診察室からコンニチハ(12)

長い医療訴訟の結果、私たちは全面勝訴となりました。奥様の書いた念書と、私の再度の転院勧告が功を奏して私に医療上の過失はないと判断されたのです。
しかし勝利感はなく苦い経験だけが、残りました。それ以降は、私も少しずつ認知症の勉強をするようになりました。
それからしばらくして、私はある老人ホームの嘱託医を引き受ける機会に恵まれました。そこではアルツハイマー型認知症の薬が漫然と多くの患者さんに使われていました。その殆んどは他の医療機関で出されたものでしたが、私が嘱託医になった瞬間からその薬の管理は、私の責任となりました。
そうなると、かなり焦りながら私は認知症薬の参考資料を連日の様に読み漁る様になりました。その過程の中で40年近い認知症薬の歴史も勉強しました。厚生労働省で認可された薬であるにもかかわらず、5~15年単位で薬効を疑問視される薬が次から次へと出ては消えて行くのです。その10年近い年月で大手の製薬会社は数千億円以上の資金を売り逃げしている実態も知りました。医師である私が限りない医療不信を募らせていく結果ともなりました。厚生労働省の薬効認定はどの様な判定に基づくものであるのか、限りない疑問が湧いて来るのです。製薬会社の巧みな宣伝に一般医の多くは踊らされていました。学会の論文にもそれなりに目を通しましたが、多くは薬の宣伝効果を裏付けるものでした。何の研究機関も個人的には持ち得ない私のような医師には、それらの論文を信じるしか治療指針はないのです。
医師とは、何と脆弱なものか?
大学教育で受けた医学知識がその基盤となっているのですが、医学の進歩に伴って、それらの医学論文も次から次へと塗り替えられて行くのです。何を根拠に自分の治療方針を打ち立てたら良いのか、時に迷いも生じます。
そんな時の私の基本理念は、患者さんに聞くと云う事です。私たちにとって患者さんとは試験官と同じです。
「頭が痛い」とか、「めまいがする」
と云うのは一つの試験問題です。それらの問題にどの様な解答を書くかが私たちの仕事です。模範解答が書ければ患者さんの訴えは解消されます。逆に間違った解答を書けば、患者さんの病状は悪くなるばかりです。私たちの解答が80点の事もあれば、30点の事もあります。80点ぐらいの解答率であれば、患者さんの自然治癒力で多くの場合に病気は軽快に向かいます。しかし30点以下であれば病気が快方に向かう可能性は、殆んど期待出来ません。この様な過程が臨床経験と言われるものです。この臨床経験の精度を上げる為には、常に患者さんの訴えと真摯に向き合い、医学論文にも出来る限り目を通すと云う姿勢が重要です。
次回に続く
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