診察室からコンニチハ(26)

ここで認知症の概念の変遷(へんせん)と医学的・社会的な考え方の歴史を振り返ってみたいと思います。以下の文章の多くは「認知神経科学 Vol.17 No.3~4 2015 福井俊哉の論文」より引用しています。
Ⅰ. 本邦古代における認知症
神話の世界では認知症や精神病を有する者は畏敬と脅威の対象であったらしいのです。これらの人たちの言動や行為が全く理解出来ず、ただ崇(あが)めるしかなかったのでしょう。7世紀後半の万葉集では、鷹を逃した鷹師を
「狂(たぶ)れたる醜(しこ)つ翁(おきな)」と称しています。
この当時から認知症が「狂・醜」などの文字を用いて考えられていたようです。
Ⅱ. 中世における認知症
この頃から認知症を「ほけ」と表現していて、現在の「ぼけ」の語源と思われます。源氏物語(11世紀)では、明石の君の母は
「こよなき ほけびと」
と、その認知症の程度が表現されています。さらに源平盛衰記(鎌倉時代12世紀)では、源頼朝に反逆した伊東入道祐親(すけちか)法師のことを、その子の祐清(すけきよ)が
「父入道老狂の余り、便なき(びんなき : けしからぬ)事をのみ振舞い候」と表現しています。
「便なき」とは排便の事ではなく、立ち振舞いの異常さを表していますので誤解の無いように願います。
また「老狂」とは、老年期認知症に相当すると思われますが、社会的には何を仕出かすか分からない厄介なもの、というニュアンスが込められているようです。
Ⅲ. 近世における認知症
江戸時代の根岸鎮衛(やすもり)の雑談集「耳嚢(みみぶくろ)」1814年の中に「老人へ教訓の歌」が収録されていますが、一部を紹介します。
「皺(しわ)よる、背はかがむ、頭ははげる、手は震ふ、足はよろつく、耳聞こえず、目はうとい…同じ噂を繰り返し、物わすれ多し」
などが記されています。そして老耄(ろうもう)は老いの不可避的現象なので逆らわず自然体でふるまう様にと諭しています。
Ⅳ. 近世の認知症予防・治療に関する考え方
近世畸人伝(1709年)では、養生は老耄(ろうもう)を遅らせるとし、具体的には食生活を見直し、精神的なストレスを少なくするのが良いと、現代でも通用する記載がみられます。また患者介護に関しては、患者は他界後に祖霊に昇格し子孫の守護神となるので、介護は家族が行うべきものであると書かれています。
また認知症治療に関しては、同じく近世畸人伝によりますと、老耄を含む心の病に対しては
「神医(かむい)といえども術無し」
と、諦めています。
次回に続く
関連記事

コメント