診察室からコンニチハ(11)

その年の残暑も未だ厳しい9月下旬に、裁判所から突然、「本日、証拠保全の手続きに入ります」との通知が届きました。私と事務長は何の事かサッパリ分からず、ただ互いの顔を見合わせるばかりでした。通知書が届いた1時間後には、裁判所から多くの職員が病院に雪崩(なだれ)込んで来ました。
「〇〇さんのカルテ、レントゲンフィルム、処方箋、検査伝票、ナース記録の全てを至急に集めて下さい」
との、一方的な指示です。〇〇さんのカルテとは、あの硬膜下血腫を起こした患者さんの記録でした。何故こんな不当な指示を受けるのか、怒りが込み上げそうになりましたが裁判所職員の前では自分の感情を露わにする事も出来ず、言われるままに従いました。
1時間ほどで〇〇さんに関する全ての情報を証拠物件として押収し、預かり書を残し裁判所職員は戻って行きました。
何か突風が過ぎ去ったかのような印象でした。それから数ヶ月後に裁判所から「告訴状」が送られて来ました。そこには3500万円の損害賠償額が付記されていたのです。何とも桁外れな請求額に思われました。こんな途方も無い金額を支払う意思は毛頭ありませんし、その根拠も分かりません。私は早速顧問弁護士に相談しました。病院の会議室で弁護士、事務長の3人で私たちは何日間も話し合いました。横浜地裁にも幾度か出向きました。暑い夏の日もあれば、寒い雪の日もありました。結審に漕ぎ着けるまでには3年弱もかかりました。途中で相手方から賠償額を1千万円に引き下げるから、それで交渉に応じないかと妥協案が提示されました。しかし当時の私は、そんな妥協案には一切耳を貸しませんでした。担当の弁護士も私の意向に賛成していました。
確かに私の方にも反省すべき点はあるかもしれません。専門外の患者さんに使用経験の少ない薬物を投与したと云う責任は逃れられないかもしれないからです。しかし、その事は幾度ともなく奥様に説明してあり、念書まで頂いてあるのです。その上、他の病院への転院も数度にわたり説得してあるのです。そんな私の言には一切耳を貸さず、事の結果だけを見て「告訴状」だけを送られても、私に納得出来る訳がありません。 
しかし相手方の攻撃ポイントは、転倒と硬膜下血腫の因果関係でした。この追求には、私も少したじろぎました。困り果てた私は、脳外科のクラスメートに相談しました。でも脳外科の友人からは明確な回答は得られませんでした。
「高齢者の硬膜下血腫は、転倒以外でも発生し得るし、一概には何とも言えない」
との返事でした。
それを聞いた顧問弁護士は、基本的にこの病院での入院加療は困難であると私が何度も申し入れたのに、相手方は転院を拒み続けていた。硬膜下血腫の発生も、その延長線上にあるのだから告訴そのものが非常識であると憤慨していました。
「何でも訴えれば、幾らかはお金が取れるのではないかとの、間違った医療訴訟が多くなって来て困る」
とも、愚痴っていました。
この事例は、あくまでも戦うべきだと弁護士に言われ、私も意を強くしていました。しかし、それにしても医療訴訟とは長い時間と根気を要する仕事でした。
その中でも私を当惑させたのは、手術をした脳外科医のカルテを和訳する様に裁判所から指示された時です。あくまで訴えられているのは私自身だから、裁判所に提出すべき証拠書類の説明は私の義務になるらしいのです。
それにしても余りに達筆な、脳外科医の横文字は暗号文に等しく数十ページに及ぶカルテの解明に、一日に数時間かけて2ヶ月以上は要しました。
江戸時代末期の杉田玄白が著した「解体新書」も、この様な苦労があったのかと思われる様な辛い仕事だったのです。
次回に続く
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