無い。しかし、戦後処理的性格を有する有償供与[無金利・低金利の借款]を準賠償に含むこともある。
例えば通商産業調査会は、日韓基本条約における韓国への円借款と、血債に対する補償として無償供与と共にシンガポールに提供された円借款の2つ(計706億6800万円)を有償の準賠償としている。つまり、外交文書において受け取り国が更なる賠償請求を放棄し、且つ何らかの戦前、戦中の損害を補償する目的の供与であることが記されているものが「準賠償」であると考えられる。
さらに加えれば、明らかに戦後処理的性格を持つ(つまり単なる経済協力(ODA)とは異なる)供与が「準賠償」である。
【朝鮮に対する補償】
韓国からは、個々人に補償を要求する動きが新聞やテレビで報じられている事が多いが、1965(昭和40)年に日本と韓国は日韓基本条約を結び、日本からは無償で3億ドル(約1080億円)、有償で2億ドル(約720億円)、民間借款で3億ドルを支払われている。さらに日本が韓国内に持っていた財産を放棄することも含めて、「両国民の間の請求権に関する問題が完全かつ最終的に解決された」とした合意に達している。
民間借款を除いた5億ドルだけでも、当時の韓国の国家予算の1.45倍にあたる膨大な金額で、韓国はこのお金の一部を「軍人・軍属・労務者として召集・徴集された」者で、死亡したものの遺族への補償に使い、残りの大部分は道路やダム・工場の建設など国づくりに投資し「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長を遂げたのである。韓国は日本から得たお金を個人補償として人々に分配するよりも、全国民が豊かになる事を選択し、それが成功したのである。
近代戦争史においては、敗戦国が戦勝国に「国家賠償」を支払うのが普通のやり方で、戦争で被害を受けた戦勝国の市民一人一人に「個人賠償」するなどは、過去の史実にはない。それを現在、日本政府に個人補償を訴える韓国人はこうした事実を知らないのか、あるいは韓国政府が意図的に操作しているのであろうか?
また日本では原爆の補償について、アメリカに何も求めてはいない。なぜなら、日米は国家間で平和条約を結んだのだから、それ以前のことには遡らないというのが国際法のルールであるからだ。
【中国に対する補償】
中華人民共和国は、1949年の同国の成立にともない、中国の正統政府は「中華民国から中華人民共和国に代わった」と認識している。つまり、中華人民共和国は中華民国の後継国家だ。後継国家は基本的に、それまでの国家(政府)の権利や資産を継承する(負の遺産も継承する)。
従って中華人民共和国は、中華民国が第二次世界大戦の結果とした諸成果を引き継ぐと主張している。つまり、毛沢東や周恩来が日本に戦争賠償を要求しなかったのは「好意」からでなく、出来る立場ではなかったのだ。
それに、中国は実際のところ賠償金などを遥かに上回る満州(日本が投下したインフラ)を獲得し、戦後はこのインフラを根底にして国家基盤を構築して来たと云う事実がある。
【お断り】
「昭和の時代を考える」を、これまで私なりに考察して来ましたが、医師としての本来の仕事とは離れ過ぎていると、多くの方々から批判を受けました。中には興味深いとの賛同もありましたが、やはり医師としての本来の立場に戻るべきかとの反省に立ち、誠に遺憾ながら現在併用で連載しております「診察室からコンニチハ」1本に絞る事にしました。よって「昭和の時代を考える」は今日限りとさせて頂きます。これまでご愛読頂いた読者の方々には心からお詫び申し上げます。
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