診察室からコンニチハ(38)

待ちに待ったS出版社から電話が入ったのは、9月初旬で猛暑の夏は未だその勢いを少しも緩めてはいなかった。4日後の火曜に病院に訪問しても良いかとの確認だった。午後3時からなら都合がつくと私は答え、互いにのスケジュール調整が了解出来た。S出版社に出向くと言うのではなく、向こうから訪問して来るとの話に私の夢は大きく前進した。
そして火曜の午後3時、その少し前にS出版社の50歳代と思われる男性・川島(仮名)さんが院長室に入って来た。その手には私の小説「霜月の夕暮れ」が握られていた。かなり読み込まれたらしく、綴られたプリントは相当に傷んでいた。
川島さんは、先ず出されたお茶を少し飲んで話しを始めた。
「とても興味深く読ませていただきましたが、このままでは小説になりにくいと思います」
私は川島さんに詰め寄るように、
「文章が稚拙だからですか?」
と、尋ねてしまった。
「いや、それよりは小説の形態をなしていないのです。認知症とは何の関係もない話が随所に出て来ます。それぞれの話は面白いのですが、これは明らかに脱線しているとしか思えない個所が多すぎます。さらに雑誌記者の話が出てきますが、現実の雑誌記者の生活や収入はご存知ないでしょう?…いくらフィックションといっても余りに現実離れした設定では、この作家は随分と不勉強であると読書に見破られてしまうのです。そうなると、折角丁寧に書かれている認知症の部分にまで、読者の不信感が生まれてしまうのです。その意味では、ご自分の経験や専門知識に熟知した事を基盤にして筆を進めて行くべきなのです」
と、川島さんの批判はかなり厳しい。私は頭を下げて聴いているだけだ。そんな私の姿を見て、川島さんは幾らか遠慮ぎみな口調になった。それでも彼の舌鋒は衰えない。
「もう少し話を続けても良いですか、余り気にしないで下さいね」
私は素直に頷くしかなかった。
「宜しくお願いします。川島さんのお説は一々ごもっともだと思いますので、どの様な忠告も喜んで受け入れます」
そうは言ったものの、私はかなり傷ついていた。
次回に続く
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