診察室からコンニチハ(10)

この様にしてセレネース3mgの使用で、この患者さんは別人の様に大人しくなりました。食欲も良好で、拒薬もなくなりました。先ずは、メデタシ、メデタシと云った所です。
「何だ、抗精神薬だからと言って、そんなに難しいものでもないんだ」
私はそんな甘い考えを抱いて、少しばかり慢心気味になっていました。
しかし、それから10日もしない間に患者さんの病状は徐々に悪化して行きました。先ずは食欲が落ち、意識レベルも低下して一日中寝ている事が多くなって来たのです。セレネースの副作用による錐体外路障害(パーキンソン症候群)は気にしていたのですが、手の振るえや筋強剛(筋固縮)の症状は見られませんでした。それでもセレネースの副作用が気になって私は、3mgの薬を一気に中断しました。中断して数日間は意識レベルも少し戻って来ました。やはり79歳と云う年齢では3mgは過剰投与だったのかと、少し反省して暫(しばら)くは何の薬も使用せずに様子を見ていました。しかし一時的に病状は回復した様に見えたのですが、また食欲が落ち寝ている事が多くなりました。
どうもセレネースの副作用だけではなさそうです。私は直ぐに頭部CTを撮ってみました。出来上がったCTを見て、私は思わず唸ってしまいました。かなり大きな硬膜下血腫が見つかったのです。何と硬膜下血腫により、頭蓋内圧が亢進して意識レベルの低下を招いていたのでした。かなりのショックでした。すると病棟のナースが、
「そう言えば、セレネースを服用し出して5日目か6日目かに夜間にトイレで転倒していましたよ。外傷が見当たらないので、そのまま様子を見ていたんですがね」
それを聞いて私は胸の中で、そのナースに一人毒づいていました。
「馬鹿、何故それを早く言わないのだ!」と、
ともかく患者家族に直ぐに報告して脳外科の病院に転院させるしかないと考え電話を手にしました。電話に出たのは、私が再三精神科病棟に転院を勧めていた患者さんの奥様でした。
「あの、誠に申し訳ないのですが突然に硬膜下血腫の合併が見つかりました。理由は未だ分かりませんが、数日前にトイレで夜間に転倒したとの報告もナースの方からなされていますので、それが原因かもしれません。いずれにしても硬膜下血腫の手術は直ぐにでもしなければなりません。手術自体は脳外科では最も危険の少ないものですが、このまま放置していれば大きな後遺症が残る可能性もありますので早い時期の手術をお勧めします」
と、私は説明した。彼女はそんな私の話を割と冷静に受け止め、脳外科のある病院に転院する事を承諾してくれた。私は転倒の事でかなり責められるものかと危惧していたのだが、奥様からの感情的な攻撃はなかった。ともかく承諾を受け、近くの総合病院に患者さんを救急搬送した。
それから2週間ほどして脳外科の病院から一通の手紙が届いた。手術が無事に成功した事と、経過は良好で何の後遺症も認められず他の精神病院に転院となったとの報告であった。
その手紙を読んで、結果が全てハッピーで終わった事に安心して、この問題は私の頭から直ぐに離れていきました。
次回に続く
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