診察室からコンニチハ(27)

江戸時代には認知症患者に対する行動制限や身体抑制は、どの様になされていたかを記載します。
「妄言(もうげん)・妄走(現在で言う徘徊)・夜不寝(よるもねじ)」に対しては繋置(けいち : ひもで縛る)・桎梏(しっこく : 手枷足枷)、座敷牢もやむを得ないと考えられていた様です。しかし、これらの身体拘束にはそれなりの手続きが必要で安易な拘束には一定の制限が加えられていました。つまり拘束を行う為には提出書類があったのです。親族・名主らの連署、番所・奉行所への願書、医師の口上書(こうじょうしょ)、役人の検分書などの複雑な手続きありました。この時代には、すでに行動制限に対する懸念が芽生えいた事が理解されます。
Ⅴ : 認知症の病態に関する考え方の変遷
古代唐代の医書「備急千金要方(びきゅうせんきんようほう)」によると、偏枯(片マヒ)、恍惚、狂言妄語は「風」(ふう : 外因の邪気)が皮膚から侵入することにより生じると信じられていた様です。
中世元代の医書「格至余論(かくちよろん)」では、老年期の精血減少(虚)が健忘、難聴、視力低下などを生じる原因であり、老耄は老化に伴う自然現象であるという考え方に進化しています。
江戸時代に書かれた「病因精義」1827年では、
「脳内障害・粘凝汚液・血性不良・老衰病損」が「脳髄」と霊液の路である「白脈」(神経)を侵すと記載されています。さらに明治時代に発刊された「老人病学」1914年では、老年性器質的精神障害の原因として、老耄、進行麻痺(現在の脳梅毒)、動脈硬化性精神病・アルツハイメル氏病と分類され現在の考え方に一歩近づいています。
Ⅵ. 認知(痴呆)疫学の芽生え
1960年代から、「痴呆」が「ほけ、老耄、老碌」などの用語に代わって用いられています。本邦における痴呆学(認知症学)は、「老年痴呆に関するアルツハイマー病変化が多い」ことを主題とする病理学的研究から始まりました。
昭和30年代には、「白痴脳におけるアルツハイメル原線維変化の研究」(林 道倫 : 岡山医大精神科教授)1955年、さらに「老人脳の病理」(猪瀬 正 : 東京都立神経病院)1957年、「老人性病変の組織化学」(石井 毅(たけし) : 東京都精神医学総合研究所)1958年などの論文が発表されました。
一方、本邦で臨床研究が増加して来たのは1980年になってからであり、20世紀当初から臨床研究が認知症発見の手かがりとなった欧州とは認知症学の生い立ちが異なる印象が歪めません。また2004年に痴呆が認知症に用語変更された記憶は新しいところです。
次回に続く
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